第4話 相対する思いの果て
一通りの話を終えた美癒達。本来その話の内容はどれも現実離れしており信じられないものばかりだったが、美癒はその話の全てを快く受け入れていた。
制服から私服に着替える為に美癒は一人部屋に戻り、空もまた渡された鍵を手に自分の部屋に向かおうとリビングを出て階段を上ろうとした瞬間だった。
「おい」
後ろから声を掛けられ振り向いてみると、そこには苛立ちを隠せない甲斐斗が腕を組み空を睨んでいた。
「二つだけ忠告しておく。もし美癒や唯に何かしたら、もしくはお前のせいで何かあったら……その時は死を覚悟しろ、俺がお前を嬲り殺しにしてやる。後、美癒を守れなかった場合も同じだからな」
「分かりました。僕の命に代えても美癒さんを守ってみせます!」
『何かしたら』の意味が空にはよく分からず、甲斐斗の言葉に少し疑問を感じていたが、要するに『美癒をしっかり守ってくれ』と言いたいのだと思い快く了承すると。明らかに甲斐斗は自分の本心が伝わってない事に気付き声を荒げる。
「いや分かってないだろ!? あのな、何かって言うのはな、その、あれだ、如何わしい事っていうか……お約束の展開というか……」
本心を悟ってもらいたかったが直接言わなければ伝わらないと思い、甲斐斗がたどたどしく説明しはじめようとした時、空も甲斐斗に話があることを思い出した。
「そういえば、僕も甲斐斗さんに話があったんです。聞いてもいいですか?」
「ん? 何だ、言ってみろ」
「今朝の戦いの後、ドルズィさんをどうしたんですか?」
空は今までずっと気になっていた。
あの時、美癒に説得され改心したかと思われたドルズィだったが、美癒に牙を剥き鉈を振り下ろした。
しかし瞬きをする間にドルズィの姿は消え、甲斐斗の姿も消えてしまった。
考えられる理由は一つだけ、甲斐斗が美癒を守る為にドルズィを連れてどこかに消えた。
あの後空と美癒は学校に向かったが、甲斐斗とドルズィは何をしていたのか……。
不安な気持ちで甲斐斗の返事を待っていた空だが、甲斐斗は軽く溜め息を吐いた後、答え始める。
「……安心しろ、美癒は俺に殺すのは止めろって言ったんだ。殺してない」
「そうですか、それが聞けて安心しました」
心の底から胸を撫で下ろし、空は甲斐斗の言葉を聞いて安心した。
最初は怖そうに見えた甲斐斗だが。話せば分かってくれる、本当は良い人なんだと空は気付き始める。
だがそれは、余りにも甲斐斗という存在を浅はかに見すぎていた。
「けどアイツ……良い止血剤を持っててなー……」
そう言って甲斐斗は一歩ずつ、ゆっくりと空の元に近づきはじめると、その時の様子を語り始めた。
「先ずは両手両足の爪を剥いでやった、余りに痛い痛いとうるさいから全ての指を切り落としてやったよ。そしてアイツの持っていた止血剤を付けてやった、そしたらあいつは血が止まったのに泣き叫びながらまだ『痛い』って言うんだよ、だから俺は両手両足首も切り落としてまた止血剤を付けてやった。それでも痛みは治まらないらしいんだ、そこで今度は両腕と両足を根元から切り落とした。すると『助けてくれ』って言ってくるんだよ、『命だけは助けてくれ』って。だから俺は命だけは助けてやった、耳と鼻を削ぎ、目を潰し、全ての歯を砕いてやったけどなァ」
気付けば甲斐斗は空の目の前に立ち、赤黒く濁った瞳で空を見つめ、顔を近づけていく。
「オ前も直ぐニそうなる……楽しみだなァ、空……」
甲斐斗から滲み出る邪悪な存在。
全身を闇に包まれるような悪寒と恐怖が空を襲い、甲斐斗の瞳から視線を逸らす事が出来ず息が詰まり気を失いそうになった瞬間、リビングの扉を開けた唯が声をかけてきた。
「甲斐斗~! 今日の夕飯何が食べた~い?」
周囲を取り巻く全ての闇を掃うかのような唯の声、すると甲斐斗は後ろに振り向き声を荒げた。
「ビーフシチュー! ハンバーグ! 半熟の目玉焼き付きな! あとポテトサラダを胡瓜抜きで頼む!」
先程までの雰囲気をぶち壊すかのような発言、まるで子供のお子様ランチを想像させるような料理の数々に空は唖然としてしまう。
先程までの甲斐斗の姿、言動からは想像できないが、さっき見せた一面は一体何だったのかと空は緊張した様子で甲斐斗を見つめていた。
一通り希望の料理を言い終わった甲斐斗は満足すると、唯はポケットから財布を取り出しそれを甲斐斗に差し出した。
「うん、それじゃあ御使い行ってきてね」
「断る! めんどい!」
財布を差し出した唯、言い切った甲斐斗。
二人の長い沈黙は続き、どちらかが先に折れない限りこの長い沈黙は延々に続くのではないと思われたが、その沈黙に耐え切れずにとうとう口を開いてしまう。
「あの、僕が行ってきましょうか……?」
それは甲斐斗でも唯でもなく、二人の様子を見ていた空だった。
「場所さえ軽く教えていただければ僕が行ってきますよ」
空はそう言って唯に尋ねてみると、二階からは清楚で可愛らしい私服に着替え終えた美癒が降りてきた。
「あれ? 皆で集まってどうしたの?」
事の状況が分かっていない美癒は首を傾げていると、唯は財布を美癒に差し出し笑みを浮かべた。
「丁度良かった! 美癒、空君に町を案内してあげて、そのついでに御使いをしてきたもらいたいの。頼めるかしら?」
「うん、良いよ! 行こっか、空君」
そう言って唯から財布を受け取ると、空と二人で家から出て行ってしまう。
駄々をこねる甲斐斗とは対称的に美癒と空は快く御使いを引き受ける、そんな二人を満面の笑みで手を振り見送った唯は、動きが固まった甲斐斗をちら見する。
「……いや、違うんよ? 最後はちゃんと行く予定だったんだ、本当に。少しからかいたかっただけっていうか、俺、天邪鬼っていうか───」
必死に言い訳を並べていく甲斐斗だが、そんな甲斐斗を見て唯はそっと抱き寄せると、先程まで浮かべていた笑みは消え、悲しそうな表情で囁いた。
「甲斐斗は……本当にこれで良いの?」
二人きりの時間。空と美癒がいない今、唯は甲斐斗にそう聞くと、甲斐斗もまた静かに答え始める。
「……ああ、これで良いんだよ。俺が全てを終わらせる、何も心配はいらない。直ぐにまた何時もの平穏な日常に戻るさ」
その言葉の直後、甲斐斗の右手は黒く輝き始めると、その右手で唯の頭を撫でるように優しく触れた。
「そう、今直ぐに、な……っ」
美癒と空の二人は家を出た後、直ぐには御使いにいかず、美癒による町の案内から始まった。
「ここの公園、遊具も多くて広いからよく子供が遊んでるの」
最初に連れてきてもらったのは家から一番近い場所に有る公園だった。
美癒の言う通り、公園では遊具や砂場で遊ぶ子供達が見える。
すると、美癒の足元に子供が遊んでいたソフトボールが転がってくると、一人の男の子が手を振りながら近づいてくる。
「すいませーん! ボール取ってくださーい!」
小学生と見られる少年はそう言ってグローブを構えると、美癒は落ちていたボールを手に取り少年目掛けて下から優しく投げてあげる。
「いくよ~! えいっ!」
正直ボールが少年の所にまで届くか空は少し心配していたが、ボールは綺麗な放物線を描きながら見事少年のグローブに届いた。
「ありがとうございましたー!」
少年の元気良いお礼に美癒も笑顔で手を振る。そんな美癒の姿に空はついつい見惚れていると、美癒は笑みを浮かべながら次の場所を案内してくれた。
公民館や図書館、神社に綺麗な川原など、その他色々な場所や建物を美癒は紹介してくれる。
特に公園は美癒のお気に入りらしく、四箇所もの公園に案内してもらったが、その公園はどれも木々、 花々が多く自然に溢れており、どの場所も美しい所だった。
「最後に! 空君には私の一番好きなとっておきの場所を紹介するね!」
そう言って美癒は学校の方へと歩いていく、そんな美癒を見ていた空は、美癒がずっと嬉しそうにしており上機嫌な様子を見て少し不思議がっていた。
美癒が紹介してくれる最後の場所、それは学校の裏山にあるらしく、美癒と空は二人並んで歩いていると、美癒は今まで我慢していた感情を露にするかのようにある質問を投げかけた。
「ねえ空君! 空君のいた世界って魔法が使える世界なんだよね、どんな所なのかな!?」
「僕のいた世界ですか?」
「うん! ず~っと気になってたの!」
実は、美癒は空と町の案内をしながらも頭の中ではこの世界とは別の世界である魔法の使える世界がどのような世界なのかずっと妄想を膨らませていたのだ。
今まで魔法や他世界など想像上の産物であり、現実には存在しないと思っていた。
しかし今日、空や甲斐斗がこの世界に来た事と魔法の存在を知り、世界には無限の可能性が広がっている事を知れた。
美癒は目を輝かせながら空の話を期待して待っているが、空は自分の元いた世界を思い出すと、恐らく美癒が考えているようなファンタジーな世界が広がっている訳でもないので少し躊躇ってしまう。
「僕の居る世界はこの世界より文明レベルが高いです。直接見てもらった方が分かるかもしれません」
そう言うと空はズボンのポケットからスマートフォンと似たような小型の装置を出すと、モニターに自分の住んでいる町の景色を映し出してみせた。
「見せて見せてっ!」
興味津々の美癒は直ぐに空の横に並ぶと、顔を覗かせ町の光景を見てみる。
急に抱き着くように近づいてきた美癒に空は少し動揺しながらも、町が写っている写真を何枚も見せていく。
そこには空高く聳えるビルやタワーが何本も立っており、近未来的な光景が広がっているが、町の至る場所は木々が植えてあり、自然も豊かなのが窺える。
「これが空君のいた世界? とっても綺麗だね!」
「ええ、科学は発展しても自然が溢れ居心地が良く住みやすい所ですよ。僕もとても気に入ってます」
その光景を美癒は目を輝かせながら見つめており、どうやら美癒の期待に答えられるような世界だと分かって少しだけ空は安心した。
暫く町の写真を見た後、空は美癒に連れられ再び歩き始める。
相変わらず美癒は上機嫌、そんな美癒を見て空も気分が良く、和んだ雰囲気の中で二人は歩き続けていると、美癒は突然道から外れた茂みの中に入っていく。
「こっちで大丈夫だよ、もう直ぐだから」
空の心配を余所に美癒は振り向きそう言って笑みを見せると、茂みの中を一人歩き始める。
美癒の言葉に空もまた茂みの中に入り一歩ずつ歩き始める、そして美癒の言葉の通り、少しだけ歩き続けた後、森を出て開けた場所に辿り着いた。
「っ───」
その光景に、空は言葉を失ってしまう。
森が開けた場所、そこには一本の大きな桜の木が立っており、その大きさと美しさに思わず目を奪われてしまうが、何よりもその桜の気の下で微笑む美癒の姿が余りにも華麗に見えた。
空はその美しさに魅了され目を開いたままゆっくりと美癒の元に歩み寄っていくと、そこから広がる景色に再び感動してしまう。
桜の木の下にまで来た空の目の前には美癒の住む町が広がっており、この場所は町を一望出来る場所でもあった。
「ここが私の一番のお気に入りで思い出の場所なの、どうかな?」
「とても素敵です、このような素晴らしい場所を紹介してくれてありがとうございます!」
空の嬉しそうな表情と言葉に美癒も微笑むと、空と一緒にこの町の景色を眺め続ける。
「良かった、気に入ってもらえて。……ねえ、空君。実は、お願いしたい事があるの」
その言葉と共に美癒が横に立っている空の方を向くと、空もまた美癒の方に振り向き言葉を待った。
「お願い、ですか……?」
「うん、その……えっと……私に、魔法を教えて下さいっ!」
意を決したかのように照れながらそう告白した後、空に向かって美癒は頭を下げたかと思うと、ふと顔を上げ空に詰め寄っていく。
「お父さんもお母さんも魔法使いって事は、私も魔法が使えるって事だよね!? 私も魔法を使ってみたいの! そして空君みたいにこの大空を自由に飛んでみたい!」
美癒にはもう我慢ならなかった。学校に行っていた時も、帰っていた時もそう、頭の片隅にはずっと魔法の事ばかり考えていた。
自宅で話をした後、私室に戻った美癒はその余りの自分の人生の変わりっぷりに口が緩み嬉しさの余り ベッドの上でごろごろと転がりもしていた。
もう自分の知っている平凡な世界はそこには無い、幼い頃に夢見た世界が現実になった。
他世界や魔法の存在を知り、親が魔法使いである事は自分も魔法が使えるのではないかという期待で胸が一杯になっていた。
そして美癒は自分の心から湧き上がる興奮を抑える事で必死だったが、漸く空に自分の素直な気持ちをぶつける事が出来た。
そんな美癒の熱い思いを聞いた空は、優しく微笑んで見せると美癒の両手を手に取り口を開く。
「分かりました。僕で良ければ力になります」
その空の言葉に美癒は嬉しさで満面の笑みを浮かべると、両手を広げ力強く空に抱きついた。
「ありがとう! 空君!」
これから始まる毎日が楽しみでしょうがない。学校生活だけじゃない、魔法の有る生活だってこれから送る事が出来るのだから。
だが美癒は忘れている。何故自分の周りに魔法使いが現れ、そのきっかけを作ったのかを───。
───「悲しいですね、悲しいです」
ふと、感情の篭っていないか細い少女の声が聞こえてくる。
気配を全く感じないにも関わらず聞こえてきた少女の声に空は美癒を体から離すと声のする方へと体を向ける。
「もう直ぐ貴方は死ぬというのに。悲しいですね、悲しいです」
正直、空は完全に油断していた。甲斐斗が言っていた『組織は全滅した』という話も有るが、美癒を狙う刺客が一日に二人も、しかもこんな短時間に来るとは思っていなかったからだ。
茂みの中から現れた水色の髪が特徴的な一人の少女。見た目は幼く、両手に黒い手袋を嵌めている。
空は警戒した面持ちでその少女を見つめているが、隣に立っている美癒は茂みの中から出てきた可愛らしい小柄な女の子の姿を見て声を掛ける。
「もしかして私を狙いに来たの? という事は、貴方も魔法使いなんだね! お名前はなんて言うのかな? 私は天百合美癒って言うの」
その嬉しそうな美癒の言葉に、空は困惑した表情を浮かべていた。
美癒からすれば自分を狙いに来た刺客を恐れるより、また別の魔法使いに出会えた嬉しさの方が今は強かった。
刺客の登場に美癒は怯えず自己紹介を始めると、意外にも刺客も美癒の言葉を聞き感情の篭っていない声で静かに名乗りは出した。
「……ええ、そうですよ。そうです。私は魔法使い、名前はノート」
「ノートちゃんは、どんな魔法が使えるの?」
「こんな魔法」
そう言ってノートは下ろしていた右手を振り上げた瞬間、目には見えない『何か』が二人に迫ってきていた。
「ッ───!」
強い殺気、空は一瞬で美癒を抱かかえると跳躍しその場から離れてみせる。
その瞬間、二人の近くにあったあの大きな桜の木が横から真っ二つに切り落とされると、桜の花弁を散らしながら地面に倒れてしまう。
「どんな物体も私に掛かれば真っ二つ。貴方もすぐに真っ二つにしてあげる」
何とかノートの攻撃を無事に回避したかと思われた空だったが、跳躍し地面に着地しようとした瞬間、目の前を舞っていた一枚の花弁が真っ二つに切られるのが見えると、美癒を左腕で抱かかえたまま右手から魔法で剣を召喚し、自分を中心とした竜巻をその場に発生させる。
その一連の行動を見ていたノートは自分の策略を一瞬で見抜いた空を見て驚きつつも感心していた。
「あの刹那の瞬間に気付くなんて……貴方はすごいですね、すごいです」
褒められた所でまるで嬉しくもなく、むしろ敵を褒める程の余裕がまだノートにはあると分かり、空はゆっくりと地面に着地した後目を動かしながら瞬時に周囲の状況を把握する。
空の思っていた通り、周囲の至る所に肉眼では見えないが微かに魔力の篭った『糸』が張り巡らされているのに気付く。
先程の攻撃もそう、ノートの嵌めている手袋の指先には糸が付いており、右手を振り上げた瞬間に糸は美癒の首目掛けて放たれていた、あのままあの場に立っていれば桜の木諸共美癒と空の首を撥ねられていただろう。
だがノートは最初の一撃が避けられる事は想定内だった、むしろ避けさせる事に意味が有る。
既にここはノートが作り出した戦場、糸を張り巡らし数々の罠を作り上げている。
地面にも無数の糸が張り巡らされており、空が咄嗟に竜巻を発生させ風の刃で糸を断ち切ったから良かったものの、もし罠に気付かなければ今頃二人の全身を切り裂かれ、地面に着地した後に足も切り落とされていた。
戦う前に先ずは敵を傷付け弱らせる。それから戦いに持ち込む事で自分にとって有利な状況をノートは作ろうとしていたが、今回は思い通りにはならなかった。
だがそれも想定の範囲内。ノートから見れば恐れる状況でもなければ相手でもない。
両手を構え次の攻撃に備え始めるノートの動きを見て、空は左手に剣を召喚し双剣を構えてみせるが、ふと隣に立っている美癒の視線に気付いた。
切り落とされた桜の木。美癒の視線はただそれだけを見つめており、空やノートの姿はまるで見えていなかった。