表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

例のコース入りました。

「アイさん、例の“からかいコース”、指名入ってますよー」


バックヤードのカウンターでタオルを畳んでいた手が、ぴたりと止まる。

例のコース。あの、普通の耳かきよりちょっとだけ手間も時間もかかるけど、そのぶん反応が面白いコース。


「新規さん? それともリピート?」


受付の子がモニターを覗きながら、くるっと椅子を回す。


「新規です。男性のお客様。コース指定で“からかい付き耳かき”って。」


へぇ。自分からからかわれに来るタイプか。

心の中で小さく笑う。


覚悟があるのか、ただの好奇心か。どっちだろ。

どっちにしても、手は抜けない。からかい付きって、優しくするのと同じくらい、ちゃんと見てあげないと危ないんだから。


タイムテーブルをちらっと確認する。

この枠は、私が一人で最後まで見られる時間。途中で急いで切り上げる必要もない。


「はーい、そのお客様、私が行きます。

 タオル一枚追加しておいてもらっていい?」


「了解です〜。多分、緊張してガチガチですよ」


「そういう子ほど、ほぐすの楽しいんだってば」


そう言いながら、私はロッカーから鏡を取り出して前髪を整える。

仕事中の自分の顔は、ちゃんと“店の顔”でありつつ、少しだけ遊びを残しておきたい。


目元のメイクは柔らかめ、でも口元だけはきっちり引き締めて。

今日の私は“優しい店員さん”と“意地悪なお姉さん”の両方をやらなきゃいけないから。


スリッパの音を小さく抑えながら廊下を進むと、待合のソファに、その人は座っていた。


椅子の端っこに、少しだけ浅く腰かけている。

背もたれに預ければ楽なのに、緊張してるのか背筋が変に真っ直ぐだ。


手元には、案内用のパンフレット。

だけど、目線はそこじゃなくて、さっきから時計と床のあいだをうろうろしている。


……あー、これはあれだ。からかわれに来たくせに、いざとなるとビビってるタイプ。


嫌いじゃない。むしろ一番やりやすい。


「お待たせしました。アイと申します。本日、“からかい付き耳かきコース”でご予約いただいたお客様でよろしいですか?」


声はいつもの接客用、柔らかめのトーン。

でも、語尾だけをちょっとだけ上げて、探るように。


彼はビクッとしてこちらを見上げ、慌てて立ち上がろうとして、ソファの縁に足をひっかけかけていた。


「は、はい。えっと、その……お願いします」


うん、目が泳いでる。

でも、声だけはちゃんと出てるあたり、逃げる気はないっぽい。


「ありがとうございます。じゃあ、お部屋のほうご案内しますね」


軽く会釈して先に立ち、廊下を歩きながら後ろの足音を聞く。

歩幅が合ってない。私についてこようとして、半歩ずつ早くなったり遅くなったりしている。


よし、慣れるまであんまり喋らないでおこう。

 この“どうすればいいかわからない”空気のまま、部屋まで連れて行く。


個室のドアを開けると、柔らかいオレンジの照明と、アロマディフューザーの薄い香りが迎えてくれる。

ここはいつも通り。今日初めてここに入るのはお客さんだけ。


ベッドの横には、ライト。

その隣にはステンレスのトレー。

並んだ道具たちが、小さく光を返している。


「こちらにどうぞ。靴は脱いで、そのままスリッパに履き替えてくださいね」


振り返ると、彼はきちんと指示通りに動いている。

動きはぎこちないけど、ちゃんと従うタイプ。

やっぱり素直だ。


「今日は“からかい付き”のコース、ということなので……」

私はベッドの端を手で軽く叩く。

「少しだけ、意地悪されるのが前提になってます。嫌なことや痛いことがあったら、ちゃんと言ってくださいね。そこは、からかわないので」


彼の視線が一瞬だけ上がって、私の顔をまっすぐ見る。

不安と興味と、少しの期待。


「……言ったら、ちゃんと止めてくれます?」


「当たり前ですよ。そこ守れないならプロじゃないですから」


そう言って、にっと笑って見せる。

これはお店のマニュアルには載ってない、私の笑い方。

“からかいコース”のときだけ出す顔。


彼の肩から少しだけ力が抜けるのが分かる。


うん、この人は大丈夫。

 ちゃんと限界線まで連れてっても、折れさせたりはしないタイプ。


「じゃあ、こちらに仰向けに寝てください。そのあとで、私の膝のところに頭を移動させますね」


「ひ、膝枕……なんですね」


「そうですね。耳かきしやすいし、リラックスもしやすいですから。

 ……恥ずかしいですか?」


ちょっとだけ首を傾げて聞いてみる。

彼は、わかりやすく目をそらした。


「すこしだけ。でも、コース予約したの自分ですし……頑張ります」


「ふふ、頑張らなくていいですよ。

 がんばるのはこっちの仕事なので」


言葉は優しく、内心は少しだけニヤニヤしている。

こういう真面目な返事、嫌いじゃない。


彼がベッドに横たわる。

シーツの音が、空気の静けさの中でやさしく擦れる。

そこから、そっと頭を私の膝の上へ滑らせてもらう。


太ももに伝わる重さ。

最初は少し浮いているけれど、数秒すると、沈む角度が変わる。


お、ちゃんと預けてきた。えらい。


「まくら、硬くないですか?」


「だいじょうぶ……です。あったかい」


その言葉が、太もも越しに伝わる体温とリンクして、私の中で「よし、今日のスイッチが入ったな」という感覚になる。


私は上体を前に倒して、顔を少し近づける。

彼の視界には、きっと私の髪と天井の照明が半分ずつ映っているはずだ。


「それじゃあ、右耳からお邪魔しますね」


そう告げて、彼の右耳の形を目で追う。

耳輪のカーブ、耳たぶの厚み、皮膚の色。

その人だけの“耳の個性”を、最初にちゃんと見ておく。


うん、柔らかそう。

 入口も、あんまり鋭く曲がってなさそうだし、攻め方は……そうだね。


右手でライトの角度を少し変える。

耳のラインが、光の縁でくっきり浮かび上がる。


トレーに視線を落とすと、ステンレスの耳かきが待っている。

いつも通り、始まる直前に先端を消毒液で軽く拭き、ガーゼで水気をととのえ準備万端。


左手はそっと、彼の頭の側面に添える。

逃げないように、でも、いつでも逃がせるように。


さて、新規さん。

 どこまでからかわれに来たのか、ちゃんと教えてもらおうか。


私は心の中でそうつぶやき、

右耳の外側に、最初の指先をそっと落とした。


――ここからが、本番だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ