第68話 囮(おとり)
コウヅキが倒れているミレイユを庇いながら、そこに襲ってくる死体達を倒しているのが見える。
トヲルは開いているエレベーターの前で座り込み、呆然とその光景を眺めていた。
何故か自分一人だけ、逃げようという気にはなれなかった。
コウヅキの放った銃が、こちらに向かって床を滑ってきた。それは丁度座っているトヲルの膝に当たり、止まった。
自分にはもう、何も残されてはいない。
先程まで停止していた思考が溶けるように、ゆっくりと動き出すのを感じる。
(父さんも母さんも伯父さんも、もういないんだ)
目が、両親の姿をしたモノ達を捉えた。
不意に以前、ペルギウスが言った言葉を思い出した。
《「生きた証」を残したい―――》
「トヲル、そいつをここへ投げ入れろ!!」
死体を引き剥がしながら、コウヅキがこちらに向かって叫ぶ声が聞こえてくる。
それほど距離は離れていないはずなのだが、トヲルには遠い場所から聞こえてくるように感じられた。
言われるままに手を伸ばし、銃を掴んだ。初めて持った銃は、手に収まるほど小型であったが、ずっしりと重かった。
(僕はいつも他人に迷惑を掛けてばかりで、何の役にも立たなかったけれど)
銃を手に持ち、のろのろと立ち上がる。
コウヅキとミレイユの姿は、死体達に囲まれて見えなくなっていた。
(今なら僕は……僕があの二人を助けられるかもしれない)
できるだけ、エレベーターから遠い場所へ。
ガラスの向こう側へ通じている、小さな出入り口が開いたままになっていることは、既に確認済みだった。
コウヅキが自分の言うことを信じてくれたときには、すごく嬉しかった。
初めて自分を認めてくれたような気がした。
そんなコウヅキを、自分も信じようと思った。
コウヅキなら、今から自分がやろうとしていることを、きっと分かってくれる。
「オモチャなら、ここにある!」
トヲルは銃を天に、高々と掲げながら叫んでいた。
アイがその声に反応し、顔を輝かせながらこちらに注目するのが見える。
声と銃を持つ手が震えているのは、自分でも分かっていた。
トヲルはその湧き上がる恐怖心を必死で押さえつけながら、銃を抱えると一気に走り出したのである。
ガラスで仕切られた部屋の中へ、一目散に駆け込んでいた。
だが突然、アイが目の前に現れる。
(! この娘も、瞬間移動能力者!?)
それはペルギウスも使っていた能力だった。
トヲルは、二人がエレベーターに乗り込めるだけの時間稼ぎくらいはできる、と思っていた。そして自分を囮にし、敵を引きつけるつもりでいたのだが。
しかしアイというこの少女も、瞬間移動能力を使えるとは――即座に立ちはだかってくるとは、予想外のことだった。
「それ、ちょうだい」
黒炎を携えたアイが、前からこちらに近付いてくる。トヲルは後退ったが、異臭を放っている集団も、出入り口から次々と入り込んできた。
「ね、ちょうだい。そしたら一緒に遊びましょ」
その黒い炎はまるで生きているかの如く、今にも襲いかかってくるようだった。
トヲルはそれを見詰めながら、殺される瞬間のタスクを思い出していた。一瞬で自分の姿と重なり合い、押さえつけていた恐怖が全身を駆け巡る。
刹那―――。
ズンッという鈍い音とともに、トヲルの身体全体に衝撃が走った。
一瞬何が起きたのか分からなかった。が、自分の腹付近に違和感を抱き、咄嗟に下を向いた。
血に塗れた一本の腕が、ソコから突き出しているのが見える。
しかしこの身に一体何が起きているのかは、まだ理解できていなかった。
背後にも気配を感じ、首を少し巡らせてソレを見詰めた。
「母……さ……?」
視界が急に暗くなる。変わり果てた無表情な母の顔も、同時に遠ざかっていく。
「あら、あなた…――――――」
アイのその声が、最後だった。
ここでようやくトヲルは理解したのだ。
背後から母の腕が自分の腹を貫通している、と気付いたのである。
だが既に遅く、意識はそこで途切れていた。




