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第89話 無垢な瞳

 アルトニアエデン北部。

 貴族並び王族達が住む宮殿、その一番奥にある王宮の中では今、グレイゼフが杖を突きながら豪華な絨毯が敷かれた廊下を歩いていた。

 そして一番奥の扉の前に辿り着くと、扉の前には親衛隊の軍服を身に纏った兵士が四人立っており、グレイゼフを見て無言のまま扉の前から僅かに離れる。

 グレイゼフは杖を突きながら再び歩き扉を開け始めると、その部屋の中から一人の幼い少女の鼻歌が聞こえてきた。

 部屋にはソファに座り絵を書く一人の『少女』と、その少女の横で絵を見つめる『少年』、そしてその二人の母親である『王妃』が座っていた。

 とても楽しそうな鼻歌を聴きながらグレイゼフは三人に近づいていくと、一人の少女がグレイゼフに気付き描いていた手を止め、その画用紙を机の上に置いた。

「あ! グレイゼフおじいさま!」

 少女は笑顔で立ち上がり近づいてくると、側に駆け寄ってきた少女の頭をグレイゼフは優しく撫で始めた。

「ふぉふぉふぉ、良い子にしておるかい? ジャスティアよ」

 王と対面していた時のような険しい表情から一変し、柔らかい表情を作るグレイゼフに少女『ジャスティア』は笑顔を浮かべた。

「はい!」

 すると、頭を撫でられるジャスティアの後ろから一人の少年が礼儀正しく頭を下げて挨拶をかけてきた。

「お久しぶりです、グレイゼフ御爺様」

「ふむぅ、暫く見ない内に立派になったものじゃな」

 グレイゼフは少年の成長した姿を見てそう言うと、少年は嬉しそうにお辞儀をし、最後に王妃がグレイゼフの前に現れる。

「二人共、グレイゼフ様とは大事な話しがあるの。あちらで遊んでいなさい」

「はい! いきましょうおにいさまっ!」

 母に促されジャスティアは兄の手を引きその場から離れると、兄妹の後姿を見つめながら呟いた。

「……『フリーシア』の姿が見えんのう」

 グレイゼフが辺りを見渡しても『フリーシア』という少女の姿がない、すると王妃は視線を窓の外に向けると寂しそうに口を開いた。

「フリーシアは今、世界間文化交流の為に他世界に行っております」

「ふむ、そうじゃったか、それでよい。……それで、既に知らされておるじゃろう? ここも危険じゃ、直ぐに子供達を連れ他世界に行きなされ」

 グレイゼフは自分の髭を触りながら兄妹仲良く絵を書く二人の姿を見つめるが、一向に頷かない王妃に目を向けると、王妃は神妙な面持ちで話し始める。

「私達だけが民を置いて他世界に逃げる事など許されません」 

「それは『王妃』の言葉であって……『母親』の言葉ではなかろう」

 心を見透かしたグレイゼフの言葉に王妃の表情が更に険しくなると、グレイゼフは正面から王妃と向き合い、その目を見つめながら呟いた。

「忘れるでない。命持つ者は、生きていく事が全てじゃ」

「……はいっ」

 悲しくも振り絞るような王妃の返事にグレイゼフは部屋の出口へと杖をつきながら歩き始める。




 愚かな選択をしないよう忠告はした、グレイゼフは振り返る事無く扉明け部屋を出ると、長い廊下を歩きながら『魔神』の事について考え始めていた。

(分からんのう……。『魔神』のレジスタルを結晶化する事が出来たとしても、それが人間に宿る事など決してありえん、仮に宿るとしてもそれは『邪神』のみのはず……)

 だが、現にこの世に『魔神』は降臨しており、その圧倒的な『無』の前に人間は成す術が無い。

 グレイゼフでも『魔神』には勝てないと断言している……しかし、それはあくまでも『魔神』の話し。

(カイト・スタルフ……あやつが全ての鍵を握っておるのか……調べてみる必要がありそうじゃのう)

 魔神と邪神、両方のレジスタルを宿した少年『カイト・スタルフ』。

 この争いを何としてでも止めなければならない、その方法は確かに存在しており、グレイゼフはその為に一人行動するのであった。



 その間にも『魔神』は一歩ずつ歩き続けている。

 向かう場所はアルトニアエデン北部、そこで待ち受けるのは千を超えるアルトニアエデン親衛隊と、先程王の前にいた五人の各隊長達だった。

 一人の男はフルアーマーの鎧を身につけ、その手には白銀の刀が握られている。

 一人の女は甲冑を身につけ、その手には赤色のランスが握られている。

 一人の男は両腕に分厚く巨大な盾を装備しており、一人の女は純白のレジスタルが先端に付いた杖を持っており、最後の一人は両手に魔法陣が描かれた手袋を付けたまま一切の武器も身に付けず腕を組んでいた。

 横一列に並び遠くから近づいてくる魔神を冷静に見つめ続けている。それはまるで、ある瞬間を待つ為のように────。

 そして、魔神が一歩その領域に踏み込んだ瞬間、隊長の一人である女性が杖を掲げると、周りにいた全ての隊員達が手に持っていた杖を構えた。

 瞬く間に魔神の足元に黄金の魔法陣が浮かび上がり、王の指示により相手の動き、及び魔法を封じる拘束魔法の発動に成功。

 その時、この世界で初めて魔神の足が止まった。

 今まで魔神を止めようと立ち向かった者達は皆『無』に還されたが、漸く魔神の動きを止める事に成功したのだ。

 このまま一気に畳み掛ける───誰もがそう思った直後、魔神の全身から黒い霧状の闇が噴出しはじめると、魔神の耳元であの存在が囁きかける。

「ォ゛オ……ヨく寝タナァ……っテ、ソろそろ代わろウぜェ? コれ以上、俺ノ楽しミを消さレたらツマンネえンだヨ……」

 その声は紛れも無い『邪神』の声であり、魔神は邪神を見つめるように顔の側に集る闇に視線を向ける。

「オ前も気付いたダロウ? 今ノ俺達ハ一心同体、故ニ協力シ合ウ必要が有ル……ソウだロゥ? だからソの肉体ヲ俺ニ少シだけでイイ。寄越せ」

 邪神の言葉を聞かずとも魔神は既にその『理』を理解しており、魔神の目から赤い光りが消えると、まるで邪神に身を委ねるように俯いてしまう。

「随分聞き分ケが良イじゃネえか、ソレでいい。オ前にもタップリ時間をくれてヤルぜ、だが───」

 そんな魔神の全身を包み込むように闇が膨張し、完全に魔神を飲み込んだ後、その場に露になった姿は既に魔神ではなく、邪神へと変貌していた。

「ソれはこの世界をグチャグチャに捻り潰した後ダがなァ、アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ゛ッ!!」

 再びこの世界に降臨した『邪神』、嬉しそうに高笑いしその声が親衛隊達の耳に届いた直後、既にその場から邪神は姿を消し───。

「ンで……オ前等か、今から俺様ニ゛嬲り殺シにさレるゴミ共ハ」

 親衛隊の隊長達、五人の目の前に仁王立ちしていた。

 その移動速度に周りにいた親衛隊達が動揺する中、邪神と……その前に立ちはだかる五人の隊長は全く動揺することもなく一切の隙を見せない。

  ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる邪神、これからここにいる人間達を使ってどのように遊んでやろうかと考えていると、ある違和感に気付いた。

(ンンン゛……?)

 周りを見渡せば自分を囲うように親衛隊達が隊列を組んで並んでおり、その一人一人の目の奥に見える意思を見て思った。

(ここにイる奴等、誰一人『恐怖』を抱いてネえ)

 邪神を前にしても全員畏怖せず邪神を見つめている、つまり邪神と戦い勝つ気でいるのだ。

 それに気付いのも束の間、邪神の体はピクリと震えた直後、真っ二つに斬られた両膝から血飛沫を上げはじめる。

「オぉ゛っ?───」

 重力に体が引き寄せられる、先程まで対等に目を合わせていた人間達が今では見下すように邪神を見下ろしている。

「上等ダ」

 蔑む目、見下す視線、堪らなく好きだ。

 そして、そんな奴等の顔を怒りや恐怖、悲しみで引き攣らせる事はもっと好きだ。

 だからこそこれから始まるであろう楽しい時間を思い浮かべ、邪神は口を大きく広げて笑みを見せ。

 それが、戦闘開始の合図でもあった。



 しかし───。



 一秒。

 邪神の肉体に突き刺さる刃の回数、『三千』。

 物理攻撃による連続攻撃に肉体の損傷を確認、修復を継続し一旦距離を取る。

 二秒。

 着地後、足元に百を越える魔法陣の重複展開を確認。肉体修復の鈍化、同時に超重力による負荷及び筋肉繊維固着による一時停止。

 三秒。

 筒状の魔法陣が周囲を覆う。魔法で作成された万の数を超える高出力の刃が飛び交い邪神の肉体に軽々と穴を開け、肉を貫き骨を切り裂く。

 四秒。

 肉体の再生と破損が同時進行する中、声帯の再生が追いついていない邪神は声を上げる事も出来ない。

 また、体を動かそうにも肉体の半分以上が消し飛んでおり、足元に魔法陣により魔法の発動に若干のラグが発生。

 意識が揺らぎ、定まらず、視界は黒い靄が掛かり始める。

 五秒。

 疑、離脱(?)イやマずハニんゲん共を殺ルにあだッ゛。

 イマハ、ニゲル……? 避難? 後退? 撤退? ガ?

 痛痛痛、、、無? 既、『痛覚』、消し飛、だから、『力』がッ、ジ───れ?。

 油断───コの───俺、ぎァ゛───?




とどめだ」



 全親衛隊の総隊長、その男が手を振り下ろす。

 隙などない、間など塗り潰し、覆い被さり、埋め込んだ。

 攻守させない、何故なら相手の思考よりも素早く、相手の反射速度を上回る集中攻撃。

 『邪神』は不死身でもなければ無敵でもない、圧倒的魔力をポテンシャルとして活動しているだけ。

 故に『邪神』は死ぬ。殺せるのだ、例え『神』でなくとも、『神』に近い力を持つ人間がいれば。

 そして今日、今を持って、邪神は『二度目』の敗北を───。

「んんンんんンン゛ンンンン゛ン゛ン゛ン゛ン゛ギィィ゛イイイイイイ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ぅゥゥ゛ゥ゛ッッ゛ッ゛!!!!!」

 声すらまともに出せず轟くような呻き声を発しながら抵抗するように邪神は闇で作られた両手を伸ばす。

 だが、筒状の魔法陣によって邪神は完全に閉じ込められおり脱出は不可能。

 死ぬ。

 もう逃れる事は出来ない。

 死ぬ、死ぬ、死ぬ……嫌だ、死にたくな、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくなイ! 死ニたくない゛!! 死にタグなイ゛ッ!!!

 そう思ってきた幾万の人間を自らの手で殺してきた。

 命を乞い、助けを求め、救いを求め、奮い立つ者もいた、刃を向ける者もいた、許しを請う者もいた、語りかける者もいた、涙を流す者もいた、愛し合う者もいた。

「う゛ヮぁァ゛あアア゛ああア゛ア゛ア゛ああ゛あ゛あア゛あ゛ッ!! 嫌だぁ゛ァ゛! 嫌だイヤだ嫌ダ!! 死にたくなィイイ゛イ゛イ゛!!!」

 そんな人達を弄び、殺してきた。

 絶望に歪んだ顔、瞳孔が開いた瞳、恐怖で強張り、引き攣り、腰が抜け、失禁し、最後の最後まで屈辱と恐怖と怒りと悲しみを捻じ込んだ感情の中で激痛にもがき死んだ。

 だと、したら。

 これが、望んだ、結果?

 ああ、そうだ……これで、いいんだ……。

 どうしてこんなにも多くの人達を殺してきたのだろうか……もう、罪の償い方など分からない。

 けれど、一つだけあるのだとすれば、自分もそう、同じような苦しみの中で、最低最悪の醜態を曝しながら醜く朽ち果てる事なのだろう。

 これは、救い……ア……あの世、死んだら、会える───。

「……セレナ……姉さん……」

 その言葉を呟いた表情を掻き消すように、上空の魔法陣から落ちてきた一本の白い閃光が邪神を飲み込んだ。









『終わった』







『何も感じない』







『死とは一瞬』






 そ゛う゛お゛も゛っ゛て゛い゛た゛




 暗い。

 体の全神経にあらゆる衝撃が加わる。

 体の全細胞があらゆる痛みを感じていく。

 目玉をひん剥き口から泡を吹き全身の穴という穴から血を流し骨は砕け散り肉は捻り千切られ酸化した血は沸騰し内臓を溶かし間接や歯茎に蛆が沸き脳から膨張した融解した鉛が頭蓋骨を溶かし───。

 続いていく。紛れもなく時間が存在し、あらゆる激痛を受けながら歪に千切れた口からは人間の声とは認識出来ない程の狂った絶叫が発せられる。

「万ノの死ヲ経験シ、億の傷ヲ体ニ刻メ」

 その時、鼓膜を抉られたはずの耳から確かに声が聞こえてきた。

 囁かれる声は自分の上げる叫び声よりも遥かに小さいというのに、その声は一切のノイズもなく聞こえてくる。

「グギギ、アギヒヒヒ……カイトォ……『死ねる』なンて思うナ。もっと味わえ。痛みを、辛さを、恐怖を、絶望をッ。最高の苦しさを存分に味わい、堪能しようゼ」

 既に口からは血ではなく逆流した内臓が吐き出されていた、全身がビクビクと痙攣し血の涙を流すものの、意識が途絶える事もなければ死を迎える事も出来ない。

「アヒャヒャ……ンだがぁ俺ニは分かル。お前ハ絶対に狂エナい、心ノ奥底に根強く存在すル『心』がオ前ニは有るかラな。ギヒヒ……まァ、だかラこソ───最高に楽シいンだよ」

 頭を、いや、蛆の湧く剥き出しの脳をねっちょりと粘液を絡めながら優しく撫でてくる感触が伝わってくる。

「コの世ニハ必ず対立シ、相反すル存在が必要なンだ。何故カってェ? この世ガ全て『光』デも、『闇』でモ、『無』デモ……つマンねエかラなァ、そンな世界ニ価値は無イ。……ナぁ、カイト。オ前が『』望メば望む程、『』強大ニなる。オ前ノ人生がソウであったヨうニ、コれカラもずっとソうダ。犠牲、代償、混沌……さァ、十分ニオ前は受けタ。『一線』を越エるゾ。全テヲ失ッタオ前ガ望ム、『サイキョウ』ノ為ニ───」








「本気ヲ゛出セッ゛!!!」







 邪神を囲っていた光の筒に亀裂が走る。

 直後、邪神を中心とし円状の黒い波動が放たれ地平線を越えていく。

 筒、魔法陣は崩壊し塵と化す。そこに立っていたのは先程のまでの邪神であった。

 一つ違うと言えば、両手で自分の顔を隠すように立っており、めそめそと泣いていた。

 悲しい泣き声、弱々しい少年の姿に、その場にいた者全員が構えていた武器を下ろした。



 いや、違う。



『下ろしてしまった』───それに気付いた親衛隊、隊長の五人は、目の前で泣いている少年が既に原型を保っていない事にも同時に気付く。

「ぅじュ゛、う疑ジゅ゛、イ愚ギギ疑疑疑疑疑」

 まるで自分の顔面を潰しているかのように少年は両手で顔を抑え付けていた。

 その黒い肉体が膨張し、赤く太い血管が張り巡らされていく、背中は張り裂け無数の腕と触手が生え始めると、同様に足も人間の物とは思えない昆虫のような足が生え始める。

 既に人間の面影などない、肉体は膨らむように巨大化、その頭も人間の形を止めゴリゴリと骨が削れる音が辺りに響いていく。

 巨大な口が耳まで裂けるように開き、鋭く鋭利な八つ目が顔の側面に現れたかと思えば、顔の中心は蜘蛛のような無数の黒い目が生え、その額には一つの巨大な黒い眼球が付いている。

 それはもう『人間』ではない、ただの『化物』。

 しかし、

 何故だろう。

 こんなにも醜く、

 汚く、

 穢れているというのに。

 その姿を見て、人は『感動』してしまうのか───。




 それは……『仮』にもこの存在が『神』であるからだろう。

 禍々しくも神々しいその形態に人は目を奪われ、その真紅の瞳に睨まれた者達は釘付けになる。

 隊列を構え陣を付していた兵士達、ふと一人の兵士が手に持っていたスタッフを落とすと、隣で杖を構えていた兵士の方に顔を向ける。

「おい、どうした───」

 気になった兵士が声を掛けようとした直後、目の前にいた兵士が手を伸ばし、その指が躊躇いなく眼球を押し潰す。

 血飛沫は回りにいた兵士達の顔に掛かるが、既に半数以上の兵士達に異常が齎されていた。

 突如鞘に掛けてあった剣を抜き取り仲間達に斬りかかる者、発狂しながら魔法を発動し仲間を吹き飛ばす者、涙を流し全身を震わせその場に跪く者、肉を削ぐ勢いで頭を掻き毟る者、自らの指を喰い千切る者、自らの眼球を刳り貫く者、両手を合わせ跪きなが許しを請う者。

「なにをするの!? やめて! はなしてっ……!」

 女の抵抗する声が聞こえてくる。

 その女の兵士は男達の兵士に押さえつけられ服を破られていく。

 正気を失っている男の兵士達もまた自らの服を脱ぎ、私利私欲の為に女の体を思うがまま、望むがままに支配する。

「いやぁあ! だ、誰か! 助け、てッ……!」

 それでいい。

 本能の赴くままに。

 肉欲に溺れる。

 それは男だけではない、女の兵士は自らの服を脱ぎ捨てると発情した体を男に重ね快楽を求め行動に移す。

 奇声、悲鳴、歓喜、嗚咽───。

 恐怖、激痛、快感、至福、混乱───。

 血、汗、体液───。

 混沌───。



 人間が人となり、生物としての本能を曝け出す場。

 その場に君臨する『邪神』は尚、一歩も動く事なく本能のまま動く者達を見つめていた。

 理性が崩壊した者達の姿。しかし、そこにはまだ理性を残した僅かな者達も存在している。

「奴の目を潰すッ!」

 親衛隊隊長の一人、鎧を身に付けランスを片手に持った女性がこの混沌とした状況に憤りを感じ真っ向から邪神へと向かっていく。

「援護します!」

 その補助としてもう一人の隊長、純白のレジスタルの杖を持つ女性が声を上げて杖を掲げると、邪神の元へ突っ込んでいく女性の周りにシールドが張られると共に全身が輝き加速を促す。

 ランスを構えた女性はその補助魔法の効果により一瞬で間合いを詰めると、その黒い眼球から此方を見つめる真紅の瞳に目掛けランスを振り下ろそうとした。

「否゛」

 だが、真紅の瞳が輝き血の魔法陣が邪神の顔面を覆い隠すように発動されると、陣からは血液のような赤く濁った光が放たれ目の前にいた女性を軽々と飲み込んでしまう。

「えっ───?」

 光は斜線上にある存在全てを飲み込みながら突き進み、純白のレジスタルの杖を持つ女性にまで迫っていた。

 するとその女性を守ろうと両手に大盾をつけた三人目の新鋭隊長が身を呈して前に出ると、両腕の盾を合わせ蒼い魔法陣を展開させる。

「させぬ゛ッ!!」

 鉄壁の魔法を発動、あらゆる攻撃を防ぐ最固の盾。

 そんな物など、邪神の前では何の意味も、価値もない。

 真紅の瞳から発せられた光はあらゆる存在を飲み込んだ。

 それは斜線上にいた全ての人間、そしてその者達が守っていた王宮を含め、全てだ。

 しかし……その光に飲み込まれた人間には傷一つ付いてはいない。

 何故ならこれは攻撃ではないから。

「我傷付愚人性曝、流身任赴成果゛。如何成可能性潰為一化存在誕生」

 邪神は濁った声で何かを呟くと、目の前には手からランスを零れ落とす女性の隊長が立っていた。

 光に飲み込まれた後、先程までの勢いを完全に失っており、女性の身につけていた防具が塵へと変わっていく。

 それは邪神の力でもなければ能力でもない、女性自身の意思が防具を消したのだ。

 全ての武器と防具を外し魔装着だけを身につけたままの女性は、徐に自らの胸を揉み拉き始めると、涎を垂らし始め、覚束ない足取りで一歩ずつ邪神へと近づいていく。

「あ……あァ……っ!」

 邪神の姿を瞳に焼き付けるように目を見開き、放心した眼差しを邪神へと送りながら笑みを浮かべて抱きつき始めた。

 そして己の体を目一杯擦りつけ、その摩擦による快感を肌で感じる女性は誰よりも至福の一時を堪能する。

 光に呑まれた者は誰一人その『本能』に逆らう事は出来ない。

 守ろうとしていた両手に盾を付けてい男も、今では本能の赴くままに守るはずだった女を力と欲望の限り犯しているのだから。




「死ね」



 邪神の背後を取った男、僅か一秒で千を超える斬撃を邪神に繰り出した存在。

 四人目の隊長が静かに呟いた時点で、邪神の巨体は既にバラバラに切り刻まれていた───はずだった。

「……あふぇ゛?」

 女が不思議そうに首をかしげながら呟いた。

 男の前に立つ者は、同じ隊長として邪神と戦った女だけ。

 女は目に涙を浮かべながら男を見つめ、全身には無数の線が引かれるように血が浮かびあがっており、女の涙が一粒零れ落ちた直後、その肉体は細切れとなって血飛沫をあげる。

 攻撃を外した。

 嘗ての仲間を自らの手で殺してしまった。

 それよりも先ず男が考えた事。

(あの巨体で俺より速いだとッ───!?)

 人間を軽く飲み込める程の巨体、確かに背後をとり斬撃を浴びせたはず。

 しかし邪神は振り返る事もなく残像を残したまま自分の体に寄り添っていた女をその場に残し攻撃を回避してみせたのだ。

 最初に戦った時の邪神とは何かが根本的に違う、男は刀を構え混沌と化した周りを見つめながら邪神の姿を探す。


 ……だが、もうその必要が無い事に男はまだ気付いていない。

(っ……れ……ぃ……意識……ヵ゛……?) 

 首から下が無くなっても尚、男は目を動かし辺りを見渡し続けている。

 手足の感覚が無い、先程まで回りから煩い程聞こえていた男女の悲鳴が小さくなり、意識が徐々に遠のいていく。

 何故かは分からない、けれど異常に眠い、ただただ眠いのだ。

 男の口から僅かながら血が溢れると、その血の雫は邪神の広げる右手の掌に落ちる。

 おやすみ。

 邪神の掌の上でその男の生首は静かに目蓋を下ろし、男の命は呆気なく尽きてしまう。

 これで五人いた親衛隊隊長も残り一人となった。

 邪神は開いていた掌をゆっくりと握り始め目蓋を閉じた男の頭を握り潰すと、その骨が潰り擦れる音を辺り響かせるように肉塊を指で揉み始める。




「貴様は……何だ?」



 親衛隊総隊長にして最後の一人。

 その正気を保つ最後の存在は邪神に問いかける。

 すると邪神はその質問に答えるように、その真紅の瞳を男に向けた後、瞬きをしてみせた。

 直後、男の脳裏にはこの世界で姉と過ごした『カイト・スタルフ』の一生を見る事になる。

 辛くも幸せな日々を送るカイトの日常、その日常がどのように壊れたのか、何故壊れたのか、その全ての訳を一瞬で直接脳に送られる。

 男は僅かに目を瞑り状況を整理すると、目蓋を開き此方を見つめる邪神を見上げながら思わず言葉を口にした。

「この有様が、たった一つの命が原因で作られたものだというのか」

 『セレナ』の死、それがこの有様の理由に他ならない。

「これが『魔神』……いや、『邪神』と言うべきか。陛下もこのような存在に関わってしまうとはつくづく運が悪い」

 男は軽く溜め息を吐くと、今まで組んでいた腕を解いた。

「だが……『運が無い』訳ではない」

 男がそう呟いた後、白色の魔法陣が足元に広がり始めると、男は身構え僅かに体制を下げ邪神を睨んだ。

「何故ならこの場には、俺がいるのだからな」

 直後、男から激しい波動が波のように放たれ回りの血や人を大地諸共吹き飛ばしてしまう。

 ピリピリと肌に感じる殺気、重圧、混沌。目の前の存在は『人』の領域には及ばない『神』。

 いや、最早『神』すらも超えた全く別の異なる存在なのかもしれない、そう思わせる程の雰囲気を漂わせている。

 『初めて自分の全力をぶつけられる相手が目の前にいる』───待ち構える邪神目掛け男が攻撃を仕掛けようとした。

 その時だった。



 混沌と化したその場が一面純白の世界へと化していく。

 血も死体も瓦礫もない、白い無の空間。男は邪神から目を放さずとも世界が一変していくのが分かり、自分の足元も純白へと変わり空までもが真っ白に塗り換わっていく。

 何も無い『無の世界』。邪神は歯を食い縛い苛立つような表情を見せる、このような世界を何よりも嫌っているからだ。

『邪神』。その姿は歪で醜く、その思考は愚かで狂気に満ち、その力は誰よりも何よりも強い。 

『最凶』にして『最狂』、故の『最強』の存在。

 自分の力、自分の姿を見て、誰もが化物と呼ぶだろう。

 息を呑み、身震いし、感情が激化していく───。






「カイト君……?」





 はず───だった───。




 一人の少女の声が聞こえてきた。


 その少女の声を聞き邪神は息を呑む。 


 声のする方へと邪神が顔を向ける。


 少女の姿を見て邪神は身震いする。


 そこに立つのは一人の少女と、一匹の子猫。


 その少女『ユイ』の無垢な瞳を見て、名を呼ばれた存在『カイト』の感情は揺らぐのであった。

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