脈なしサインの妥当性
お久しぶりです。
気がついたら、結構時間が経ってしまいました。そろそろ小説を書きたいなと思う今日のこの頃です。
恋の話。
長いこと生きていて、いろいろな人と話してきた。
本当、幸運なことに人から嫌われずに、たくさんの人と話すことができた。
その中で一番盛り上がる話。
恋の話。
恋バナ。
人間は、生まれ持って誰かを好きになるの装置がついているんじゃないかと思うくらい、僕らは誰かを好きになる。(実際に付いているんだとは思うんだけど)
高校生の頃、こんな人を好きになったんだ。
社内恋愛は禁止なのに、会社の違う部署の人好きになってしまったことがあるんだ。
人それぞれの恋を持ち寄って、ビールジョッキを片手に語り合う。そこに男女の性別なんて関係ない。
僕らは、誰かを好きになった経験を語ることがとても大好きなのだ。
ある時、ある場所での飲み会でのこと。こんな話が出た。
「好きな人のサイン」について。
正直言うと、そんな内容だったかどうかすらわからない。でも、大事なのは詳細な内容ではない。
出どころが、ネットであるということである。
今の世の中、ネットにたくさん「恋」や「愛」に関する定説がたくさん載っている。
好きな人は、あなたに対してこんな態度をとる
興味のない人には、こんな態度をとる
好きな人が好きすぎて、避ける
などなど。
しらべればしらべるほどたくさん出てくる。また出てくるの記事の中に、出会い系関連アプリを作っているサイトが記事を出している場合もあった。
僕にも好きな人はいる。
何回も何回も勝手にフラれている(と思っている)が、勝手にまた好きなってしまう人である。
とても魅力的な人のため、諦めきれずにずるずるとここまできてしまった(思いを打ち明けたことなどない)。
この人のせいで恋人はしばらくいない(そして、たぶん、それは関係ない)。
僕は、その人との会話を思い出し、できる限り、ネットの情報に当てはめてみた。
するとどうだろう。
よくわからなくなってきた。
好きな人サインに該当する箇所があれば、嫌いな人サインにも該当する。
好き避けといわれれば、そうも思えるし、純粋に嫌いなんだろうなとも思える。
謝りの留守電は聞いてないけど、と言われても、それは嫌いだから聞いてないんじゃなくて、内容は推定できて、電話代がもったいないから聞いていないのかもしれない。(もしくは、気持ち悪いとか恥ずかしいからなのかもしれないし、本当は聞いていたのかもしれない)
「ほっといて」にも種類があるらしい。しかも、女性から言われた「ほっといて」は「ほっといてはいけない」らしい。
でも、自分が言われた「ほっといて」は本当に「放っておく」ほうであるような気がしないでもない。悩んでいたから一人になりたかったように思えたから。
このように、恋や愛に対する情報が容易に入手できてしまう今の若者は本当にかわいそうだと思う。
好きになった相手に情報を当てはめようとして、結局ダメになるし、動けなくなる。
お見合いアプリを使って、異性に会いやすいから、たくさん会う。でも、付き合ってもすぐに別れる。わかれるのも簡単だ。また次の人にあえばいいから。
出会った人たちは、自分に気をもってほしいから「かっこいいね」とか「かわいいね」とか安い言葉を掛け合う。そんな安い言葉でもかけられれば嬉しい。
でも、出会いの会が終わるたび、お付き合いが終わり、別れるたびに、やはり多少なりとも悲しい気持ちになる。
それが積もりに積もれば、やがて「自分は本当は魅力がないのではないか」と思ってしまい、自信をなくしてしまう。
僕たちは、情報の海に溺れている。
情報にしてもモノに人々は多ければ多いほうがいいと思う人が大半だけれど、その度に迷いが生じる。
スティーブジョブスがアップルに復帰した時に始めに行った、4種類までに減らした製品整理。
何種類ものカラーや製品種類があっては、人は迷ったあげく、結局買わない、という彼なりの結論らしい。
(今のアップルを見たら、本当に悲しいですよね。あの時計とか時計とか)
昔の人は、なにも考えず目の前に現れた人を「運命の人」と認定して、本気でアプローチしていたんだと思う。
便利な世の中に思えても、実際は不便になっているのかもしれない。
なんだか、真面目なオチになったけれど、僕の大好きなあの子が、僕のことを好きになってくれる日が来てほしいと思う。
情報の海で溺れているように思える彼女に、手を差し伸べて救い出してあげたい今日この頃です。
なんか、一歩間違うとストーカーだけど、書いてて面白いと思った。好きな人のことを書くのは楽しい。
よく考えれば、アーティストの大半は、勝手に自分の恋を歌にしているものだ。




