第87話 殺戮の摂理
アルトニアエデン大都市の東部、とある高校の体育館には生徒達が集められていた。
何故なら既にテレビでニュースになる程、大都市で起こっている事件が問題になっていたのだから。
町中には既に銃を持った警察から迷彩柄の軍服を着た軍人が集ってきており、道路には何列にも戦車が並び空には戦闘機が飛び交い始める。
この異常事態により生徒達は全員体育館へと避難させており、町の安全が確保されるまでは外に出る事は許されなかった。
「安心してください! 既にこの町には大勢の兵士達が厳戒態勢で待機しております! 町で暴れている凶悪犯が確保されるまでの間は大人しくここで待機していてください!」
一人の兵士がそう言って声を荒げるが、生徒達は皆私語をしており兵士の言葉など聞いていない。
生徒達の殆どがポケットから携帯端末を取り出すと夫々ネットのニュースや動画を見始める、今の状況をネットに書き込む生徒もいれば周囲の動画を撮り出す生徒もいた。
危機感など誰も持ちなどしない、何故ならこの非常事態に殆どの生徒達はわくわくしているのだから。
平和な世界で暮らす人達だからこそ刺激に飢えており、日々何か起こらないかと期待している。
凶悪犯? 町が壊滅? 本当に……?
何が嘘で、何が真実か。
ニュースで流れる西部の町を上空から映した映像を見れば皆は口を揃えて『ヤバイ』と連呼し、ネットから東部の町の様子を映す映像には何かの映画かと疑ってしまう程の非日常的光景が映し出されている。
この場で恐怖を抱く者などほんの一握り、既に数多くの警察や兵士達が凶悪犯を捕まえる為に動いており、この町、この学校も安全が確保されてある。
最早今起こっている出来事など対岸の火事であり、イマイチ危機感が感じられなかった。
しかし、今起きている事は紛れも無い現実。
それを教えるかのように突如体育館の天井に穴が空くと、地を鳴らし轟音と共に一人の男が姿を現した。
崩れ落ちた一部の天井の瓦礫に十名程の生徒達は下敷きとなり血溜まりが広がり始め、先程まで生徒達の私語で騒然としていた体育館が一瞬で静寂に包まれた。
そして生徒達の視線が体育館の中央で瓦礫の上に立つ一人の男に向けられると、その男、『邪神』は全身からどす黒いオーラを漂わせながら赤く濁った瞳で見下すように口を開いた。
「直々に来てヤったゼ、オ前達の望ム『非日常』が」
誰かに説明などされなくともその場にいた教師や兵士、生徒達は皆この存在が今町で人々を殺戮している者だと気付くと、生徒達は皆悲鳴を上げながら立ち上がり我先にと体育館から出て行こうとする。
「何故逃げル?」
邪神が右手で指を鳴らした途端、出入り口の全ての扉が閉まり幾ら開けようとしても扉を開く事が出来ない。
「早く開けてよォッ!」
目に涙を浮かべて少女が怒鳴る。
「開けたくても開かないんだよッ! クソォッ!」
額に汗を滲ませる少年が必死に扉を開けようとする。
皆が扉を開けようと必死になるが、扉はビクともせず自分達がもう逃げられない状況にいるのだと嫌でも分からされてしまう。
「何故拒ム?」
皆が皆逃げようと必死にもがいており、邪神はそんな少年少女達を見て首を傾げた。
ああ、おかしい。邪神が此処に来る前、『非日常』求めてきた者達が自分を見た途端に掌を返す。
自分勝手で傲慢。だがそれでいい、それでこそ人間なのだから。
「俺ヲ見ろ」
そう邪神が呟くが生徒達の悲鳴や喚き声で誰も聞いておらず、邪神は深く息を吸うともう一度同じ言葉を発した。
「俺ヲ見ろ」
その言葉に逃げ場の無い体育館にいた生徒達が皆振り返り邪神を見つめた。
無理もない、出口である扉に触れていた生徒達は皆頭を闇の刃で貫かれていたのだから。
出口に近づけば殺される───生徒達は今度は我先にと扉から離れ始める。
体育館の中心に蹂躙する邪神。だが、けたたましい銃声と共に邪神の肉体を弾丸が貫き始める。
何故なら体育館には既に兵士達が待機していたからだ、僅か五名程だが武装はしており邪神に向けて引き金を引き続ける。
銃声により再び生徒達の悲鳴が響き渡り皆がしゃがみ始めると、一時が経ち鳴り響いていた銃声が止み辺りが再び静寂に包まれる。
終わった……? 目を瞑っていた生徒達がゆっくりと目蓋を開いていく。
そこに見えた光景、それは邪神ではなく一人の少年『カイト・スタルフ』が立っており、目に涙を浮かべながら血塗れの姿で喋り始める。
「痛イ゛ッ……!」
その言葉と共に血反吐を吐き跪くと、涙を流しながら助けを求めるようにカイトは喋り続ける。
「だず、げてっ!……なンで、どうしテ僕が、こンな゛……!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。
体が熱い、気が狂い激痛で息が出来ない、吐き気を催しその場に血反吐の塊りを吐き散らす。
そこには邪悪なオーラを纏う邪神ではなく、ただただ無力な少年しかいない。
兵士達は冷静に銃のマガジンを代えると、跪き助けを請う少年『カイト・スタルフ』に近づき間近で再び引き金を引き始める。
けたたましい銃声に生徒達は両手で耳を塞ぎカイトの弾け飛ぶ血を見ながらその光景を見つめていた。
暫くして銃声は止み、兵士達が新しいマガジンを装填しはじめる。
そこには最早少年の姿はなく弾丸で肉片が消し飛んだ無様な死体しか残っていなかった。
「助かった……?」
一人の生徒がそう呟くと、次の瞬間歓喜の声が体育館を包み込む。
安堵し親友と抱き合う少女もいれば、安心で腰が抜け立ち上がる事の出来ない少年。
初めて『命』を実感した。
大切だとかそういう話しではない。生きている事を実感し、今自分には命があるのだという事を実感する。
「かア゛ア゛あああァァァ゛ラぁあああ゛あ゛ア゛ア゛ア゛のォ゛ぉ゛オ゛オ゛お゛お゛お゛オ゛お゛オ゛!!?」
視界が歪む。
先程まで見ていた光景が変わり果てていく。
そこには銃を持った兵士などいない。
いるのは手足を捥がれ銃で突き刺されている兵士達の姿があり、その中心には無傷の邪神の姿がある。
「現実だ」
夢……?
いや、確かに現実だったはず、夢であるはずがない。
邪神は兵士達によって殺されたはず、安堵で歓喜していた生徒や教師達は何が起こったのか訳もわからず困惑していた。
その答えを知っているのは邪神だけであり、自分の胸元を摩りながら邪神は呟いた。
「痛み、苦しミ、恐怖、憎悪、どレも素晴らしイもンだなァ……そうだろウ? カイト」
そう言って自分の中にいる『カイト・スタルフ』に語りかけると、邪神は言葉を続けはじめる。
「もっと感じて良イんだぜ? そうなればソウなる程、より高ミにに゛ニ゛ニ゛ニ゛にィ゛ニィ゛イ゛い゛ィ゛ぃ゛い゛い゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ッ!!!」
バグったように邪神の体は痙攣を始め言葉がブレはじめたかと思えば、唯一の出口である体育館の天井に出来た穴から大量の害虫が注がれ始める。
蜚蠊、蜘蛛、百足、飛蝗、蠅、蛆、蟻、蚊─── 万を超える害虫が生徒達に襲い掛かる。
「きゃああああああああ゛あ゛あ゛!?」
少女が悲鳴を上げようものならその口の中に無数の害虫たちが群がり肺や胃の中に入り込む。
悲鳴を上げずとも生徒達の洋服に張り付き、その中へと害虫たちは侵入しはじめる。
もう何も出来ない。
もう誰も助からない。
害虫に襲われ苦しむ生徒達の断末魔が体育館の壁に反響し心地良い音色を奏でる中、満足した邪神は跳躍して体育館から出ると、断末魔の聞こえる体育館を背に歩き去っていく。
すると、その体育館に一発のミサイルが落ち建物ごと全生徒を爆破すると、邪神は足を止め後ろに振り返り木っ端微塵に吹き飛んだ体育館を眺めていた。
「アらァー……残念」
一瞬で死ねるとは幸運でしかない。
呟いた邪神を掻き消すように邪神周辺を一層するように爆撃が始まり、特殊部隊が完全武装した状態で横に並び邪神を囲うように方位していく。
爆撃が収まり煙が晴れていくと、そこには邪神が平然とした様子で堂々と立ち尽くしていた。
「ンああああ゛……効いたゼェ? 今の爆撃ィ゛……ン?」
ある物が見えた。
その途端、邪神の興味はただそれ一つだけに向けられる。
だからそう、邪神を囲む百を超える特殊部隊や、空を飛ぶ飛行機から地を走る戦車までもがどうでもよく感じる。
むしろ邪魔だ───邪神は両手に黒い魔法陣を浮かべると、たった一度だけ両手を合わせるように叩いてみせる。
軽快で爽快で乾いた音、次の瞬間、銃を持っていた全ての兵士がその銃口を自分のこめかみに当てると、躊躇い鳴く引き金を引き始める。
戦闘機は落ち、戦車も動作を止め、邪神の周辺にいた全ての兵士・特殊部隊が自害を終えると、邪神は興味を持った物の元へと向かう。
『い……一体何が起きたというのでしょうか……?』
ニュースレポーターがマイクを手に困惑した様子で戦慄していた。
報道陣のテレビの側で学校周辺を取材していたニュースレポーターの一人の女性、取材陣は現在アルトニアエデンの町で起きている事について報道している途中だった。
『ご、ご覧ください……! 先程まで町を警護していた兵士達が───っ!』
そう言ってカメラマンがカメラを向けた瞬間、そこには嬉しそうに笑みを浮かべる邪神が立っていた。
「こンにちハ」
礼儀正しく邪神はそう挨拶すると、一歩ずつゆっくりとカメラに近づいていく。
その映像はアルトニアエデン全国に報道されており、世界各地のモニターには邪神の顔が映し出されていた。
その邪神の映像は億を超えた人間が見ている。
何故なら今、この世に存在する全ての『画面』に邪神の姿が映り出されており、それはアルトニアエデンの本部にある会議室にも映し出されていた。
その場に集っていた警察組織の幹部達も食い入るようにその映像を見つめ続ける。
「今、コの町でハ数多の人間ガ殺さレている。楽しイか? 面白イか? 興奮スるか?」
邪神はテレビのモニターの前にいる人達にそう問いかけると、親指を突きたて自分の首に指した。
「ナら共に体験しようゼ。死ヲ、恐怖ヲ、その垣間見える『生』をッ゛!!」
絶対的安全領域に存在する億の人間達。
その場に脅威もなければ危険も無い、しかし画面の向こうでは死と隣り合わせの世界が広がっている。
一方的に世界を傍観できるとはまるで神のようだ、だがその場にいるのは神ではなく同類の人間。
ならば味わうが良い。同じ人間として全てを味わうが良い。
ふと、テレビを見ていた一人の青年が首に違和感を感じ掻き始める。
苦しい……まるで首輪が付けられそれが締め付けられるような感覚に青年は苦しみから逃れようと必死に掻き続ける。
取れない、外れない……幾ら手で取ろうとしても自分の首に付けられている黒い首輪を決して外す事が出来ない。
えっ?
嘘っ?
なんで……?
ああ、ほら、鳥肌が立ち始める。
現実かと確かめるように爪を立て、その激痛を感じながらも必死に取り除こうとし始める。
それは千、万、億を超えた人間達の行動。皆が皆、徐々に締まり始める首輪を取り外そうと必死になりはじめる。
何故なら苦しいから、息が出来ない、痛みも感じる、夢や嘘だと思いたい、それでも首輪は少しずつゆっくりと嬲り楽しむように締まっていく。
「ああアアぁぁぁぁあァァァァ……ぁあ? 今更気付イた?」
堪能するように邪神は心句の奥底から感じる至福を堪能していると、ふと視線をカメラに戻し喋り始める。
「オ前達は死ヌんだよ」
そう言って邪神が突き立てた親指を自分の首元に指し横にスライドさせた瞬間、この映像を見ていた人類の首に付けられていた黒い輪が一瞬で締まり首を切断する。
子供から年寄り、そして本部の会議室でその映像を見ていた警察幹部、その全員の生首が床へと落ち、血飛沫を上げながら死体は横たわる。
「アひゃひゃひ゛ゃひゃ゛ひ゛ャ゛ひ゛ァ゛ヒ゛ゃヒァ゛ひャ゛ヒ゛ぁ゛ひぁ゛ァ゛ヒ゛ゃヒァ゛ひャ゛ヒ゛ぁ゛ひぁ゛゛ァ゛ヒ゛ゃヒァ゛ひャ゛ヒ゛ぁ゛ひぁ゛ァ゛ヒ゛ゃヒァ゛ひャ゛ヒ゛ぁ゛ひぁ゛! ギひ゛ァヒャひぁ゛ヒゃ゛ひャ゛ヒゃ゛ヒ゛ャ゛ヒ゛ゃひァ゛ヒゃ゛ひャ!!」
狂喜乱舞、邪神は首の無くなったレポーターとカメラマンの前で一人腹を抱えて笑い始める。
カメラはその場に落ち映像が消えるが、それでも邪神は爆笑しながら腹を抱えてその場でのた打ち回る。
すると、邪神の頭の中に殺した人間の全ての記憶が流れ込み始める。
億を超える人間達の今までの人生、記憶。邪神はその全ての映像を一瞬の間に全て見ると、腹を抱え笑い転げながら声を荒げた。
「ウザいうざイうザイいウざいイうザいうざイウざいウざイうざいうざいウざィうざイうざいうざいウザ
いうざィゥざイぃィ゛い゛イいいい゛イい゛ィいいイ゛イ゛いイ゛イ゛イ゛ッ!!!」
涙を流し邪神はそう叫ぶと、ふと上空に映し出される赤い魔法陣の存在に気付いた。
「……んンん゛?」
眩しい。
魔法陣が閃光を放った瞬間、空に映し出されていた巨大な魔法陣が光りと共に熱線を放ち地上へと降り注ぎ、あらゆる物がその熱線により蒸発していく。
血、土、鉄────気化しこの世から消えた頃には、赤い魔法陣の下にあった全ての存在が蒸発し跡形もなく消えていた。
「……ふむぅ、少しやりすぎたようですねぇ」
赤色の僧侶のような服を着た一人の『アディン』がそう呟く。
それは先程本部に収集されていた『アディン』の一人であり、後方もなく蒸発した町並みを見ながら溜め息を吐いた。
「任務完了。伝説として記されていた『魔神』がこうも簡単に死んでしまうとは……この世は諸行無常ですありますね」
真に残念極まりない。
アディンの男性がその場から去ろうとした時、跡形も無くなった町から一人の男の声が聞こえてくる。
「お゛イオ゛い……熱イ゛っていうレベルじゃネーなオ゛い」
塵と化す間もなく蒸発してこの世から消えたはずの邪神が存在していた。
その濁った邪神の声に男性は振り向くと、邪神は無傷の状態でその場に存在しており、右手の人差し指で軽く頬を掻きながら喋り始める。
「八熱地獄ニでも突き落とされたと思ったゼェ? オ前人間の癖ニヤるなァ」
邪神は目の前に立つアディンに賞賛の言葉を送るが、男性は手元に自分のレジスタルである杖を召喚すると、此方を見つめる邪神を警戒しながら魔力を貯め始める。
(このお方、もしや本当にあの『伝説』とされている魔神なのでしょうか……?)
警戒するのも無理はない。アディンの男性が放った魔法に耐えられた存在など今までこの世に存在しなかったのだ。
大地諸共蒸発し全てを掻き消す熱戦の魔法、まるで太陽に包まれるような業火に焼かれ熱さや痛みを感じる事もなく蒸発し消滅するはず……しかし、邪神は今、目の前にいる。
「……そなた、遥か昔に全世界を抹消しようと企んでいた魔神で間違ありませんか?」
アディンの男性はある伝説を知っている。
それは神話、遥か昔から語り継がれる御伽噺と言っても過言ではない。
しかしこの状況下に置かれた立場であればそんな御伽噺も現実と化してしまう。
男性にそう質問された邪神は変わらない表情でその場に立ち尽くしていると、首を大きく横に振り否定しはじめる。
「イや、俺『魔神』じャねーヨ」
「『魔神』ではないと? ではそなたは何者だ……?」
その男性の問いかけに邪神は溜め息を吐くと、悔しそうに声を荒げ始める。
「カァァァーッ!! アイツほンっトうに有名ダなオい゛!? 有名スぎて羨マしくて思わズ嫉妬シちまうぜ。あアア゛、だかラこそ俺ァ最高なンだけどナぁ……」
そう。『無』にはない『感情』こそ邪神の力の源。
「『無』に対抗する存在が『有』だけジャぁなイんダぜェ? 何故なラこの世にハ『人間』が存在スるンだかラよォ!! 『無』や『有』全てヲ飲み込ム俺コそが『邪神』!! それデこそ全ての『サイキョウ』を兼ネ備エた俺ェ゛ッ!!」
自画自賛しながら高らかに両手を広げる邪神に対し、魔力を貯め終えた男性は次なる魔法を唱え始める。
「ふむ、『魔神』でないなら興味はない───『滅』」
今度こそ終わりにする。
男性は貯め終えた魔力を爆発させると、邪神の四方を囲うように赤色の魔法陣が浮かび上がると、太陽のように真っ白な熱線が発せられ邪神を包み込む。
「……カッコつけてンじゃネえヨ」
確かに聞こえてきた邪神の声に男性は刮目する。
そこには熱線を浴びながらも平然と腕を組み男性を睨み続ける邪神が立っており、男性は驚愕した表情で立ち尽くしていた。
「なんと……万を超える熱線に耐えられると言うのか……?」
「あア゛? 温度トかソうイう問題じゃネえンだよ」
邪神の前に威力など関係ない。
ベクトルの違う力、強さの前に男性は成す術などない。
「つーカ、オ前味わっタ事アるノかァ? 熱」
赤黒く濁った目を見開き満面の笑みを浮かべながらアディンの男性を睨みつけた直後、男性は指先一つ動かす事が出来ず硬直してしまう。
「あづッ!?」
ふと、指先に感じた熱い痛みに男性が顔を歪める。
人差し指の先端を炙るように一つの火のついたマッチが向けられており、そのマッチの根元を邪神が指先で摘んでいた。
「なァ? 熱いダろ? もっと味ワえ、感じロ、こレが熱デ、これガ痛ミだ」
マッチの火の温度など発火直後が精々ニ千度程であり、時間が経つにつれ五百度程に下がる。
邪神がその身に受けた万を超える熱の温度より遥かに脆弱。しかし……人間を苦しめる温度はこれぐらいで十分なのだ。
「ぐぅ゛!? ぅ゛う゛う゛ウ゛!?」
指先の一つ一つを熱せられ熱さと痛みで苦しむ男性、しかし体は全く動かす事が出来ず苦しみだけが続いていく。
本来強大な魔力を持つ男性であればこの程度の火など恐るに足らないのだが、邪神の翳すマッチの火は何よりも熱く幾ら魔力を保持していようが痛みを感じる。
熱くて堪らない、マッチの火は数を増し両手の指の爪先を炙られ男性は断末魔を上げ悶絶すると、その開いた口に火のついたマッチの束も押し込まれる。
口の中に入られたマッチの火は決して消えず、舌を焼き喉を焦がし胃を炙りながら男性の体内に侵入していきはじめる。
「アアアあああ゛ア゛ァ゛ぁ゛ぁ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ゛!!?」
最早そこには冷静を保った男性の姿などなく、必死に熱さから逃れようと狂ったように体を蠢かす哀れな男性の姿しかない。
「オ前さァ、自分の扱う『火』ぐらイ把握シとけヨォ」
無様な男性の姿を見ていた邪神は呆れた様子そう呟くと、右手で軽く指を鳴らす。
その軽快な音と共に男性の全身が炎に包まれると、灰と化し風に乗って消え去っていく男性を背に邪神は高らかに笑ってみせたる。
「アひゃヒゃひゃ゛ヒ゛ひゃヒ゛ャ゛ひゃヒャ゛ヒゃ゛ヒャ゛ヒ゛ヒャ!!」
他愛もない、所詮人間などこの程度でしか───。
「あーあ、殺られちゃったんだ。アディンの癖によっわ~い」
無音の世界で一つの足音が聞こえる。
漂っていたはずの灰が全て空中で静止し、高らかに笑っていた邪神の動きは完全に固まっている。
そんな邪神を見つめながら本部にいた『アディン』であるミニスカートの少女が歩み寄っていた。
「で、これが『魔神』ー? 大したことないじゃん」
少女は擦れ違い様に手に持ったナイフの先端で邪神の首を動脈を一瞬で切断すると、欠伸をしながらその場を去っていく。
「おーわりっと」
そう言って少女がナイフを手元から消した途端、今まで静止していた時間が再び動き始める。
邪神はその場で何が起きたのか訳も分からず首元に手を当てると、勢い良く血飛沫をあげる自分の首を見て笑みを零した。
「ンはァ゛? なンだこりァ……?」
止め処なく拭き続ける血飛沫を前に邪神は困惑していると、後ろに振り向き背を向け歩き去っていく少女の姿を見て声をかけた。
「オい゛、オ前が俺ヲ───」
再び時間が止まる。
音一つない世界で邪神は固まっており、吹き出る血の雫の一滴も全てその場で止まっていた。
「……何コイツ、さっさと死になさいよ」
少女は再び手元にナイフを召喚すると、動きの止まった邪神の顔面目掛けナイフを振り下ろす。
目を潰し、鼻を削ぎ、頬を貫く。それだけでは気が済まず胸や腹部に何度もナイフを振り下ろすと、満足した少女は再び邪神に背を向け歩き去っていく。
「はい終了~、帰ってケーキでもたーべよーっと」
何時もそう、少女の仕事はたったこれだけで終わる。
先程の男性のような強力な魔法など必要ない、相手を殺すにはナイフ一本で十分なのだ。
時は再び動き始め顔面や全身から血飛沫を上げる邪神を背に少女は一人呟き始める。
「あ、その前にあのナルシストをぎゃふんと言わして───」
「───刺゛し゛た゛ノ゛か゛ァ゛?」
思わず鳥肌が立つような声が聞こえてくる。
少女は咄嗟に振り向くと、そこにはナイフで滅多ざしにされ顔の原型も残っていない邪神が話しかけていた。
(は……? なんでコイツ、生きているの……?」
血を噴出し重傷を負っているはずの邪神はしっかりとその場に立っており、醜い顔面のまま少女に語りかける。
「痛テェ゛ダろ゛がァ゛! オ前───」
再び時が止まる。
少女は徐々に高鳴っていく胸の鼓動を抑えるように軽く深呼吸すると、足早に邪神に近づき手元のナイフを振り上げ何度も邪神に振り下ろしていく。
「なんなのよコイツ! 死になさいよ! さっさと死ね! 死ねェ゛!」
ナイフで肉を裂き骨を砕く、その慣れた感触を何度も味わった後、肩で息をする少女は邪神の全身を切り裂き満足すると……その場で再び時を動かし始める。
「刺さレる痛みを知───」
まるで何事も無かったかのような邪神の言葉を聞いた途端、再び時が止まると、少女の全身からは冷や汗が噴出し始める。
(なッ、なんで!? どうして死なないのよ!!)
焦りが少女を襲う、今までこれ程刺して生き延びた人間などいない。
少女は無我夢中で邪神を刺し続け、邪神の肉体は殆ど崩壊し顔面の半分が削られ肩が落ち、胸部には心臓などなく大きな穴が空いている。
「はぁ……はぁ……っ……」
肩で息をする少女は額の汗を袖で拭い後ずさりするように一歩ずつ邪神から離れると、止まっていた時間が再び動き始める。
「っているのかァ゛? ンンン゛ゥ゛?」
見る見る少女の顔が青ざめその場に尻餅をついてしまう。
何故、どうして何事も無いかのようにこの存在は喋り続けているんだ?
顔の半分を失い醜い姿と化しているにも関わらず邪神は一切動揺した素振りも見せず自分をこんな目に遭わせた少女に向けて問いかける。
「オ前、俺かラ逃───」
再び時が止まる。
いや、正確には少女が止めてみせたのだ。
この存在は今まで戦ってきた存在の中でも次元が違う───少女は引けた腰でその場になんとか立ちがってみせると、邪神から逃げようとひたすら走り続ける。
この能力を得てから今まで恐怖など感じた事などない。
当たり前だ、自分に対抗できる存在などこの世にいないと思っていたからだ。
誰も自分に逆らえない。
誰も自分に抗えない。
誰も自分を殺せない。
何故なら自分には『時を止める』能力があるからだ。
完全に無敵、最強と言っても過言ではない力。
この力があるからこそアディンでいられた、思うがままの我侭な生活を送り、裕福に暮らせた。
それだというのに───。
少女が邪神から十分な距離を置き、再び時が流れ始めた直後。
「ゲられるトでモ思っテイるノかァぁ゛ァァァ?」
背後から邪神の声が聞こえてくる。
「ひいぃ゛っ!」
少女は驚愕し跳ぶように転げてしまうと、地面に腰を付きながらも必死に逃げようと後ずさりしていく。
散々痛めつけて距離を取ったというのに、いつの間にか邪神は少女の側に存在しており、少女は悟ってしまう。
何処に逃げようとも必ず邪神が追って来る───幾ら刺しても無駄、幾ら殺そうとしても無意味、幾ら壊そうしても不可能。
再び時が動き始め体を滅多刺しに破壊された邪神の肉体が瞬く間に再生されていくと、その手に黒色のナイフを握り一歩ずつ少女に近づいていく。
「教エてヤらないとナァ、刺サれル痛ミってのヲォ゛ぉォォ……」
邪神は楽しそうに笑みを浮かべ少女に近づいていく……だが、次の瞬間邪神は足を止めた。
「お……お願い……」
少女は震えながら自分のスカートを捲ると、下着を見せ付けるように足を開き始める。
「い、命だけは助けて! ……な、なんでもするから……!」
それだけではない、少女は着ていた衣服を急いで脱ぎ始めると、その場に衣服を投げ捨ててみせる。
膨らみかけた胸に可愛らしく小さなピンク色の乳首───それはあられもない少女の姿であり、上半身に身につけていた衣服を全て脱ぎ去った後、今度はスカートを脱ぎ、死物狂いで下着を脱ぎ始めると、全裸になった少女は大きく足を開いて涙目で邪神に訴えかけた。
「す、好きにしていいです! だからお願い……殺さないでぇ……っ!」
この存在に歯向かえば必ず殺される。
助かりたければ服従するしかない……心を折られた少女は必死に訴えかける。
細いくびれに美しい脚線美、幼く儚い少女は全身を曝し命を乞う。
そしてその少女の思いが通じたのか───邪神の手から握り締めていたナイフが零れ落ちる。
邪神はゆっくりと少女に近づいていく、少女は目から涙を流し恥じらいを捨て股を開き続けていると、そんな哀れな少女の前で邪神が立ち止まり腹を抱え大空を見上げながら声を荒げた。
「アひゃ゛ヒャ゛ひャ゛ひヒャ゛ギヒひひゃヒゃアひャヒゃひゃヒゃヒャひ゛ャヒヒヒ゛ゃひァ!!!」
何故笑うのかが分からない。
満足してくれたのか? 興奮してくれたのか? 命を助けてくれるのか?
股を開いていた少女が小刻みに震え始めると、気付かない内に失禁しその場を尿で濡らし始める。
「俺ァ……大切な事を忘れてイたゼ……」
邪神の魔力が何倍に膨れ上がっていくのが分かる。
今までの力が本来の力などではない、『女』を忘れ、『性』に気付かされた瞬間、より邪神の中にある心が歪み膨れ上がっていく。
邪神はその場に跪き少女に覆いかぶさると、少女は自らを舌を出し邪神の行為に必死に答えようとしはじめる。
今から自分は犯される───それでもいい、この存在に嬲られ殺されるよりは遥かにマシだ。
少女の呼吸は乱れ甘い吐息を吐きながら邪神のモノが入ってくるのを待つ、邪神は赤く濁った瞳で涙を流す少女を見つめながら顔を近づけ、少女の口から見える小さな舌を見て少女の口を塞ぐように口を密着させるとかき乱すように舌を動かし舐め回し始める。
暖かく柔らかい感触が口の中を支配する。
それは初めての感触、少女の小さな舌は震えながら必死に邪神を満足させようと動かすが、邪神の舌は少女の舌を嬲るように絡みつき、少女は思わず咽そうになる。
崩壊した市街地で一人の少女と一人の男が舌を絡めあい、そして邪神は漸く本番を始めようとした、その時───。
女───フラッシュバックするように様々な時のセレナの姿が鮮明に浮かび上がる。
性───今度はセレナの姿ではなく様々なユイの姿が映し出され始めると、口付けをしていた邪神は少女から口を離し両手で頭を掴み混乱しはじめる。
「うグぅ゛!? な、ナン゛だこレはァ゛っ……!?」
セレナやユイとの思い出が蘇り始めると、邪神は苦しそうに頭を抱えながら跪く。
「カイトォ゛!? オまッ……オ゛マえェ゛ッ! 餓鬼がァ゛ッ゛!? 何故今更抗ウ゛ッ!? 良イじゃネえか! 遠慮なンていラネえ素直にナれ! 理性を捨てロッ!! 思うが儘、望むが儘に゛蹂躙しようゼェ゛ッ!?」
ふと邪神が自分の右腕を見れば、その右腕は黒い手甲のような形に変形しており、見覚えのあるその右腕に邪神が慌て始める。
「おいオいオイ゛!? ちょっト待テッ! なンでここで『アイツ』が出テくル゛!? クソッ! 『アイツ』が出てキたらマジで洒落にナらねえゾ!!?」
尋常じゃない邪神の焦る素振りに股を開いていた少女はそっと足を閉じると、混乱し慌てふためく邪神を見つめていた。
邪神は右腕だけでなく左腕もまた変形し右腕と同じような姿形になると、全てを悟った邪神が溜め息を吐き抵抗を止め脱力してしまう。
「……ハぁ、マぁいイ。近い内ニまタ時が来る……ソれまで代わってヤるよ」
邪神の姿が闇に包まれ始めると、邪神は笑って見せながら一言だけ呟いてみせた。
「『魔神』」
目蓋を瞑り邪神の顔も闇へと包まれると、全身闇に包まれた邪神は次第に姿形を変えていく。
少女は目の前で何が起こっているのか検討もつかない。
だが、邪神の全身を包んでいた闇が晴れた時、そこに立っている存在を見て思った───。
何も感じない。
恐怖も、恥じらいも、怒りも、悲しみも、力も、何一つ感じられない。
禍々しくも美しい黒色の鎧で全身を包んだような姿、そこに立っているのは決して邪神などではない。
その存在はこの地に降り立ち自分の右手を見つめ始めると、ふと目の前に座っている全裸の少女に目を向けた。
「あの……」
少女は怯える事もなくその存在に声を掛けると、助けを求めるように右手を伸ばす。
するとその存在もまた少女に向けて右手を伸ばし、少女がその手を掴もうと立ち上がろうとした瞬間、その存在の右手に魔法陣が浮かび上がると、眩い光りが少女を飲み込んだ。
「え───」
次の瞬間、魔神の右手から放たれた魔法が少女諸共町の半分を消し飛ばしてしまう。
衝撃波により辺りの瓦礫は吹き飛び、魔法に触れた全ての存在は瞬く間に消滅しこの世から完全に抹消されていく。
暫くして、その存在は伸ばしていた右手を下ろす。
目の前に『光景』など広がっていない、何も無いのだ、建物や死体などではなく、地面そのものが存在しない。
何も無い空間を見つめていた存在は抹消し終えたものに興味など無く、ふと後ろに振り返ってみせる。
目の前に広がる大地の遠くに大きな建物が見える、それはアルトニアエデン本部の建物であり、その存在───『魔神』はゆっくり、一歩ずつ歩き始めると、その建物へと向かい始めるのであった。




