第1話 少女と少年と最強
四月一日、今日も空は朝から雲一つない快晴が広がっている。
涼しいそよ風が吹きぬけ、心地良い朝日が町を照らし、今日もまた平凡な一日が始まろうとしていた。
赤い屋根が特徴的の一軒の家、その二階の部屋からは時間通りに音が鳴り始める。
室内に鳴り響く目覚まし時計の電子音。カーテンの隙間からは朝日が僅かに漏れており、ベッドで寝ていた少女がそっと目を覚ます。
「う~ん……」
横に寝たまま目覚まし時計を止めようと頭上に手を伸ばすが、時計の左右に置いてあるうさぎとくまのぬいぐるみに触れてしまい思い通りに止める事が出来ず、少女は眠そうに目元を擦りながらベッドから起き上がり今度こそ目覚まし時計を止めると、ベッドから降り直ぐに部屋のカーテンと窓を開けた。
「今日から高校生……!」
全身に朝日を浴びた少女には先程まであった睡魔など残っておらず、今日から始まる楽しい学校生活を想像し期待で胸が一杯になっていた。
背筋を伸ばしながら大きく深呼吸した後、壁に掛けられてある制服を見て微笑んでしまう。
透き通るような淡く美しいブロンドの長髪が特徴な少女、名前は天百合美癒。
着ていたパジャマを脱ぎ、前日から準備していた制服に身を包むと、着替えが終わった美癒は部屋に置いてある大きな鏡の前に立った。
制服姿の自分を見た美癒は嬉しさで思わず笑みを浮かべてしまう。
この制服を着て早く学校に行きたい。その一心で美癒は直ぐに部屋を出て行くと、階段を下り一階にある洗面所へと向かった。
歯を磨きながら自分の着ている制服を見てニコニコと笑みを浮かべる美癒、身支度を済まし玄関には既に鞄も置いており、後は朝食を済ませるだけ。
「……あれ?」
何時もならリビングに入ると母である天百合唯が朝食を並べ終えているはず、しかし今日は美味しそうな朝食の匂いもなければ、そもそも朝食自体準備されていなかった。
「お母さん、まだ寝てるの?」
不思議に思い一階にある唯の部屋に向かい扉を開けると、部屋のカーテンはまだ閉じたままであり、ベッドにはすやすやと寝息を立てている唯の姿があった。
「お母さん起きて、入学式もあるんだから準備しないと……」
気持ち良さそうに眠る唯を起こすのは気が引けるが、寝坊させる訳にもいかず体を揺すり起こし始める。
すると眠っていた唯は目を半開きにさせて起きると、自分の体を揺する美癒と目を合わせた。
「ん~美癒……? どうしたの、こんなに早く……」
「もう朝だよ! お母さんも準備しないと、私は先に行ってくるからね」
それだけ言い残すと美癒は慌しく部屋から出て行ってしまい、起こされた唯はゆっくりとベッドから起き上がりあくびをした後、枕元に置かれてある目覚まし時計を確認してみる。
「あら、美癒ってばもう家を出るのかしら、早過ぎるみたいだけど……」
入学式が行われるのは九時。しかし時計を見れば漸く八時になったばかりだった。
恐らく今日から高校生になる嬉しさで居ても立っても居られない為先に学校へ行く事にしたのだろうと、母である唯だからこそ直ぐに理解できた。
美癒はと言えば時間にはまだ余裕が有るにも関わらず落ち着かない為に、何時もは焼いて食べている食パンを口に銜えて玄関へと向かっていた。
新品の靴を履き、鞄を片手に玄関の扉を開けた美癒。
(これ、一度でいいからやってみたかったんだ)
本来パンを銜えて登校など普通はしない。仮にするとすれば遅刻しそうな時間が無い時に行うものだが、美癒は時間に余裕を持って家を出ている為食パンを味わいながらマイペースに歩き始めた。
(あれ、結構食べ辛いかも……)
パンを口に銜えたまでは良かったものの、一口しか食べる事が出来ず食パンが落ちそうになってしまう為、鞄を持っていない左手で食パンを支えると、もぐもぐと一口ずつ食べ始める。
何時も食べているパンも今日はなんとなく美味しく感じる。美癒は笑みを浮かべながら美味しそうに食パンを食べていく。その途中、通路の曲がり角に差し掛かりあることを思い浮かべた。
(ここの曲がり角で誰かとぶつかったりして……!)
食パンを銜え曲がり角でぶつかるというお約束な展開をほんの少しだけ望んでみるが、そんな夢物語が早々起きるはずもなく曲がり角を曲がってみても誰一人いなかった。
(やっぱり……ないよねっ)
新しく始まる高校生活、制服を身に纏い、食パンを銜えて登校。
新たな一日、清々しい朝に今日は朝から何かが起きそう。そんな気がしていたが現実はそう都合良く事は起きない。
それにまだ学校に登校している途中、焦らずとも新しい学校生活で何かがあるのは間違いない。
気の合う友達との出会いを得て、一緒に遊びに行く事だってあるだろう、洋服を買いにショッピングや、人気のスイーツ店に行く事だってきっとある。
学校では文化祭や体育祭、修学旅行等の豊富なイベントが美癒を待っている。
平凡で平和な日常。それも悪くない、このままのんびりと、そして優しい世界を充実して過ごすのはきっと幸せだろう。
美癒はそのまま角を曲がり終えた後、本来は遠回りになってしまう公園の中を歩いていくことにした。
理由はこの公園には桜の木が多く植えられており、丁度満開の時期だったからだ、
時間には余裕が有り、美癒は食パンの最後の一切れを口に頬張り桜の並木道を歩いていく。
この時、まだ美癒は気付いていなかった。
既にこの世界、そして自らの平凡な人生が、刺激的で神秘的な人生へと変わりつつあることに───。
突如、天空から竜巻を纏い一人の少年が舞い降りる。
辺りは突風に包まれ木々がざわめき、美癒の髪も靡いていく。
目の前の光景に何を考えていいのか分からず美癒は呆然と立ち尽くしてしまう。
透き通るような空色の髪と瞳が特徴的な少年、歳は自分と同じぐらいに見え。背は美癒よりも少し高く、見たこともない衣服を身に纏っていた。
少年は瞑っていた目蓋を開き目の前に立っている美癒を見つめると、その可憐な美しさに一瞬見惚れてしまい言葉が出せなかったが、今この状況で暢気にしている訳にもいかず直ぐ本題に入り出した。
「驚かせてすいません、貴方が天百合美癒さんですね?」
上空から舞い降りてきた少年は平然とした態度でそう尋ねるが、美癒は目の前で起きた衝撃的な出来事に頭の中が真っ白になっている。
「ああ、失礼しました。先に名乗った方がいいですよね、僕はこの世界とは別の世界から来ました、風霧空と言います」
訳も分からず自己紹介をされる美癒だったが、名前を聞いて自分と同じ人である事を理解し恐る恐る自己紹介を始める。
「わ、私は天百合美癒……です」
その名前を聞くと少年は安心したかのように微笑み、美癒に手を指し伸ばした。
「良かった、どうやら間に合ったみたいですね。さあ、ここは危険です。詳しい話は後でしますので僕と来てください」
自己紹介の次は突如来てくれと誘われる展開に、当然差し出された手を握る訳はなく美癒はある疑問を投げかけた。
「あ、あの! 私の見間違いかもしれないですけど、先程空から降ってきましたよね……?」
先ずは一つずつ理解していくしかない。
美癒は風霧空と名乗る少年にそう尋ねると、少年は平然とした表情で答え始める。
「はい、僕の魔法でここまで飛んできましたけど。あ、そうか、この世界の住人は魔法が使えないのか……」
腕を組み顎に手をあてた空は自分が来た世界の文明レベルを予想していくが、『魔法』という単語を美癒が聞いた途端、目を輝かせながら空に詰め寄っていく。
「今魔法って言いました!?」
先程までのおどおどしい態度が嘘かのように突然美癒のテンションが上がり、空はたじろぎながらも説明していく。
「そ、そうです。魔法です、僕は風の魔法使いなので───ッ!?」
確かに感じた殺気、そして強力な魔力に空は逸早く気付くと美癒の肩を掴み自分の元に引き寄せ、そのまま抱き締め後方に高く跳んだ。
その直後、美癒の立っていた場所に赤い刃の斬撃が直撃し、轟音と共に地面に亀裂を走らせていく。
咄嗟に抱き締められた美癒は顔を赤らめ動揺してしまい動くことが出来ず、抱き締めていた空は美癒を自分からゆっくり離すと、何処か怪我をしてないか心配そうに尋ねる。
「突然すいません、怪我は有りませんか?」
「う、うん! 大丈夫……!」
恥ずかしさで俯いてしまう美癒、空もまた照れてしまい顔を赤く染めるが、二人の前に一人の若い男が現れたのが見え、空は美癒を守るように前出ると、男の前に立ち塞がった。
「どうやら、貴方が美癒さんを狙う刺客のようですね」
そう言って空は刺客を睨むように男を見つめる。空の後ろに立っている美癒もまた、自分を狙っていると聞かされ前方にいる男を見つめた。
目つきが鋭く両手に鉈をもった一人の男は斬撃により傷ついた地面に立っており、全身は赤と黒が特徴的な服を身に纏い、髪もまた赤黒い血のような色で染めていた。
その瞳もまた赤く、美癒はその男の視線に気付くと緊張の余り体が固まってしまう。
すると男はそんな美癒を見て鼻で笑うと、空の方を向いて喋り始めた。
「いかにも、俺はその女を依頼人の下に連れて行くのが目的だ。誰だか知らないが仕事の邪魔はしないでほしい」
男はそう言って美癒から離れるように鉈を向けるが、空は立ち塞がったまま男と会話をしはじめる。
「連れて行くにしては殺す気満々の攻撃でしたけど?」
「別に無傷で連れて行く訳でもない。手足の二三本が吹き飛んでいようが生きていれば良いのだからな。安心しろ女、止血はちゃんとしてやる」
そう言うと上着を捲り何かの薬品のような物が掛けられてあるのを見せると、不気味な笑みを浮かべた。
「この止血剤は直接傷口に塗り込む代物だが効果は絶大だ、一瞬で血が止まる。だが、その代償として気が狂う程の激痛が患部に走るがな。俺はその痛みでもがき苦しむ様を見るのが大好きなんだよ」
その男の態度に美癒は背筋に寒気が走り一歩後ずさりしてしまうが、空は美癒を守るように片手を広げると、男を強く睨んだ。
「安心してください美癒さん、貴方は必ず僕が守ります」
突如命を狙われる美癒、そんな美癒を守る為に現れた風の魔法使いである空。
その頼もしい姿に見惚れるように美癒は空を見つめていた。
見つめられている空は美癒の視線には気付いておらず、男を睨みその姿に心当たりを感じる。
「見た目の特徴、そしてその残虐性……貴方、ドルズィ・ブラッドですね」
「ほう、この俺を知っているのか」
「ええ、あの有名な暗殺組織『ハレスオブモズ』の一員ですよね。確か貴方は最近その組織に入ったはず、金の為なら何でもする下劣極まりない集団だとか、悪い噂しか聞いた事ありませんよ。そして貴方はその組織の中でも特に性質が悪いとか……」
暗殺組織『ハレスオブモズ』。百を超える世界に拠点が存在しており、己の欲の為に戦う者達が集っている。
その組織の力は強大であり、一つの拠点を潰す為に上級魔術師を集めた軍隊を用いても難しいとさえ言われている。
「だったらこういう情報も知っているんじゃないか? 俺の依頼遂行率は百パーセントであり、組織の若手の中でも最強と言われている事をなァッ!」
ドルズィ・ブラッド。その名を知る者は数多く、戦闘において類い稀なる才能を持った男だと言われている。
今までドルズィと戦ってきた者達は全員惨殺されており、未だに敗北を知らず戦い続けている。
その戦い方は残虐的であり、相手に多くの切り傷を負わせ出血させながらその衣服を血で染める事を好み、出血多量によって徐々に相手を追い詰め命を奪うと言われている。
両手に鉈を構えたドルズィが空目掛けて跳躍すると、空は目を瞑り両手を前に突き出した。
その瞬間、空の両手に緑色に輝く粒子のようなものが集い強く発光すると、両手に神々しい双剣が握り締められていた。
空の足元に突如現れる魔方陣。光り輝き空の全身を照らすと、風が吹き荒れ竜巻を起こし突風が空の回りを覆いはじめる。
その強大な魔力の風にもドルズィは怯む事なく突き進み続けるが、空は双剣を構え目を見開いた。
刹那の時を超えるかのように速く空は一瞬でその場から姿を消すと、ドルズィに双剣を振り下ろしていた。
切り裂かれたドルズィは何もする事が出来ず、風の刃に切り裂かれた衝撃で軽々と宙を舞っていた。
「馬鹿なッ───この俺がぁっ!?」
勝負は一瞬で決した。
そんなドルズィの無残な姿を見る事なく空は双剣の構えを解くと、ゆっくりと歩いていく。
「自分を最強だなんて言っているようでは器が知れます。その言葉は貴方に相応しくない、それはただの傲慢に過ぎないのですから」
宙を舞っていたドルズィはそのまま地面に激突した後、直ぐ様起き上がろうとしたが、自分の喉下に剣先を向けられ体が硬直し息を呑んでしまう。
「勝負は終わり、貴方の負けです」
毅然とした態度で空がドルズィの前に立ちはだかる。
圧倒的力を見せ付けられ、相手の完全な勝利を確信したドルズィは戦意を失い俯いてしまう。
このまま空はドルズィを殺してしまうのか……美癒は急に不安になり空の元へ歩み寄ると、空は双剣を向けたまま話し始めた。
「二度と彼女の前に現れないと約束してください。約束して頂ければ命を取りはしません」
空の後ろに立った美癒は心配そうな表情で二人を見つめていたが、空の言葉に美癒は少し安心していた。
確かに美癒はこのドルズィという男に命を狙われ攻撃された、だからといってその男が憎い訳でもない。
ましてや命を奪う必要もないと思っており、この空という少年が戦意を失った相手に止めを刺すような非常な人ではない事が分かり嬉しかったのだ。
「ククク……ハハハッ!!」
剣を向けられたドルズィが突如笑い始める、その異様な行動に美癒は再び胸を締め付けられるような不安に襲われ、空は警戒しながらの様子を見ていると、ドルズィは目を見開き喋り始めた。
「敵に情けを掛けるか!? 甘い奴だ、自分がどういう状況に立たされているか分かってないな?」
「状況……?」
その言葉に空は疑問を浮かべながら次の言葉を待つと、ドルズィは嬉しそうに笑みを浮かべながら言葉を発し続けた。
「俺を倒した事によりお前は完全に組織を敵に回したんだよ! 組員の数は軽く十万を越え、その中で見れば俺は下っ端クラス、組織にはお前より強い組員を数多く揃えている。それだけじゃない、その組員を束ねる十二人の幹部、その幹部の遥か上の存在である四天王、そして偉大なる組織の長……お前は敵に回してはいけない組織を敵に回した、必ず殺される!」
『必ず殺される』。その言葉に一番衝撃を受けたのは美癒だった。
今日だけじゃない、また近い内に狙われる事になる。
何の為に? 目的は?……様々な不安が美癒の心の中で蠢いていたが、それよりも強い感情が美癒の中に膨らみ続けていた。
そんな美癒の思いに答えるかのように空は双剣を強く握り締めると、後ろに振り向き美癒を見つめながら口を開いた。
「それでも僕は守り続けます。どんな強敵が現れようと、必ず僕が貴方を守ります」
そう言って笑みを見せる空に、美癒は胸の高鳴りが強くなっていくのを感じた。
空の戯言を聞いたドルズィは高らかに笑い、二人が絶望する表情を見たいが為に更に言葉を続ける。
「お前一人に何が出来る!? お前達はもうお終いなんだよ! ハハハハハッ!」
ドルズィは確信している、幹部や四天王の実力をその身で体験した事があるからこそ、この空という少年が組織に勝てないのは明白だと。
そのドルズィのあざけ笑う声を聞いても、美癒の中に恐怖が生まれる事はない。
平凡な日常、今日から平穏な学校生活を送る事になるはずだった少女、天百合美癒。
しかし、美癒の世界、そして人生は一変する事になった。
自分の身を狙う他世界からの刺客、そして風を操る魔法使いの少年。
まるで夢物語のような展開に美癒は僅かに胸をときめかせ、これから自分のみに起こる物語に期待していたからだ。
「その組織、さっき全滅したぞ」
だが、今から始まろうとしていた壮大な物語を打ち砕くかのように一人の男の声が聞こえてくる。
「ハハハ……は?」
ドルズィの高笑いが止まる。
突如聞こえてきた男の声にドルズィと空が振り向き、そして美癒もまたその男の声がした方を見つめた。
そこに立っていた一人の男。黒髪と黒い衣服が印象的な男の見た目は若く、歳も空や美癒と大差ないと思わせる程若い男だった。
だが見た目とは裏腹に男から感じる計り知れない魔力に、空とドルズィの二人の額には汗が滲み始めていく。
先程男の言った『組織は全滅した』という言葉が嘘やハッタリなどと思わせない程の威圧感が二人を飲み込み体が固まってしまうが、それでも空は意を決して男に問いかけた。
「貴方は……何者ですか?」
今まで感じたことの無い魔力と威圧感に空は双剣を強く握り締めていく、その態度を見た男はふと手を前に伸ばすと、黒い光が集まったかと思えばその手に黒い大剣を握り締めており、その大剣を地面に突き刺し腕を組んだ。
「俺は甲斐斗、最強の男だ」
そう言ってニヤリと笑みを浮かべた男、甲斐斗。
こうして少女と少年と最強による物語が今、始まる。