第3話 時と場合と気分次第
始業式、HRを終え。今日の授業は全て終了すると、美癒は鞄を両手に一人教室を後にする。
するとその後ろから桜と鈴が小走りで近づいてくると、一人で帰ろうとする美癒の隣を歩き始めた。
「美癒っちもう帰るの? 部活とか見て回らん?」
他の生徒達は部活を見学する為に直ぐには帰らないものの、美癒は特に部活に入る予定も無く、更に今日の朝に起きた出来事を母に相談しようと思い真っ直ぐ家に帰ろうとしていた。
「うん、今日はちょっと用事があるの」
顔を覗きこんでくる鈴に美癒は微笑みながらそう返すと、桜は顎に手を当て残念そうに喋り始めた。
「そうか、実は私と鈴は部活や学校、美癒の全身を色々と見て回ろうと思っていてな。美癒も一緒にと思っていたんだが……」
本音が混ざったセクハラ発言に気付かぬまま美癒は桜の話を聞いていた直後、美癒達三人の前に剣道着を着た一人の女子が立ちはだかる。
「貴方一年の城神さんよね!? 是非剣道部に入ってよ!」
突然部活の勧誘をされたかと思えば、その女子に続いて何人もの女子生徒が集まり三人を取り囲みはじめた。
「抜け駆けはずるいよ! 城神ちゃんはテニス部に入るんだからね!」
「はい待った! 桜さんは水泳部が頂くわっ!」
「書道部です! 桜様! サイン下さい!」
どうやらここに集まった部活動のメンバーは全員桜を自分の部に入れようと集まったらしく、物凄い熱気の中皆が桜を強引に勧誘し始めていた。
何時しか三人を取り囲んでいたはずの面子は全員桜を囲んでおり、その輪から美癒と鈴が何とか抜け出してみせると、桜の人気ぶりに美癒は驚いていた。
「桜さんすごい人気だね。でも、どうして皆桜さんを知ってるんだろう?」
今日初めてこの高校に来たはずだというのに、まるで誰もが桜を知っているような態度を見て美癒は不思議がっていると、鈴は驚いた様子で美癒に視線を向けた。
「あれ? もしかして美癒っちは桜の事知らんかったの!?」
驚いた様子で鈴は美癒に尋ねるが、美癒は首を傾げてしまい全く分かっていない様子だった。
すると鈴は鞄から一冊の雑誌を取り出すと、その雑誌の表紙を美癒に見せ付ける。
「あ、桜さんが写ってる」
その表紙には可愛らしい服に身を包んだ桜が表紙の真ん中に写っており、更にページを捲ると様々な服を着た桜の写真が目に飛び込んできた。
「桜は現役のファッションモデルでもあるし、歌も歌ってCDも売ってる今話題の人気アイドル的存在なんよ! 今の若者に桜を知らん人はおらんで! 今おったけど!」
鈴に渡された雑誌を美癒は興味津津に捲っていく、どうりで始業式の時に女子に囲まれていたり今こうして絶大な人気を誇っているのかを納得していた。
「そうなんだ。どうりで桜さんスタイルも良くて綺麗なんだね。びっくりしちゃった」
一通りページを捲った後、美癒は渡された雑誌を鈴に手渡すと、鈴は複雑な心境で雑誌を鞄にしまい始める。
「まさか美癒が桜の事知らんかったとは……桜、きっとショック受けるなー……」
美癒に聞こえないぐらいの声で一人喋っていると、美癒は首を傾げきょとんとした様子で鈴を見ていた。
二人は会話を終え、未だに多数の女子生徒に囲まれる桜を二人は見ていると、鈴は両手を腰に当て溜め息を吐いた。
「こうなったら当分桜も動けんな。美癒っちは用事があるんやろ? 待たせるんも悪いし先に帰っててええよ!」
「うん、今日は誘ってもらえてとっても嬉しかった、ありがとう鈴ちゃん。それじゃあまた明日」
「また明日なー!」
美癒は軽く手を振り、鈴も元気よく手を振って美癒を見送る。
そんな二人の仲の良さ気な雰囲気を遠くで見つめ続ける桜は、その後全部活動を見学し終えるまで学校から出られる事はなかった
学校生活の幕開け早々に桜と鈴の二人の友達が出来た事に美癒は嬉しさでニコニコと笑みを浮かべていた。
両手に鞄を持ち上機嫌で正門を出ようとした時、ふと正門横に腕を組み壁に凭れかかる一人の少年に美癒は気付く。
今朝あったような服装ではなく、清楚な私服に身を包んでいる少年を見ていると、その視線に気付いたのか少年も美癒が学校から出てきたことに気付き壁から離れると、安心した様子で微笑んだ。
「良かった。どうやら無事入学式は終えたみたいですね。さあ、行きましょう。僕が家まで護衛します」
美癒が家に下校している間、入学式を終え先に帰宅していた唯は上機嫌な様子で椅子に座り、机の上に置いてある綺麗にリボンが結ばれた箱を見ていた。
「美癒ったらきっと喜ぶわよ。早く帰ってこないかしら、楽しみ~」
そう言って無意識にリボンを解き箱を開けてしまうと、箱の中には最新型のスマートフォンが入っており、唯はそのスマートフォンを手に取りながら美癒の帰りを待っていた。
「スマホまほまほ~。これで美癒も友達百人出来るわね、きっと素敵な彼氏も出来るに違いないわ。あ、そうだ。美癒にオススメのアプリを教えてあげないと……」
「ただいま~」
唯が勝手にスマートフォンの電源を入れようとした直後、玄関の扉が開き美癒の声が聞こえてくると、唯は手に持っていたスマートフォンを握り締めたまま急いで玄関に向かってしまう。
リビングの扉を開け玄関に出た唯は美癒に見せ付けるようにスマートフォンを突き出すと、満面の笑みで喋り始めた。
「はい美癒! 高校入学のお祝いにプレゼント! スマホよ! これを使っていっぱい友達を作って遊んで素敵な彼氏も……」
玄関の前に立つ美癒。そしてその横には空色の髪をした少年、風霧空が立っていた。
そんな二人を見て唯は言葉を失うと、唯は顔を赤らめ愕然とした。
(か、彼氏がもう出来てるーっ!?)
顔が整いルックスも良い、見た目も爽やかさであり美少年ともイケメンとも言える容姿。
高校入学後、早々にこんな素敵な彼氏の紹介をされるなど思ってもいなかった唯は、まさかサプライズさせる側のはずなのに自分がサプライズを受けた事に戸惑っていると、美癒は嬉しそうに唯が差し出したスマートフォンを手に取った。
「私へのプレゼント!? ありがとうお母さん、大切にするね!」
まさか唯からスマートフォンをプレゼントしてもらえるなんて思ってもいなかった美癒は、これで桜と鈴からもらった電話番号とアドレスを登録できると思い嬉しそうな表情を浮かべていた。
だがその横に立っていた空は、美癒の言葉を聞き愕然とした様子で唯を見つめていた。
(お母さん!? お姉さんじゃ、ない……?)
玄関に現れた女性はとても若く美しい為、てっきり美癒の姉だと思っていた空だったが、美癒の思わぬ言葉に信じられず唯を見つめ続けていく。
その視線を感じてか、唯は空と目を合わせると、空の強い眼差しがまるで『僕に美癒さんを下さい』と迫るような熱い視線を受け、口に手を当ててしまう。
(お母さんの知らない所でこんな素敵な彼氏に出会っていたなんて……美癒、貴方も成長したのね。お母さん嬉しい!)
「さ、二人とも上がって! 今お茶と御菓子を用意するから。あ、赤飯も炊かなくっちゃ~!」
この時の為に今まで封印していたハーブティーと高級クッキーの出番だと感じた唯は直ぐにリビングに戻り始めるとお茶の準備をしはじめようとした。
美癒と空の二人も玄関を上がりリビングに入ろうとした時、突如唯の驚いたような声が聞こえてくる。
「あーっ! せっかく今から出そうとしてたのに、一人で勝手に食べちゃ駄目でしょ~!」
「え? すまん、腹減ってて美味そうなものがあったからつい……」
リビングから会話が聞こえてくる、唯の他に誰かいる……二人はそう思いつつリビングに入ると、そこには見覚えのある男が一人、クッキーを片手に椅子に座って寛いでいるのを見て空が声をあげた。
「あ、貴方は今朝の!? どうして此処に!」
そこには頬張ったクッキーを牛乳で流し込む自称最強の男、甲斐斗が座っていた。
甲斐斗が半分以上食べたクッキーを唯はお皿の上に綺麗に盛り付けテーブルの上に置く。
そのテーブルの椅子には空と美癒が隣同士に座り、向かい合うように甲斐斗と唯が座る形となった。
緊張した様子の美癒と空とは対称的に、唯はニコニコと笑みを浮かべており、甲斐斗はお皿に並べられたクッキーを食べていく。
この状況で誰が先陣を切って話すのか……まずは事情を説明する為に空が口を開いた。
「初めまして。僕はこの世界とは別の世界から来ました、風霧空と言います」
当然そんな事を言われても信じてもらえないと思っていた空だが、唯は笑みを浮かべたまま空を見つめると両手を伸ばし空の両手を握り締めた。
「空君ね、お母さんは大賛成よ! 美癒を幸せにしてあげてね」
「……えっ?」
両手を掴まれた空は唯が何を言っているのか見当もつかず戸惑っていると、唯の横に座っていた甲斐斗が徐に口を開いた。
「もう喋るな……話が進まないだろ……。で、お前は他世界から来てどうなんだ、話を続けろ」
甲斐斗に注意され唯は手を離すが、顔は未だに笑みを浮かべており、空は再び話をはじめた。
「貴方はともかく、唯さんは驚かれないんですね。てっきり他世界から来たと言っても信じてもらえないと思っていましたが……」
本当に話を聞いてくれているのか空は心配になってくるが、唯は頷くと周囲を驚かす発言を平然としてのけた。
「大丈夫よ、私もこの世界の人じゃないもの」
「っ!?」
唯の発言に驚く三人。
真っ先に口を開いたのは美癒でも空でも無く唯の発言に驚き口に含んだ牛乳を噴出した甲斐斗だった。
「おまっ!? ちょ、っと、待て! え!? ばらすの早過ぎだろ!?」
椅子から立ち上がり明らかに動揺の色が隠せず甲斐斗は牛乳で汚れた口元を拭い始める。
「え? 黙ってた方が良かったかしら?」
「いやいや、さっきまで俺と何の会話してたの!? 思い出してみちょっと! いやマジで!」
「ん~?」
唯は美癒のプレゼントの事で頭がいっぱいで何の話をしていたのか思いだせず、少し見上げたまま考え込んでしまう。
甲斐斗は取り乱してしまい軽く咳払いをすると再び椅子に座り始めるが、美癒は唯の言葉を聞き徐に口を開いた。
「お母さん? どういう事なの……?」
甲斐斗程ではないが美癒も動揺した様子で唯にそう問いかけると、唯は思い出すのを止め美癒を見つめ始める。
「黙っていてごめんね、何時かこの時が来るんじゃないかと思っていたけど……美癒には全てを話すわ。 そう、あれはまだ美癒が生まれていなかった時の話──」
(あれ、僕の存在が霞んでいるような……)
神妙な面持ちで突如唯は語り始める、完全に唯にペースを持っていかれ重大な話をしようとしていた空は少し複雑な気持ちだった。
「いい加減にしろ。絶対に話が無駄に長くなり、更に脱線し、方向を見失い、挙句の果てに『あれ、今何の話ししてたっけ?』って言い出すから俺が要約して答えてやる」
そんな唯のペースを完全に断ち切ったのは甲斐斗だった。
「唯は元々別の世界で暮らしていたけど、結婚してこっちの世界に来ただけだろ。別に珍しい話しでもない」
甲斐斗の話を聞き今まで親戚に会えなかった事などの理由が明らかになっていくが、ここまで母の事に詳しく、慣れ親しんでいるように見えた甲斐斗に美癒は質問してみた。
「あの、甲斐斗さんとお母さんはどういう関係なんですか?」
その言葉を聞き、答えようとしたのは甲斐斗ではなく唯の方だった。
「重大発表! 実はね、甲斐斗は私の───」
「───身を守る為に雇われているボディーガード、傭兵みたいなもんだ。あの、唯さん、ほんと頼むからもう喋らないで下さい」
これ以上唯に喋らせペースを持っていかれないようにする為強引に甲斐斗が言葉を遮る。
思わず敬語で唯にお願いをしてしまう程に甲斐斗は追い詰められるが、自分の身を守る傭兵と言われ美癒は驚いてしまう。
「驚くのも無理は無いが事実だ、俺はお前達を守るために雇われた存在。まぁこの世界にいても暇だから別の世界に行ってた訳だけど、漸く俺の出番が来た訳だ」
甲斐斗は腕を組みながら唯との関係を簡単に説明していくが、甲斐斗の話によればもう何十年も自分達を守ってくれていた事を知るが、その甲斐斗の見た目はどうみても自分達と同じ子供であり美癒には不思議に思えてしまう。
「甲斐斗さんが傭兵? どうみても私と同じぐらいにしか見えないですけど……」
「俺は魔法で歳を変えられる。歳を取れば動きも鈍るしな、今ぐらいの年齢が戦うのに一番丁度良いんだよ。あと『さん』付けはするな。俺とお前は対等な立場だ、呼び捨てでいい」
一通りの説明に納得していく美癒だが、甲斐斗の話を聞き空からも疑問を投げかけられた。
「あの、すいません。美癒さんのお父さんは今何処に……?」
これから大事な話をしようとするのに母である唯の姿しか見えず、出来れば全員揃ってから話をしたかった空だったが、それは叶わぬ願いだと言う事を教えられる。
「美癒が生まれて数年後に別れた、理由は知らんし今何処にいるかも知らん。さて、俺と唯の関係は一通り話した、そろそろ本題に入るとしようじゃねえか」
強引に話を纏めた後、甲斐斗はそう言って空を見つめると、唯も黙ったまま空を見つめはじめる。
その視線を受け、ようやく自分の話を聞いてもらえると思えた空は何故この世界に来たのか説明しはじめた。
「僕はこの世界とは別の世界から来ました、理由は天百合美癒さんを守る為です。僕は軍に有る時空保護観察局の人間で、仕事は世界の均衡を保つ為の保護をしています。簡単に言えばこの世界みたいに魔法の無い世界に、魔法を使える者が来て悪さなどをしないように常に世界を監視する組織のようなものです」
空の仕事は世界と人々を守る事。その職業の説明に美癒は尊敬の眼差しで空を見つめているが、空の話を聞いていた甲斐斗は退屈そうに話を進めていく。
「ほう。それでお前は軍から美癒の命が狙われている事を伝えられ、仕事でこの世界に来たと?」
「……それが、そうではないんです」
「ん?」
ここでてっきり『はい、そうです』と答えると思っていたが、思わぬ返事に甲斐斗は少しだけ興味が湧いていた。
「軍は……美癒さんの命が狙われている事を把握していたにも関わらず、それを隠蔽しようとしていたんです」
空の言葉に何時しか室内には不穏な空気が漂いはじめていた。
「理由は分かりませんが、僕はその隠蔽に気付き軍に抗議しました。しかし軍は僕の意見を一切聞いてくれませんでした。このままでは何の罪も無い人が犠牲になる、そう思い僕は軍の命令に逆らい単独でこの世界に来たんです」
これで漸く空がこの世界に来た理由の辻褄が合う。
空は軍の命令に逆らい自らの意思で美癒を守る為にこの世界に来た。
その事実を知り美癒は空の人柄、その優しさ知り嬉しさで心を打たれていると、その話を聞き終えた甲斐斗は軽く笑みを浮かべ空を睨んだ。
「そうか、じゃあお前はもう用済みだな」
思いもよらぬ甲斐斗の言葉に美癒と空、そして唯は険しい表情をすると、甲斐斗は腕を組みながら話を始める。
「美癒を狙っていた組織は俺が潰した、一人残らずな。これでもうお前は美癒を守らなくて済む、それが分かったならさっさと元いた世界に帰れ」
確かに甲斐斗の言う通り、空が美癒の命を守りに来たのなら既に役目は終えた事になるが、その言い方はまるで空を邪魔者扱いするかのような態度に、空は少し引っかかっていた。
「し、しかし。美癒さんを狙うように指示した人間は未だに不明です、また美癒さんが刺客に狙われる可能性も……」
「安心しろ。誰が来ても俺が全て捻じ伏せる、その為の傭兵だ」
その時空は、ふと甲斐斗の瞳が赤黒く濁っているのが見えてしまう。
甲斐斗の眼は見れば分かる、空を敵視し全く信用していない。自分だけに向けられた鋭い殺気に空は思わずたじろぎそうになる、すると今まで黙っていた美癒はふと考えながら空に疑問を投げかけた
「でも、空君って軍の命令違反でこの世界に来たんだよね? もしこのまま元の世界に戻ったらどうなるの……?」
美癒の素朴な質問に、空は少し俯き静かに語り始める。
「軍に逆らい無断で転移魔法を使い許可無く他世界に干渉した時点で僕も重罪人です。戻れば死刑か、或いは一生牢獄暮らしになります」
「えっ!?」
その余りの罪の重さに美癒は困惑してしまうが、どの世界でも他世界に無断で干渉しその力を揮う事は固く禁じられている事を知っている。他世界の住人である唯と甲斐斗にとってみれば簡単に予想がつく事。
人の命を守る為に危険を冒してまでこの世界に来たというのに、空に待ち受ける現実は余りにも残酷な結果だったが、その話を聞いてもなお甲斐斗の態度が変わる事はない。
「お前はそれが分かっていてこの世界に来たんだろ? お前の守りたい命は守れた、それで良いじゃないか。例え重罪を犯し、軍から一生逃げ回る逃亡生活を歩もうともなぁ」
これから始まる空の過酷な人生を嘲笑うように甲斐斗は笑みを浮かべるが、その一連の様子を見ていた唯は静かに甲斐斗に語りかける。
「甲斐斗、空君は全てを捨てて美癒の命を守ってくれたのよ。二度とそんな言い方はしないで」
「誰も頼んでないのに勝手に捨てたのはコイツだ。全ての責任はコイツにある、だから───」
「甲斐斗」
徐々に加熱してくる甲斐斗の物言いに唯が再び甲斐斗の名を呟く。
唯は落ち着いた様子でじっと甲斐斗を見つめており、その眼を見た甲斐斗は眼から赤黒い濁りが消えていくと、直ぐに唯から目を逸らし黙り込んでしまう。
空は自分の事を心配し気に掛けてくれる唯の気持ちを知り嬉しく思えたが、甲斐斗の言っていた事は紛れも無い事実である為、これ以上自分のせいで険悪な雰囲気を作りたくはなく話を切り上げようとした。
「甲斐斗さんの言う通りです、僕は美癒さんの命を守る事が出来ました。この世界に来た事に後悔はしていません。元の世界に帰ったら罰は受け、罪を償おうと思っています」
そう言って空は家から出て行こうと立ち上がろうとする。
だが、隣に座っていた美癒に腕を掴まれると、空は自然と力が抜けてしまい立ち上がる事が出来なかった。
「待って! 私、そんなの嫌……」
空の腕を握っている美癒の右手は微かに震えていた。
不意の出来事に空は言葉が出せず美癒を見つめると、その目に涙を浮かべながらも真っ直ぐ空を見つめていた。
「私を守ってくれたのに、空君がそんな目に遭うなんて、嫌だよ……っ……」
美癒は心の底から本気で空を心配している。
その優しさに触れた空は、これ以上自分がこの世界に居る事で美癒に辛く悲しい思いをさせない為に強引にその手を離させようとした時だった。
「あっ!」
両手を叩き唯の明るい一言で、先ほどまで暗い雰囲気に包まれていた部屋は一変する。
唯は何か良いアイディアを思いついたらしく、急にニコニコと笑みを浮かべると空の両手を再び握り締めはじめた。
「ねえ空君。貴方が良ければなんだけど、美癒を守る傭兵として雇われてみない?」
その思いもよらぬ言葉に空は呆気にとられ、甲斐斗は眼を見開き驚きを露にする。
「ちょっと待て! お前等には最強のこの俺がいるだろ!? そんな雑魚を雇う必要はない!」
直ぐに抗議しはじめる甲斐斗だが、唯は上から目線で甲斐斗を見下ろし余裕の表情を浮かべていた。
「あらあら~? 雇い主が誰を何人雇おうと勝手でしょ~?」
「ぐっ!……唯、お前ぇ……」
そう言われてしまえば甲斐斗はもう何も言う事が出来ない。
唯の余裕の態度に悔しがる甲斐斗。すると唯は再び視線を空に戻すと呆気にとられている空に再び語り始めた。
「確かに貴方は罪を犯したのかもしれない。けど、貴方の罪で私の大切な美癒は救われた、私は貴方の事を誇りに思うわ。だからお願い、もし貴方の守りたいという気持ちが本気なら、貴方の力でこれからも美癒を守り続けて欲しいの」
それは美癒と空、二人を守り救う為の一番の方法だった。
「……分かりました。いえ、僕からもお願いします。美癒さんの身が本当に安全になったか確かめるまでの間で構いません、僕に美癒さんを守らせてください!」
その空の強い意志と言葉を聞いた唯は、顔を近づけ空の耳元で囁いた。
「美癒を守る、素敵な騎士になってね」
そう言った後顔を離し唯はニッコリ笑みを浮かべると、両手を上げて喜びを露にした。
「はい決定ーっ! 今日から空君に美癒を守ってもらうわよー! さ~赤飯炊く準備しよ~っと!」
ノリノリの唯はそう言って立ち上がると台所に向かってしまい、甲斐斗は腕を組んだまま納得いかない様子で俯いている。
こうしてあっさり決まった空のこれからの人生、それは初めから決まっていた運命なのかもしれない。
何時しか自分の腕を掴んでいた美癒の手が離れている事に気付いた空はふと隣を見ると、目に涙を浮かべる美癒が微笑んでいた。
「良かったね! 空君!」
「はい、ありがとうございます!……あと、その……これからもよろしくお願いします、美癒さん」
「うん、これからもよろしくね!」
こうして空はこれからも美癒を守る為この世界に居続ける事になった。
美癒にとって自分の身の安全についての心配よりも、これから始まる自分の人生の期待の方が遥かに上回っていた。
風を操る少年空、自称最強の男甲斐斗、魔法使いの母、この世界で何かが起きようとしていることは明白であり、美癒は期待で胸が一杯だった。
すると台所にいた唯が二人の所に戻ってくると、机の上に一つの鍵を置いてみせる。
「はいこれ部屋の鍵、今日から空君にはここに住んでもらうわよ。部屋は二階、美癒の隣の部屋だから好きに使っていいからね」
一つの屋根の下で空と美癒は生活する事になったが、それは甲斐斗が本気で空を殺そうと企み始めた瞬間でもあった。