23『信長三大悪事』
信長はとかく残虐なイメージがつきまとう。
これはある意味仕方ないことではある。
よくいうように、
最大の勝者は、最大の英雄は、最大数の敗者の屍の上に立つ。
英雄は最大の人殺し。
一人殺すと殺人犯、なのにーー
大勢殺すと大英雄。
という言葉もあり、
信長は天下統一目前だったので、敵対者をたくさん倒したのは事実なので。
その中でも《信長三大悪事》といわれる、
『比叡山の焼き討ち』
『一向一揆の皆殺し』
『敵の朝倉義景のドクロ盃』
なんかは、まさに信長の残虐さを表す代名詞的なエピソードである。
まず、敵であった越前の戦国大名、朝倉義景を滅ぼしたあと、宴会の趣向としてーー
義景と信長を裏切った義弟浅井長政のドクロを、酒の盃にして披露した『ドクロ盃』事件である。
これは案外説明簡単で、信長の時代は戦国時代で憎き者は殺すというのがこの時代の“時代精神”なのだ。
よっぽど朝倉義景・浅井長政が憎くて、それをやっとこさ攻め滅ぼしたので、うれしくてうれしくてしょうがなかったのであろう。
まっ、敵の戦利品を披露することはよく聞くが、敵のドクロを披露するのは現代の我々は実感ない。
が、そもそも『首実験』といって、誰がどれだけ戦で活躍したかを調べるために、敵の首を胴体から切り離し、その首の数をみんなの前で数える時代の世界なので、特段驚くほど特異な事件では実はなかったのだ。
というのは、このドクロ盃の出典は、
信長の祐筆、つまり信長の秘書・記録係であった太田牛一が書いたーー
信長の一代記『信長公記』なのである。
なので、尊敬する織田信長の偉業を後世に残したくて記したものなので、牛一はこの事件を悪事とは思ってない。
だから内容も「主君信長様が宿敵を倒し、酒の席の余興としてドクロ盃を出してくれた、いやぁ、実にめでたい、めでたい」みたいなノリで記されているくらいである。
ーーそれはわかったけど、『三大悪事』のうち、
『比叡山の焼き討ち』や『一向一揆の皆殺し』は、罪もない老若男女を殺しているのだから、これは言い逃れできないでしょ?!
という読書の声がまた聞こえてくる……




