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2『謀反の理由が見当たらない光秀』

信長の家臣で出世頭というと、農民から一軍の将まで昇りつめた羽柴秀吉が有名である。

しかし、明智光秀も、織田家家老の柴田勝家から「出世しすぎ」と言われるほどの、実はかなりの出世を果たしていた。


光秀の名は、越前の大名朝倉氏に仕えるまではほとんど全く歴史に出てこない。

また朝倉氏に仕えていた時も、重用されず貧乏話の類いが多く伝わっている。


しかも、『当代記』によるとーー

織田信長に仕えた時はなんと五十三歳である!

(信長三十五歳の時)

ちなみに本能寺の変の時は、なんと当時高齢と言われるーー六十七歳!である。


つまり、信長はほとんど実績のない光秀を、しかももう五十を過ぎている者を配下にしたのである。


後の足利将軍義昭を信長に紹介したという話もあるが、実際は光秀が信長の家臣になる三年も前から、将軍義昭は信長と連絡をとっている。


それでも信長は、農民出の羽柴秀吉の時と同様に、光秀の実力を見抜き、最終的に天下の中枢近畿の最高責任者に任命している。


ーーそうなのだ、光秀が裏切る理由がないのだ。こんなに厚待遇高評価で謀反を起こすほどの怨恨がある訳がないし、だから黒幕にそそのかされることもない。

そう結論として、老人光秀に野望などなかったのである。


……では何故、光秀は裏切ったのだろうか?


いや、動機がないという事は、裏切りではなかったと言ってもいいのではないだろうか?


つまり、光秀の本能寺襲撃は、光秀の意志でも、もちろん存在しない黒幕の意志でもないということだ。


……としたら、もう本能寺の変の首謀者は一人しかいないではないか!ーー







ーーそう、本能寺にいる信長自身が、光秀に命じて本能寺を攻めさせたのである!!







……そんな馬鹿な!という読者諸兄の声が聞こえてきそうだが……、

当然、拙者がそう述べるのには理由がある。


その理由は当然ーー

次の話で!

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