夏のお化け
ずいぶん昔に書いたものを、恥ずかしげもなく晒してみよう、のコーナー
幻覚が見える。暑さで頭がイカレたか。
全開にした窓からけたたましいセミの声と、運動部員の声が入ってくる。肝心の風はまったく入ってこない。
ボクはサウナみたいになった部室で「双子の片割れが死ぬマンガ」をまた読んでいた。
夏休みだというのに毎日学校に来て、ここでこうしてマンガを読んでいる。
ほかに居場所がない。
目的もない。
汗と時間をダラダラ垂れ流すだけ。
そしてついに見えてしまった幻覚。
スクール水着の女の子。
「あたしはなつめ!」
幻覚の自己紹介だった。
「夏の女と書いてなつめ!」
幻覚を見ているわけではなかった。
暑さで頭がイカレてしまった女の子を目の当たりにしていたのだ。
「おまえは夏を無駄にしている! 夏に対して失礼だとは思わないのか!?」
夏休みを無駄無駄しく過ごしているのは事実だが、誰にも迷惑はかけていない。
夏が憤慨したりすることもないと思う。
「だからあたしはやってきた!」
意味がわからない。
関わるべきではない。
手元のマンガに視線を落とす。
きれいな顔してるだろ。ウソみたいだろ。死んでるんだぜ。それで……。
「無視をするな!」
マンガをはたき落とされた。
さすがに黙っていられない。
「なんだよおまえ?」
怒りもあらわに睨みつける。
「聞いていなかったのか? あたしはなつめ! 胸のとこにもちゃんと書いてある! よく見て覚えろたかだか三文字!」
彼女は胸を張って指し示す。
縫い付けられた白い布にデカデカと下手くそなひらがな。
その文字が薄い布一枚隔てた向こうの肉的なモノのせいで伸びたり縮んだり……。
「あんまし見るな!」
サッと胸元を隠し、なつめはそっぽを向いた。
頬がちょいと赤い。
一応羞恥心はあるらしい。
「ともかく! 夏を粗末にする奴はあたしが絶対許さない! あたしはなつめ! 夏のお化け!」
……お化けはいいとして「夏の」とは?
「夏に出るお化け?」
「それも間違いではない! が、むしろ夏そのものが化けて出たのだと思っていただきたい!」
分かるような分からないような。
「そんなわけで、あたしがお前に正しい夏の過ごし方を教えてやる!」
彼女は偉そうに、ボクの顔に指を突き立てた。
彼女は宣言通り、毎日のように部室に現れ(ボクもやっぱり毎日部室にいたわけだ)やれ海だ、やれ山だ、祭りだ、花火だ、クワガタだ、と夏っぽいイベントに俺を連れ出した。
夏のお化けと過ごす毎日は、密度の濃い心躍るものだった。
「お前を楽しませてやる」
そう言った夏のお化け自身も、目を輝かせて感動したり、笑ったり、時にはがっかりしたり、怒ったり、夏を全身に浴びていた。
二人で過ごす時間には、充実感と同時にいつも切なさがあった。
そう、夏はやがて終わる。
夏休みの最終日。夏のお化けはプールサイドに立ち、夕日に染まった校舎を眺めながら
「あたしは夏のお化け。だから今日でお別れだ」
腰に手をあてそう言った。
スイカ割りはスイカのお化けに祟られるからしてはいけない。
山の天気は変わりやすい。
祭りにはスクール水着で参加するべきではない。
花火を人に向けてはいけない。
カブト虫はクワガタよりでかくてずるい。
夏休み中に彼女が残した発言たちが頭の中をぐるぐる回る。
「……夏のお化けは夏限定なのか?」
ボクがその横顔に聞くと、彼女は大きく溜息をつき口元を歪めて笑った。
「当たり前だ」
「……誰が作った設定だよ」
それには答えず、
「明日からはイガ栗スーツに着替えて秋のお化けだ、とか言ったりもしない」
「……本当のお別れか?」
「本当のお別れだ」
太陽が沈むにつれ、彼女の姿は薄くなっていった。
「夏は、楽しかったか?」
視線は校舎へ向けたまま、彼女はポツリと言った。
ボクは頷く。
「ああ。お前と過ごせたからな」
「そうか」
彼女は満足そうに深くうなずいて、
「あたしもだ」
やっと彼女と目が合った。
彼女は目に涙を溜めながら、それでも精一杯の笑みで
「じゃあな。武田」
言って消えた。
あとにびしょびしょのスクール水着だけが、残った。
それをグッと握りしめる。
「じゃあな。岡部」
誰もいなくなった空間にボクは言った。
岡部奈津美はこの前の年、夏休みに入ってすぐ、ここで死んだ。
夏休み前に二人で立てた計画は何一つ実行できないまま。
なつめは岡部奈津美だった。本当は最初から分かっていた。名前をちょっと変えただけだし、見た目はそのまんまだったし。
気力を失い無為に過ごす俺を見かねて化けて出たのか、自分がやり残したことをしに化けて出たのか。多分両方なんだろう。
それを「夏のお化けだから」という大義名分を作らなければ実行できないところが、照れ屋な彼女らしい。
彼女はその後、二度と現れなかった。
だけどボクはもう寂しいとは思わない。
ボクは彼女の分まで精一杯生きて、人生を楽しむと決めた。
彼女はいつでも俺のそばにいる。
あいつが残してくれたこのスクール水着を身に着けていれば、ボクはひとりでも生きて行けるのだ!
「で、いまもそうして着ているわけだ」
「本当なんです、お巡りさん!」
「それはそれで構わんけども」
「上に服を着ておくことはできるよな? 女性物のスクール水着一丁で、街を歩いちゃいかんよ」
「それじゃ意味がない!」
「よし。逮捕だ」
読んでくださったのに、こんなんで、ゴメンなさい。