225『エヴァンゲリオン計画【発動】条件』
やはり天正十年元旦から、六月二日の本能寺の変までの――
この半年間に、本当に信長と光秀になにもなかったのか?
気になって改めて年表を見直しみたら……
……とんでもないことを発見しました!
○天正十年(1582年)信長年表
一月一日
朝日を浴びて燦然と輝く安土城に――沢山の民衆か、“初詣で”。
――『信長公記』に、この日はあまりの人出で、石垣が崩れるほどであったと記されくらいの大盛況。
三月五日
武田勝頼を倒すために安土を出て、甲府へ向かう信長軍。
今回の主力である信長の嫡男信忠率いる主力は、すでに甲府へ向けて進軍中。
三月十日 織田、徳川、北条の三か国軍に攻められた武田軍は、呆気なく崩壊。武田勝頼の自刃にて、甲斐の武田氏滅亡。
三月二六日 諏訪法花寺
――陣内で信長に戦勝報告をする、今回の武田攻め総大将信忠。
「ようやった信忠、天下の儀、御与奪であるぞ」※『信長公記』
ここでの御与奪とは一般に、譲るという意味で解釈されてますので――信長は突然、《引退宣言》をしたことになる。
すでに信忠に織田家の家督を譲っていた信長は、
二十六歳の若武者に、今度は天下を譲ると言ったのである。
このやりとりは『信長公記』に、
武功を立てた信忠に、信長が『天下の儀御与奪』と述べたシーンですが、その信長の意図には実は……いろんな説があると、第一部で述べた。
○息子が活躍したので、嬉しすぎてリップサービスで、天下を譲ると誉めた説。
○信忠を関白にすることで、天下人とする説。
つまり、後の関白・そして太閤となり豊臣秀吉が天下人になったように、嫡男信忠を天下人することを信長が考えていた。
そして最後に――
月風のシロッコが提唱するのが――
○織田信忠、驚愕の《エヴァンゲリオン》計画、参加説である!
……ということで、なんとここまでの年表を見て、重大なことに気づいてしまった。
ヒントは、
――この日、『諏訪法華寺』での信長による光秀殴打事件があったとされる日である。(『稲葉家譜』)
そう、皆さんお気付きの通り――
『織田信長による福音書』計画の実行を、織田信長が決意した日が、ついに、ついに解ったのである!
――というのは、この計画には――
第一前提・第一条件として、信長領の東方の脅威・最大の敵、武田氏を倒し信長の天下周辺を安定させることが必須なのである。
何故なら、信長を光秀に討たせたことにより起こる、近畿周辺の権力の空白状態を、他の大名に漬け込ませないようにするためにである。
そう、つまり信長の関係者以外に、天下の中枢部・近畿周辺への浸入を防ぐために。
そしてそう事実――
信長が倒されたあと、すぐに近畿へと進軍しようとした軍は、中国の羽柴秀吉軍、北陸の柴田勝家軍という信長家臣の方面軍大将と、徳川家康という信長の同盟者の三者だけであり―――
他の大名は近畿へと向かっていないのである。
……そう、そうなのだ!
武田氏を滅ぼすことこそが、『信長による福音書』計画の発動条件だったのである!
――次回、そしてその『福音書計画』発動の、ゴーサインの言葉こそ……!




