第61話 少女
目の前にいるのは、幼い頃によく一緒に遊んでくれた伯父だった。
トヲルが大学へ入学する直前からは疎遠になってしまっていたが、確かに伯父だった。
「しっかりしろっ!」
《其方、どうしたというのじゃ》
コウヅキとペルギウスの声が、同時に聞こえてきた。肩を強く揺さぶられたトヲルは、ようやく我に返る。
「あ、ご、ごめん」
すぐに謝ると、虚ろな目をコウヅキに向けた。コウヅキはその表情に、顔を曇らせる。
「もしかして伯父さんって、最初に借金で逃げたお前の……あの伯父さんか?」
《其方、顔色がいつもより青いぞよ》
ペルギウスも肩から心配そうに、顔を覗き込んでいた。
(行方不明だった伯父さんが、こんな状態でいたなんて……)
これ以上は考えることの出来ない、最悪な予感が頭を過ぎる。
と、トヲルの手に何かが触れた。見るとミレイユが震える小さな手で、トヲルの手を握り締めている。
顔を伏せていたので表情までは分からなかったが、手から伝わってくる温もりだけは感じることが出来た。
「ねぇ、おトモダチになろうよ」
突然声が聞こえてきた。勿論、この中の誰でもない声だ。
反射的に全員が一斉に、そこへ顔を向ける。
そこには十五~十八歳程の、ミレイユよりは若干年齢が上くらいの少女がいた。
色白の肌に、腰まではあろうかという艶のある黒髪の少女は、トヲルが昔何処かの博物館で見たことのある、日本人形のようでもあった。
だが勿論、着物は着ていない。服装は赤い模様のついたスモックのようなものを一枚羽織っているだけで、靴は履いておらず裸足だった。
少女はトヲル達が通り過ぎようとしていた、扉の横に置いてあるシリンダーの蓋の上に、ちょこんと座っていた。足を揺らしながら、嬉しそうに笑っている。
しかしこの中の誰も、その少女がこの部屋に入ってきたことに、そしてそこに座っていたことにも、全く気付かなかったのである。
《其方、その気配は……》
ペルギウスがトヲルの肩から、少女を見上げた。
「アイね、おトモダチが一杯欲しいの。だっておトモダチと一緒だったら、ここに居てもぜんぜん寂しくないでしょ? だからアイ、ここで待っていたのよ」
『アイ』というのは、その少女の名前なのだろう。アイは、にこにこしながらこちらへ話し掛けてくる。
《其方はまさか、「闇の者」なのか?》
「ヤミのモノ? なぁに、ソレ?」
アイは不思議そうな顔で小首を傾げ、ペルギウスをじっと見詰めた。
その反応に、トヲルは更に驚いていた。
ペルギウスの声は自分にしか聞こえないはずだった。だが今の反応を見ると明らかに、アイというこの少女にもペルギウスの声は聞こえている、ということになる。
「パパがね、アイがここでいい子にしていたら、また遊びに来てくれるって言ってたの。
だからアイ、ここでいい子にしてるんだ。パパ、今度はいつ遊びに来てくれるのかなぁ。
きっとおトモダチが一杯できたから、パパも嬉しいよね。
ふふふ、早くアイとパパとおトモダチと、みんなで遊びたいなぁ」
アイは一方的に話し、そしてまたくすくすと一人で楽しそうに笑っていた。
するとふいに、座っていた場所から飛び降りた。それも約三メートルはあろうかという、高さからである。
しかし彼女は華麗ともいえる仕草で、ふわりと地面へ着地する。
正確にいえば着地したわけではなかった。何故なら床から十センチ程上で、静止したからだ。足が下に付いていなかったのである。
止まったと同時に、澄んだ音色も鳴り響いた。服のポケットから何かが床へ、転がり落ちるのをトヲルは見ていた。
「あ、あれは……」
トヲルの手を強く握り、目を見開いたミレイユが声を上げた。
「あたしが昔、お父さんにあげた……それをなんで、あなたが持っているの?」
アイは突然ミレイユに問われ、一瞬不思議そうな顔を返したが、すぐ下に目線を落とすと、
「ああ、コレ?」
そう言いながら、右の人差し指を少し動かした。すると地面に転がっていたものがアイの目の前まで、ゆっくりと浮き上がってきたのである。
それは小さな鈴の付いた、ピンク色のウサギの形をした人形だった。
「さっきそこの部屋で、おトモダチに貰ったんだよ。かわいいでしょ」
アイが言い終わらぬうちに、コウヅキが即座に動いていた。




