精霊さんの憂鬱
精霊つきが重宝されるのは、必ず何らかの恩恵を受けているからだ。
誰しもが精霊を見ることが出来る訳ではないし、精霊も選り好みが激しいから契約に持ち込む事自体は難しいものの、一度契約を結べば死ぬまでそれが反故されることはなく、また精霊の持つ力を借り受けることが出来る。
属性持ちの精霊なら対応する属性魔法の精度や威力が飛躍的に向上する。知識や芸術に関する精霊は、その名が示すとおり膨大な知識を与えてくれ、また類い稀なる芸術の才能を開花させてくれる上、属性持ちの精霊ほどではなくともそこそこ魔力の底上げもしてくれる。
例えさほど力の無い精霊だとしても、契約を結んだ者とそうでない者では、特定の方面において大きな差異が生じる。
だからどこの国でも、精霊との契約を結んだ者は積極的に保護する方針を打ち出しているし、職に就く時も精霊つきだと無条件で採用される事が多い。
契約して恩恵を与えない精霊など、存在しないというのがこの世界での当然の常識だった。
のだが。
「ううう、不甲斐ない精霊でごめんねええええ」
「まーた落ち込んでる。僕は君で良かったって思ってるのになあ」
「ああもうほんといい子っ! だからこそ余計に情けないっ!」
私はどうやら、その常識から外れてしまった精霊みたいなのだ。
そもそも精霊ってのは、生まれつき様々な知識を持っているのが当たり前である。
世界のこととか、自分のこととか、魔法のこととか、契約のこととか。
誰に教えられずとも、最初から知っているのは精霊が、生を終えた魂が巡り巡る際にそぎ落とす知識や経験の欠片を核にして生まれるからだとヒトは考えていて、おそらくそれは正しい見解だと思う。
だって精霊として生まれたくせに自分が何なのかさっぱり分からなくって、精霊としての基本的な知識の代わりに異世界で生きた記憶と知識が備わっていた私は、明らかに異世界の魂を核にして生まれたんだろうから。
気づいたら知らない世界に居て、なんだかすかすかした存在になってて、混乱してパニックに陥った私を助けてくれたのは、今の私の契約者、アレンだった。
まだ小さかったアレンは、アレンの家の庭でおろおろする私を見つけ、子供らしからぬ聡明さで私を宥め根気強く話を聞いてくれ、私が精霊であることを教えてくれた。
アレンは本当にいい子で優しくって、騙まし討ちで契約することだって出来たろうにそんな素振りもなく、心底私のことを案じてくれていた。
むしろ騙し討ちを仕掛けたのは私の方。
全くそんな気は無かったんだけどもうっかりと心に浮かんだ自分の名前をアレンに告げてしまったせいで、気づけば勝手に契約を結んでしまっていたのだ。アレンは慌てて止めようとしてたのに、本当に申し訳ない。
そんな風に済し崩しに結んでしまった契約だったけれど、きちんとアレンに恩恵が渡るなら問題は無かった。
なのに私と契約を結んでもアレンの魔力が底上げされることもなく、かといって何かの能力に特化する様子もみられなかった。
自分のことのくせに精霊の在り方を分かっていなかった私は、最初はそのことにちっとも気づいてなくて、アレンだってそんなこと一言も言わなかったのだけど、四六時中アレンにくっついて一緒にいるうちに、分かってしまった。
本来ならおおっぴらに言いふらさなくっても、精霊と契約すれば魔力が急に底上げされるから、ごくごく自然に周りが精霊との契約に気づくものだと。
けれどアレンが私と契約したことに、周りの人は誰も気づかなかった。
気づかれて騒がれることとなったのは、同じ精霊つきがアレンの傍でふよふよと漂う私を見て、ようやく。
元々アレンと顔見知りだったその精霊つきは、私とアレンを何度も見比べて首を捻って呟いた。
「おかしい、全く魔力が変化していない」と。
うすうす、自分がアレンに何の恩恵も与えられてないんじゃないかと疑ってはいたけれど、その精霊つきの言葉で疑惑は決定的となり、私はひどく落ち込んだ。
精霊との契約は、基本的に一体限り。二体以上の精霊と契約した例は、ほとんど存在しない。しかも途中で破棄することは叶わず、一度結んだ契約は死ぬまで有効となってしまう。
半ば騙まし討ちで契約を結んでしまったのに、基礎の基礎である魔力の底上げすらしてあげることが出来ない。詐欺にも等しい。しかもまだまだ小さな子供に対してひどすぎる仕打ちだと、私は自己嫌悪でのた打ち回った。
なのにアレンは、全く役に立たない私を厭う様子もなく、むしろ元気を出してと一生懸命はげましてくれる。ごめんねごめんねと謝るたび、私と契約出来て嬉しいと伝えてくれる。全く本当に、私には勿体無すぎるほど出来た子だ。
アレンの励ましでなんとか立ち直った私は、どうにかアレンの役に立てないかと試行錯誤を繰り返した。あれだ、いわゆる現代知識を利用した異世界ちーと。それならなんとかいけるかもしれないと、私はとても張り切ってあれやこれやとアレンに提案してみた。
のだけれど。
そもそも私の知識の中にある世界と、魔法に溢れた世界はいろんな事が違いすぎる上、日常レベルまで浸透している魔法の恩恵は、軽く私の知識の中の世界を越えていった。
例えば紙。
あんまり紙を見かけないと気づいた私は、これだとアレンに紙の有用性とおぼろげながら覚えている紙の作り方を伝えてみたのだけれど、返ってきたのは困ったようなアレンの苦笑い。
なんでも日常的に紙を使っていたのは随分昔のことで、今は魔石を利用した記録方法が一般的なのだという。
魔石に記録? と首を傾げた私にアレンが実際に見せてくれたのは、魔石に記録された文章の空中への展開。SFちっくな映画やらゲームでよく見たことのある、宙にずらずらっと文字が並ぶ、あれ。魔力で情報を魔石に定着させることにより、どんな場所にでも反映して読むことが可能なのだという。
うん、そりゃ紙も廃れるだろうよ。軽く文庫本一冊はありそうな文章が、手のひらに収まる魔石一つにまるっと収まってるんだから。
魔法の有用さは、それだけに留まらなかった。
パソコンやらインターネット、スマホ等々を紹介すれば、既に似たようなものが存在している。それもまた、多少大きめの魔石ひとつでどこでも繋げられる便利なもの。しかも接続に利用するのは自分の魔力なので、基本的に使用料は無料。ネットショッピングも存在して、即日配達どころか即時召還。支払いは基本的に魔力払い。個人の魔力の質によって、多少レートは変わるらしい。
お金すらもう一世代前の遺物と成り果てていた。大抵のものは魔力で賄える。
誰でも使えるものなのに、それに価値がつくの? っていうかそれって働かなくてよくない? とちょっぴり疑問に思ったけれど、一日に人が使える魔力には限度があるので、自分で生み出す魔力だけで生活するのはよっぽどの魔力量を持ってでもいなきゃ無理らしく、平均的な一般人の魔力量で全く働かずに暮らすとなると、一日に一度の食事がせいぜいらしい。更には生活する上で魔法を使わねばならない場面が多々あるので、実際はもっと少なくなるとのこと。それはなかなか厳しい。けれど逆に言えば、完全に飢えることはないって事だ。ある意味では救済措置にもなり得る。
ついでにそれだけの量しかないなら流通量に不足が出るんじゃと疑問に思えば、足りない分は王族が作る魔石と個人ではなく王族という集団と契約を結んでいる数体の特殊な精霊が生み出す魔力で補っているらしい。魔石は王族だけが作れるものなので、それを流す量で価値を調整しているのだとか。
お金に慣れた記憶では不思議な感じがするけれど、この世界では魔石と魔力で市場は回っているようだ。イメージとしては魔石がお札で、魔力は小銭ってとこだろうか。
王族と貴族が存在すると聞いて、すわ民主制! と思いついたけれど、話を聞くうちにそれも全く現実的ではないと気づいた。
一応王族と貴族という支配者階級は存在しているものの、暴君は存在出来ない。彼らは皆、魔法による制約を課せられているからだ。善政を敷かねば、具体的に言えば非常時以外の時に、ある一定以上の数の民が十分な衣食住を保障された生活を送ることが出来ねば、少しずつ命が削られてゆくという呪いにも似た制約により、圧政に苦しむことはほぼ有り得ない。ごくごく稀に開き直ったか抜け道を見つけたかで、暴走する貴族は発生するみたいだけれど、長くは持たずすぐに王によって刈り取られるという。
ていうかそもそもの話、王様の寿命がとんでもない。
善政を行う限り、ずっと生きるっていうのだ、この世界の王様は。
この国の王様はもうすぐ即位して百年近いらしい。
なにその呪い、と思ったけれど、なるほど確かに、そんな仕組みなら民主制よりも王制の方がよっぽどこの世界に沿っていると思う。なにせそのおかげで、小さな小競り合いは起こっても国同士の争いは滅多に発生しないっていうのだから。
トイレとか風呂関係も、全く太刀打ち出来なかった。
各家庭に風呂は無いみたいだけれど殆んどの人が洗浄魔法を使えるのでそれでも大して問題はなく、公衆浴場は娯楽扱いで多種多様なものが存在するから、改革する余地なんぞ無し。トイレも同じく洗浄魔法が大活躍。ウォシュレットの出番は無し。洗浄魔法使えない人のために、ちゃんとそれ用の魔石も存在するので対策もばっちり。
どうにかねじ込めそうなのは娯楽関係だけど、魔石利用したテレビもあるし、魔法使ったショーはど派手で、演劇や歌は芸術の精霊つきが大活躍。何回かアレンについて観にいったけど、すごかった。圧倒的だった。うろ覚えの歌詞や曲で太刀打ちできるレベルじゃなかった。
小説や絵画もかなり充実してるし、漫画っぽいものもある。覚えてる話をいくつかアレンにしてみたけど、ウケはいまいちだった。そうだよなあ価値観も違うからあっちで流行ってたものがこちらでも受け入れられるとは限んないもんなあ。何より私の話し方が下手だったのがよくなかったと思う。だって一言一句間違えずに覚えてる訳じゃないし、展開もあやふやだし、正確に伝えるの、すっごく難しいんだもん。
ああ私ほんとに何の役にも立たないなあ、と打ちひしがれることはしょっちゅうで、その度にアレンに慰められて立ち直ってまた新しい提案をして、その繰り返し。大抵はもう存在して、それも私の記憶にあるものより数世代先を行ってるから今更何をって感じで、私の知識は無限にある訳じゃないから提案出来る事自体が少なくなっていって、また落ち込んで。
そうしてやけっぱちで話した一つが、思い切りアレンの興味を惹いた。
すごく意外なことに、それは数学だった。
何もかも私の持つ知識より発展してるこの世界だけれど、数学や物理に関するものはあまり発展していなかった。
物理に関しては法則が違うから当然かと思うけれど、数学って基礎の基礎な気がするからとても違和感があった。
けれどアレンの話を聞いて、ある意味納得。
こちらの世界では、何を計るにしても魔力を使うのだ。
重さを量る時も面積を測る時も距離を測る時も時間を計る時も、魔力を使って魔力を基準にして考える。
これだけ魔力を流し込めるから、これくらい、これだけ魔力が伸びるから、これくらい。体積や面積を測るにしても、ややこしい計算をする必要はない。魔力を注いでその総量を、基準となる値に当てはめる。
面倒な計算なんてすっとばして、魔力量で判断する。それが一番早くて、正解に近いから。この世界の人はみんな、それが出来てしまうから。感覚的に、理解出来てしまうから。
数字は存在するけれど、それは結果にラベルを貼るためくらいにしか使われない。
数を数える時ですらまずは魔力で目印をつけて、あとで回収した魔力の総量から判断するってんだからほんと魔力万能すぎる。
じゃあ数学も役に立たないんじゃないかなあ、と思ったけれど、アレンが珍しく強い興味を示してくれたから、嬉しくなって私は覚えてる限りの事を教えた。
こちらの数字は十二進法で私が知ってるのは十進法を基準としたものばかりだったので、果たしてうまく伝わるのかと思ったけれど、アレンはとても頭が良かった。
十二進法に直して説明するなんてとても出来ないから、十進法で説明しつづけてたらいつの間にか完璧に十進法をマスターしてて、十二進法への変換もその逆もばっちり。やばいうちの子天才すぎる。
足し算引き算な基本から始まり、因数分解や数列を経て微分積分対数指数関数虚数に至るまで。
正直に言って、私の知識にあるものなんて高校数学で終わり。微分積分以降は、公式は覚えてるけどその意味を問われたら正確に答えられるか微妙ってのが私のレベル。
だけどアレンがきらきらした目でもっともっとと期待するから、頑張って捻り出した。なんとなく覚えてる公式を意味はわかんないまま教えて、物理で丸暗記した公式とかも微妙にあやふやなままに伝えた。
アレンのすごい所は、私の教えた事を私以上にきっちり理解して、あやふやで微妙に間違ってる公式も自力で正解にたどり着くところ。私が教えてない事まで考えて、あれなんか見たことあるぞってな公式を自力で作り出す。まじすごいうちの子。
ほんとこの子、天才なんじゃないかなって思いつつ、必死で自分の中を探って持てる限りの知識を渡した。何かもっと、覚えてることは無かったかと知識をさらっているうちに、落ち込んで打ちひしがれる頻度も減っていった。
そうして、数年後。
「リー! 聞いて! 新しい公式が出来たんだ」
「おおっ! さすがアレン!」
あ、今更だけど私はアレンにリーと呼ばれている。ほんとの名前は契約者以外に教えるのはマナー違反なので割愛。
まあそれはどうでもよくって。
この子天才なんじゃないかなって思ってたけど、アレンはまさしく天才だった。
私の教えた継ぎ接ぎの知識を独自に展開させてこちらの法則にうまく適応させて、新たに魔法数学の分野を創り上げたのだ。まじすごい。
アレンが主張するには、私の記憶の中の世界の人たちの積み重ねてきたものがすごいのであって、アレンはその恩恵に預かってるにすぎないってことだけど、やっぱりアレンは天才だと思う。
にこにこ笑うアレンが見せてくれた数式の羅列の意味を理解することはさっぱり出来ない。けどアレンの研究を活用して魔力の効率的運用の分野が著しい飛躍を遂げているらしいって事は知ってる。その影響で市場での魔力と魔石の価値が大きく変動したことも知っている。
なのでその、新しく出来た公式もまた技術の発展に大きく貢献するんだろう。うちの子まじ天才。
「本当に君に出会えて良かった」
アレンはしょっちゅう私にそう言ってくれる。
私もアレンに出会えて嬉しい。
でも思うのだ。
やっぱり私は、アレンに与えることが出来た恩恵なんて無いんじゃないかって。
だってあやふやな私の知識を、理解して一つの学問にまで昇華したのは紛れもなくアレン自身が元から持っていた素質だ。精霊としての私が、理解している。それはけして私が与えたものなんかじゃないって。
もしかしたら私がいなくったって、多少時間はかかっても独自にそれに辿りついていたかもしれない。
だってアレンは、間違いなく天才だから。
けれどそれを、悲観的に思うことはない。
むしろきっかけになれたことを、彼を見守れることを誇らしく思う。
精霊の力なんて借りなくったって、うちの子は天才なんだって親ばかよろしく思ってしまう。
それは恩恵なんかじゃない。アレンの才能と努力の賜物なのだ。
私が与えた才能なんかじゃない。そのことがひどく嬉しい。
これからもずっとずっと、何も出来ない精霊のまま、彼の素質を歪めることのないまま、アレンの傍に在れるのが、幸せでならない。
あ、でも、一つだけ問題が。
「ああ、なんて美しいんだろう……素晴らしいよね……」
うっとりと一つの公式を見つめる、アレン。
涎を垂らさんばかりに恍惚として見つめるのは、オイラーの等式。
内容は全く理解してないけど、あちらの世界でも美しい式として有名だったなと記憶の隅に残ってたもの。
アレンは暇さえあればオイラーの等式を眺めて、悦に入っている。端から見るとちょっとやばい。
前言を少しだけ撤回しよう。
私はちょっぴり、アレンを歪めてしまったかもしれない。
彼は完全に数学フェチになり、私の伝えた公式を熱狂的に信仰している。そこに至るまでの数学者たちの積み重ねと道筋に思いを馳せ、涙を流す程度にはのめり込んでしまっている。ごめんアレン、同意を求められても私には理解できない。
今や魔法数学の第一人者として注目度が高く、まだまだ若い部類に入るアレンは、適齢期のお嬢さん方に熱い視線を送られているけれど、本人は数式に夢中で気づく様子もない。強引に押しかけてきた子も数人いたけれど、アレンの数学フェチっぷりに引いて気づけば居なくなっている。基本的にアレン大好きアレンさえ幸せであればオッケーな私だけど、その点についてはお嬢さん方の気持ちも分かってしまう。いや、そんなアレンも可愛くて素敵だけどね。
出来るならアレンの数学フェチっぷりに共感して話が合うような子が現れてくれれば。
いやちょっと待って。アレンと同じタイプだと数学フェチ的には盛り上がるだろうけれど、色っぽい話にはどう頑張っても転がらなさそうな気がする。うんそれはまずい。
私としてはアレンには早めにお嫁さんが来てほしい。
なぜならアレンは没頭すると平気で何食も抜くし何日も徹夜する。健康によろしくない。
なので適度にアレンの話に興味を持ちつつ、身の回りの面倒をまるっと見てくれるようなお嫁さんが。
いやいやいや、それって結構ひどい話かも。実質家政婦さん扱いしてるじゃないかそれはいかん。
ちらりとアレンの様子を伺う。
「ふふふ、ここをこうすると……ふふふふふふ」
未だ恍惚状態から抜け出してはいない。
お気に入りの公式の形を変えてみてはうっとり、また元に戻してはうっとり。
……うん、無理かな、いろいろ。
最終手段として私が頑張って、アレンの身の回りをどうにかできるようレベルアップしたい所存。
腐っても精霊だし、いつかは魔法的なものが使えるようになるかもしれない! きっと!
駄目だったら責任持ってお嫁さん探してこよう。
きっとどこかには居るはず、アレンの全てを許容してくれるような懐の深い女の人が!
アレンもその包容力に絆されて数式と同じくらい好きになっちゃうような女の人が!
たぶん! ……たぶん。うん、たぶん、世界のどこかには、一人くらい。
「リー、ほら見て! 完璧だよねえ……美しいよねえ……」
……。
うん、やっぱ無理かも……。