235『【徹底比較】本能寺の変、七つの謎』(2)
《第四、家康の安土訪問や上洛は無警戒だったのか?》
○通説
信長が武田征伐の時の御礼として、家康を接待する為に呼び寄せたから。
古くからの同盟者で義兄である信長の招待なので、全く警戒していない。
○『四二七』説等
安土訪問前後に事前に光秀と密談し、信長の『家康暗殺』計画を家康が聞いていたから対策を練っていた。
また公家も滞在中の安土城では、さすがに凶行に及ばないとの判断。
・疑問点
いつどこで家康と密談する余裕が、光秀にはそもそもあったのか?
通説にない新たな場面設定は、当然不自然さになる。
○『福音書』説
今までの家康の活躍から、信長が他家ながら家康も使徒と認定したから。
つまり、通説と全く同じで安土饗応と上洛見物で、慰労と感謝とを家康に与えるためだったから。
※そのあと、堺見物中に家康にも使徒として、『信長の死』という試練を与えた。
《第五、光秀は何故、三日天下で終わったのか?》
○通説
横暴な信長に耐えかねた光秀が、信長が本能寺にて小勢でいることを知り、無計画のとっさに襲撃したから。
つまり信長を倒した後のことを考えていなかった。
○『四二七』説等
事前に家康と共謀し、信長上洛の日程を把握してからであるが計画的に行動。
・疑問点
やはり本能寺の変が、共謀者もいる計画的な犯行というには、杜撰すぎる。光秀寄騎で縁者の細川藤孝にすら協力を拒否されているし、家康が早急に光秀に援軍を出した訳でもない。
智将光秀のたてたクーデター計画があまりに拙いのは、不自然。
○『福音書』説
計画通り、信長の仇討ちをしに近畿にとって返した武将と一戦交えてから、わざと負ける手筈だから。
つまり、表向き通説と同じ。
ここまでの比較をみてお気付きの方も多いと思いますが――
実は拙者が提唱する『信長による福音書』計画説は、
ほとんど通説と同じ、そう『福音書』計画を知らない当時の者にとっては通説と全く同じなのである!
ここが重要なのですが、つまりは荒唐無稽に思われる本作ですが、実は他の本能寺の変の諸説のように通説を大幅に変更しなくてもいいので、結果、諸説よりも通説と違和感なく本作は整合性がつく自然な説となっているのです。
次回、
信長の後継者となった羽柴秀吉と徳川家康、彼らの行動は不自然なのか否か?
乞う、ご期待!