浦島さん、それぞれの過去
今回は亀瀬くんメインです。お越しいただきありがとうございます。
今日は海がこの海の底へ来て、五日目の朝となります。新太の過去の人、楓。なぜ彼女がいなくなったのかは、いずれ分かることにございます。誰にも、話したくない過去があるように決して、海底に住む彼らも例外ではない。今日はそんな彼らの過去に、海は触れてしまうことになりまするー
「…あ~、どっかのバカのせいでよく寝れんかったわ!つか一睡もしてねぇ。くっそ…」
昨日のことのせいで新太は、全く寝れずイライラしていた。そりゃああんなの見せられたら、と新太は開き直る。昨日、乙を海から引き剥がして、説教していたとき。
(「なにやってんだよ!付き合ってもいないくせに!」)
(「人のこと言えるのかなー、襲いかけたの、知ってるんだよ?」)
(「だからってー」)
この後の、乙が言った言葉。
『"彼女"は、君の愛した"あの娘"じゃないでしょ?君は"彼女"が好きなんじゃなくて、"あの娘"ー…佐伯 楓と、重ねてるだけ。』
…そんなことは決してない。…決して……確かに、似ていると思ったかもしれない…でも。
「俺が海を好きになった理由は、そんなんじゃない。」
濡れた顔の鏡の中の自分に、ぼそりと言った。久しぶりに覆い被さっていた砂を払われた、昔愛した人の声。表情。楓が死んだのは俺の罪だ。だから、消せないのだ。
ー楓と出会ったのは、もう20年も前になる。自転車で、少し彼女にぶつかってしまった。
は
「大丈夫ですか?」
自分のほうがケガをしているというのに、どんな天然ボケな女だと思った。
それを口には出さず、「すみません。あなたのほうがひどい怪我してますよ。」と代わりに言い、傷口をハンカチで押さえる。
彼女はなぜか、驚いた顔をする。そして、自分の足が出血していることに、初めて気づいた。…気づくと、少し悲しそうな顔をして、溜め息をついた。
「大丈夫ですよ。私は痛くありません。」
「でも、血が出てるじゃないですか。我慢しなくても…」
彼女は新太のその言葉に、首をふった。そして、力ない笑顔で笑う。
「本当ですよ。私、痛覚が、ないんです。」
ああ、やってしまったと思う。他人に、しかも怪我をさせた相手に、嫌なことを言わせたと直感した。
「あぁ…すみません。」一言言うだけで、精一杯だ。
「病気とかじゃないんです。ただ親が気のおかしい人で、殴られた私が痛みで声を出さないように、麻酔を打ち続けた結果です。…あぁ、すみません。あなたには関係のないことなのに、勝手に話してしまって…」すみません、と小さく頭を下げる。新太はどう言っていいか、分からなかった。
「…とりあえず、止血はしておきました。すみません。…」
新太はいそいそ帰ろうと自転車を走らせた。その時。
「私、一目惚れしたみたいでーす!とまってくださーい!」
大声に驚き、思わずブレーキを握ってしまった。すると彼女は、嬉しそうにこちらへ走ってくる。…
「えーっと…何か…?」
「私、あなたが好きです!」
「はあ!?急にー」
「付き合ってください!」
「いやいやいや!?」
「はい、いいえ、どっちです!!10秒以内で答えてください!はい、いーち」
「え?!は、はい?!」
それから、俺たちの交際はスタートした。
佐伯 楓。18歳。俺の2コ上。誕生日、10月4日、出身は奈良。好きな食べ物、卵、嫌いな食べ物、苦いもの全般。
母はもういない。酒乱な父と暮らしていて、麻酔を打たれ続け痛覚が無くなったと、本人は言っていた。そしてー若くして子供を授かっていることも。
高校へは行っておらず、バイトをしながら、知人が紹介してくれたシェアハウスに住んでいる、かなり天然だが、壮絶な人生を送ってきた女の子。…彼女と付き合ったのは、同情もあると思う。あとは、突然でパニクってたのと、罪悪感?……好きあって付き合ったのとは、正直違う。
それでも、好きになった。いつの間にか、好きになっていた。いつしか、手離せなくなっていった。…彼女が俺を選んでくれたのは、運命なんかじゃなくて、偶然だけど。本当に運命だと思った。高校で過ごすよりもずっと楽しくて、いつも遅くまで彼女の住むシェアハウスに居座ったりしていた。
そんなことを思い始めた矢先の、病院での流産の報告。ベッドの上に涙を落とす楓の姿に、俺はただ、彼女の肩に手を置いてやることしか、できなかった。『日和』の名前は、名付けられる前に空へ消えた。
そしてその母親も後を追うという、最悪な結末だった。
俺はその時、どんな顔をしていただろうか。泣いていたんだと思う。そこだけは、あやふやだ。
そんな昔話を思い返していたら、人のいる気配に気づかなかったようで、すぐ隣に海がいた。
「…どうしたの?新太。泣きそうな、顔してる…」
なんとなく、先程思い出したことを、海にそのまま話始めていた。ほぼ、無意識に。話終わると海は、深刻そうな顔をして聞いた。
「新太って……今、何歳なの?」
楓のことを聞くでもなく、子供について聞くでもなく、海はそう聞いてきた。
「え?なんで?」驚いて聞くと、
「だって、20年前ってことは、私より年上でしょう?…なのに、同い年にしか見えないんだけど。」
忘れていた。なぜ自分が年を取らないのか。童顔は訳ではない。ーそれは、あの日。楓を失った日に、乙こと、乙 周一に出会ってしまったからである。
「…俺も、この海で死のうとしたんだ。」
「え?」
「で、止められた。乙さんに。その時は乙さん、もっと神々しい女の人だったけど…。」
「ちちちょっと待って!全く話が読めないんだけど!?」
「ああ、すまん。だからー」
「楓が逝ったなら、俺も、逝ったっていいだろ?」
一人呟いて、海の崖から飛び降りる。
大波が丁度よく起こり、楓が迎えに来てくれたのかと思ったりした。でも、現れたのは…
『若人、あなたの死だけをもってしても、何も変わりません。お止めなさい。』
「だ…れだ…俺は……俺は死ねたのか?」
『死んでいませんよ。神の目の前で死なれては、私の面子も無くなってしまいますわ。』
「神なら、死なせてくれ!放っておいてくれ!」
新太は疲れきった体を起こし、きっと目の前の女性を睨んだ。女性は、全く動じない。
『辛いから、逃げるのですか?』
胸をつくような、一言だった。
「…そうだよ。悪いかよ……俺には何も、残っていない。」
すると女性は、拍子抜けした顔をした。
『何を言っているのですか?まだ、あなたにはたくさん、残っているではありませんか。』
何を言っているのだと、というか自分を神と言う時点でおかしいのか、と色々考えた。
何もないのだ。俺から彼女をとってしまえば。だから、死ぬ。単純なことだろうに。全く意味がわからない。
『楓さんは、そんなこと許しはしません。彼女は元々、今日が寿命だった人間です。だから彼女は、あなたに"心"を託したのに…』
「ど、どういうことだよ、それ!」
女性は少し間を置き、説明する。
『吉瀬 新太。あなたは、今回のことで心を無くしてしまう運命にある人間でした。そして、殺人鬼と化し、捕まり、死刑となり、そして地獄へ来るはずだった魂。…彼女は、天然だったのではなく、元々生まれながらにして死に近かった。そして、代わりに運命を見通す力を持っていた。そこで彼女は、死ぬ1日前に私に頼んだ。"私の心を、新太に渡して欲しい"、とね。』
「…………………!」
今度は逆に、睨まれる側になる。女性は静かに、きつく新太を睨む。
『その思いまでも、あなたは殺すと言うのですか!』
「ああ!そうだよ!俺は、あいつのところに行く!」
怯まず新太は言い返した。「もういいだろう。死なせてくれ。」
『…私も、彼女の願いを、友人の願いを叶える義務があります。絶対に、死なせたりはしません!!!』
そう言うと、女性は新太の額に手をかざす。「おい、何をー…」
『花を散らすことなく、より美しくしたまえ、乙姫の名に従え。死を生へ転じ、乙姫の力を、この"人間"に!』
乙姫の従者は、亀、魚、クラゲなど海の生物と決まっている。それが掟らしい。
この時、乙姫はそれに逆らった影響で、通力はほとんどなくなり、罪として人間の男となった。
俺の名前を、"吉瀬"から"亀瀬"に変えたことで、乙姫の力を少し取り戻し、竜宮城へ住むことができている。それが今の、"乙 周一"だ。
「俺が20年前のままなのは、乙もとい乙姫のお陰なんだよ。楓のおかげでもある。ーでも、俺はこの術を解きたいと思ってる。」
「……どうして?」
ふふ、と軽く新太は笑う。
「好きな人が自分より先に死ぬのは、もう見たくないし、それに」
「?」
「海、お前と同じときを歩みたい。」
「ええ、あー…その…」海は困り、赤面した。
「まだ、答えは出さなくていい。でも、今の俺の気持ちを、俺がどんな人間かを、知ってほしかったから。」
その様子を、乙は見ていた。
(亀瀬くん。君はまだ、気づいていないようだけど、本当は、もうー…)
少しの間二人を見ていたが、乙はそっとその場から離れた。
(君は、自分の"心"を、取り戻しかけているー)