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第84話 崩壊の調べ

 翌日、カイトとセレナは何時ものような平和な朝を迎える。

「おはよう! 朝ご飯できたよ~!」

 リビングには制服の上にエプロンを着たセレナがそう言ってテーブルに朝食を並べており、リビングに入ってきたばかりのカイトは眠そうに目元を擦っていた。

「おはよう、姉さん」

 何時もの日常が戻った、朝食を並べ終えたセレナもまたテーブルにつくと二人で朝食を食べ始める。

 何気ない会話をしながら食事を済ませ、身支度を終えた後二人で学校へと向かう。

 暫く歩き分かれ道でセレナと別れた後、カイトは一人学校へと向かう。



「カイトく~ん! おはよー!」

 学校へと向かう途中、後ろからユイの声が聞こえてきた。

 それでもカイトは後ろに振り返る事もなければ足を止めることなく、前だけを見てただただ学校へと向かう為に歩き続ける。

「カイト君……?」

 てっきり足を止めて自分を待ってくれるかと思ったユイは振っていた手を下ろすと、振り返らないカイトの後ろ姿を見つめ続けていた。



 何ら変わりのない日常は続く。

 物が無く、馬鹿にされ、蔑まれ、弄られ、虐げられ、汚され、何時もの一日が終わる。

 辛い表情、悲しい表情、苦しい表情、時折々に見せ、役目を終える。

 自分が思ったのだ、それでいいと。

 いや、むしろそうでなければならない、そうであってこそのこの世界。



 今日も一日は終わる、全ての授業を終えたカイトは教室を出て靴箱へと向かい靴を履きかえると、いつものように一人で帰り始める。

 帰宅途中、今日は姉とは会わない。カイトは何の表情浮かべずに歩き続けていると、後ろから声が聞こえてきた。

「カイトくーん!」

 ユイの声だ、しかしカイトは振り返る事はなく歩き続ける。

 それも少し早くだ、まるで声に気付いていないかのように装う。

 すると、後ろから誰かが走ってくる足音と息遣いが聞こえてくると、ふいに肩を叩かれカイトは驚いて足を止めてしまった。

 即座に振り返ってみればそこには息を切らして見つめてくれるユイが立っており、カイトは驚いた様子でユイを見つめていた。

「はぁ、はぁ……やっと振り向いてくれたよ~!」

「ユイさん……?」

「朝も声かけたんだよ! カイト君聞こえてなかったの?」

「……ごめん、全然気付かなかったよ。それじゃ」

 カイトは軽く謝った後、ユイに背を向けて歩き始める。

「えっ?」

 その行為にユイは戸惑い声をかける事が出来ない。

 初めてだったのだ、カイトに冷たくされたのは。

 カイトは無言でその場を後にするが、ユイはただ黙ってカイトの背を見つめる事しか出来なかった。

 


 半端な優しさは人を傷つける。

 それを誰も分かっていない。



 だが……それで……っ───。



「猫……」

 公園の前を歩いていたカイトは足を止めると、昨日触った猫の事を思い出す。

 カイトは公園に入り昨日向かった同じ茂みの所へ向かうと、そこには誰かを待っているかのように座り込む一匹の猫がいた。

 昨日出会った猫と同じだ。カイトはその猫を見つめていると、カイトに気付いた猫はのっそりと起き上がりゆっくりと近づきカイトの足に体を擦りつけながら足元をうろうろと歩き始める。

 じゃれているのだろうか分からない、けれど猫は嬉しそうにカイトに擦り寄ってくる。

 カイトはそれを、虚ろな瞳でただただ見下ろし続けていた。




 

 一人、家へと帰る為にユイは歩いていた。

 カイトと分かれた後、ユイはどうしてカイトがあのような言葉を言ったのかを考え続ける。

「あ……」

 ふと足を止めると、そこは昨日三人で訪れた公園だった。

 今日もいつもの猫がお腹を空かせて待っている、寄り道する気分ではなかったユイだったが公園に入るといつもの茂みの中に入っていく。

 


 ───そこで見た光景に、ユイは手に持っていた鞄を落とす。

 そこに猫はいた。

 横たわり 傷付き、血が滲む、虫の息の猫が。

「あ……ああっ!」

 ユイはすぐさま猫の元に駆け寄り抱かかえるが、猫は目を瞑ったまま苦しそうに呼吸をしており動こうとしない。

 手足は痙攣するように震えており、ユイはどうしていいか分からず猫を抱きしめたまま目に涙を浮かべる。

「そんなっ、どうしてぇ……!」

 何故こんな酷い目にあっているのか、動物同士の喧嘩? それとも人間の誰かが暴力を……?

 今にも息絶えそうな猫を前にユイはただ悲しみ嘆く事しか出来ない。


「ユイちゃん……?」


 そんな彼女と一匹を助けるかのように、一人の優しい声が聞こえてくる。


「セレナさん゛っ……」


 涙を流し訴えるユイ、その光景を見て状況を把握したセレナ。

 瀕死の猫、今直ぐ病院に連れて行っても間に合うかどうか分からない、こんな時治療魔法を使う事が出来れば猫の命を助ける事が可能だが、傷を癒す魔法は高度なレベルであり子供である二人が習っているはずがない。

 しかし───。


「大丈夫」


 そう言って彼女、セレナは微笑んだ。




 日も暮れて辺りが暗くなった頃、制服姿のカイトは呟いた。

「クソッ……」

 人気のないコンクリート橋の下、血の滲んだ口元を拭いはじめる。

 制服には所々汚れがついており、上着には穴が空く程酷く破れていた。

「まぁ……いいや」

 不敵な笑みを浮かべるカイト、 傷付き汚れた自分の姿を見て満足していた。

 これでいい、これでいいのだ。ああ、楽しみだ……。

 カイトは鞄を片手に覚束ない足取りで帰宅する。

 明日、自分がどうなるのかなど知ったことか、それよりも今日、姉のセレナが作る晩御飯の方が気になる。

 家の前に来た所で自分の胸が高鳴っているのを自覚する、玄関には灯りが点いており人影が見えたのだ。

 姉さんが自分を待っている───何の躊躇いもなくカイトは扉を開け、口開いた。

「ただいま、姉さん」

 何時もの作り物の笑顔でカイトはそう言ってみせたが、玄関には姉とは別に一人、人間が立っていた。

 白い軍服を身に纏い、自分に背を向けセレナの方を見つめる男。

 その男は後ろからカイトが扉を開けて入ってきたというのに一切動揺せずセレナを見つめながら呟いた。

「単刀直入に言う、貴様は何者だ?」

 男の声にカイトは首を傾げる。

(なんだ、こいつ)

 頭のイカれた発言に困惑してしまうカイトはそう思うと、セレナは私服の上に身につけていたエプロンを脱ぎ口を開く。

「……カイト、お夕飯は作ってあるから先に食べてて」

「姉さん……? ていうか……この人誰?」

 未だに状況が分からずカイトはセレナの方を覗き込むと、その問いに答えるように一人の男の声が聞こえてきた。

「そいつはわる~い人間さ」

 気配も無くカイトの肩に腕を掛けてきた一人の男。

 その男は玄関で立っている白い軍服の男とは対照的な黒い軍服を身に纏ってはいたが、軍服な割にはラフな格好をしており態度もチャラけている。

「……『黒牙』である貴様が何故ここにいる」

「いやはや、せっかく見つけた『適合者』と仲良くお話しをするつもりないんじゃないかなー? って思ってさ。俺が直々に迎えたにきたわけよ」

「引っ込んでいろ、『絶対名』や『干渉者』の手掛かりにもなりえる鍵を『貴様達』のような人間に渡すつもりはない」

「あっそう、ざ~んねん」

 白服の男に威圧され黒服の男は残念そうに溜め息を吐き。

 その吐息は白服の男の耳裏にかかる。

「なら死ね」

 一瞬にして白服の男の背後に回った黒服の男はそう呟くと、白服の男の背中から胸部を貫いた手刀を引き抜いてみせる。

「っ゛!? 貴様ァ゛……このような事をすればどうなるか───」

「分かりませ~ん!」

 口から血を吐き苦しんだ表情を見せた白服の男は、黒服の男の手刀により首を撥ねられ絶命する。

 血飛沫が飛び散る光景にカイトは目を見開き顔から血の気が引いていく。

 アニメでもドラマでも漫画でもない、目の前で現実の死を見せられたカイトは呼吸すら忘れていた。

「ったく、情報なんざ後から幾らでも引き出せるっしょ。それより今は『最強』を司る『魔神』の方が優先だろが」

 男は死体に唾を吐き上着の懐からスマホを取り出し仲間と連絡を取り始める。

「もしもーし俺だよ俺、邪魔者は消したから早いとこよろしくね~後は任せるから」

 それだけ言ってスマホを懐のポケットに入れると、男はセレナを見つめながら笑顔を浮かべた。

「お嬢ちゃん、抵抗しない方が身の為だよー」

 その男の言葉がカイトには不自然に思えた。

 何故ならセレナは抵抗する素振りなど何も見せていなかったからだ。

 ……が、しかし。それはカイトだらこそ理解出来ない領域。

「可愛い可愛い弟君が傷付くことになっちゃってもいいの? こんな風に」

 その直後、男が振り上げた拳はカイトの顎を叩き上げ吹き飛ばす。

「いッ゛───!?」

 顎に強い衝撃を受けたカイトの意識は簡単に途切れ、その場に倒れこんでしまうのであった。

 




(っ……)

 顎に違和感を感じながらも意識が戻り始める。

 あれからどれ程の時間が経ち、意識を失っていたのか分からない。


「これ程の魔力を持つとは……。納得出来る、だからこそ町中の人間の───」


「そのようですね。それに彼女は間違いなく『適合者』です。あとは───」


「しかしいいのか? 尋問なども対してせず実験を開始するなんて───」


「仕方ないだろ、あの『黒牙』の一人が『白騎隊』の一派を殺してしまったんだ。奴等に気付かれる前にこの実験を成功させる必要がある。それに───」


 複数の大人の話し合う声が聞こえてくる。

 ようやく方向感覚も戻ってきたカイトは寝ていた体を起こした直後、目の前にはあの時玄関にいた黒服の男が現れた。

「やあやあ、お目覚めかな?」

「うっ!?」

 恐怖で反射的に体が震えて怯んでしまい、そんな弱々しいカイトの姿を見て男は笑みを浮かべる。

 カイトが辺りを見渡してみれば薄暗い室内には様々な機器が置かれてあり、複数あるモニターの前では十人程の白衣を着た大人達が話し合っていた。

 ……意味が分からない。

 学校から帰宅した途端、軍服を来た男に襲われたかと思えばこのような場所に連れ去られている。

 この男の目的は何なのか、白衣の連中は何者? いや、そんな事はどうでもいい。

 セレナはどこだ?

「えっ……あの、なんで僕ここに……姉さんは……?」

 すると男はカイトの両肩を両手で掴み顔を近づけると大げさに喋ってみせる。

「喜べ弟! 君の姉は『適合者』だ! 今から面白いものが見られるぞ~共に見届けようじゃないか!」

 そう言って無理やりカイトと肩を組む男は近くのモニターを指を指す。

 そのモニターに映し出されていたもの、そこには黒い石版に覆われた中心に一人立ち尽くすセレナの姿があった。

 両手両足には拘束魔法をかけられており身動きがとれない、そんな無防備な状態にカイトは憤りを感じた。

「は? な、何をするつもりなんですか!? どうして姉さんがあんな所に……!」

「うるせーよ」

 先程よりもトーンの低い男の一言にカイトは口を塞いでしまう。

 この男からは底知れない強さと恐怖を感じ、逆らえば即座に殺される事を直感した。

「耳元でぎゃーぎゃー喚くなって、お前は見られるかもしれないだよ? 嘗て『全世界』を抹消寸前まで追い込んだ『魔神』のレジスタルを」

「ま……『魔神』……?」

「そそ、こっちも苦労したんだよー『適合者』を見つけてレジスタルを具現化させる為にいったい何人の人間を攫ってきたやら。あ~早い所見てみたいね~」

 そう言って男が視線をカイトからモニターに映るセレナに向けると、カイトもまたモニターを見つめる。

 いったいこれから何が起こるのか───カイトは体の震えを必死に抑えながら待っていると、同じ部屋にいる研究者達が配置につき機器を操作し始める。

 そしてセレナのいる部屋には床、壁、天井、全てに黒い文字が光り輝きながら浮かび上がると、セレナの頭上に魔法陣が現れる。

『うっ……ぐッ……!』

 すると、セレナは苦痛に顔を歪め苦しみ始めた。

 苦痛から逃れようと必死に体を動かすものの手足は完全に固定されており逃げる事は出来ない。

『ああ゛ッ、が……っ! うウ゛ッ……!?』

 苦しむ声は次第に大きくなり、セレナは虚ろな瞳で歯を食い縛り痛みに耐えていく。

 そんな姉の苦しむ姿を見せ付けられるカイトは全身が熱くなると、男を睨みつけながら声を荒げた。

「おい! 姉さんが苦しんでるだろ!? おかしいよ! はやく止めさせろよッ!!」

「いーや、これいつもの事だから」

「は……?」

「まだわかんないのかなぁ? こんな所連れてこられてまともな実験な訳ないでしょ」

 考えたくなかった。

 だが、やはり……姉の命が危機に瀕している。

 それならカイトの取る行動は一つ、肩を組んでいた男からカイトは抜け出すと、研究室で機器を触りながらモニターでセレナを見つめる大人達の元へと走り出そうとする。

 機械を壊し、ここにいる大人達を殺せばセレナを助ける事が出来るはず───しかし、そんな事を黒服の男が許してはくれない。

 走り出そうとしたカイトの首根っこを軽々と掴んだ男はカイトの体を容易く持ち上げ顔面を床に叩きつける。

「今良い所なんだからさ、静かに見よーや」

 地面に平伏し這い蹲る事しか出来ないカイトは起き上がることが出来ず顔だけを上げると、苦しみもがくセレナの映像が目に入る。

『アっ、くゥ゛……ん゛ッ……は……ああっ────ッ!!』

 黒い光りは輝きを増し複数の魔法陣が重なるように浮かび上がり続ける。

「ん~眼福眼福ぅ~」

 その光景を男は嬉しそうに眺めていたが、この部屋にいた大人達はセレナの事など見向きもせずに装置に映し出されるデータや魔法陣の状態等を見ている。

 人一人の命が消えようとしているのに誰も何も感じていない、それは既に慣れてしまっているからだったが、カイトからしてみれば全てが異常な光景でしかない。

「お願い……します……」

 男の足にすがりつきながら額を床に押しつけながらカイトは言葉を続ける。

「代わりに僕がやります……だから姉さんは……姉さんだけは助けてください……」

 セレナが助かるなら何でもする。そしてその方法はもう一つあった。

 自分がセレナの代わりに実験され、成功させる事。

 そうなればセレナが実験される事もなくなり命を救う事が出来る。

 可能性は少ないが姉を助ける方法はもうこれしかない、カイトは必死に頭を下げて頼み続ける。

「僕も姉さんと同じように実験させる為に連れてきたんですよね……だから……」

「いや、君は適合者でもなんでもないよ。ただのゴミ」

「……えっ?」

 耳を疑った、それならどうして自分が此処に連れて来られたのかが分からない。

「あー、ここに連れて来たのは俺の趣味ね。目の前で見せてあげようと思ってさー、君の姉が死ぬ瞬間を」

「は……?」

 この男はただ、姉が苦しみもがきながら死ぬ姿を弟に見せてやりたかっただけ。

 連れて来た理由はたったこれだけであり、男はカイトの嘆き苦しむ様を見て満足していた。

『ぁああああああああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛──────ッ!!?』

 最後に、セレナの断末魔が聞こえてきた。

 散々苦しみ悲鳴を上げ、涙を流しながら絶叫する哀れな姿。

 黒く輝いていた魔法陣は光を失い消えていくと、大人達が残念そうに溜め息を吐く音が聞こえてくる。

「あっちゃーまた失敗かよ、今回こそ成功すると思ったんだけどなぁ」

「し……しっぱい……?」

 その言葉が何を意味するのか───カイトは目頭が熱くなり、首を掴んでいた男の力が緩んだのを機に立ち上がると、男は部屋にある一つの扉を指差した。

「あそこから君の姉がいる部屋にいけるよ」

 そんな事を言われるまでもなくカイトは無意識に走り出していた。

 扉は自動的に開き長い通路が続いている、カイトは無我夢中で走り姉のいる部屋へと向かう。

 嘘だ、ありえない……。

 なぜ、どうしてこうなる……?

 死んでいない、セレナは生きている、必ず生きている、絶対生きている。

 カイトは今日起きた出来事を思い出していく、だからこそ自信があった。

 何時だってそう、嫌な事や苦しい事、辛い事悲しい事、自分が傷つき弱っている時、最後にはいつもセレナが側にいてくれる。

 だから今回も同じ事、今日だってきっとそうだ。

 カイトは長い通路を走り終えた後、再び自動扉の前に立ち部屋の中に入ると、そこにはモニターから見えたあの実験室だった。

 部屋の全ての面は黒い石版で埋め尽くされており、その部屋の中央には拘束魔法も解かれその場に仰向けで倒れるセレナの姿があった。

「姉さんっ!!」

 生きている生きている生きている生きている生きている。

 張り裂けそうな鼓動を胸にカイトはセレナに近づきしゃがみ込むと、倒れているセレナの体を優しく抱き上げた。

 まるで精気を失ったかのように不自然にセレナの体は軽かったが、体は温かくカイトを見て僅かに瞳が動いた。

 しかし、たったそれだけ。

 最早声を出す事すら出来ないセレナは虚ろな瞳でカイトを見つめる事しか出来ず、そんなセレナの姿を見てカイトの目から大量の涙が零れ落ちていく。

「姉さんッ! しっかりして! もう大丈夫だからっ……!」

 大丈夫では無い事ぐらい分かっている、それでもカイトはとにかくセレナに声をかけ続ける。

 不安で押し潰されそうになる自分を偽るように声を荒げ、セレナの体を抱きしめていると、セレナは弱々しく右腕を上げ始める。

 その手に気付いたカイトは直ぐに手を握り締めるが、セレナの手からは一切力が感じられず一度でも放してしまえば零れ落ちてしまいそうな感覚だった。

 絶対に放すものか、カイトは力強くセレナの手を握り締めると、セレナは僅かに口を動かし言葉を発した。

「カイ……ト……っ……」

 それは愛する家族、弟のカイトの名前。

 名前を呼ばれたカイトは大きく頷いてみせる。

 ほら、もう大丈夫、セレナは死なない。

「セレナ姉さん」

 カイトもまた、心から愛する姉の名前を呼んでみせる。

 早く帰ろう。こんな現実離れした空間に残る必要なんてない。

 セレナが何か言いたそうにしている、それを聞くのは帰ってからでいい。

 また何時もの日常を過ごそう、一緒にご飯を食べて、一緒に学校に行って、一緒に遊んで、一緒に───。


 



「今まで……ごめんね……───」





 握り締めていたはずカイトの手から、セレナの手が擦り抜けるように零れ落ちた。

 





 静寂などという生易しいものではない『無音』。



 停止する思考すら存在しない『無の領域』。



 全く受け付けない現実。



「姉さん」

 体を揺すって起こしてみる。

 セレナの体はとても温かい。

「姉さん」

 もう一度揺すってみる。

 外傷はない、美しく綺麗なセレナは健在だ。

「姉さんッ!!」

 何故起きない? 今までセレナに無視された事など一度もないのに。

 カイトはセレナの体を力強く抱きしめると、大粒を涙を零しながら必死に声をかけ続ける。

「起きてよ……目を開けてよぉっ!! なんで? どうして……?」

 息をしていない、心臓の鼓動も感じられない、抱きしめてもセレナからは全く力を感じられない。

 セレナの死。それはカイトの世界にとってありえない出来事だった。

 何故ならカイトの人生、世界というのは、セレナがいてこそ成り立つものだからだ。


 理解してもらえなくてもいい。

 魔法が使えなくてもいい。

 優しくされなくてもいい。

 友達がいなくてもいい。

 仲間がいなくてもいい。

 好かれなくてもいい。

 愛されなくてもいい。

 苛められてもいい。

 恥かしくてもいい。

 つまらなくていい

 蔑まれてもいい。

 嫌われてもいい。

 苦しくてもいい。

 悲しくてもいい。

 惨めでもいい。

 哀れでもいい。

 辛くてもいい

 退屈でもいい。

 孤独でもいい。

 

 何故なら自分にはセレナがいるから。


 セレナがいれば何も必要ない。


 捧げよう。これ等は全てセレナと共に過ごす為の『代償』なのだから。


 傷を負う度に笑みが零れた。

 苛められる度に嬉しくなった。

 泣けば泣く程満ち足りた、全ては『幸せ』の為の代償だと。

 それでこそカイトの世界、それでこそカイトの日常。

 カイトにとってたった一つの生きがい。

 たった一つの『希望』。

 たった一つの『恵み』。

 たった一つの『癒し』。

 たった一つの『光』。




 その光りをカイトは失った。



 カイトのいる部屋にある黒い石版が一斉に黒く光り輝き始める。

 その映像を見た研究者達は皆モニターに釘付けとなり、姉の死体を抱きしめる弟の姿を見つめる。

 黒く輝く石版からは闇が溢れ出し部屋全体に充満していくと、カイトの姿もまた闇に紛れ見えなくなっていく。


 どうして失わなければならない。

 今まで散々『代償』を払い続けてきたというのに、これからどうすればいい?

 全てを失ったのだ。もう自分には何も残されていない、払ってきた『代償』は無駄だった。

 ………。

 ……。

 …。

 ふざけるな。

 ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな。

 全てを我慢し捧げきた仕打ちがこれかッ!?

 おかしいだろ!? なぜ? どうして自分なんだ?

 世界中幾らでもいる人間の世界の中で、どうして自分の世界が狂わなければならない!?

 たった一人、優しい姉がいればそれだけで満足していた世界をなぜ狂わせた!? なぜ壊した!?

 ああああああア゛!? もう二度と会えないのか!? もう二度と見られないのか!? もう二度とあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?


 今まで落ち着いていた感情が嘘かのようにカイトの心は狂気に満ち溢れていく。

 どうして自分だけ傷つかなければならない、なぜ自分だけ失わなければならない、不公平で不条理な世界はこの現実そのもの。

 カイトの感情に反応してか、突如地震が研究所を襲い皆が慌てふためく中、黒い軍服を身に纏ったあの男だけは動揺せずに映像を見つめ続けた。

「……ヤベーなこれ」

 直後、男は瞬時にその場から姿を消してしまう。

 研究員達はこの力の正体を計測しようとしたが全ての計器は限界値まで達し火花を散らし破損していく。

 慌てふためきどうする事もできない研究員達だったが、地震は徐々に止まりはじめると、全てのモニターに一人の少年の姿が映し出されていた。

 闇に佇む一人の少年。それは本当にあの少年だったのかと思わせる程異様な雰囲気を纏っていた。

「っ……!」

 その時、一人の研究者がある事に気付く。

 床、壁、天井にあった黒い石版はその文字と色を失いただの石となっていたのだ。

 これは、つまり、実験がある意味で成功したのだ。

 そう、それは封印されていたはずの『力』、その源である『レジスタル』を取り出す事。

 そしてそのレジスタルは本来結晶体として取り出されるはずだった。

 しかし今、その結晶体があるべき場所に一人の少年が立っている。

 それが意味する答えは考える必要はない。

 赤く濁った瞳、歪んだ邪悪な笑みを浮かべる少年の表情を見れば、考える事など最早無意味だと察するのだから。

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