第8話 訪問する家
トヲルは独りで、とあるマンションの一室の前に立っていた。
一面を煉瓦で敷き詰められた、かなり大きくて綺麗な建物である。一体家賃はいくらなのだろうか。外観から見ても、随分と高額な感じがする。
トヲルはその八階のフロアにいた。これからこの家を訪問しなくてはならない。
時刻を見ると、午後三時を少し回ったばかりである。
時折遠くの方では、子供達の笑い声がする。
このマンションの入口付近には、ちょっとした憩いの公園のような庭園があった。遊具類などもいくつか設置されており、来る途中で小さい子供達が数人ほどそこで遊んでいるのを見かけた。声はそこから聞こえてくるのだろう。
その歓声とは裏腹に、トヲルはかなり気が重かった。
(そもそもこんなところに住んでいるヒトが、借金なんてするのかな?)
ヒトは見かけによらないことくらい、分かってはいたが。
「これからあのマンションへ、借金の取り立てに行く。あんた一人で行ってきてくれ」
先程いたドームから更に五駅ほど先に進んだこの街へ降り立ち、コウヅキが最初に言った言葉がソレである。
当然トヲルは唖然とした。
「な、なんで僕が?」
「だってあそこン家のオバさん、苦手なんだよなぁ」
コウヅキは自分の後頭部を掻きながら、なぜかバツの悪そうな表情をする。
「そ、それだけの理由!?」
「まぁな」
ここでトヲルも流石に我慢の限界になり、思い切って抗議をしてみた。
「あ、あのっ。何で僕があなたの仕事を手伝わないといけないんですかっ!」
今まであまり口答えをしたことがないトヲルにとっては、このようなささやかな抵抗でも生きた心地がしなかった。
「そりゃ、それがあんたの責任だからだろ」
「……は?」
即答で返されたが、言っている意味が解らない。「責任」とは何のことだろうか。
思い当たる節を探している間にトヲルが黙り込んでいると、コウヅキが続けて言った。
「正確には『あんたの両親が』、だけどな。俺の相棒があんたの両親と一緒に失踪しなけりゃ、さっきの仕事といい、この仕事といい、一緒に組んで片付けるはずだったんだが」
『一緒に失踪』……。
この話は初耳である。「手を貸した」としか、聞いていなかったからだ。
「要するに息子であるあんたがその責任を取れ、ということさ。じゃなけりゃ、相棒のいない俺は独りで仕事をしないといけないからな。それにあんたの両親がこのまま見つからなかったら、あんたがその借金を代わりに背負わなけりゃならないんだぜ」
確かにこの星には、そういう法律が存在している。
「でも……」
「あの相棒が失踪の手伝いなんて、自分から進んでやるわけないからな。余程の理由があったんだろうが、とにかく俺の相棒はあんたの両親の頼み事を聞いた。だったら逆に息子であるあんたがその責任を負って、俺の頼み事を聞いてくれてもいいんじゃないか?」
トヲルは益々黙り込んでいた。反論しようにも、コウヅキの言うことも一理あるような気がしたからだ。
「な~に、自信ないって言うんなら何も心配することはないぜ。ただ相手に金を払ってもらうだけの、実に簡単な仕事だからさ」
「でも僕、そういう仕事ってしたことないし……素人だし」
「だから、大丈夫だって。さっきの仕事も相棒に成り代わって、ちゃんと手伝えたじゃねぇか。あれと比べりゃ楽勝だぜ」
コウヅキは気持ち悪いくらいの満面の笑みを浮かべながら、トヲルの肩をバンバンと強く叩いた。
(あれも手伝ったことになる、のか?)
何か釈然としないものを感じはしたが。
でも。
(そうなんだよな。父さんと母さんがこんなことしなければコウヅキにも、その相棒ってヒトにも、迷惑をかけることなかったんだよね)
トヲルはひとつ、息を吐いた。
「わかった。何とかやってみる」
「よっしゃ。家は八〇二号室だから。じゃ、よろしく頼むぜ」
軽い声に送り出されながらトヲルは背中を丸めてゆっくりと、そのマンションに向かって歩き始めた。
その背中に向かってコウヅキがほくそ笑んだことに、トヲルは当然気付かなかったのである。
トヲルは益々気が滅入った。チャイムに手を伸ばすよりも先に、溜息が出た。
「でもやる……しかないんだよね」
自分に暗示をかけるように呟きながら、恐る恐るチャイムを押す。
二度、三度押してみるが、誰もインターホンに出る気配がなかった。留守なのだろうか。トヲルは内心ホッとしていた。
だがそれも束の間。
『……はい。どなた?』
女性の声である。
「あっ、あ……え、えーっとぉ……」
留守だろうと思い、油断していたトヲルは不意を突かれてかなり焦っていた。
そして。
「借金、返して貰いに来ましたっ!」
ぶちっ。
あからさまにインターホンの回線が切れた。
「うわっ、ど、どうしよう」
(そうだっ! このまま帰ろう。留守だったって言えば大丈夫だよ、きっと。うん)
慌ててそう思い付いたトヲルが踵を返して廊下に目を向けると、いつの間にかコウヅキが少し離れた場所で、腕を組んで仁王立ちで立っている姿が見えた。




