その4
「おいおい……」
彼女が日記を書こうと決心したのが一昨昨日、そして今日は白紙。三日坊主にも程があります。そりゃ、いつ終わろうが彼女の勝手ですが。別に人に強いられてやっていたものでもなさそうですし、誰かに提出する課題というわけでもありません。ですが、僕は拍子抜けしてしまいました。せっかく彼女の日常、ダラダラ過ぎていく時間のなかで彼女が考えていた事、そんなどうでもいいあれやこれやに付き合ってあげようと思っていたのに。何だかわけのわからない苛立ちがこみ上げて、僕はノートを閉じました。
「ダメだなあ、これだから……」
少女はいつも気まぐれです。人生経験の少ない僕にだってわかります、クラスメイトの女子を見ていれば。二人っきりで勉強を教えてくれ、なんて言って期待をさせといて、すっぽかしたりするんです。夕暮れの図書館で一人待つ孤独さ、やるせなさ、そんな嫌なものを思い出させました、彼女の日記は。
「あはは、青春してるじゃないの!」
どうも大人の人たちは苦い経験の事を青春と呼ぶ傾向がありますが、冗談じゃありません。僕の人生にはそれがいい思い出になるまで待っている余裕はないんです。というか、なんで僕はこんな屈辱の半生を恰幅の良い中年ナースに話したりしてるんでしょう……。
「やり始めたらちゃんと続けるべきだと思う」
僕なんか今だって問題集を手放さず毎日問題を解き続けているんですから。
「そうねぇ……そうだけど、続けたくても続けられないって事、あるんじゃない?」
そりゃ、そういう事もありますが。
「でしょ? やりたくなったら、また始めりゃいいのよ。逃げないわよ、参考書は! あっはっは」
何の話をしているんですか。気が乗らない時でも毎日一題は必ず解いている勤勉少年の僕に向かって。でも、恰幅の良い中年ナースの言葉で一つ気付いた事があります。ラッキーセブン病室での日々は恐らくもうしばらく続き、そしてここでは何もする事がない。それは彼女も同じだったに違いない。僕はもう一度ノートを開いてみました。
―○月△日
白紙の次のページ、やっぱり日記は続いていました。恐らく彼女は退屈のあまり再び日記を書くことにしたんでしょう。人間頭を冷やす時間も必要ですから、多少のサボりは許すことにしました。ですがこの日付、今日からちょうど一週間後です。
「どうするかな」
彼女の日付と同じ日を歩む計画は三日にして頓挫、もしこれを続けるなら一週間待たなければなりません。もちろん今読んでしまっても一向に構わないんです。ざっと流し読みすれば恐らく数十分もかからずに全て読み終えてしまうでしょう。女の子の日記なんて内容が濃いはずがありません。難解な聖書みたいな歴史的書物なら何度読み返しても味わいがあるでしょうが、こんなペラペラノート一冊、一度読んでしまったらそれまでです。そうか、それはそれでちょっともったいないかな……。
「やれやれ、もうしばらく付き合うか……」
幸いにして僕には数多くの問題集、数研出版チャート式があります。彼女たちは僕の退屈な時間を目いっぱい楽しませて、いや時には苦しませて、埋めてくれるでしょう。
「それで、どうするの?」
「うん、もうちょっと続ける」
「そう。あはは!」
恰幅の良い中年ナースは部屋を出て行きます。最近は頻繁に僕の部屋を出入りしますが、まあ僕自身のことを考えればそれも仕方ありません。今日で四日目、あと三日です。なぜか指折り数えている僕。無意識にそんなことをしている自分に気づいて、僕は苦笑してしまいました。
「さて、と」
昨日わからなかった問題を解いてやるか。なあに、僕には三日もある。そんなことを考えながら、シャープペンを手に数研出版チャート式を開きました。




