はじまり
パソコンの電源を入れ、自分の過去を振り返りながら、いじめに関わる部分を思い出そうとしている。
正直なところ、思い出したくないことだと感じる。忘れられるものなら忘れてしまいたい。
私は、他人をいじめたこともあるし、他人からいじめられたこともある。
いじめたことについては、思い出すのがつらい。
大人になり、他人の気持ちを想像できるようになると、これほどつらい思い出はない。鈍器で胸の辺りを何度も殴打されている感覚に襲われる。
あの時は、確かに軽い気持ちで、楽しみ半分にやったかもしれないが。
「その苦しみは後からきた。自分の心の成長とともに。」
いじめられたことについては、根に持っているわけでもない。復讐なんて今では、考えたくもない。
しいて言うなら、いじめられた相手に、「会いたくない」せいぜいそれくらいなんだと思う。
もちろんいじめられていたときは、ずっと考え悩んだ。苦しくて、決して出口のみえない絶望の続く、永遠とも思える時間。真っ暗な闇の中。
ただ一人怯え暮らす私がそこにいたと思う。
「どのようにすれば、私をいじめているこの相手をすみやかに殺せるか?
できればひどく残酷な殺し方がいい。それでいて、
自分が死なずに、警察にも逮捕されずにすむ方法はないか?」
いつからか私はそればかり考えるようになっていた。
けれどいつもきまって、そんなことはできずに、殺すにも死ぬにも
行動に出れない自分がいた。
「自殺なんて怖くてできない。けれど他人を殺すのも怖くてできない。」
私はひどく臆病なのだと思う。
「どうしたらいい?このまま苦しみにただ、耐え続けないといけないのか?
何で自分が?」
必死で解放されるときを、待ち続けていたのだと思う。殴られ、馬鹿にされ。脅され。
生きていたってきっといいことは無い。そういう結論に達したことも何度もあった。
ただ、耐え続けるだけ。あるいは、ひたすら逃げるだけ。それだけの毎日。そして誰にも言えずに苦しむ毎日。
誰も助けてくれない。だからといって助けてとも言えない。
そんなとき自分を救ってくれたのは、自分が生きている証を考えることだった。だから必死でがんばった。
勉強もスポーツも恋愛もとりたてて得意でもないけれど、自分なりに、できる限り、がんばった。
あるいは作り物の世界の中に逃げ込んだ。そして思う存分泣きじゃくった。けれど今思えばこれがなかったら、自殺していたかもしれない。
いじめはいつまでも続くものでもなかった。いじめられていた相手とも離れ離れになるときが必ず来る。顔も合わさなくてすむ。
そして、殺したいとか死ぬしかないとか、そんなどす黒い思いは、色あせていく。
どんなに激しい憎悪も、悪質な殺意も、胸を刺し続けるような冷たい鉄針のような思いも、
いつまでも心の中にとどめていられる気持ちではないのだと思う。
たしかに、いじめられたこと自体、忘れられなくても、その思いが、心の中を占める割合が小さくなっていく。
だんだんと軽くなっていける。許していける。自分も他人も生きていくために
必要なことなんだと思う。
私の場合、ひとつのいじめられた記憶が小さくなる前に、次の新しいいじめに出くわすという
不運が繰り返されたけど。そんな私でも、私の中で成長したいじめに対する抵抗力のようなものはすこしずつ大きくなっていたのかもしれない。
ほんと何度もいじめられたけど、そのたび前よりかは、対応できた。楽に感じた。
一番苦しかったのは殺すか死ぬかで悩んだときだったと思う。
今では、行動にでなくて本当によかったと思う。臆病でよかったと思う。
だって楽しいことなんて大人になってからでもいくらでもあるんだもの。
殺人なんて犯罪。その罪を償うために牢屋で暮らしていたら
今のような生活はできない。決して今の生活も楽ではないけれど。
それよりかはずっといい。
ましてや自殺なんてしていたらすべてそこで終わっている。
私の歴史はそこで終わっている。
ここに、いじめられたときの気持ちや起こったことを少しずつ書いていこうと思う。
今いじめられている人たちが、生き残りたいと少しでも感じてもらうために。
私の望みはただそれだけ。誰かに対する復讐ではない。他人との摩擦を感じるのでさへあまり好きじゃないんだから。
できれば、いじめに関する過去は、忘れ去りたい。だけどできる限り詳しく書いてみようと思う。
これは私の精一杯。
でもね。先に一言だけ書いておく。今はね、幸せだと感じることのほうがずっと多いよ。きっとみんなにもそんなときが必ず来ると思う。
だからお願い。生きていて。
海と山がすぐそこにある、いなか町。美しい自然に囲まれて、ボクは生まれ育った。
両親が、仕事で忙しくて、幼いころはよくテレビにかじりついていたと思う。
保育園にはいれたのは、くじ運が悪かったらしく、最後の一年からだった。
ひとみしりの激しい子で、保育園の友達になじめなくて、最初二週間くらい泣き続けていたそうだ。
偶然その保育園の隣に、祖母が小さな畑を持っていて、畑仕事をしていたため、そこに近寄っていっては、
フェンス越しに、泣き続けていた。きっとそこから出たくてしょうがなかったんだろう。
知らない人だらけの保育園が、ボクには別世界に見えたのだと思う。
はじめて笑ったのは、お昼ごはんの食器をかたずけて、先生に手わたしにいったとき。
なにか褒められたのかと思うが、素直にうれしかったんだと思う。
ここだけ思い出すと、素直で泣き虫な子供といった感じを受けるかもしれないが、よく思い出せば、攻撃的な一面もあった。
友達が自慢していた大きな模型をみて、ボクはそれがすごく腹立たしくなり、何人かを引き連れて
その模型を奪いに行き、川に投げて石を落とし、粉々(こなごな)にした覚えがある。
正直その自慢の仕方がむかついていたので、なんだかすっとした。
でも、それは、かなりひどいことだった。もちろん、父にしこたま殴られて。泣きながら謝りに行った。
父の怖さがボクをコントロールしていたように今は思う。
思えばそれがなかったらいじめにつながっていたかもしれない。
父に感謝している。いなくなってからわかるってのは、このことかもしれないね。
しかしほんと同じ人間とは思えないほど矛盾している。けれどそれがボクだった。
その後、山側の近くに、引っ越して、小学生になった。家の隣には、小学校の担任の先生が、住んでいた。
近くには、中学生のおにいちゃんが住んでいた。よく遊んでもらって、頼りになるおにいちゃんだった。
はじまりは、ボクの不注意なひとこと。
ボクは、両親に買ってもらったプラモデルを、おにいちゃんに見せにいくと、
おにいちゃんは、それをボクのかわりに作ってくれるといった。
自分ではちょっと難しそうだったから、お願いすることにした。高価なものだったし。
数日たち、完成したプラモデルは、接着剤でべとべとで、あちこち部品が折れていたものだから、
ボクは思わず言ってしまった。「下手くそ」と
殴られたんで、逃げ帰った。
こんな些細なことが始まり。言われた側の気持ちをもっと考えるだけの頭が、ボクにあれば、こんなことには
ならなかったかもしれない。といっても小学生にそれを求める、このおにいちゃんも大人気ないとおもうが。
今思えば、おにいちゃんも中学生だったものね。どっちも幼いんだから起こるべくして起こったのかもしれない。
おにいちゃんは、やさしい顔からは想像できないほど、執念深かった。
学校へは、坂を下って、サクラの並木道を、20分ほど歩き、そこからバスにのって登校する。
けれどこの並木道を通った覚えがほとんど無い。
その「事件」が起きた日から、毎日顔を合わせば、おにいちゃんに殴られるようになったから。
だから見つからないように、その道から離れた山道を歩いて、バス停まで通う毎日になった。
ほんと毎日。
それでも小学校と中学校のある場所が同じ方向なので、バス停あたりでみつかってしまうときもある。
やっぱり殴られる。
ボクは、工夫した。時間を少しずらしたり。なるたけ周りを警戒しながら歩いたりいろいろと試し始めた。
ちょっと楽しんでいたかもしれない。
しかし、敵もさるもの。おにいちゃんは、人数を増やし始めてしまった。
数人でボクを狩る。こんな遊びだったのだろう。
もうほんと、おにいちゃんときたら、バスに乗る必要も無いのに、わざわざ乗り込んできてまで殴る。
執念深いったらありゃしない。狩りだからお金でもかけていたのかな。もうほんと必死。
しかも笑っている。楽しそうだ。こっちは、殴られるの、つらくてしょうがないってのに。
笑いながら追いかけてくるおにいちゃん。いつしか夢にまで、でてきたような気がする。
追いつかれたら、でっかい黒い鉄の塊みたいなものが、自分に振り下ろされる。そんな夢。
ボクの体をすっぽり覆うほど、ほんと大きな圧迫感のようなものに押しつぶされて目が覚める。
現実でも夢でも、とにかく逃げることしかできない。毎日逃げ続けた。
それから2年か1年くらいが過ぎた。
事件は、これも些細な出来事で幕を閉じた。
昼ぐらい、家には、母がいて台所で何か作ってくれていた。ボクはひとりで、遊んでいたと思う。
そんなとき、おにいちゃんは、ボクの家の庭に入り込んだボールをとりに来るふりをして、
ボクを殴りにきた。
それを偶然母が見ていた。早速父にそれが伝わったのだろう。その晩、ボクは解放された。
ボクの父は、すごく怖いひとだ。体も大きくて、力も強い。体罰なんかも当たり前。厳しい人だった。
おもえば幼少のころに受けた体罰がきつすぎたのがボクの攻撃性の原因のようにも思う。でも当時はそれが当たり前だった。
受けることは同時に教えられることでもあるのかもしれない。でも全くないともっとおかしなことになっていたかもしれない。
いじめは許さない。そんな姿勢が強く伝わってくるような一撃だった。
おにいちゃんは、自分の父親の目の前で、ボクの父から激しく殴られた。
体が壁にたたきつけられるほどの衝撃だったように思う。
もちろん、父と帰った後も、おにいちゃんが、延々(えんえん)と自分の父親から、怒鳴られる声が続いてた。
翌日おにいちゃんは、元のやさしいおにいちゃんに戻っていた。
いまおもえば、中学生でたとえわるぶっていても、親にさからえるわけなんてない。
まず親に話しておけばよかったかもしれない。そのときはそこまで頭が回らなかったけどね。逃げるのに必死だったから。
でも、あのとき、模型を壊された子の気持ちってどんな気持ちだったのだろう。
それから一年間くらいは、その子にあえなかった。それほどその子は傷ついていたのだと思う。
ボクも買ってもらった模型がぼろぼろになって帰ってきたときすごくいやだったもの。目の前でぐちゃぐちゃになっていく
模型をみながらあの子はどんなきもちでそれに耐えていたのだろう。
そのとき、父に怒こられていてほんとによかった。始まりは、きっとほんと些細な子供同士の問題なんじゃないかな。
そこから1年ほど、すごく楽しく学校生活が送れた。学校に行って、友達と一緒に悪ふざけをして、
勉強も隣に住んでいた先生にいつもみてもらって、ほんとすごく幸せだった。
しばらくして、学校を転校することになった。
後から聞いた話だと、父が起こした女性関係の問題から、姿をくらませる
理由であったらしい。
学校の友達に、寄せ書きをもらって、手紙を書くからねと約束した。
友達から手品とかいろいろ見せてもらった。お別れ会というものをはじめて経験した。
夜、荷物をのせた大きな車で、出発するとき、ボクは確かにわくわくしていた。
これから訪れる町に思いを寄せながら。
それから数年してこの町に戻ってきたとき、風のうわさで聞いたこと。
隣に住んでいたおにいちゃん。おにいちゃんが呼んだ仲間のリーダーのような人が
麻薬でつかまったらしいということ。パトカーが家の前まできたって話だった。
ボクは背筋が凍るような思いだった。




