12『奇跡の価値は』
信長は幾多の奇跡によりーー
自らが、天に愛されていることを知った。
いや、確信した。
そしてそれは自らの天命を知り、それを自覚することでもあった。
「そう、天に愛されているこの余ならばーー
イエスのようにすれば上手いくのではないか。
ーーならば、その天命に応えようではないか!」と。
そう、イエスと信長は自身を彩る奇跡の数々を前にしてーー
この《奇跡の価値》は、一体なんであるかを思い、
そして、《奇跡の価値》を知り、
そう、人並み外れた奇跡を呼ぶ“天に愛された”自分自身の価値を知り、
ーーそしてそう、だからこそーー
天に“選ばれし者”であることを知った二人はーー
伝説の救世主に成れるのではないか!
ーーとイエスは、そして信長は思い、救世主伝説を叶えようとしたのではないのか!?
ーーと、拙者は考えるのである!
そしてそして、イエスが預言者イザヤの預言書『イザヤの書』を見て、自らが救世主になるーー
《イザヤの書救世主計画》を実現させるべく活動し、そして完遂させたように、
また信長も、救世主と成ったイエスの一代記『福音書』を見て、自らも救世主になるというーー
《エヴァンゲリオン(福音書)計画》を実現させるべく活動し、『本能寺の変』を計画したのではないのか!?
ーーと、拙者は考えるのである!
……そして読者諸兄は、
またまた馬鹿なことを!と、考えるのであるが、
……実は、そもそも信長はイエスの真似をせずとも、もともと《救世主》なのであった!
そしてその根拠はーー
ーー当然、次の章で!