フードを被った現代人
久しぶりに小説を投稿した。タイトルの小説である。
フードを被った男が、街中で4人(警官は2人)の人に出会うという短編小説である。
全くもって、理解不能な内容なので、書いていても頭がこんがらがった。
話には一応意味はつけたつもりである。しかし、全く伝わらない可能性もあるので、少しだけヒントを書きたい。
(そもそも、小説を読んでから、このエッセイにたどり着く人が何人もいるとは想定はしていない)
まず、フードを被った男が現れる。
そして、男は最初に人混みの中で、違う男にぶつかり、怒鳴られる。
これは、フードの男は、人とは違うことをすることによってぶつかっていることを意味する。
日本人は、人と違うことをしている人に対して、軽蔑の目を向けがちである。また、何か悪いことが起こった時に、だいたいそういう人たちのせいにするのである。
しばらくして、男は去っていくが、それは決して許したわけではなく、単に諦めただけなのである。
そして、次に女性が現れる。
彼女は、危険を気にもせずに反対側へと向かって歩く。
これは、彼よりも変人で、リスクを犯して向こうに渡ることによって、成功している人物を描いている。
その後、彼は、尻込みをして横断歩道を再度探して、横断歩道まで行き、反対側に渡る。横断歩道に向かう最中で、女と同様にチャレンジした人が現れたが、その人は車に轢かれ命を落としてしまっている。
成功にはリスクがつきものである、ということを表現したかったのです。
その後、男は横断歩道を渡って向こう側にたどり着くが、時すでに遅し。フードを被った怪しい風貌もあい待って、さきほどの彼の後ろで起こった事故の容疑者として逮捕されてしまうのだ。
これも、実は意味がある。急がば回れということわざがあるが、実際のところ、時間をかけすぎた結果、遅くなってしまい、成功から遠のくということを意味している。
60歳を過ぎてから、弁護士試験等の難関国家資格に挑戦し、合格することは、とても素晴らしいことではあるが、弁護士としてその後何十年も働くのは厳しいだろ。もしかしたら、働くことすら叶わないかもしれない。
何かにチャレンジするならば、若いうちにリスクをかけて挑戦しなければならないのである。そこを恐れてはいけない。恐れた瞬間に、それは本物のリスクになる。恐れなければ、女のようにすらすらと渡りきることもできるだろう。
どうした自分。
真夜中にやる気のない自分を鼓舞するために、小説を書いた、というお話でした。
興味がわいたら、読んでみてください。
よろしくどーぞ。




