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右耳① まずは入口を

指先で右耳の輪郭をなぞる。

耳輪のカーブ、耳たぶの厚み、耳珠の膨らみ。


触れた瞬間にわかる。

――この人、乾燥タイプだ。


しっとりしたいわゆる“飴耳”の子だと、入口を撫でたときに指の腹に少しだけ湿った感触が残るけど、

この人の耳の外側は、さらっとしてる。

指がすべる感触が、ガラスじゃなくて、すりガラスみたいな微妙な抵抗を連れてくる。


「……うん、乾燥ぎみですね」


わざと独り言みたいに言ってみる。

彼の喉が、膝の上でこくんと動いた。


「か、乾燥って、良くないですか?」


「悪くはないですよ。

 ただ、カリカリ音がよく鳴るから……」


そこで一拍置いて、

耳たぶを親指と人差し指でそっとつまむ。


「いっぱい、聞かせてもらえそうだなって」


耳たぶを軽く揉みほぐすと、

指の間でむにっとした感触が返ってくる。

耳たぶだけは柔らかい。

乾燥タイプの人でも、ここはだいたい裏切らない。


私は左手で頭の位置を少しだけ固定しながら、

右手の指先で耳の外周をマッサージする。


耳輪の上から下へ、

耳の後ろ側から前へ、

ゆっくり、円を描くように。


す……

 ……す……


皮膚の薄いところを指の腹で撫でるたび、

鼓動のリズムが伝わってくる。

彼の心臓が、耳のすぐ下でとく…とく…と主張している。


「力、抜けてきましたね」


「……すこし、だけ」


「まだ“すこし”なんですね。

 じゃあ、もっと抜いてもらいましょうか」


私はそう言って、ステンレスの耳かきに目を落とす。

先端が小さく湾曲していて、乾燥耳垢にはちょうどいいサイズ。


ライトの下で先端を軽く傾けると、

金属特有の冷たい光が、刃物みたいに細く反射する。


乾燥タイプは、入り方を間違えるとすぐ痛いからね。

 入口を整えてから、奥はじわじわ。


まずは直接の侵入は我慢して、

耳の外側の“素行調査”から始める。


耳の付け根、耳たぶとの境目に耳かきの反対側――柄のほうを軽く当てる。

先端じゃなく、持ち手のほうで。


とん……


先端が丸められた金属が皮膚に触れる感触。

冷たさと硬さだけが、点になって落ちる。


彼の肩が、ほんの少しだけ跳ねたのが、

太もも越しに伝わる。


「怖かったですか?」


「い、いえ……その、ちょっとびっくりしただけで」


「そっか。

 じゃあ、もうちょっと驚かせてみてもいいですか?」


「……はい?」


返事を待たずに、私は耳の外側をなぞり始める。


耳かきの柄を使って、耳輪の外側を金属の丸みでゆっくり滑らせる。


コリ…コリ…


指とは違う。

少し硬い素材が皮膚の上を通ることで、

皮膚の下の筋や、細かいコリが浮き上がる。


「これだけでも、けっこう気持ちよくないですか?」


「……変な感じです。

 指とは、ちがう……」


「ですよね。

 外側は、指よりこっちのほうが『そこ掘られてる』って感じ、強いので」


耳輪の上端をなぞりながら、

ときどき、耳の後ろのほうまで滑らせていく。


耳の裏は少しだけ熱がこもっていて、

金属のひんやりとした感触が余計に際立つ。


コリ……すっ……


「ここ、重くなってませんでした?」


耳の後ろを押しながら聞いてみると、

彼の喉が小さく鳴る。


「……そういえば、最近ずっと肩こってて」


「ですよね。耳の後ろ、固いですから。

 ここ、少し長めにやっておきますね」


私は耳かきを置いて、指にチェンジする。

耳の付け根から首筋にかけて、

親指の腹でぐーっと押し流す。


ぐ……

 ……すぅ……


首の筋肉が指の下でゆっくり動く。

その動きと一緒に、呼吸のリズムも整っていく。


うん、だいぶ“土台”はほぐれてきた。

 そろそろ、本命にいこうか。


ステンレスの耳かきを持ち直す。

今度は先端側。

小さなスプーンみたいな形の、金属の部分。


私はライトの角度を微調整しながら、

右耳の入口をのぞき込む。


乾燥タイプの耳には、

薄くなったワックスが、

壁に貼りつくように残っていることが多い。


入口付近にも、やっぱりそれらしい色が見える。

紅茶色というか、薄い琥珀色というか。


うん、これはたぶん、

 いい音が鳴るやつ。


「じゃあ、少しだけ中を失礼しますね」


耳元で声を落としてから、

耳かきの先端を入口の少し下へそっと寄せる。


触れた場所は、まだ耳の“外”側――耳道の外周ぎりぎり。

いきなり中には行かない。

この“まわりくどさ”が、からかいコースの醍醐味だ。


先端を肌に押しつけない。

ただ、紙一枚はさんだ程度の距離で滑らせる。


す……

 ……す……


耳の縁を、なぞるだけ。

金属の存在を、「まだ入ってないけど、すぐそこにいるよ」と知らせる。


彼は、ぴたり、と動きを止める。

呼吸も一瞬だけ浅くなる。


「緊張してます?」


「……ちょっとだけ」


「“ちょっとだけ”のわりには、

 耳、すごく素直に固まってますけど」


そう言いつつ、私は耳の入口の“縁”だけを、

小さく円を描くようになぞっていく。


耳かきの先端が、

乾燥した皮膚の表面をかすめるたび、

**シャリ……シャリ……**と、

砂の粒を軽く押し動かすみたいな音がする。


「今の音、聞こえました?」


「……なんか、ぞわってしました」


「乾燥してると、こういう音がよく鳴るんです。

 気持ちいいほうか、苦手なほうか、ちゃんと教えてくださいね」


入口の上のほう、

耳輪の内側にあたるラインを、

もう少しだけ深くなぞる。


カリ……カリ……


さっきより、少しだけ硬い音。


耳かきのスプーンの縁が、

薄く固まった耳垢の端を見つけて、

そこだけほんの少し持ち上げる。


大物じゃない。

でも、「ここに何かある」ことを知らせる程度のひっかかり。


彼の体が、膝の上でピクリと反応する。


「今の……」


「入口の“端っこ”だけ、触ってます。

 奥はまだ、触ってないです」


“まだ”という言葉を少し強めにして、

期待と不安を一緒に投げておく。


ここから、本格的に焦らす。


私は耳かきの角度を変えて、

入口すぐの壁を“撫でるだけ”の動きに切り替える。


耳道に入るか入らないか、ぎりぎりの位置で、

スプーン部分の側面だけを使って、

壁をなでる。


こり……こり……


耳の中に、金属が「いる」のはわかる。

でも、“掻いている”わけじゃない。


あくまで、

「軽く押して、すぐ戻る」を繰り返すだけ。


「奥に入っていく感じ、します?」


「……はい。来てる気がします」


「気がしてるだけですね。まだ入口です」


本当のことを言ってるのに、

なぜか残酷に聞こえるのがこのコースの仕様。


入口付近の乾燥した耳垢は、

まだ全部はがさない。


あえて、ところどころだけ、

カリ…と触ってはすぐ離す。


「……っ」


喉から漏れた音を拾って、

私はほんの少し笑ってしまう。


「ごめんなさい、痛かったですか?」


「いえ……その、変な感じで」


「変な感じは、だいたい合ってます。

 気持ちよくなりそうなところと、

 まだ“やめたほうがいいかも”ってところの境目、今さわってるので」


それを聞いて、また彼の肩がわずかに上がる。

でも、逃げる方向じゃない。

「このまま様子を見ている」ほうの力の入り方だ。


耳かきの先端を一度引き抜いて、

耳の入口すぐ外を、指でそっと押さえる。


「……ここ、今ちょっと敏感になってます」


指の腹で軽く円を描くと、

さっき金属が通ったラインが、

じんわり熱を帯びているのがわかる。


耳の皮膚の下にある細かな血管が、

一段階だけ流れを速くしたみたいな温度変化。


「ここまでで、どうですか?」


「入口だけなのに……けっこう変な感じします」


「じゃあ、まだ入口だけで遊んでおきますね。

 奥は、もうちょっと我慢してもらってから」


先端を再びライトの光にかざす。

乾いた琥珀色の粉が、少しだけついている。


大物じゃない。

ただの“前菜”。


うん、入口の反応、悪くない。

 ここをしばらくいじっておいてから、

 本格的に奥の壁を取りにいったほうが、この人には合ってる。


私は耳かきを持ち直して、

もう一度、入口ぎりぎりに先端を置く。


今度は、

“取る”というより、“なぞる”ために。


カリ……

  ……カリ……


乾燥耳垢が、

少しずつ形を崩されていく音だけが、

耳の中で静かに響いていた。

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