100『無官の帝王』
それにしても――
何故織田信長は、源頼朝のように、足利尊氏のように征夷大将軍にならなかったのか?
――後の徳川家康もなったのに。
……ただ、京都から追い出されたとはいえ、まだ足利十五代将軍義昭が征夷大将軍として存在するからという理由は確かにある。
何故、藤原氏のように関白にならなかったのか?
――後の豊臣秀吉もなったのに。
……ただ関白に成るには、摂関家でなくてはならず、秀吉は奇策として新に天皇から『豊臣』姓を頂き、摂関家同格になったので、関白に成れたという理由は確かにある。
何故、平清盛のように太政大臣に成らなかったのか?
――一時期、信長は平氏姓を名乗っていたこともあるのに。
……ただ、征夷大将軍が武家の棟梁、つまり武士のトップなのに比べ、
関白が皇族以外の者であっても、天皇と同格に成れるのに比べ、
天皇制で臣下の最高位である太政大臣は、正に天皇の第一の臣下という感じで、トップの天皇に仕えるから結局No.2という印象がある。
つまり、他の二職、武士のトップ、天皇と同格に比べ、若干見劣りするイメージがあるという理由もあったのかも?と拙者は感じている。
どちらにしても結局のところ――
正直、信長が成ろうと本気で思えば、どんな理由であれ――
その強大な軍事力にものを言わせて、いずれの職にも成れた。
では何故、ならなかったのというと――
――理由は二つある!
一つには、信長は、自らの栄誉栄華に関心が無かったからである。
特に今は、そう天正十年当時――織田信長は無官である。
そう、信長は官職に就いていないということである。
信長は、早急な天下統一事業推進のために、右大臣にまでは成ったが、その目処がたったので潔く退いたのであった。
朝廷との交渉には、官位が必要というか……なにかと便利なために、正二位の官位は残してあるが。
――なので朝廷は、この日本で今や最重要人物となった者に官職がないという天皇制から逸脱したこの“無官の帝王”に対し――
その強大な権力を怖れ、天皇制において臣下が成れる最高位を持って、信長を天皇制度の中に早く取り込みたいという思惑がはたらいたのであった。
いずれにしても――
いずれも位人臣を極めたこの三職を織田信長が断ったということは、信長が私利私欲で天下を取ろうと思った訳ではないことが解る。
もし、信長が野望・野心で天下を欲しいなら征夷大将軍にでも成れば、すぐにでも幕府を開けばいい訳であるし。
……もし内心では天皇を超えることを狙っていても、
……もし最終的に天皇制を無くすことを信長が考えていたとしてもである。
何故なら、天下統一が成るまでは、忠臣の顔をしていればいいだけの話ではないか。
征夷大将軍にでも成った方が統一事業のためになにかと便利だからである。
そして天下統一がなった暁には、天皇を………。
――だからこそ、織田信長が『三職推任』を断ったのは、
……実は歴史上かなり謎な事ではある。
もし『本能寺の変・朝廷黒幕説』をとる場合――
信長が三職推任を断ったことで、朝廷側が、信長無官の野放し状態に成ることを怖れ――
明智光秀に信長を討てと勅命を出すきっかけになっているくらいである。
……では何故、織田信長はそんなリスクを犯してまで、
『三職推任』を断ったのであろうか?
その答えをようやくいうと――
――織田信長は、天下統一をするつもりが、無かったからである!
「はぁ~?!」という読者の声が聞こえてくる……が、
何故そんな結論に成るかと言うと――
それこそが……
そう、それこそが――
――《エヴァンゲリオン計画》なのだからである!
次回予告
連載100回突破記念・特別寄稿――
《読者からの大反論》
乞う、ご期待!




