霞に隠された本心
娘夫婦と一緒に祝うはずだった「合同結婚記念日 〜第1回〜」
彼の死によって、崩されていく人生
そこで、思った。
私は、どう生きるべきか。
彼に対する最大の裏切り行為をしようとしているのか・・・。
霞の中で、想うこと・・・とは。
桜の木から可愛らしいピンク色の花 びらが消えていた。
新緑の季節の到来だ。これから、新しい小さな芽が、力強くぐんぐん伸びて大きく成長するだろう。何もかもが、生き生きと活動し始めている。
我が家の前を通る小学生の集団登校の列。一際目を引くのが、ランドセルに交通安全の黄色いカバーをつけた一年生達。その一年生の顔も少しばかり余裕が出てきたように感じる。
みんな確かに動き出している。
確かに、動き出しているのに・・
私は・・・私は、あの12月29日からなかなか動き出せないでいる。どうしても、どうしても・・・動けない。
あっちゃんの目が忘れられない。
今年の1月20日
もう、話す気力さえ無くなっていたあっちゃん。肩で、弱々しく息をする。その息遣いにも、だんだんと力が入らなくなり・・・・そんな時、私はあっちゃんに最期のお願いをした。
「あっちゃん!目を開けて!」
息をするのも辛そうだったのに、彼は、即座にキリッと力強く大きく目を見開いてみせた。
何か言いたそうだった。でも言葉にならない。じっと、私が手でそっと瞼を閉じるまで、しっかり私をみつめてくれていた。
あの・・あのあっちゃんの目を忘れることができないから、私は、やっぱり進めない。
私は、私の心の中の「喜び」という感情が少しずつ少しずつ薄れていくのに気づいていた。
4月20日・・・窓を叩く雨の音で目が覚めた。
今日は、本当なら29回目の結婚記念日。
もともと、そんなに重きを置いていなかった。あっちゃんと二人の時も料理を一品増やすとか、外食するぐらいでその日を過ごしたものだった。でも、一人になると、やけにその言葉が気になる。
「結婚記念日」そう言えば、あっちゃんは、毎年必ずではなかったけれどプレゼントを用意してくれていた。指輪に、ネックレス(何個貰っただろうか)10年目の記念日には、スィートテンダイアモンドを貰った。
私が、用意したことは多分一度もなかったと思う。
駄目だなぁー。わたし! 本当に駄目だなぁー。
「ありがとう。そして、本当にごめんね。」
優しいあっちゃんを思い出しながら、
「去年の今日は、何して過ごしていたんだろう。」と、考えていると、
ピンポーンと、
玄関の呼び鈴が鳴った。
電報が届いた。娘夫婦からだと直感した。
『一人じゃないからね!
一年生夫婦より』
「やっぱりね。」
「家族みんなの記念日」があってもいいのではないかと、秋の挙式を待たずして、春4月20日私達と同じ日に入籍をしたのだ。
だから、娘夫婦も、今日が「結婚記念日」しかも、第1回目。みんなで一緒にお祝いをするために・・・・この日を選らんだのに。
・・・一度も一緒にお祝いをすることができなかった。
「合同記念日」一度も開催できずに終わってしまった。
私は、車に飛び乗った。今日は思い切り泣いてやろうと、やっぱりこの場所に来てしまっていた。
お昼を過ぎても細い細い雨が降り続いている。
春の海に浮かぶ島々が薄く霞んで見える。
今日は私達の結婚記念日
行き交うフェリーや小さな釣り船。
フェリーの後ろを波しぶきが、白く太く一本の線を描く。薄ぼやけた海がみるみるうちに二つの世界に分けられていく。
こっちからあっちは、幸せの世界。
こっちからそっちは、悲しみの世界 。
だと教えてくれる。
確かに、 随分昔の今日・・・私は本当に幸せだった。目を閉じると、はっきりと聞こえてくる。姉の、涙で・・・声にならない声が・・・・
「おめでとう」と・・言っていた。
目を閉じると見えてくる。大切な大切な人達の笑顔が・・・たくさん。
幸せだった。
みんなの笑顔があったから幸せ。
いっぱい泣いた。感謝の涙・・・
新しい人生の始まりの涙だった。
大好きな人達に囲まれていたから・・本当に幸せだった。
お母さんがいた・・・
お父さんがいた・・・
あっちゃんが横にいた・・・
でも・・・今は、
二つに分かれた世界を、描かれた一本の白線の上を、私は行ったり来たりしている。
幸せの世界と悲しみの世界を・・
「結婚記念日」は、一人ではできない。
「共に生きていく」「これからも一緒に生きていこう」という、大切な・・・互いに感謝し合う日だと思う。
もう、私には結婚記念日はない。
今日が、最期の結婚記念日。
来年から、この日は、あっちゃんに心を込めて「ありがとう」を言う日にしよう。
「サンキュー記念日」 誕生!だ。
いつのまにか、雨が強くなって来た。霞(霧)が一層深くなってきた。煙のように立ち上り幻想的な「霞」の中に私はいる。「霞」に包み込まれている。回りが見えそうで見えない。まるで、雲の上・・・・あっちゃんに逢いに来たみたい。辺りを見回してももちろん居ない。でも、なんて居心地いいんだろう。平安時代以降、春立つのを「霞」秋に立つのを「霧」と呼び分けているそうだ。私は、季節に関係なく「霞」と呼びたい。
フロントガラスまで真っ白になってきた。雨の音も心地よい。もうしばらく此処にこうしていよう。
また、一隻フェリーが通り過ぎる。
白い波が分けてでき上がる二つの世界。でも、水は、いずれ混じり合い、必ず一つの流れを作り出す。
穏やかにゆっくりとさざ波になって、一つになる。さざ波のように優しく少しだけ輝いて生きていきたい。二つの世界を上手に渡りながら無理をせず生きていく。 そんな、私を見ていてほしい。
ここは、ここは天国に・・・あっちゃんがいるところに一番近い場所。
私は、
ずっとあっちゃんと生きていく。
ほら、また、霞が深くなってきた。薄ぼやけた島が益々見えなくなってきた。
私の不安定な心と同じようだ。
見えそうで見えない私の思い。現れたり消えたりする私の本心。薄くなったり深くなったりする私の情念。
まだ、誰も知らないことがある。私の本心は、まだもうしばらく「かすみ」の中にしまっておこう。
裁判所の判決が、出たならば、私はこの場所を離れようとしているのか・・・・
この街を、
この家を
二人で築き上げたものを残して・・・・・
私は、もしかすると、最大の裏切り行為をしてしまうかもしれない。
フェリーが通る。
波しぶきをあげて。
あっちゃんに対する最悪な裏切り行為かもしれない。
弁護士の電話から、そろそろ1週間が過ぎる。
しばらくは、闘ってみるけれど・
私は、あなたを
愛しているけれど、
裏切ってしまうかもしれない。




