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ep.1 Re-start

灰二:一灰二(にのまえはいじ)。元殺し屋。


慧:神崎慧(かんざきけい)。殺し屋。灰二の従姉。


カンラ:曳舟カンラ(ひきふねかんら)。殺し屋。


ざくろ:木津ざくろ(きづざくろ)。殺人願望を持つ通り魔。


0:本編


灰二:「(M)――毎日、同じ夢を視る」


灰二:「(M)コンクリートに囲まれた、薄暗い部屋の中。銃弾と血飛沫が交差して、立ち込める鉄の匂いが、湿気と混ざり合って肌に張り付く。妙にリアルな感覚がするのは――これが、過去の出来事であるからだ」


灰二:「(M)結末は変わらない。現実に沿って、この物語は進行していく。追い詰められた標的が、お決まりの文句を並べて命乞いをする。それに呆れる者、嘲笑する者、反応は様々だったが――そいつをどうするのかなんて、答えは決まりきっていた」


灰二:「(M)引鉄(ひきがね)に指をかける。今日の仕事も、これで終わり。いつも通りの流れに、大した感慨はない。終止符を打つように、一呼吸置いて――」


灰二:「(M)湿気を切り裂く、銃声が響いた」


0:起床


0:灰二の部屋


灰二:「…………」


灰二:「(M)――いつにも増して、最悪の気分で目が醒めた。ただでさえ、毎晩見るあの夢のせいで寝られた心地がしないってのに――今日はそこに、頭痛と吐き気が上乗せされている。体を起こすと目眩(めまい)がして、胸元から込み上げてきた気持ちの悪い感触に、慌ててベッドから飛び出してトイレへと向かう。下手に抑え込むようなことはせず、体の反応に従って一頻(ひとしき)り吐き終わると、ドアの辺りで壁に寄りかかる影が見えた」


カンラ:「よぉ――初の酒呑みに初の二日酔いたぁ、景気がいいねぇ」


灰二:「カンラ……」


カンラ:「えっらい長いこと吐いてるもんだからさ、気になって目が醒めちまった。大丈夫かよ、灰二」


灰二:「……あぁ。とりあえず、ピークは過ぎた」


カンラ:「そりゃあ良かった。ほれ、ついでにうがいも済ましちまえ」


灰二:「おう、サンキュー……」


灰二:「(M)口の中をゆすぎ、洗面台の鏡に顔を映す」


灰二:「……はっ。ひっでぇツラだな」


カンラ:「そりゃ、寝起きで吐いてりゃな。そこのコンビニで朝飯買ってくるけど、なんかいるか?」


灰二:「あー……。じゃあ、ポカリ。なんか飲みたくなった」


カンラ:「りょーかい。んじゃ、なんかあったら連絡してくれ。いってくらぁ」


灰二:「おう、悪いな」


灰二:「(M)カンラの後ろ姿を見送って、リビングに戻る。ローテーブルの上に散乱している酒の空き缶を見て、昨日の記憶がはっきりと蘇ってきた」


灰二:「……宅飲みだからって調子乗り過ぎたな……」


灰二:「(M)カンラに乗せられたのもあるが。あいつ、よくまぁ心配してる振りができたな……」


灰二:「……はぁ」


灰二:「(M)頭痛を(こら)えながら、空き缶を片付ける。……まあ、あいつなりに、気を遣ってくれたのだろう。それくらいはわかる。飲み過ぎたことも、半分は自業自得だ」


灰二:「…………」


灰二:「(M)適当にゴミをまとめ終わったところで――携帯が鳴った。画面には、カンラの名前が表示されている」


灰二:「……? あいつ、財布でも持っていき忘れたか」


灰二:「――もしもし」


カンラ:「灰二! すまん!」


灰二:「おー、なんだ。やっぱ財布か。お前もさ、いい加減、電子マネーの一つくらいは持った方がいいぞ?」


カンラ:「あ? 何の話だ。(察して)……あぁ、大丈夫。財布は持ってきてる。忘れてねーよ。あと、この前PayPayデビューしたんだ。俺に死角はない」


灰二:「そうか。じゃあ何の用だよ」


カンラ:「いや……そういや一つ、伝え忘れてたことがあってな」


灰二:「……? なんだよ。そんなの、帰ってきてからでいいだろ」


カンラ:「いや……たぶん、もう間に合わない……」


灰二:「は?」


灰二:「(M)ここで、おれが住んでいるこのアパートについて少し話しておきたい。二階建てのこのアパート、築年数はおよそ五十年とだいぶ古く、ところどころにガタが来ている。壁は黄ばんで、床板は踏み締めると、木板の軋む音が連鎖して聞こえるほどだ。ドアを支える蝶番(ちょうつがい)だって、開閉のたびに、今にも折れそうな金切音(かなきりおん)を上げている。とはいえ――だからって、人ひとりの力でどうこうなるほど、管理が杜撰(ずさん)になっているというわけではない。なんだかんだで、出来うる限りの定期点検は欠かしていないし、住人側の日々のチェックも抜かりはない」


灰二:「(M)……と、なぜ、いきなりこんなことを話したのか――そして、つまり、何が言いたいのかというと――」


慧:「灰二ッ!!」


0:慧、ドアを蹴り飛ばす


灰二:「(M)……通常、成人女性が繰り出す前蹴り程度では、ドアを吹き飛ばすことなど出来ない――という話だ」


灰二:「(M)……アルミ製のドアが、くの字型にひしゃげた状態で、目の前でシーソーのように揺れている。玄関からリビングまではおよそ三メートルほど。だが、経験則から察するに――これでも、だいぶ手加減された方だろう」


灰二:「(M)…‥恐る恐る、玄関の方を見遣る。そこには――」


慧:「おぉ、灰二。姉ちゃんが来てやってるのに、迎えに降りてこないってのはどういう了見だ。ずいぶん偉くなったもんだなぁ、おい」


灰二:「…‥姉ちゃん」


灰二:「(M)おれの従姉(あね)である――神崎慧が、立っていた。まさに威風堂々たる、佇まいで」


0:間


灰二:「(M)姉ちゃんとは、従姉妹の関係にあたる。おれの母親が、姉ちゃんの母親と二人姉妹で、五年遅れで、おれが産まれた」


灰二:「(M)小さい頃から、姉ちゃんには世話になってる。それこそ、幼稚園の頃なんて、姉ちゃんの後ろをずっとついて回ってたほどだ。たくさん甘えてたように思う。だから――ってわけでもないけど、おれは姉ちゃんには頭が上がらない。まあ、単純な力関係もある。一男子として、まったく情けない限りだが――とても、固定されたドアを、三メートルほど悠々と蹴り飛ばすような人に、勝てるわけなどなく……」


0:灰二の部屋


灰二:「…………」


慧:「……言い訳があるなら聞こう」


灰二:「……えっと――」


カンラ:「あっ――神崎さん、俺が悪いんス。今日のこと、伝え忘れてて。知ってたら、灰二だって、そりゃあ喜び勇んで迎えに参上しますとも! なぁ?」


灰二:「あ、あぁ! もちろん! わざと出迎えに行かないなんて、そんな反抗的な態度取るわけがないだろ、おれが!」


慧:「ふぅ〜ん……」


灰二:「(M)……現状を解説しよう。テーブルを挟んで、おれと姉ちゃんが向かい合っている。おれは起立させられ――そして……カンラは今、四つん這いになって、姉ちゃんの椅子になっていた」


慧:「……カンラ」


カンラ:「は、はいっ!」


慧:「あとで始末書だ、いいな?」


カンラ:「え……これが、お仕置きみたいなものでは……」


慧:「いいな?」


カンラ:「ハイ……」


灰二:「…………」


灰二:「(M)見てられねぇ……」


慧:「……はぁ。まあいい。それじゃあ――本題に入るぞ」


灰二:「(M)このままで……?! いや、まあ……そうか。多分、座っちゃ駄目なんだろうな、おれも……」


灰二:「(M)玄関から入り込む風が、この部屋のシュールさを際立たせる。二日酔いなど、綺麗さっぱり消え去っていた」


慧:「――じゃあ、ほれ」


灰二:「……? 黒い封筒?」


灰二:「(M)傍に置いたかばんから、姉ちゃんが一通の封筒を差し出してきた。サイズはA4サイズ。色は真っ黒。少しざらついた表面の――不穏な気配のする、封筒」


灰二:「(M)おれは――これが何かを知っている」


灰二:「……どういう冗談だ、姉ちゃん」


慧:「生憎だが、本気だ」


灰二:「尚更わかんねぇな。おれに渡してどうする」


慧:「任務(しごと)だ。働け」


灰二:「姉ちゃん」


慧:「…………」


慧:「――灰二。一年だ。一年待った。お前の気持ちを汲んで、私なりの最大限の譲歩だ。いい加減、現実と向き合え。お前ばかりが不幸なわけじゃない。わかってるだろ」


灰二:「…………」


慧:「……午前中のうちに目を通しておけ。いいな」


灰二:「なぁ、姉ちゃん」


慧:「…………」


灰二:「……おれは、この任務を放棄する。除籍処分でいい。というか、一年前も同じ申請を出したはずだ。あの時は、「時間を置いてみろ」って、保留にされたけど――もう、いいよ。……一年間、生活のための支援をくれたことには、感謝してる。応えられなくて――ごめん」


慧:「…………」


カンラ:「……灰二……」


0:灰二、玄関へと向かう


灰二:「……………」


慧:「――どこに行く」


灰二:「……朝飯。昨日飲み過ぎて、二日酔いで腹の中のもん全部吐いちまったからさ。うちの冷蔵庫には、大したもん入ってないし。適当に、どっかで食ってくる」


慧:「逃げるのか?」


灰二:「……あぁ。もう、いいんだ。姉ちゃんも、おれに構わずさ、カンラと一緒に、後輩連中、見てやってくれよ。姉ちゃんが直接指導してやれば、みんな、いやでも強くなると思うぜ」


慧:「…………」


灰二:「……別に、家出しようってわけじゃないから。晩飯は、うちで食うつもりだし。だから――話の続きがあるなら、その時にしてくれ。……それじゃあ」


慧:「…………」


灰二:「――あぁ、それと。いい加減、カンラを解放してやれよ。一番気まずい思いをしてるだろうからさ。……悪いな、カンラ。お前も、いろいろ気ぃ遣ってくれたんだろうけど」


カンラ:「……気にすんなよ、灰二。お前の人生だ。何をするかは、お前自身で決めるしかない。ただ――手助けが必要なら遠慮なく言ってくれ。友達(ダチ)をやめた覚えはねぇからな」


灰二:「……あぁ。ありがとう」


慧:「――灰二」


灰二:「…………」


慧:「…‥帰ってきたら、話がある。その時に、改めてお前の答えを聞かせろ」


灰二:「……わかった」


0:灰二、家を出る


カンラ:「…………どうするんです?」


慧:「……仕方ない。カンラ、手配を頼む」


カンラ:「りょーかい」


慧:「……さて。あとは天命だな。まあ、なるようになるだろ」


カンラ:「神崎さんにしては、ずいぶん漠然としてますね」


慧:「…‥今のあいつには、もう言葉での説得は通用しない。なら――あいつ自身に、気づかせるしかない」


カンラ:「……そうっすね」


慧:「――ちなみにだが、カンラ」


カンラ:「なんでしょう?」


慧:「私にどいて欲しいか?」


カンラ:「……あははぁ、まさかまさか。これも仕置きの一部。神崎さんが満足されるまでは――わたしの方から、どいて欲しいだなんて言葉はとてもとても。甘んじて、こちらの罰を、受容させていただきます」


慧:「うむ。よろしい。では――あと三時間は頑張れ」


カンラ:「さん……っ?! は、はぁい……」


0:間


0:夜


灰二:「(M)近所のファストフード店で適当に朝飯を済ませて、ぶらっと街中を散歩する。たまに図書館に寄ったり、デパートの中を散策したり――そんな感じで、ただ帰り道を避けるように歩いていると――気づけば陽も落ちて、おれは一人、商店街を抜けた先にある公園の片隅で、ブランコに座り、漕ぐでもなく、ただぼーっと過ごしていた」


灰二:「…………」


灰二:「(M)わずかに体を揺らすと、()びたチェーンが擦れて金属音を鳴らす。商店街を行き交う人も少なくなってきた。まばらな街灯が、公園の中をぼんやりと照らし出す」


灰二:「……帰るか」


灰二:「(M)ブランコを降り、公園の出口に向かおうとすると――後ろから、声をかけられた」


ざくろ:「――おにーさん」


灰二:「……はい?」


灰二:「(M)足音も、気配もまったくしなかった。見た目的には中高生くらいだろうか。幼さの残る顔立ちが、怪しげな笑みを浮かべて、こちらをじっと見ている」


灰二:「……えっと。なんか用かな?」


ざくろ:「……ちょっと、付き合ってくれない? あたしの――実験にさ」


灰二:「実験……?」


灰二:「(M)彼女は、ポケットから折りたたみナイフを取り出すと、その切先をおれに向けた」


ざくろ:「そ。ずっと前から、興味があったんだよね――人を殺した時の感触って、どんな感じなのかなって。おにーさんで試させてよ」


灰二:「……えっと……あー、そういう年頃なのかな。実行に移せることは、一つ素晴らしいことだと思うけど――内容(なかみ)が問題かな。人を殺すことは、この国じゃ犯罪なんだ。まあ、大抵どこの国でも犯罪だけど。それに、きっと後悔する。この先、見窄らしい人生を送りたくないなら――今すぐ、そのナイフをしまって、家に帰るべきだ。とりあえず、あったかいもの食べて、ぐっすり眠れば、考え方も変わるさ」


ざくろ:「……わかってないね、おにーさんは。ずっと前から、って言ったでしょ。あったかいもの食べて、ぐっすり眠るなんて――今さら、その程度のことじゃ変わらないよ。あたしの――この、衝動はさ」


灰二:「……それは――困ったね」


灰二:「(M)公園脇の道路を、一台の車が通り過ぎていく。まさか、運転手も思わないだろう。すぐ隣の公園で、殺人が行われようとしていることなど」


ざくろ:「――大丈夫。苦しめたいわけじゃないから。抵抗しないなら、楽に殺してあげるよ」


灰二:「わぁ。そりゃあ、お優しいことで」


灰二:「(M)薄暗がりの中で、ナイフの切先が放つ反射光が、おぼろに揺れる。どうやら――彼女の中で、これ以上の会話は不要だと判断したようだ。身構え――目つきが変わる。爛々とした、獣のような鋭い光を(はら)んで――その眼差しが、おれを捉える」


ざくろ:「……一瞬だよ――おにーさん」


灰二:「……わかった。なら――仕方ないか」


ざくろ:「――ッ!」


灰二:「(M)躊躇いなく、彼女はこちらへと距離を詰めて――繰り出された切先を、おれは半身を切って躱した」


ざくろ:「っ――」


灰二:「さて――どうしたもんかな」


灰二:「(M)ひとまず、彼女の胸ぐらを掴んで突き放す。体勢を崩し、彼女は大きく尻餅をついた」


ざくろ:「ったぁ〜……!」


灰二:「……あのさ。今からでもやめない? 通報はしないであげるから。いや、した方がいいんだろうけど。まあ、まだ被害は受けてないし。真っ当に生きなよ。それが君のためだ」


ざくろ:「……好き放題言ってくれるじゃん。まだ始まったばっかりだよ。ちょっと優位に立ったからって、調子乗りすぎ」


灰二:「……はぁ。優しさだと思うけどなぁ」


ざくろ:「――こ、のッ!」


灰二:「(M)立ち上がった勢いそのままに、ナイフを突き出す」


灰二:「工夫がないな」


灰二:「(M)切先が届く前に、彼女の腕を取り、体を反転させて投げ飛ばす。今度は尻餅こそつかなかったが、不恰好な様で前のめりにつんのめった」


ざくろ:「っと、と……!」


灰二:「君さ、体幹、あんまりないだろ。運動神経は良さそうだけど。ただ、格闘においては、むしろ大事なのは体幹だよ」


ざくろ:「……おにーさんこそ、なんか格闘技でもしてたの? 動きが手慣れてるように見えるけど」


灰二:「あー……まあ、いろいろとね」


灰二:「(M)――さておき、このままじゃ(らち)があかない。いや、繰り返しさばき続ければ、いずれは諦めてくれる可能性もあるけど――人通りもさらに少なくなってる。ただでさえ、公園の奥まった場所だ。通行人からは、何が起こってるか視認することは難しいだろう。そもそも、人がいることすら気づかないかもしれない」


灰二:「(M)…‥適当に逃げて、通報するのもありだけど……」


ざくろ:「…………」


灰二:「(M)……どうにも、気が引ける。自分の、この社会における立ち位置的にも――あるいは、若人に対する憐れみかもしれない。……まあ、歳はそんなに離れてないだろうけど」


灰二:「…………」


灰二:「――なぁ、やっぱ帰りなよ。んで、今日のことは忘れて、日常に戻りな」


ざくろ:「……また、そういうこと言う……。上から目線やめて欲しいんだけど」


灰二:「実際、上だろ。このままやったって、勝負は見えてる。だけど、おれは別に、君を殺したいわけじゃない。さっきも言っただろ。通報はしない。おれも、今日のことは忘れるから、お互い、元の日常に戻ろう。な?」


ざくろ:「……っざけんな……」


灰二:「あ?」


ざくろ:「――ッ、ざけんなッ! 引きこもりニートのくせに! えらそうに説教垂れてんじゃねぇぞ!」


灰二:「……は?」


ざくろ:「もうアッタマきた! 評価にもプラスになるからって、こっちが下手に出てりゃ調子乗りやがって!」


灰二:「お、おい……」


ざくろ:「言っとくけどなぁ! あたしはまだ本気出してないから! こっからが本番だから! もういい、てめぇは殺す! 評価なんざ知るか! 馬鹿にされたまま、終われるわけねぇだろうがッ!」


灰二:「…………」


灰二:「(M)何がなんだかわからんが、えらい豹変ぶりだ……。……いや――いくつか引っ掛かるワードはあった。というより、おおよそ事の見当はついたけど――」


灰二:「――まずは、こいつをなんとかしないとな……」


ざくろ:「何ブツブツ言ってんだ! 殺すぞ!」


灰二:「はいはい、っていうか、そのつもりだったんだろ? 来いよ。きっちり相手してやる」


ざくろ:「〜〜〜ッ! 舐めやがってぇ〜〜ッ、殺すッ!」


灰二:「(M)突き出されたナイフを半身を切ってかわし、彼女の手首を掴んで捻りあげる」


ざくろ:「――ッ!」


灰二:「おぉ、ナイフを手放さないのは感心だな」


ざくろ:「て、めぇッ――!」


灰二:「おぉっ、と」


灰二:「(M)頭突きを後方へと避けて、少し距離を取る。彼女は捻じられた手首をさすりながら、呼吸を整えて、また構えを取った」


灰二:「……次はもっと痛いぞ」


ざくろ:「次はない。あたしが勝つ」


灰二:「その自信はどこから来るんだか……」


灰二:「(M)――わずかに。ほんのわずかにだが――奇妙な感覚が、胸の内にあった。それがなんなのかはわからない。ただ――あれだけ忌避していた、命の()り合いを――今、平然と受け入れている自分がいる。解決することなんて、ないと思っていた。一生、あの閉塞感の中で、ぼんやりと生きていくものだと」


灰二:「(M)……時間、なのだろうか。姉ちゃんの言う通り、時間の経過が――いつの間にか、あの出来事を、あの記憶を――過去のものとして消化できるように、()かしてくれたのか」


灰二:「(M)……いや。少し、ちがう気がする」


ざくろ:「何ぼーっとしてんだッ!」


灰二:「(M)ナイフをかわし、彼女の肩に手を添え、蹴手繰(けたぐ)りの要領で体を横方向へ回転させる」


ざくろ:「ぎゃッ!」


灰二:「……お前さ、友達はいるか」


ざくろ:「あぁ?! いたらなんだよ!」


灰二:「いや……、友達を裏切る理由って、何だろうな」


ざくろ:「はぁ……? ……よくわからないけど、金とかじゃないの? ま、あたしはそんなので裏切らないけど!」


灰二:「はは、金かぁ……。……いや、そういうんじゃないな、あいつは……」


ざくろ:「……っていうか――なに浸ってんだ! あたしとの勝負に集中しろよ!」


灰二:「おっ、と……。起き上がりざまの上段蹴り……、やっぱ運動神経はいいな、お前」


ざくろ:「腹立つ……! 勝手に満足そうな顔しやがって! あたしは! まだ! 負けを認めてない!」


灰二:「そうだな。でもさ――もうやめにしないか?」


ざくろ:「はぁ?!」


灰二:「だって――同業だろ、お前。いや――正確には、同僚か。おれのことも知ってるみたいだったし、大方、姉ちゃんの差し金だろ」


ざくろ:「なっ……!」


灰二:「ブチ切れてて自覚無しか? お前、さっき、おれのことを「引きこもりニート」って言ったろ。それに、「評価にもプラスになる」とかなんとか」


ざくろ:「あ……」


灰二:「感情的になりやすいのは癖か? 似たようなのが知り合いにいるから、何も、常に冷静でいろとまでは言わないけどさ――それで隙が大きくなるようじゃ、直した方がいいな」


灰二:「――とにかく。プロの殺し屋たるもの――自分の弱点くらいは、把握しとけって話だ」


ざくろ:「……(にのまえ)、灰二……」


灰二:「……当たりか」


灰二:「(M)――毎日、同じ夢を視る」


灰二:「(M)コンクリートに囲まれた、薄暗い部屋の中。銃弾と血飛沫が交差して、立ち込める鉄の匂いが、湿気と混ざり合って肌に張り付く。妙にリアルな感覚がするのは――これが、過去の出来事であるからだ」


灰二:「(M)結末は変わらない。現実に沿って、この物語は進行していく。追い詰められた標的が、お決まりの文句を並べて命乞いをする。それに呆れる者、嘲笑する者――仲間たちの反応は様々だったが――そいつをどうするのかなんて、答えは決まりきっていた」


灰二:「(M)引鉄に指をかける。今日の仕事も、これで終わり。いつも通りの流れに、大した感慨はない。終止符を打つように、一呼吸置いて――」


灰二:「(M)続く銃声は――すぐ後ろから聞こえた」


灰二:「(M)……あの日、仲間の裏切りによって――おれは、友達を一人(うしな)った。背後から心臓を撃ち抜かれて――おそらく、状況を理解し切れないまま、そいつは死んだ」


灰二:「(M)――「退屈だった」と、言っていた。友人の死体をまたいで、標的のそばへと向かう。とどめを刺すためじゃない。背後から友達を撃ち殺した――おれにとって、もう一人の友達は――標的の前に立ち、ゆっくりと――その銃口を――おれに向けた」


灰二:「(M)……理由を、聞きたかった。「退屈だ」と言った、その理由を。その「退屈」のワケを」


灰二:「(M)――簡単なことだった。たった、それだけのことだったんだ。拭い切れない暗闇の中で――二人の友達を、同時に失ってしまったことを――ずっと、引き摺り続けているのだと、そう思っていた」


灰二:「(M)……理由が、知りたかったんだ。それだけで――おれは、裏切りも。喪失も。受け入れられる。もとより理不尽な世界だ。ただ――だからこそ、おれは、それだけが知りたい」


灰二:「……なら、どうすべきかは決まってる」


ざくろ:「……あー、もぅ。こうなったら、もうだめですよねぇ。正体もバレちゃったし、あたしも萎えちゃった。ねぇ、どっかから見てるんですよねぇ〜? これ、始末書ものってやつですか〜? それとも、任務達成ってことでいいです〜?」


灰二:「……そういえば」


ざくろ:「うん?」


灰二:「――名前、聞いてなかったな。まあ、そんな場面もなかったけど。同僚なんだろ? 教えてくれよ」


ざくろ:「……あー。まあ、いっか」


ざくろ:「――木津ざくろ。ざくろでいいよ」


灰二:「わかった。よろしく、ざくろ」


ざくろ:「よろしく、おにーさん。……おにーさん、でいいよね? 敬語とかも気にするタイプ?」


灰二:「いや。別にいいよ」


ざくろ:「あざーす」


慧:「……無事、気付けたみたいだな」


灰二:「……姉ちゃん」


ざくろ:「おねーさんっ、お疲れさまですっ」


 :ざくろ、甘えたような感じで慧にすり寄る


灰二:「……豹変した?」


カンラ:「よ、お疲れ、灰二」


灰二:「……やっぱ、お前もグルか」


カンラ:「まぁな。つっても、今朝のアレは、マジで伝え忘れてただけだが」


灰二:「おいおい……」


慧:「――灰二」


灰二:「……ん」


慧:「……戻ってきてくれるな?」


灰二:「……あぁ」


慧:「……よかった」


灰二:「……っ」


灰二:「(M)姉ちゃんが、おれの頭を撫でる。殴られ、叩かれは日常茶飯事だったが――撫でられたのは、いつぶりだろうか」


灰二:「ちょっ……、さすがに恥ずいって……!」


ざくろ:「あー! おにーさん、ずるい! おねーさん、あたしも撫でてください! がんばったんですよ!」


慧:「お前はもうちょっと冷静さを覚えろ」


ざくろ:「あぅっ! デコピン痛いぃ〜……!」


カンラ:「――じゃ、帰りますか」


慧:「そうだな。いい加減、サツも動き出すかもしれん」


灰二:「え……」


カンラ:「何件か、近隣住民からの通報があった。一応、軽く人払いはしてあるつもりだったが、大規模作戦とかじゃないからな。多少、抑え込むつもりで許容はしてたんだが――そろそろ限界だろ」


灰二:「大丈夫なのかよ、それ」


カンラ:「あぁ。現行犯で見つからない限りは問題ねぇよ。通報っつっても、揉め事がある程度のもんだ。こっからトンズラしちまえば、あとは情報部の方で上手いこと処理しといてくれるさ」


灰二:「なら、いいけど」


 :帰路につきながら


ざくろ:「あぁ〜っ、お腹すいたぁ〜。ねぇ、おにーさん。復帰祝いにさ、なんか奢ってよ」


灰二:「なんでおれが奢る側なんだよ。普通逆だろ」


ざくろ:「おにーさんの復帰に協力してあげたでしょ〜? そのお礼も兼ねて、ってことで!」


灰二:「なんだそりゃ……」


慧:「いいなぁ、灰二。私らの分も頼む」


カンラ:「ごちになります!」


灰二:「ちょっ、ちょっと待て! 何でそうなる?!」


ざくろ:「あたしピザが食べたい!」


カンラ:「俺ぁ餃子がいいな!」


慧:「私は甘いものを。十種のケーキ盛り合わせ、的なのでいいぞ」


灰二:「……あのなぁ……! ……はぁ。わかったよ。じゃ、別々で買うのも面倒だから、デリバリーにしようぜ。注文は各自で済ませてくれよ」


慧:「いいのか?」


灰二:「……やっぱおれがする。言っとくけど! 予算はあるからな! それと、ちゃんと全体の量を考慮して注文すること! いいな!」


ざくろ:「はぁ〜い!」


カンラ:「うぃ〜っす」


慧:「…………」


灰二:「姉ちゃんも!」


慧:「……あぁ。だが――ケーキは一つとしてやらん。食べたきゃ別で頼め」


カンラ:「うぃっす!」


ざくろ:「うぃっす!」


灰二:「……はぁ。いくらになんだ、これ……」


灰二:「(M)――とにも、かくにも。こうして――おれは再び、殺し屋の世界へと戻ることになった」


灰二:「(M)……いつ、どこで、どうやって、あいつに会えるのかはわからない。ただ――そう遠くない気がする。そんな予感があった。――その再会が、どのような形であれ――」


灰二:「(M)あの裏切りの真相を――問い(ただ)す。そのために、おれは――進み続けると決めたんだ」


 :エピローグ


カンラ:「(M)――一灰二が復帰する、およそ一ヶ月前。月夜の住宅街で――神崎慧は、ある少女に呼び止められた」


ざくろ:「――おねーさん」


カンラ:「(M)少女は、手にナイフを携えて、神崎慧の前に立ち塞がる。彼女が浮かべる笑みは、月が照らす、淡い光の中で――妖しげな気配を孕んでいた」


ざくろ:「……おねーさん。悪いんだけど――あたしの実験に付き合ってよ」


慧:「……実験?」


ざくろ:「そ。……あたしさ、人を殺してみたかったんだよねぇ〜。――その時の感触が、どういうものなのか――あたしは、何を思うのか――それを知りたいんだ。だから――おねーさんで試させてよ」


慧:「……あぁ〜。お前、中二病、ってやつか」


ざくろ:「は?」


慧:「そういうのは、他人様(ひとさま)に迷惑をかけないようにやるべきだ。深夜の出歩きは親御さんも心配するだろうし、刃物の持ち歩きといい、警察の補導対象にもなる。恥ずかしい思いをする前に、さっさと帰りなさい」


ざくろ:「……おねーさん。あたしは本気なんだけど」


慧:「なら、余計にだ。私は、あんまり手加減できないタチだから。大怪我する前に、大人しく帰りな」


ざくろ:「……なに、それ。舐めてるでしょ。ねぇ」


慧:「聞き分けのない子は嫌われるよ〜。……それとも、もう嫌われてるのか。学生の頃の友人関係なんざ、大抵は役に立たない、もって四、五年程度の短いものだけどさ――でも、悪くないもんだよ。思い出にすら残らない、希薄な繋がりだったとしても――その瞬間にとっては、かけがえのないものだったりする。それすらも捨ててしまうのは――あまりに空しいものだ」


ざくろ:「勝手に話を進めないでくれる?! っていうか、友達くらいいるから!」


慧:「あ、そう。なんだ。それは、悪かったね。早とちりして、説教しちゃった。歳とった証拠かな」


ざくろ:「あのさぁ〜……状況わかってる?! ナイフ! 見えてるよね?! これで、おねーさんのことを殺すって言ってんの! 本気だよ?! おねーさんがなんか格闘技をやってんのか知らないけどさ――あんま、調子乗らないほうがいいよ……!」


慧:「……じゃあ、やってみたらいい」


ざくろ:「――っ」


カンラ:「(M)瞬間――木津ざくろは、後悔した。らしい。――目の前の、特にガタイが良いわけでも、なんらかの武具の類を取り出したわけでもない、一見して細身の女が――まるで、辺り一帯をも覆い尽くすような、巨大な鬼神のように見えた、と――そう錯覚するほど、纏う雰囲気が、一瞬にして変貌した。と」


慧:「……どうした。かかってこないのか」


ざくろ:「…………あ」


カンラ:「(M)とはいえ――木津ざくろも、大口を叩いた手前、退()けなかった。ただの錯覚――そう思い込もうとしても、足は(すく)み、ナイフを持つ手が震える」


ざくろ:「……っ、こ……のっ……!」


カンラ:「(M)幼い頃から、漠然と胸に抱いてきた、殺人衝動。それを肯定することに決め――親との繋がりも、友達との繋がりも――すべてを棒に振る決意で、ナイフを手に取った。……それが――こうもあっさりと、心根から砕かれるものかと――木津ざくろは、両手でナイフの柄を握りしめ――気力を振り絞るように、声を張り出した」


ざくろ:「う……ぁぁ、ああああああああああッ!」


カンラ:「(M)無理やりに踏み出した一歩。余裕のない、あまりにも無様な突撃。そして当然――その結末は、あまりにも呆気なく――」


ざくろ:「――がッ!」


カンラ:「(M)ナイフが到達するよりも先に――木津ざくろの顎に、掌底が叩き込まれる。続けて――」


ざくろ:「ごッ?! ぐ、ふッ! がぁはッ!」


カンラ:「(M)鳩尾へのアッパー、顔面への膝蹴り、そして――後頭部への踵落とし。流れるような三連撃に――呆気なく、木津ざくろの意識は、深くへと沈んだ」


 :現在


 :灰二の部屋


慧:「――と、まぁ、そういう経緯で、ざくろをウチにスカウトした」


灰二:「……殺人衝動は本物だったのかよ……」


ざくろ:「てへ」


カンラ:「とはいえ――最初の一週間は、厳重な監視の(もと)、徹底的な、殺し屋としての育成が行われたけどな」


灰二:「誰が担当したんだ?」


カンラ:「そりゃあ――」


慧:「ん」


ざくろ:「おねーさんです!」


灰二:「……あぁ」


慧:「拾った責任があるからな。とにかく、社会性と人間性を、根本から叩き直した。もう、勝手な殺しはしないだろう」


ざくろ:「はいっ! 大丈夫です! あたしは、おねーさんに一生ついていきます!」


灰二:「……教育されてら……」


カンラ:「ま、一人目に選ばれたのが、神崎さんで良かったよ。もし、他の誰かを殺した後だったら――処理が面倒だったからな」


灰二:「……んで? ざくろに協力してもらって、おれを引き戻す作戦を組んだ、ってことか。さしづめ、あの黒い封筒は、ざくろの暗殺依頼ってところか」


カンラ:「そういうこと。ったく、結構がんばって作ったんだぜ? それを、開きもせずによぉ」


灰二:「悪かったよ……」


慧:「――灰二。改めて言う必要もないだろうが――お前のソレは、初めて味わった、理不尽に対する対処法――考え方を、用意していなかったからだ。そこに気づき、自分なりの解決策を見出せたのなら――あとは、そのための場所を、示してやるだけでいい。……まあ、少し、荒療治にはなったがな」


灰二:「……ったく。――なんつーか、うまく誘導された気がするというか、まるで見透かされてたみたいで、釈然としないけどな」


慧:「なら、また塞ぎ込むだけの日々に戻るか?」


灰二:「煽るなよ。……別に、だからって、おれの、この気持ちまで偽物だ、なんて言うつもりはねーよ。おれが、自分で出した答えなんだ。それは、嘘じゃない」


慧:「……ならいい」


 :一呼吸


灰二:「……なぁ、姉ちゃん」


慧:「うん?」


灰二:「――そろそろ、教えてくれよ。わざわざ、おれを引き戻すための作戦まで組んだんだ。……自画自賛するようで、あんま、こういう言い方はしたくねぇけど――戦力としての〝神崎の血〟が必要だから、おれを引き戻したんだろ? その理由を――教えてくれ」


慧:「…………」


慧:「――まず、言っておくが。そのためだけに――灰二、お前を引き戻したわけじゃない。上司として――そして、一人の従姉(かぞく)として。お前に戻ってきて欲しかったのも本心だ。その上で――」


灰二:「…………」


慧:「――灰二。これから、殺し屋界が大きく動く。すでに、アメリカの〝JUGGERNAUT(ジャガーノート)〟、ブラジルの〝Casa(カーサ) do() Deserto(デゼルト)〟、そして、イギリスの〝The Legion(レギオン)〟が、動きを見せ始めている。私たちも、出遅れるわけにはいかない」


灰二:「……ちょっと、待った。アメリカに、ブラジルに、イギリス……? どれも、世界規模で名が知れてる、殺し屋の一大組織だろ。一体、なにが……」


カンラ:「…………」


ざくろ:「…………」


慧:「――私たちも、まだ正確な情報を掴めてるわけじゃない。だが、少なくとも今回は――」


慧:「――世界規模の、戦争が起こる。それも――たった一人の、男の手によって。な」


0:続

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