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238『信長の思想に迫る!』

織田信長は、イエスに感化され――

自らも“キリスト”になろうとした。


本作で提唱する『新説本能寺の変』の根源をなす、信長の思想・信条である。


つまり、この信長のキリストに成りたいという思想をもし、実際には持っていなかったとしたら……

この新説は破綻することになる。

ということで、

信長思想・信条を改めて確認してみると――


信長間違いなく、キリスト教の保護者ではあった。

当然仏教界からの反発は激しかったが、信長はその支配地での教会(南蛮寺)を建設し、布教の自由を許可し、庇護した。

また『フロイスの日本史』には、キリスト教の教えに共感する信長の場面も多くある。


が、しかしながら、

信長がキリスト教徒になったという記録はない。

もし、信長がキリストに成りたいと思っているなら信者になるのが自然なのに何故?とも思える。


また信長は、自ら神になったと述べ、自らの誕生日に総見寺に参拝するようにさせたりと『フロイスの日本史』に記述かあるが、同じ日本史に――


彼は善き理性と明晰な判断力を有し、神および仏の一切の礼拝、尊崇、並びにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった。形だけは当初法華宗に属しているような態度を示したが、顕位に就いて後は尊大に全ての偶像を見下げ、若干の点、禅宗の見解に従い、霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見なした。


とあり、つまり信長は、自ら神になったと述べながら、例えば死後はどうなるこうなるとか信長教の教祖として信者を集め、教団を設立しようという意図は感じられないのである。


しかもその上で信長とキリスト教関係で不思議なことがある。

記録上信長が将軍足利義昭を上洛させてあとに初めてあった宣教師は、ルイス・フロイスである。


しかし、フロイスの『日本史』で描かれる初対面の場所は工事現場で、初めて会ったフロイスと実に楽しそうにフランクに気さくに話している。

これは京都での布教許可を求めてフロイスが初めて将軍義昭邸へ訪れたときの、将軍の重々しい対応と実に対照的である。


そう将軍の対応と比べ、まるで信長は、もうすでに外人慣れをしているかのようだ。

もっというと、宣教師と話すのに慣れていると言っても過言ではない。


つまり何が述べたいかというと、フロイス以前に、

信長は宣教師に会ったことがある?!

のではないか、ということである。

そう、それで初対面の宣教師と仲良く談笑できたのではないかと!


次回予告

ではでは、フロイス以前に信長が会った宣教師とはいったい?


『カッパ坊主』


まさかのあの超有名な歴史上の人物が登場し、真実の信長に迫ります!


乞う、ご期待!


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