第68話 雑念思想
兄に会いたい。
ただそれだけの思いで突き動かされた汐咲は、失っていた意識を取り戻しゆっくりと目蓋を開け始める。
「んっ……」
微かに目に入ってくる光りの眩しさを感じながらも汐咲は目を開け体を起こしてみせると、自分が冷たいコンクリートの上に寝ていた事に気付き、そしてこの場所が何かしらの建物の屋上だと分かった。
そして起き上がった汐咲の目の前に広がってきた光景、それは長閑で平和な町の全貌だった。
商店街から住宅街まで見渡せる場所、遠くには学校も見え、汐咲は意気込むように拳を握り締める。
「この世界に、空にぃが……!」
つい突発的に他世界に来てしまったが今更悩んでも仕方ない、この世界の何処かにいる兄を探すべく汐咲はポケットの中に入れてあったスマートフォンのような端末を取り出す。
しかしモニターは暗いまま電源が点く事はなく、汐咲は何度もモニターを触れながら反応しないか確かめていく。
「うっ、壊れてる……」
この世界がアルトニアエデンの管理下にあるのか、文明レベルや魔法の有無を確認しようとしたが端末は無理やり他世界へと飛ぼうとした際、亜空間に入る衝撃の影響で壊れてしまい使い物にならない。
回りを見渡しても本部で見たメイド服の人物も見当たらず、汐咲は一人歩き始めようとした時に気付いた。
「お腹空いたなぁ、私ここでどのぐらい寝てたんだろう?」
無性に空腹感と疲労感の両方が汐咲に襲ってくる、正確な日付も分からない為他世界に到着してからの時間も分からない、とりあえず汐咲は今居る建物を降りてみる事にした。
が、建物の扉には鍵が掛かっており開くことが出来ない。
「うーん、それなら」
仕方がないので自分のレジスタルである双銃を召喚すると、ドアノブを狙って引き金を引いてみせる。
しかし弾丸の威力は凄まじくドアノブ所か轟音と共に扉を破壊し吹き飛ばしてしまい、汐咲は何とも言えない表情でその場を後にした。
暫く町を歩き続ける汐咲、アルトニアエデンの軍服を着たままの為に少なからず通行人の目を引くが、特に汐咲は気にする事なく辺りを見渡し始める。
(空にぃ何処だろう、大丈夫かな……)
心配そうに片っ端から男性の顔を見て空を探す汐咲だが、そう簡単に見つかるはずもなく町の深くまで歩いてきてしまう。
その町の中心には大きな噴水が作られており、汐咲はその近くのベンチに座ると、空いたお腹を片手で摩りながら途方に暮れてしまう。
世界の中からたった一人の人間を探し出す、それは無謀とも言える行動だという事に汐咲は気付かないが、それだけ兄に会いたいという気持ちで一杯だった。
(空にぃはどうしてこの世界に来たんだろう……)
空が転移装置を使い軍に無断で他世界に飛ぶ重罪を犯した事に汐咲は未だに納得していない。
(龍馬さん、『女性の為』って言ってたけど……)
何がどういう意味で『女性の為』と言ったのか、正直汐咲が一番心配なのはそこでもあった。
他世界の女性に惚れて無断で行ってしまったのか───。
(それってなに、ストーカー? ありえない)
はたまた交際を許されない二人は誰にも邪魔されない他世界へと行ったのか───。
(禁断の愛、駆け落ち……)
もしかすれば他世界にいる複数の女性から交際を迫られ、今頃順風満帆なハーレム生活を送っているのか───。
「って、私なに考えてるの!? ないない! 空にぃに限ってぜーったいないもんね!」
まるで無理やり自分を納得させるように大きな手振りでリアクションしながら大声で否定する汐咲だったが、視線の先で見えた光景に思わず固まってしまう。
「……は?」
学校の制服を着た少年が三人の美少女に囲まれ歩いてる姿、そしてその少年の姿は紛れも無く風霧空であり、汐咲は目を見開き開いた口が塞がらない。
「え? いやいやいや……空にぃ?」
少しずつこちらに近づいてくる空達に汐咲は慌てて身を隠し様子を伺っていると、空は少女達と楽しそうに会話をしながら汐咲の目の前を横切っていく。
「空君、今日出た宿題で分からない所があったの。お家に帰ったら教えてもらってもいいかな?」
「はい、構いませんよ。リビングでやりましょうか?」
「うーん、私の部屋でいいよ!」
「分かりました」
この何気ないやり取りだが、桜は思わず足を止め後ろに振り返ると、不満を露にしながら空に言葉を掛ける。
「おい空、なんだその素っ気無い返事は。毎日同じ屋根の下で暮らしている事に慣れてしまったせいで感覚が麻痺しているのではないか? もし私が美癒の部屋で二人きりになれるとしたら喜びで興奮を隠しきれず今頃心も体も踊っているぞ」
桜からしてみれば羨ましすぎる状況なのだが空はイマイチ反応が薄い為不満を言ってみせると、それを聞いた美癒が良い事を思いついたと言わんばかりに両手を合わせてみせる。
「あっ、それなら皆で宿題しようよ!」
「違う、違うんだ。私は宿題がしたいのではなく、みゆみゆと二人きりで……」
自分の本心、言葉の意図を分かってくれない美癒にもどかしい思いの桜など露知らず、鈴もまたその美癒の提案に便乗するように話し始める。
「それならこの前の喫茶店でせえへん? ここからも近いしうちまたあそこのケーキ食べたいわ~」
「くっ……まぁいい、それでは遊んだ後の予定は喫茶店に行く事で決まりだな」
そう言って桜は再び歩き始めると、三人も後に続いて歩き始める。
和気藹々と雑談しながら進む四人、汐咲は物陰から出てくるとそんな四人の後姿を信じられないような形相で睨んでいた。
(なに、あれぇッ。一人は空にぃの事呼び捨てで呼んでたし、もう一人は空にぃと一緒に暮らしてるの? なんでっ……!!)
間違いなく自分の兄である事を確信したが、心配していた事が馬鹿馬鹿しく思えてくる程楽しそうにしている空に汐咲は憤りを感じていた。
すると汐咲は直ぐに声を掛けようとはせず、動向を探ろうと思ったのか再び物影に隠れながらも少しずつ空達の後を追い始める。
その後は……ゲームセンターで色々なゲームを遊び始める空を見続け、汐咲の我慢は限界に来ていた。
(ど、どうしてっ……私がこんなにも心配して、必死に頑張ってこの世界に来たのにぃッ……!!)
自分の苦労も知らず心配していた本人は楽しそうに過ごしている。
勿論無事なのは嬉しいのだが、今の汐咲はそんな事を考えられる程の余裕もない。
そして、遂に汐咲の怒りの限界が超える時がやってくる。
それは桜と空がぬいぐるみを使って戯れている光景が決めてだった。
(ああ~っ!? 人前であんなにイチャイチャするなんてえええぇぇぇっ!!)
もう許せない───汐咲は左手に拳銃を召喚してみせる。
その時、飲み物を買い終えた美癒が空に飲み物を手渡そうとするのが見え反射的にその飲み物の入った缶を拳銃で撃ち飛ばしてしまう。
もう汐咲の勢いは止まらない、徐に走り出す汐咲の目には薄っすらと涙が込み上げており、怒りの鉄拳をお見舞いするべく拳を振り上げながら叫んだ。
「空にぃのッ! ばかぁああああああーーーーーーーーーーっ!!!」
振り下ろされた拳は空の顔面に直撃し、空の意識は一発でダウンしてしまう。
「げふっ───」
その場に倒れる空に追い討ちを掛けるように汐咲は馬乗りになると、空の着ている衣服の胸倉を掴み激しく前後に揺らし始めた。
「なんでなの!? なんでこんなことになってるの!? 答えてよ空にぃっ!」
涙を零しながら空に言い寄るが、意識が飛んでいる空が答えられるはずもなく、それに気付かず汐咲は延々と揺らし続けていると、側にいた美癒が慌てた様子で汐咲を止めに掛かる。
「ま、待って! 空君意識が無いみたいだよ!?」
「ふぇ……?」
美癒に言われて初めて項垂れるように意識を失う空に気付くと、今度は意識を取り戻させようと再び空を揺らし始める。
「そ、空にぃ!? しっかりして!」
「う、う~ん……せ、ら……?」
無理やり体を揺さ振られ半ば強制的に起こされた空だったが、自分のお腹に馬乗りになっている人間が妹の汐咲である事に気付き名前を呟いた。
そこで漸く汐咲の腕の動きが止まるが、その一部始終を見ていた桜が激しく動揺しながら空にある事を聞き確認に入る。
「『空にぃ』だと?……おい空、まさかその美少女、お前の妹なのか……?」
「は、はい。名前は汐咲って言います」
「……汐咲、歳は幾つだ?」
「えっ? ……じゅ、十四です」
咄嗟に名前を聞かれ素直に答えてしまう汐咲、すると桜は不敵な笑みを浮かながら涎を垂らしそうな表情で目を光らせると、汐咲の全身を嘗め回すように見つめ始める。
(十四歳、細身で色白、エメラルド色の髪に透き通るような美しい瞳……素晴らしい)
『何か』を存分に堪能出来ると思い桜の妄想と期待が膨らみ始めるが、そんな桜を見ていた汐咲の表情は曇り若干引いていた。
(な、なんだろうこの人っ。目の色が変わった……? 怖い……)
桜から何かしらの危ない気配を感じていると、空は自分の上で馬乗りなる汐咲の両脇に手を入れると、軽々と持ち上げながらゆっくりと体を起こしていく。
「よいしょっと、突然出てきて驚いたよ……ん?」
その場に立ち上がり殴られた頬を摩っていた空だが、汐咲は腋に手を入れられ持ち上げられるという行為が恥ずかしく顔を赤らめてしまうと、どうして汐咲がそのような表情を浮かべているのか空には分からなかったが、目に浮かべた涙を見て汐咲の頭に撫でながら喋り始める。
「心配を掛けてしまったみたいだね、ごめん……。どうして僕がこの世界にいるのか説明するよ」
そう言うもののこの場はゲームセンター、様々な音が鳴り響く場所なので汐咲を連れて一同は先にお馴染みの喫茶店へ向かう事にした。
(う~ん……すごい見られてる……)
そう思うのは鈴と桜の間に挟まれて椅子に座る汐咲だった。
当然視線が自分に集るのは分かっているのだが、自分の左隣に座っている桜から間近でがん見されており緊張して体も表情も強張ってしまう。
すると桜は徐に汐咲のツインテールの一本の優しく掴むと指で髪の毛を触り始めた。
「香りに感触……このサラサラヘアーのツインテール、思わず甘噛みしたくなるな」
「ひっ!?」
余りの不気味な発言に汐咲の背筋は凍り戦慄すると、汐咲の右隣に座っている鈴が注意するように覗き込んだ。
「怖がってるやろ馬鹿桜! 兄妹の感動の再会なのに水を注さんの」
「ふん、分かっている」
相変わらずの桜にその前に座っている空は苦笑いを浮かべると、それを汐咲はこの和やかな雰囲気に逆らおうと力強い口調で口を開いた。
「そ、空にぃ教えて! どうして軍に無断でこの世界に───」
「ご注文はお決まりでしょうか?」
これから本題に入ろうとしていた汐咲だったが、ウェイトレスが注文を聞きに来たのを見て口が止まると、鈴はメニューを広げ一枚の写真に指を指した。
「うちはこのモンブラン!」
「おいおい、水を注すなと言ったのは鈴だろ……」
「せっかく喫茶店に来たのに何も頼まんのも失礼やろ? ほら、皆も決めて決めて!」
鈴はメニューを机の上に開くと、桜は呆れたもの言いをしつつも小さく手を挙げ注文を頼む。
「まったく、ではコーヒーゼリーで。美癒は決まったか?」
「私は苺のショートケーキ」
三人の注文が決まり、次に口を開いたのは空だった。
「僕はコーヒーを、汐咲は何にする?」
そして注文をまだしていない汐咲に空が声を掛けると、汐咲は自分の話しをはぐらかされたと思い咄嗟に机の手を叩き立ち上がる。
「わっ、私そんなの───!」
だが、その瞬間汐咲のお腹から虫の鳴く音が聞こえてくると、汐咲は耳まで真っ赤になりその場に静かに座り俯いてしまう。
「~~~っ!!」
今更ながら自分が空腹であった事を思い出す、そして恥ずかしさで俯いたままでいると、空が優しく声を掛けてくれる。
「遠慮しなくていいよ、汐咲はパフェが好きだったよね。どれにする?」
空はメニューを一枚捲り様々なパフェの写真が載ってあるページを汐咲に向けると、汐咲は俯いたまま一枚の写真に指を置いた。
「え……えと、それじゃあ。この、プ、プリンの、やつ……」
「このプリンのチョコレートパフェを、注文は以上で」
汐咲の変わりに空がウェイトレスに伝えると、ウェイトレスは注文を繰り返し確認した後店の奥へと消えていく。
その間も汐咲は恥ずかしそうに視線を下げており、その横に座っている桜はそんな汐咲の可愛さに見惚れていたが、ふいに美癒を見つめるなり親指を立てて美癒にウィンクをしてみせる。
「案ずるなみゆみゆ、私の愛は無限大。平等に愛でてみせるっ!」
そんな事を突然言われても美癒には桜が何を言いたいのか良く分からず軽く首を傾げてしまうと、桜の分かりやすい思考に鈴は呆れ、空も戸惑いながら頼んだものが来るのを待つのであった。




