第51話 無限の可能性
『暴走』という名の覚醒を発揮する美癒。
その力にあらゆる者が平伏す中、その刃が諸悪の根源ともいえるゼオスに向けられ、その命を奪うはずだった───。
しかし、まるでゼオスを庇うかのように空はゼオスの前に立ち、美癒の剣が無慈悲にも空の胸に突き刺さる。
人を初めて刺した感触が自分の手元に伝わってくる、その感触に全身が震え頭の中は真っ白になり、美癒の意識が揺らぎはじめた。
どうして空がゼオスを庇ったのかが分からないが、今はそれよりも美癒は自分が空を刺してしまった事に絶望すると、目からは止め処なく涙が溢れ落ちていく。
もうこの世界の何もかもが嫌になる───そう美癒が思ってしまう瞬間、空は胸を突き刺されたにも関わらずその場に踏み止まると、顔を上げ力強い目で美癒を見つめた。
「大丈夫ですよ、美癒さん」
嘘でも偽りでもない、空はそれを見せ付けるように自分の胸元に突き刺さった剣をゆっくりと引き抜いていく。
先程まで剣が刺さっていたというのに胸には血が一切付いていない、それ所か傷跡すら全く残っていなかった。
引き抜かれた剣はそのまま美癒の手元から零れ落ちると、剣は光と化して消えてしまう。
美癒はただただ涙を流しながら平気そうな空を見つめていると、空はそっと手を伸ばし美癒の目元の涙を優しく拭ってみせる。
「どうして僕が無事なのか、美癒さんなら分かりますよね」
その言葉に美癒は今日、空に教えてもらった授業の内容を思い出すと、涙の雫を落とすように何度も頷いて見せた。
「美癒さんは優しい方だ、誰よりも平和を望み、誰よりも魔法を愛している……そんな貴方が憎しみに掻き立てられ我を忘れて人を殺す事なんて、僕は望まない。何故なら……彼を殺した瞬間、貴方は自身の心も殺す事になるからです」
空には分かっていた、ここで美癒がゼオスを殺せば、二度と『元の世界』に引き返せなくなる事を。
一時の感情に身を任せて行動してはいけない。何時か必ず殺しを後悔し、罪の意識に苛まれ、一生苦しんでいく。
気持ちの切り替えなど簡単に出来るものではない、何故なら美癒は優しい人間なのだから。
そして空の言葉で漸く皆は理解した。空はゼオスを守ったのではなく、美癒の『心』を守ったのだと。
「優しさとは弱さだと言う事を、まだ理解出来ないみたいだねぇ君は……」
自分の思い通りに世界が動かず、明らかに苛立ちを見せるゼオスはそう呟くと、両手を広げ無数のカードを召喚しはじめていた。
「せっかくあと一歩だったと言うのに……どうやら君にはここで消えてもらうしかなさそうだね」
ゼオスの殺気に気付いた空はすぐさま後ろに振り返ると、羽衣を纏う美癒を守るように立ってみせる。
「貴方を殺すのも、その命を背負うのも美癒さんではない。全て僕の役目です」
だからこそ今、自分がここにいる。
もう二度と美癒に無限の可能性を秘めた力を揮わせてはいけない、その為には自分自身が誰より強くなる必要があった。
空は手元に双剣を召喚してみせると、ゼオスと睨み合うように視線を交わした。
空の言葉を聞いた美癒は虚ろな瞳のまま戦意喪失して力を揮おうとはせず、ただただ空の背中だけを見つめ続ける。
こうして空とゼオス、二人の決戦が始まろうとした瞬間───。
それは、余りにも唐突だった。
「っ───!?」
突如、得体の知れない『力』によりその場に立っていた者達が全員跪く。
「がッ、あぐっ……!?」
空は自分の胸を掴み息苦しそうに跪くと、目の前にいるゼオスもまた驚きを露にして地面に膝をつき、その目は『信じられない』と言った様子で見開いていた。
「こ、これはっ……まさか……?」
その動揺振りに空はこの力がゼオスから発せられたモノでは無い事に気付く。
では一体誰が───その答えを探そうと思考が巡ろうとした時、後ろから苦しそうな声を上げる美癒に気付いた。
「ううぅ゛っ! くっ……ぁぁ゛ッ……アあああぁッ!!」
両手で胸を抑える美癒は悲鳴を上げると、その額には光り輝く魔法陣が浮かび上がり始める。
それと同時に地震が起こり次々に地面に巨大な亀裂が走り始めると、至る空間に渦巻く穴が空き歪みを形成していく。
『世界の崩壊』。そう思わざるを得ない事態が今、この世界に起きていた。
理由は分からない。空は美癒を助けようと立ち上がろうとするものの、自分を跪かせる『力』の存在に思うように立ち上がれず困惑していた。
(何だこれはッ……僕のレジスタルが、蝕まれている……?)
自分のレジスタルに直に干渉してくる力は、空の魔力を蝕み侵食すると共に、その魔力を吸い出されるような感覚に違和感を感じていた。
(いったいこの世界で何が起きようとしているんだ……っ。けど、今はそれより美癒さんを助けないと……ッ!)
空は震える足に力を籠めなんとかその場に立ち上がり一歩ずつ美癒へと近づいていく。
その間にも美癒は全身を震わせ悶えていると、自分自身の体を抱きしめながら呟き始める。
「やだっ……なに、これぇっ……怖い……嫌……嫌ぁ……っ……!」
まるで全身に冷たい触手が絡んでくる感触に美癒は嫌悪すると、その触手が自分の内にある『何か』に近づいてくるのが分かった。
「美癒さん!! 気をしっかり保ってください……!」
その時、酷く怯える美癒の両肩を掴み空が声を掛けると、その声を聞いた美癒の虚ろな瞳が次第に色を取り戻していく。
「空君……っ」
「僕が今直ぐ、皆を安全場所に……連れていきますからッ……!」
美癒を励ます空だが、その姿は酷く傷付いており顔色も悪い。
その場に立っていられる事がやっとだというのに、それでも美癒達の事を思い続ける空の思いに、美癒は力強く見つめてくれる空を見つめ返した。
「私……ノートちゃんを救えなかった……」
ふと美癒がそう言葉を零し自分の胸を両手で抑えながら崩壊してく世界の中心で天を見上げた。
「こんな世界、私はっ、望んでなんか、いないのにッ……うぅ゛ッ!? あぁっ─────────」
まるで心を無理やり抉じ開けられるような感覚に美癒の胸の苦しみはより一層増していくと、遂にその心の扉の全てが開放されてしまった。
世界は美癒を中心に一面純白の世界へと広がり始める。
まるで光に包まれたかのような世界、地震は止まり空間の歪が消えると、その世界には『人』しか存在しなかった。
瓦礫や建物等は無く、平らで真っ白な世界のみが広がっており、誰もが目を丸くして辺りを見渡した。
「一体何がっ……美癒さん……?」
空もまたこの世界で何が起きているのか状況が掴めずにいると、目の前では両手を広げ額に魔法陣を浮かべる美癒が目を瞑ったまま宙に浮いていた。
美癒は空に声を掛けられても反応が無く、少しだけ顔を上げその場に静止していると、美癒の周りを囲ように次々に四角い映像が現れ始めた。
映像の内容は様々な風景だった、ある映像には人々が冒険している様子が描かれており、またある映像には人々が学校へと行く様子。
美癒から現れる映像は次々に数を増やし純白の世界を染めるように無数の映像が広がっていく。
その映像の一つ一つを目で追っていく空は、その映像が何を意味するのかを理解した。
「これは……世界……?」
その無限にも増え続ける映像一つ一つが別の世界である事に気付く。
ある世界では魔法を使って人々が悪と戦う世界が、ある世界ではロボットに乗り込み悪と戦う世界、ある世界では世界を救う為に冒険している世界、ある世界では平和な学園生活を楽しむ世界、ある世界では超能力を発揮して活躍する世界。
秘宝を探し冒険している世界、平和の為に活躍する世界、日常生活を満喫している世界。
楽しい世界、優しい世界、幸せな世界、綺麗な世界、長閑な世界、平和な世界───。
世界の数とは無限であり、世界の種類もまた無限である。
そして存在する無限の世界、『全世界』が今、美癒の力によりその全貌が露になっていた。
「……言っただろう。そこに『全て』がある、って」
ふと、ゼオスの言葉が空の耳に届くと、空の視線は無限の世界からゼオスへと向けられた。
「無限の可能性……故に、彼女はあらゆる世界に干渉する事が出来る存在、『干渉者』でもある」
「干渉者……でも、ある……?」
「そう、彼女に『不可能』は存在しないからね。無限に広がる世界に干渉する事も出来れば改変すら可能、そしてその世界からあらゆる『力』を自分の力にする事も出来る」
「っ……」
ゼオスの言葉に思わず空は言葉を失ってしまう。
余りにも現実離れした美癒の力を聞いても直ぐには理解出来ないが、今起きている事を目の当たりにしその言葉が偽りでは無いと思ってしまう。
「全ては彼女の思うがまま、望むがまま。……でもね、それは彼女が自分の力をコントロール出来たらの話さ。今の彼女は無敵でもなければ最強でもない、つまり───」
ゼオスがその先の言葉を言おうとした瞬間、周りに広がっている世界の映像が乱れ始めると、白い空間だったにも関わらず次第に黒い闇の空間へと変わり始めていく。
闇に飲み込まれ映し出されていた世界の映像も一変し、そこには先程のような世界は広がっていなかった。
ある世界では化物が人間を食い殺す世界、ある世界では人間同士が骨肉の争いを繰り広げる世界、ある世界では私利私欲の為に殺し合いをする世界、ある世界では無気力に無様に時を過ごすだけの世界、ある世界では苦痛と死を延々と味わい続ける世界。
愛する人が殺される世界、皆から嫌われる世界、報われない世界、救われない世界。
疲労し、不安で、醜く、争い、殺し、犯し、騙し、欺き、裏切り、嫉妬し、泣き、叫び、儚く、滅び、終える。
終焉を迎える世界、孤独な世界、朽ち果てていく世界、絶望しか残らない世界。
それらは美癒の望む世界ではない。
「ジジ」
それらは全て『相反する存在』の望む世界。
「じジ邪ギジジ邪邪ギ愚ギ疑疑疑疑疑───」
闇の中に渦巻く穴が空きその中から無数の黒い腕が出てくると、まるで地獄から這い上がってきたかのような黒い化身のような化物が姿を見せた。
闇を纏い全身が黒く、背中からは無数の腕や触手が伸び禍々しいオーラが溢れ出している。
人間のような『形』だけをしているが、その外見は人間から余りにも掛け離れすぎていた。
それを見ていたゼオスは息を呑むと、言葉の続きを静かに語った。
「彼女の力は利用されるという事さ」
そしてそれは、既に始まっていた。
「愚疑偽戯蟻ッ゛蟻脾轡ッ、魏樋ァ亜罷ャ簸ャ卑ャ批ャァッ!!!」
その存在は美癒を見て嬉しそうに笑い始めると、両手と無数の触手を伸ばし次々に世界を黒く染めながら美癒へと一歩ずつ近づいていく。
「これ、はッ……?」
今まで見た事の無い異質な力に空は全身が硬直し緊張で額から汗が流れ始める。
『甲斐斗』や『ジン』と言った強力な魔法使いのような存在とはまた強さのベクトルが違う、『強い・弱い』といった枠に当て嵌める事すら出来ない存在。
故に『勝利・敗北』と言った概念すら生まれず、この存在と対峙した際には『絶望』という結果しか残らない。
「相反する……存在……」
以前ゼオスが去り際に言い残した言葉を思い出した空は、その黒く歪んだ醜い化身から視線を逸らす事が出来なかった。
「んっ……く……っ!」
だが、美癒の苦しそうな声を聞き空は直ぐに美癒へと視線を向けると、そこには目を微かに開き苦しそうな表情を浮かべる美癒が立っていた。
望んだ世界が侵食されていく、平和だった世界が次々に闇に染まり邪悪に満ちていく。
まるで自分の心に進入し汚染していくその存在を前に美癒は成す術も無く酷く苦しんでいた。
「全ては無限の可能性を秘めたレジスタルのお陰……その所有者は現在天百合美癒だけど、彼女のレジスタルが別の存在に渡ればその存在は無限の力を揮う事が出来る。……これで分かっただろう? 今後、彼女のレジスタルを求めあらゆる存在が襲ってくる、君如きに彼女が守れるかい?」
その言葉に空は沈黙してしまう、何故なら現に空は美癒を守る事が出来ていないからだ。
ゼオスからも、ジンからも、そして『相反する存在』からも……。
むしろ空が美癒に助けられている状況下で、空は自分の不甲斐なさと非力を十分に理解しつつ答え始める。
「僕が出来る事と言えば美癒さんの為に戦う事……そして、美癒さんの側にいてあげる事だけです」
そう言って空は後ろに振り返り苦しむ美癒の両手を握り締めると、美癒を纏っていた闇が次々に空へと流れ込み始める。
「確かに美癒さんは誰よりも強い力を持っているのかもしれない、けれど彼女はまだ十五歳の女の子です。争いとは無縁の世界で過ごしてきた彼女の心はとても繊細で脆い、僕は彼女を『守る』と決めた以上、彼女の全てを守るつもりです」
心を侵食していた闇が消え、全身を巡っていた嫌悪感を感じなくなった美癒は意識を取り戻しその目を徐々に開けていくと、そこには自分の全ての負担を背負ってくれた空が澄んだ表情を浮かべ美癒を見つめていた。
「例え、この身が滅んだとしても───」
覚悟は出来ている。
全身に漂う闇を纏い空は後ろに振り返る、そして『相反する存在』と対峙した瞬間だった。
「だめだよっ!!」
その闇を掻き消すような声、そして温もりが空を包み込む。
空の言葉を聞いた美癒は涙を流し後ろから空を抱きしめると、空を一歩たりとも歩かせはしない。
何故なら一歩前に踏み出せばもう二度と空と会えなくなってしまうような不安を感じたからだ。
「そんなの悲しいよ、皆の為に空君だけ傷つくなんて私は嫌……だから───」
美癒は空を抱きしめていた腕を離すと、空の左手を握りながら隣に立った。
それはもう美癒が守られるだけの存在ではい事を意味しており、互いが互いを守り守られる関係へと昇華していた。
「一緒に乗り越えていこうよ、空君」
人は一人では生きていけない。
共に過ごし、共に戦い、共に傷付き、共に乗り越えていく事で人は成長していく。
力強く手を握り締めてくれる感触に応えるように空もまた手を握り返すと、美癒と二人横に並び『相反する存在』と対峙した。
「素晴らしい」
その一言と共に美癒と空を無数のカードが囲っていくと、眩い光で二人を包み込む。
そしてそれは美癒と空だけでなく、その場にいる人間全員を対象とした魔法だった。
ゼオスの言動に空と美癒の視線が向けられると、ゼオスは二人を見つめながら語り始めた
「不思議だ、今君達が『相反する存在』と戦った所で勝てるはずがないというのに、どうしてこれ程まで落ち着いていられるのだろうか。どうして不安や恐怖といった感情が芽生えてこないのだろうか……可能性に溢れ現実に囚われない君達は本当に素晴らしい。そんな君達を今ここで失いたくはない」
この時空はゼオスが放ったカードを見てこの魔法が攻撃や拘束といった魔法ではなく別世界への転移魔法だという事に気付いた。
「特に美癒、君は私の予想と期待を遥かに超越した存在だ、君に出会えて本当に良かった」
そう言って微笑むゼオスに美癒の表情は困惑していた。
「ゼオスさん……」
ノートを殺し友達や仲間を傷付け多くの人々を弄んできたゼオスを許す事は出来ない。
しかし時折見せるゼオスの純粋な表情は美癒にとって憎むべきはずの感情が揺らぎそうになる。
「次に会う時まで、君達の成長を楽しんで待っているよ」
そう言ってゼオスが指を鳴らした直後、美癒達の足元に魔法陣が浮かび上がると次々に転移魔法が発動されていく。
そして全ての人間を別世界への転移を終えると、美癒が作り出していた世界も消えてしまい、元の燃え盛り崩壊していく世界へと戻ってしまう。
「私が彼女を助けたのもまた一つの可能性の力によるものなのかもしれないねぇ……さてと」
空間に歪が走り地震と共に大地も次々に砕け散る中、ゼオスは後ろに振り返りながらそう呟くと、先程から黙ったまま全く動きを見せない『相反する存在』に目を向けた。
「どうして天百合美癒を見逃したんだい? 殺す事も捕らえる事も簡単に出来たはずだよ」
その問いかけに『相反する存在』は答えない、ただただ不気味に笑みのような表情を浮かべたままゼオスを見つめ続ける。
「私と同じように可能性の力を育むためかい? それとも……殺せない事情でもあるのかな?」
その言葉の直後、『相反する存在』から笑みが消えると、醜い巨大な化物の容姿から人間に近い肉体へと姿を変え鋭い爪が伸びた人差し指を軽くゼオスに当てた。
そこでゼオスの意識は途絶えその場に倒れてしまうと、『相反する存在』は不適な笑みを浮かべたままゼオスの頭に手を翳す。
それは、後に『一』として行動してもうら為の行動だった。
ゼオスの転移魔法により美癒達は危機的状況から救われた……はずだった。
本来であれば直ぐにでも別の世界へと転移されるはず、しかし美癒と空は宇宙のような風景が広がる世界と世界の狭間にある異次元の中を彷徨い続けていた。
同じように転移されたはずの仲間達の姿も見えず、二人は離れ離れにならないように手を繋ぎ続ける。
重力も無く異次元の中をただただ漂うだけ、思うように移動する事も出来ず流れに身を委ねる事しか出来ない。
空は美癒から不安を取り除くように無意識に抱きしめ、美癒は目を瞑り空に身を委ねると、二人は異次元の中へと吸い込まれるように落下しそのまま姿を消してしまった。
これから先、何処の世界へと辿り着き、どのような運命を辿るのか、そこに有るのは希望か、絶望か。
それは誰にも分からない。だが、その先に何が有ろうとも二人は互いに守り合い、助け合う事で共に乗り越えて行こうと決めている。
強力な力が有ろうと、揺ぎ無い心が有ろうと、人は一人では何も出来ない事を痛感した。
力だけでも、思いだけでも、世界を変えられはしないのだから。




