25『信教の自由、そして政教分離のその先に』
信長が、悪名の高い『比叡山の焼き討ち』をしたのはーー
敵対する朝倉浅井連合軍が比叡山延暦寺に逃げこもったからです。
しかも、当事の寺院勢力はーー
自己防衛のためと称して、武装化しており、その武装化によって逆に時の政権に圧力を加えたり、他宗派に攻めいったり、勝手に関所を作ってお金を巻き上げたりと、やりたい放題。
比叡山延暦寺もあまりのやりたい放題に、時の政権から、なんと信長の前に二回も焼き討ちにあっているのだ!
そして信長の焼き討ちで三回目と、
もう、政権対宗教武装勢力の恒例行事と言っても過言ではないくらいにーー
実はこの時代にはよくある話なのである。
宗教団体は非武装に決まっている、いや武装していても小数しかいないとの思いこみが、
信長の比叡山の焼き討ちを、特筆すべき悪事にしてしまったのである。
ーーこれは信長の最大のライバルが誰か?
という答でも分かる。
信長最大のライバルはーー
風林火山の武田信玄でも、
毘沙門天の上杉謙信でもなく、
石山本願寺を率いる顕如であった。
なんと石山本願寺とは、信長は十年も戦い続けていたのである。
なぜそんなに長く戦ったか?
当然石山本願寺か、それだけ強かったからです。
天下統一まっしぐらの信長が、何度も戦で負けるほどの、本願寺の強さ。
正直、並の大名では相手にならないくらいーー
動員力・武器保有数・火力・補給力・たくさんの支援国の存在と、あらゆる戦闘能力が桁違いに高いーー宗教武装勢力です。
ただ誤解なきようにいうと、信長が比叡山延暦寺や、石山本願寺と戦ったのは、宗教“武装”勢力だったからでーー
宗教自体を抹殺しようとしたわけではないのです。
事実、比叡山延暦寺も石山本願寺も、信長に武装解除されたあとはーー
その信長に、布教の自由を認められているのだ。
ーーそして、それは当然のことだった!
信長が目指す『撫育民姓国家』には差別が無い。
だから、『信教の自由』もーー
政治に関与せずに、また武力抗争などしなければ、宗教団体の存在は認められるのでした。
そう、つまりはーー
『信教の自由』、そして『政教分離』なのです!
そう、信長は宗教を否定していないのである。
そう、宗教団体の武装能力を否定しているだけなのであった。