表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/280

21『すべては、人々のために』(イエス)

○イエスが目指したもの


イエスの生まれた頃のユダヤ人は、ローマ帝国に支配されていました。

支配といっても、武力で制圧したり、宗教を禁教するようなことはありませんでした。


しかし、当然ですが支配させている以上ーー

自治権は当然制限されていますし、ローマの命令は絶対ですし、税金をローマに払わなければなりませんでした。


当然、ユダヤ人は独立したいと思っていましたがーー

世界帝国ローマの前では独立戦争を起こし、そしてそれに勝つことは到底無理な話でした。


そこでユダヤ人たちが求めたのがーー

《救世主》でした。


救世主といっても、例えばダビデ大王とか、アレキサンダー大王のような軍事的成功をもたらす英雄ではなくーー

というよりも、軍事力ではそもそもローマに勝てないので、そんな無理な英雄を求めるのではなく、

預言者イザヤの預言書『イザヤの書』に、

“預言された者”の到来を待ち望んでいました。


『旧約聖書』のイザヤの書に記されたーー


『自ら懲らしめを受けて、我々に平安を与え、その打たれた傷によって、我々は癒される』


という言葉を体現する者が、ユダヤ人が求める救世主の姿でした。

つまり、自己犠牲によって人々の為に、刑罰である(むち)打ちの計をあえて受けるような者の登場こそが、我々に救済を与える。

ーーと、ユダヤ人は考えたのです。


ユダヤ人であるイエスは、当然それを知っていた。

だからこそ、自らが人々のために鞭を打たれることを望み、また十字架の刑に処されることを選んだのでした。

というのは、イエスは“偽救世主”として捕まったのですがーー

鞭打ちの刑の時に自らが偽物の救世主と認めれば、なんと《十字架の刑》ーー

つまり死刑は避けられたのです。

が、イエスは自身が偽物の救世主とは決して認めなかったのです。


なぜなら……

なぜならそれがイザヤが預言する救世主の行動だと信じてーー

なぜならそれが人々を救う方法だと信じてーー






このように自己犠牲によって、人々を救おうとしたイエス。

……と、どこが戦争屋信長と類似しているんだ!

と、読書に怒られそうですが、



やっぱり信長とイエスは、似ているのです!



当然その理由はーー




次のページで!




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ