203『西行、再び!』
――連歌終盤を、『名残』と呼び、
言葉通り、長く詠い続けた今日の連歌を思い出して、
“名残りを惜しむ”流れになっている。
この『愛宕百韻』では、何を名残りとしているのか?
そう、この『愛宕百韻』に流れる想いとは――
『愛宕百韻』〔名残表〕
80 むら蘆の 葉隠れ寒き 入日影 心前
・直訳解釈(作者訳)
「群がって生えている蘆の、葉の影の中へ入ると寒かった」
これだと『本能寺の変』と全く関係ない句のようだが――
今までに述べてきたように、連歌の高等テクニックとして、過去の古典の名歌を引用することが多い。
そしてこの連歌の天才里村紹巴の一番弟子と呼ばれる心前が、
『誰の句を』引用して句を練ったかといえば――
ここまで読んできた読者様ならお気付きの方も多いと思いますが、
当然、かの大歌人・西行法師です。
おさらいしますとこの本作で解読した『愛宕百韻』の根底に流れる想い、特に主賓の明智光秀の根底に流れる想いは――
老い先短い身となれば、
『西行法師のように、自らの望む死に方をしたい』という感情です。
そこで、西行法師の数々の名歌の中から、心前の句に似ている句を探して見ましたら、なんとすぐ見つかりました!
拙者としては、心前はこの西行法師の引用をしたと断言できる西行の句は――
『寄残花恋』
葉隠れに 散りとどまれる
花のみぞしのびし 人に逢ふ心ちする
・解釈
葉の影に隠れて散り残っている桜の花よ……
それだけだ、ひそかに恋い慕っていた人に、出逢った気持ちになれるのは。
・解説
この句は、花が散った桜の木にまだわずかに残る花びら――
“残花”を見ると、もうあえぬ愛しのあの人に出会えたような気持ちになってしまう。
という、もうあえぬ想い人への歌である。
ということで、今回の『愛宕百韻』は、信長プロデュースの百韻連歌なので、当然――
“もうあえぬ想い人”とは――
このあと『本能寺の変』で命を落とす、織田信長のことを暗示している。
……ということで、読者様の中には当然――
「また連歌解釈か~」
「早く“変”当日の章に入って、本能寺の変の謎の解決編を見たいのに」
とお感じの方も多いと思いますが、
なんと今回、何故心前の句を一話もかけて解釈したかというと――
実は重大な理由が当然あるのです!
そう、その重大な理由とは――
なんと、心前の句を『解読』すると……
《本能寺の変》最大のミステリーが、
――なんといきなり解けてしまうからなんです!
次回、突然ですが、
本能寺の変《最大のミステリー》が、
なんといきなり解決してしまいます!!
GW連続投稿スペャシャルはまだまだ終わらない!
第四段は、本日朝5時までに投稿!
乞う、ご期待!




