230『信長死す!その時、使徒たちは』
織田信長は、絶対的権力は絶対的に腐敗すると理解していた。
ゆえに、自らが日の本の最高権威者天皇を超越し、その権力は天下統一を成し遂げる目前となったその時、自らの後継者に『天下布武』を託して自ら死を選んだのである。
そう自らが願う恒久平和の為には、一番その実現性が高い者を後継者にする必要がある。
そのためには、信長イズムを伝えた使徒たちに競わせて、その勝者に継がせるのが一番であると考えたのである。
そう、それは信長が尊敬するイエスが、弟子たちに後を託して、自ら死を選んだように。
残された使徒たちがイエスの教えを一人一人自らの物とし、その布教活動の切磋琢磨の間に、自らの後継者がおのずと出てくると考えたからである。
――そう考えると、実は六月二日の信長が本能寺の変を起こした時の使徒たちの状況は極めて面白い。
まず、信長の使徒たちの内、信長が織田家の家督を譲った嫡男織田信忠、『信長による福音書計画』の為に京・妙覚寺にて待機。
信長がもっとも信頼している重臣明智光秀は、六月一日夜、翌日早朝の本能寺襲撃による『福音書計画』発動の為に、丹波亀山城を出陣、そして本能寺前に着陣。
その六月二日本能寺では、計画の遂行の為に、森乱丸ら小姓と、清玉上人が待機している。
この流れは、イエスが最愛の弟子“ユダ”に『最後の晩餐』で、自らを裏切るように指示し――
そしてユダが預言者『イザヤの書』計画実現の為に、偽預言者がいると監吏を呼んでイエス元へ行き捕縛させた流れとシンクロしている。
それでは、この『信長による福音書』計画を知らせていない、使徒たちはというと――
・羽柴秀吉 毛利討伐の為に、中国地方に遠征。
・柴田勝家 上杉討伐の為に、北陸に遠征。
・滝川一益 関東、東北の抑えとして上野に着陣。
・織田信孝(信長三男) 四国征伐の為に大阪に着陣。
・徳川家康 信長のはからいで堺見物中。
つまりは、どの有力武将も、敵勢力と隣接しており、つまりは信長が死ぬことで動揺した信長軍を、敵勢力が攻撃してくる可能性が高いのである。
また家康も軍勢を率いておらず、危機に陥る。
そうなのだどの軍団も、信長が死んだとしても簡単には天下の中枢部近畿にとって返すには障害がある。
つまりは、その障害を乗り越えなくてはならない。
しかも近畿には明智光秀が待ち受ける。
そう、この試練を乗り越えた者に信長は、自らの後継を託そうとしたである。
次回、今度こそ『試練の価値は』。
この信長の課した試練を乗り越えた者たちがいる!
その者たちとは!?
乞う、ご期待!




