大好きな人はアスペルガー?
僕の働いている職場は変わった人が多い。
いや、僕の立場から見ればみんな変わったように見えるのかもしれない。
仕事で悩むこと、No1は人間関係である。これは、昔から言われていて、デジタルガジェットが発達したこの現代においてもそれは変わらない。
パソコンが発達し、オンライン上で会議ができたとしても、そのオンライン上の人物は、しばらくすると直接会いに来る。人と人がやり取りする社会は絶対に無くならない。仕事をする上で、一緒に仕事をする人物のことは知りたくなるのが、人間の根本なのだろう。
話を戻そう。
僕の職場には変わった人が、いっぱい働いている。
基本的には頭がいい人がいるような気がする。
でも、ちょっと特殊なのだ。
こだわりが強かったり、指示が曖昧だと成果物が出てこない。人の話を聞かない、落ち着きがない。目を見て話せない。話が詰まる、一方的に話す、空気を読んだ発言ができない、プロセスを無視した返事が来る、忘れやすいなど。
こんな人たちが集まって、働いている。多分、他の人が聞いたら驚くに違いない。
「よく、回っているな」
そんな言葉をつぶやくと思う。
僕もそう思う。一部の、普通な人たちが、このような強烈な個性を操って、なんとか回っているのだ。
もちろん、グーグル先生に頼って、これらの症状を持っている人間はどういう人たちなのかということは、見当は付いている。たぶん、間違ってはいない。でも、だからと言って、彼らをその枠に入れて良いのかという点に、疑問があった。
誰にだって、優れている点と欠点は存在している。この両者が存在しているから、その人は輝いて見えるのだ。
正直、彼らとはコミュニケーションは取りづらい。
でも、彼らは一生懸命働いている。時には、僕が想像しないようなことを彼らは思いつき、僕を助けてくれる。そして、彼らの働きづらい部分を僕が補正しているのである。
決して、彼らを下に見ているわけではない。だから、僕はこの枠に当てはめたくないのである。
先日も、後輩に怒ってしまった。はっきり言えば、その後輩が悪いとは思う。多分、誰しもがそう思う。
でも、彼らの言い分を聞けば、彼らは、僕の言っていることが理解できていないというのが正直な感想である。
僕とは異なるプロセスで理解しているのだ。理解の仕方が異なるのである。
全ての人間が一緒であるとは思ってはいけない、といういい教訓になった。
正直なことを言えば、僕はいま病んでいる。この文章もどことなくまとまりがないし、勢いで書いている感覚がある。彼らは人と変わってると自分で判断しても、それを誰かと共有できないことは本当に疲れる。病む原因になっている。
人の頭の良さって難しいなと思う。
高学歴な大学を出ている人間が必ずしも、仕事ができたり、良い発想をしたりするわけではない。
(偏差値なんて、受験予備校が決めただけで、偏差値の高い大学であっても、世界的に見れば大半の大学は不要である、という考えは僕の中では大きい。だいたい日本の大学は、マラソンが速いというだけで偏差値が上がる不思議な仕組みもある。偏差値なんて当てにならない)
大学を出てない人でも、仕事ができる人はたくさんいるし、良い発想をする人もたくさんいる。
頭の良さの基準ってなんだろう。頭が良いって、判断する必要があるのだろうかと、思う。
結局、他人と比べるための道具でしかないのだろう。
僕は、トータルで人を判断したいと思った。何か、そういう風な社会になってほしいと思う。
生きるって難しいですね。でも、生まれたことに意味はあるし、僕は、無理をしない範囲で彼らを理解しないといけないのだろうと思う。
3連休の最終日、憂鬱な月曜日であった。




