第26話 後悔
太陽、季節、気象は人工的に造りだしていたが、ドームの向こう側に見える満天の星空だけは、本物である。
夜の間だけ、透明なドームがその星を映し出していた。
その星空の下、コウヅキは一人夜道を歩いていた。
今は、初夏に差し掛かるくらいの時期である。少し汗ばむほどの陽気で決して寒くはなかったのだが、コウヅキは両手をジーンズのポケットに突っ込み、背中を丸めて歩いていた。
船の置いてある場所から約数十メートル手前のビル街。昼間は労働者達が忙しなく行き交っている場所である。だが夜には人気もなく、閑散とした雰囲気だった。
コウヅキは立ち並んでいる街灯の下で急に立ち止まり、短くなった煙草を投げ捨てながら建物に寄り掛かった。そのまま新しい煙草を胸ポケットから一本取り出して銜えると、使い捨てライターで火を付ける。
彼にとってはこの一時が心休まる瞬間でもあったが、船中での煙草はミレイユが嫌がるので、ビルの屋上か外でのみ許される行為である。
壁に背を凭れながら宙を見上げ、肺の中に満遍なく行き渡らせるかのように、深くゆっくりと煙を吐き出す。
コウヅキはそれを、ただボンヤリと眺めていた。
『ミレイユを助けて――』
あの母親との約束。
タスクはそれを今まで守ってきたはずである。それなのに何故突然、ミレイユの側を離れなければならなかったのか。
そこにどんな事情があったというのだろう。
(あの時に俺が、もっと詳しく話を聞いていれば……)
あの時――。
コウヅキが自室を出ると、目の前にはタスクが立っていた。
四十台半ばほどの壮年の男で、色黒でガッチリとした筋肉質な体型をしている。
「何? オヤジ、なんか用か?」
見下ろすように、いつもの愛想のない顔でコウヅキは問い掛けた。
二人が出会ったのはコウヅキがまだ今のミレイユと同じくらいの年頃であったが、いつの間にか背丈はタスクを追い越していた。
「あ、あぁー、いや。その……」
薄く無精髭の生えた顎をさすりながら目線を逸らし、口籠もる。今思えばその数日前から、様子がおかしかったような気もした。
時々人の話を上の空で聞いていたり、何か考え事をしていたり。
だがコウヅキはその時には、全く気にも留めていなかった。あまり細かいことを気にしない性格なのである。
「ああそうだ。お前、今から何処かに出掛けるのか?」
「いや。船長に呼ばれたから、これからそこへ行くだけだ」
「もしかして別の仕事でか?」
「俺もまだ船長からは、詳しい話を聞いてないんだが……多分、そうだろうな」
「そう、か。……ああ、すまんな。通り道を邪魔しちまって」
そう言いながら、タスクは慌ててドアの前から退く。
彼が動くと同時に、リンッという澄んだ音色が響いた。
それはタスクが腰にぶら下げていた、マスコット付きのキーホルダーから聞こえてくる。小さな鈴も二つ付いており、音はそこから鳴っていた。
数年前にミレイユから、誕生日プレゼントとして貰ったものだった。それを肌身離さず、いつも大切に持っていた。
「コウヅキ……いや。……じゃあ、俺はこれから部屋に戻るから」
「? そう、なのか」
何か曖昧な態度にコウヅキは一瞬、違和感のようなものを感じた。しかしタスクがそのまま背を向けて自室に歩みを進めたので、コウヅキもまた、そのまま反対方向へ歩き始める。
「ミレイユのこと、頼むな」
ポツリと呟いたその言葉でコウヅキが振り向くと、そこにはもう、タスクの姿はなかった。




