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右耳③ 優しくしてあげないとね

大物を回収したあとの耳の中は、

さっきまでの“詰まりの影”が消えて、

代わりに少しだけスカスカした感じが出ている。


ライトで照らすと、耳道の奥の皮膚がよく見える。

乾燥タイプ特有の、薄く粉っぽい名残りが、

ところどころ壁にまとわりついている。


ここから先は、もう攻めじゃなくて整えるほう。

 ちゃんと優しくしてあげないとね。


私は耳かきをトレーに置き、

今度は綿棒に手を伸ばす。


普通の綿棒じゃなくて、

先端にローションを含ませたタイプ。

小さくボトルを押して、

綿の先に透明な液を一滴落とす。


綿がそれを吸い込んで、

さっきより少し重くなる。


指先でくるくる転がすと、

しっとり、ふにゅっとした手応え。


「今度は、少ししっとりした綿棒で、

 奥の壁を“拭き取り”していきますね。

 さっきみたいなガリッていう感じは無いので、安心してください」


彼は小さく息を吐いて、

まぶたを少しだけ閉じた。


ローション綿棒の先端を、

耳の入口にそっと当てる。


さっきのステンレスより、

ずっと柔らかい。

ただ、温度が少しだけ違う。


耳のほうがほんのり温かくて、

綿棒は最初だけ、すこしひんやりしている。


ひやっ……

  ……じわ……


触れた瞬間に、

ローションの水分が皮膚側へ移動する。


「すこし冷たかったですよね。

 すぐ、なじみますからね」


入口を一周させるようにして、

綿棒を回す。


くる……くる……


乾いた壁の上を、

しっとりした綿が滑っていく。


さっきまで“カリカリ”言っていたラインから、

摩擦の音がほとんど消える。


耳の中に広がるのは、

綿のこすれる、くしゅ…くしゅ…っていう、

柔らかい音だけ。


耳道の壁に沿って、

入口から少しずつ奥へ進めていく。


乾燥した耳垢の名残りが、

ローションでふやけて、

綿の繊維へゆっくり絡んでいく感覚が指先に伝わる。


しゅ……

 ……しゅ……


「あ……」


彼の喉から、小さな息が漏れた。


「痛みは、ないですよね?」


「ないです……なんか、さっきより、

 中を撫でられてる感じが、はっきりします」


「それが狙いです。

 “掃除”っていうより、“なでて慣らしてる”感じですね、今」


私は、耳道の形をなぞるように、

綿棒を少し押しては、軽く戻す。


奥には入れない。

あくまで、鼓膜のずっと手前――

でも、“内側”を実感できるギリギリのところまで。


ローションと綿の柔らかさのおかげで、

さっきまでカリカリだった壁が、

一枚ベールをかぶったみたいに滑らかになる。


しゅ、しゅ、しゅ……


綿棒を回転させながら引き抜いて、

一度外に出す。


先端をライトの下へ持ってくると、

さっきまで壁にくっついていた細かい粉が、

薄く綿にまとわりついている。


うん、十分。

 これ以上やると、逆に敏感になりすぎる。


今度は、新しい綿棒を取り、

ローションを使わずに“乾いた綿”だけで入口を軽くなでる。


ふさ……

 ……ふさ……


余分な水分を吸い取って、

中を少しだけ“サラッとしたしっとり”の状態に整える。


「はい、これで右の中は、

 あとは仕上げの梵天だけで大丈夫そうです」


「……もう、だいぶ眠いです」


「まだ片耳ですよ。

 ここから、ふわふわタイムですから」


私はローション綿棒をトレーの端に置き、

梵天を手に取る。


白い毛がふわっと広がって、

ライトの下で柔らかく揺れている。


指で軽くしごいて、毛先を整える。

そのとき、指に伝わるのは

ふわ…ふさ…っていう、空気ごと掴んでいるような軽さ。


「じゃあ、右耳の仕上げ、いきますね。

 ここからは、何もしなくても落ちていいところです」


私は少し身をかがめて、

梵天を右耳の上からそっと近づける。


まだ触れない。

耳の上数センチのところで、

毛先が空気をかき混ぜている。


耳の産毛が、その風を受け取って、

ごく小さく総立ちになるのが見える。


この“来るぞ感”をちゃんと作ってから、

 一気にふわっと落とす。


毛先を、耳輪の上端にそっと落とす。


ふわっ……


綿棒とも指とも違う、

重さのない接触。


肌の上に、

空気を集めたクッションを乗せたみたいな感触が伝わる。


そこから、耳輪のカーブに沿って、

ゆっくり滑らせる。


さら……

 ……さら……


毛の一本一本が、

皮膚の表面を浅く撫でていく。


音は小さい。

でも、耳にとってはこれが世界の中心だ。


彼の呼吸が、

ここで一段階落ちる。


さっきまで「ふぅ……」だったのが、

今は「はぁ……」になっている。

吐く息の終わりの力が抜けている。


耳珠のまわりを丸くなぞるように、

小さく円を描いて動かす。


くる……くる……


毛先が、さっきローション綿棒で通った場所を

上から“ふさふさ”とさらうように撫でる。


内側の皮膚はすでに柔らかくなっているから、

ひと撫でごとにじんわりとした温度の波が広がる。


「くすぐったかったら、言ってくださいね」


「……ちょっとだけ、です。

 でも、嫌じゃないです」


「それ、いちばんいいやつですね」


彼の耳珠のあたりを、

梵天で何度か通り過ぎる。


ふわ

 …ふさ…

   …ふわ……


わざと一定のリズムにせず、

間をずらして落としていく。


人は、予測できない優しさにいちばん弱い。


次に、梵天の毛先を、

耳の入口のすぐ外側に立てる。


中には入れない。

入口の縁だけを、やさしく撫でる。


ふさ……ふさ……


さっきまで金属や綿棒が通っていた場所に、

いちばん柔らかい刺激だけを通してやる。


乾燥していた耳道は、

ローションで整えたあとの今、

触られるたびに“安心するほうの刺激”だけを拾っている。


私は梵天の根元を軽く揺らして、

毛先の方向を少しだけ変える。


一本一本の毛が、

入口のラインを少しずつ違う角度で撫でていく。


彼の肩の力は、もうほとんど残っていない。

太ももに乗っている頭の重さも、

完全に“預けきった重さ”になっている。


うん、右はこれで十分。

 この状態から息を落とすと、きれいに沈む。


最後に、梵天を耳の上から大きく横に滑らせる。


ふわぁ……


耳の周りの空気ごと撫でて、

そこに残っていた緊張をぜんぶ払うような動き。


私は梵天をトレーに戻し、

指先だけで右耳の外側をそっと撫でる。


「はい、右耳、おしまいです。

 どうですか? さっきより、軽くなってます?」


彼は少し間を空けてから、

ぽつりと答えた。


「……右側だけ、もう寝てます」


「いいですね、それ。

 じゃあ、このあと左も追いつかせてあげましょうか」


右耳は、もう完全に“オフ”になっている。

ここから左耳に移れば、

両側まとめて落としにいける。


私は膝の上の重さを感じながら、

左側のライトの位置を、静かに調整し始めた。


――右耳、完了。

次は左耳で、バランスを揃えにいく番だ。

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