19『一番弟子』
織田信長の家臣は、
信長の天才的な発想を具現化するほどの実力者ばかり。
ですが、その中で信長の代に仕えた家臣のうち、最大の“軍事的”貢献者はといえばーー
当然、
羽柴秀吉でしょう!
戦国時代はよく下剋上の時代といわれますが、そこまで多かったわけではなくーー
ほとんどの戦国武将の配下は昔から仕える譜代の家臣が、ほとんどを占めていた。
ーーそう、いわゆる縁故主義です。
ですが、信長はそういう慣習やしがらみに囚われず、能力主義に重点を置き、家臣を登用した。
その代表的人物である秀吉はーー
木下藤吉郎という名のーー農民でした。
そう、だからもし……
信長がいなかったら、信長が農民秀吉の潜在的能力を見抜けなかったら……
後世天下の主となるーー太閤豊臣秀吉は存在しなかったでしょう。
イエスの場合、
一番弟子はぺトロと言われています。
そして、そのぺトロはーー漁師でした。
そう、イエスの一番弟子は漁師でありーー
当然最初から重要人物ではありませんでした。
しかしそのぺトロはが、イエスの死後キリスト教の初代教皇になりーー
その死後、ぺトロの墓の上に、
サンピエトロ(聖ぺトロ)大聖堂かが建造され、現在でもキリスト教の総本山となっているのです。
秀吉とぺトローー
木下藤吉郎秀吉とぺトロは、ともに貧しい出身でしたが、信長・イエスによりその潜在的能力を見抜かれ家臣・弟子となりーー
信長・イエスの死後ーーその後継者となったのでした。
●只今の信長・イエスの“類似率”はーー
……35%。




