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 沖縄には百六十ほどの島がある。

 

 その中で人が住んでいるのは五分の一程度。さらに、地方自治が成立し、独自の文化や歴史を刻んできて今に至っているのはほんのわずかだ。

 一方、人口が五十人足らずでありながら、独自の小・中学校を維持し続けている強者もあり、島内の生活状況も千差万別である。

 

 そんな離島の一つ。

 

「うわあ。すげえ景色だなあ」

 

 海を仰いで、フォウが感嘆の声を上げた。

 

島から島へ、いくつもフェリーを乗り継いで、やっとたどり着いた小島である。

 細長い島の周囲を美しい砂浜がどこまでも取り巻き、海は透き通ったエメラルドグリーン。

 観光客の期待する沖縄の自然をぎゅっとひとまとめにしたような景観の中央に、こじんまりした集落が、身を寄せ合うようにして暮らしていた。

 

「なあ、和彦さん。こんなきれいな海、見たことある? 気候もいい感じで、サイコーだねえ」

 

「僕には少し暑すぎるけどね」

 

 極寒の世界からやってきた王子は、ハンカチで首の汗をぬぐいながら苦笑した。

 

 獣医は一家総出で波止場まで迎えに来ていた。

 

 本人も奥さんも若かった。仕事着らしいオーバーオール姿で、小学生低学年くらいの娘を一人連れていた。

 

「僕が大西です。九条先生にはお世話になってます」

 

 満面の笑顔で和彦とフォウに握手を求めてくる。

 九条の友人と聞いて想像していたのとは違って、いたって普通人らしいことに、かえってフォウたちは拍子抜けした。

 

 機内にも手荷物で持ち込んで大事に運んできだ大きな冷凍ボックスを手渡すと、大西獣医は手放しで喜んだ。

 

「うわあ、これで助かりますよ」

 

「あ、九条先生が、できるだけ急いで充電するようにって。コンセントのあるところでは線につないでおきましたけど、さすがにフェリーでは内臓バッテリーだけが頼りでしたから。ものすごく電力食うんですよ、この冷凍庫」

 

「わっそうだった」

 

 叫ぶなり大西獣医は、乗ってきた自転車の荷台に冷凍庫を括り付け、すごい勢いで走っていってしまった。

 しょうがないわねえ、と怒りながら奥さんが、フォウと和彦を案内して同じ道をゆったり歩き出した。

 

「なにしろこの島では養鶏が唯一の産業みたいなものなの。ということはつまり、あの人のメシのタネも鶏にかかっているわけで。やんばるハーブ鶏といって、昔から美味しいって評判なのよ」

 

「お二人はこの島の出身なんですか?」

 

「いいえ。あの人とは元々、ダイビング仲間」

 

「あー。それで沖縄移住?」

 

 こういう世間話はフォウの担当で、和彦は黙って後ろをついてくるだけだ。

 それでも以前と違って、視線を向けられたら愛想笑いができるようになったぶん、進歩といえようか。

 

 母親に手をひかれた娘は、そんな和彦が気になるようだ。

 さっきからちらちらと後ろを振り返り、いかにも話しかけたそうである。

 

 ちっちゃくても女の子だもんなあ。やっぱり、和彦さんがとびぬけてカッコいいってわかるんだろうなあ。

 

「どしたの、おじょうちゃん。ほら、和彦さん。むっつり黙り込んでると不審人物みたいで怖いだろ。ちゃんと自己紹介しなよ」

 

 しかたないので橋渡し役を務めてやるフォウも、たいがい人はいい。

 

「おっと、俺もまだ自己紹介してなかったっけ。俺はフォウ、こっちのお兄さんは和彦さん。おじょうちゃんの名前は?」

 

 子供に好かれることでは自信のあったフォウだが、娘が目をまん丸にして母親の腕にすがりついてしまったから、かえってびっくりした。

 

「え、俺も怖がられてる?」

 

「ごめんなさいねえ。うちのカオリ、人見知りなのよ」

 

「カオリちゃんっていうのか。よろしくね」

 

 にっこり笑いかけたら、ますます縮こまってしまった。

 

「カオリ、こんにちはって言いなさい」

 

「あっ、いいんですよお母さん。カオリちゃん、というわけで、俺も和彦さんも怖い人じゃないから。心配しなくていいからね」

 

「そうよう。ニワトリさんを治す薬を、わざわざ本土から持ってきてくれたのよう」

 

 緑のさざめく散歩道を四人でゆっくりと歩いた。

 

「それにしても、九条先生の薬がホントにこっちのニワトリに効いてるんですか? 九条先生が独自に開発した無認可薬だっていう話でしたけど」

 

 九条に知れたらタコ殴りにされそうなことをフォウが聞いたら、奥さんはそっくり返ってケラケラと笑った。

 

「まったく、男っていうのはねえ」

 

「えっ。効いてないんですか?」

 

「さてね。私は専門家じゃないし、うちの人も九条先生も獣医の免許は持ってるわけだから、あの人たちのいうのが正しいのかもしれないけど。

 私にいわせればニワトリたちは、なんかにひどくおびえて正気をなくしたみたいな行動をとってた、というだけのようにも見えたわね」

 

「なにかって?」

 

「ニワトリって意外に臆病な生き物なのよ。鶏舎に蛇が入り込んできりしたらそりゃもう大騒ぎになるし、それどころか、単なる日食でも、食欲なくしたりするのがいたりするの。おっかしいでしょ?」

 

「まあ、昔は人間だって日食にはおびえたそうですからね」

 

「どっちにしろ、薬を処方するのとニワトリが落ち着くのが同時期だったのは事実だし、それでうちの人が安心して仕事ができるんならいいのかなーって。

 とかいうと、わざわざこんな辺境まで来てくれたあなたたちに失礼か」

 

「とんでもない! このきれいな島の景色を見られただけでも、十分に元は取れましたよ。なあ、和彦さん」

 

「ああ。そうだねフォウくん」

 

 和彦が微笑むと、奥さんまでが少しぽおっとなったりするから、ハンサムというのは罪が深い。

 

「お礼に今晩は、私が腕によりをかけて、沖縄の思い出になるようなご馳走を作って食べさせるからね! できればあなたたちも、明日のフェリーで帰るとか言わず、何日か泊まっていきなさいよ。うちは全然かまわないから」

 

「いやあ。帰りの飛行機とっちゃってますから」

 

「飛行機なんか、いまどきスマホからいくらでも便の変更はできるでしょ。うちの島に来てビーチで泳ぎもしないなんて、もったいないわ。九条先生には私から言っといてあげるから、この大旅行のお駄賃だと思って、ね?」

 

 ぐいぐい来る奥さんに押されつつ、フォウはやっぱりカオリのことが気になるのだった。

 かたくなに口をつぐんでじっとこちらを見ている、その目つきが、何かを言いたそうに見えてしょうがないのだ。

 

 フォウは子供に好かれやすい。

 そのせいで昔から、子供の相手を任される機会も多かった。

 そのときの経験から、フォウにはわかるのだ。

 あれは、大きな秘密を隠し持っている子供の目だ。

 

 子供の秘密にはさまざまなものがある。だから、子供にとっての大きな秘密が大人にとってもそうだとは限らない。悪人のアジトもネズミの穴も、子供には同じに見えても大人は違う。

 だから、子供のああいう目つきを誤解してもいけないし、だからといって軽んじてもいけないとフォウは肝に命じている。

 

「ほら、あそこよ。あの一画が私たちの町内会。ちょっと離れたところにある青い屋根の家が、私たちのおうち兼動物の診療所」

 

 奥さんが丘の上を指さしながら言った。


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 奥さんの宣言したとおり、夜は大パーティとなった。

 

 大西一家だけでなく、近隣の家族もそれぞれの自慢料理を持って集まってきた。

 せっかく庭に出たのだからとバーベキューまで始まって、お祭りかというほどの大盛り上がりだ。

 

 こういうとき、フォウはたいてい喧噪の中心となる。

 

「では、もう一発!」

 

 リクエストに応じて、バーベキューの炎をすくい取り、空中でレースのようにつなげてみせる。

 おお、と歓声があがり、子供ばかりか大人までが夢中になった。

 フォウの得意とする、炎の曲芸だ。

 

 あれをすると、後でどっと疲れてしまうというのに。

 

 庭の片隅で紙コップのお茶を飲みながら、和彦は密かに苦笑していた。

 

 本来、あの技は悪霊退治に使う真剣なものだ。

 炎を操るのもフォウの精神力と修行のたまもので、こんなふうに遊びに使っていると知れば、彼を仕込んだ霊幻道士の師匠は嘆くか激怒するに違いない。少なくとも、よくやったとほめることはないだろう。

 

 けれどもフォウは、そういう意味での出し惜しみはしない。

 

 今はこの人々大の歓迎に感謝を表すべきだし、そのためならば霊幻道士の技を使うのも惜しくない。フォウはそう考えているのだろうし、そんなふうに考えるフォウのことを、和彦は決して悪いとも思わなかった。

 

 以前なら。

 

 初めて出会った頃ならば、感じ方は違っていたかもしれない。

 あのときの和彦はフォウのことを、押しつけがましいおせっかい野郎としか思っていなかったからだ。

 もしくは、むやみやたらに騒がしい、陽気なだけが取り柄の浅はかなやつ。

 

 僕たちは共に、ずいぶん遠くまでやってきた。

 

 人々に囲まれたフォウを遠目に見やって、和彦はしみじみと微笑んだ。

 

 ののしりあい、殴り合うことまでしながら、二人で力を合わせて闘うことを覚えた。互いに相手を信じ、支えあう心地よさも知った。

 

 今では。

 

 出会う前のことが思い出せないくらい、当たり前のようにフォウは和彦の隣に立っている。

 フォウがいない頃、自分はどうやって生きていたのだろう。何のために生きていたのだろう。

 ときどきふと、そんなことが不思議になったりもする。

 

 視線を感じて視線を落とすと、いつの間にかそばにカオリが来ていた。

 和彦に見つめられたカオリはぽっと頬を赤くしてうつむいた。

 

「どうしたの? 君はフォウくんの魔術を見にいかないのかい。ほら、みんな楽しそうだよ」

 

「火はきらい」

 

 少女はにべもなく言った。

 

「雪がすき」

 

「……ああ、そう」

 

 雪と寒さが何よりの大敵という世界に生まれ育った和彦は、地球の暖かい地方に住む人々の雪に対する憧れに、ときおり戸惑うことがある。

 

「どうして雪が好きなの?」

 

「……あたしがうまれとき、雪がふってたんだって。おかあさんがよく、はなしてくれたの。雪のふるまちにすんでたんだけど、あたしがうまれてから、あっかいほうがいいっていうことになって、このしまにひっこしてきたって」

 

「ふうん」

 

 フォウが相手なら相槌を打っていれば勝手に話が進んでいくのだが、幼女が相手ではそうもいかない。

 和彦はしかたなく、カオリを自分の椅子に座らせて、自分はその脇に座った。

 

「僕たちも、雪の降るところからやってきたんだよ。だから自信をもっていえるけど、雪はそれほどいいもんじゃない。冷たいし、たくさん降っていると外にも出られないし、それが積もりすぎると、家も押しつぶしちゃうんだよ」

 

「でも、きれいでしょ?」

 

 カオリは強情に言い張った。

 

「あたし、雪がふるのをみてみたいの。つめたいっていうけど、そのつめたいのも、じぶんの手でさわってみたい。この島にいたら、ぜったいにそんなことできない。あったかすぎるもの」

 

 そういえばフォウも、自分の故郷に雪は降らないのだとよく言っている。だから、ありえないことを指す『香港に雪が降ったら』という慣用句まであるのだと。

 地理的にはやや北にあたる沖縄も、事情は同じらしい。

 

 カオリが和彦の袖をぐいぐい引っ張った。どこかへ連れていこうという意思表示のようだ。

 フォウのほうを見たが、彼の周囲はさらに盛り上がっていて、とても割って入って同行を求める雰囲気ではない。

 やむなく和彦は、幼い少女に手をひかれて診療所の中へ戻った。

 

 住宅と兼用されている診療所は、一般の家庭よりも間取りが広く作ってあった。

 外がにぎやかなぶん、静けさがよけいに強く感じられた。

 奥さんがいつも気をつけて掃除をしているのだろう、治療機器は片隅にきちんとまとめられ、動物臭もうっすらと感じられる程度である。

 雑然を絵にしたような九条先生の診療所とは大違いだ。

 

 上がりかまちで靴を脱いで、カオリに引っ張られるままに奥の居住スペースに足を運んだ。

 

 最初に入ったとき、あけっぴろげな大西夫婦からすべての部屋を見学させられたので、カオリの部屋の場所もわかっている。

 いかにも女の子の部屋らしく、半分はぬいぐるみに占拠されていた。

 お人形よりは動物が好きなようで、色とりどりで大から小までの生き物が所狭しと並べられていた。さすがは獣医の娘というべきか。

 

「ほら、これ」

 

 勉強机をごそごそしていたカオリが、得意満面で和彦に見せたのは絵本だった。

 ストーリー性はないもので、華やかな絵柄のクリスマスの光景が毎ページ見開きで描かれている。

 

 確かにどの絵でも、外には雪が降っていた。

 

「きれいでしょ? やっぱりクリスマスは、雪がふらなきゃダメなのよ」

 

 おませな口調でカオリが言った。

 

「なのにこの島には、雪がふらないの。とうさんやおかあさんにいっても、雪がふらないのはあったかいことで、それはとてもいいことなんだって言うだけ」

 

「でも、僕もその意見には賛成だな」

 

 子供を説得するというよりも、素直な自分の気持ちを和彦は述べた。

 

「雪はこんなふうに、絵や画像で見ていると確かにきれいなんだけど、実際にはやっかいなことばかりだよ。雪がひどく降る世界では、人間どころか動物だって、生きるのに苦しんでいる。君は動物が好きなんだろう? 動物はたいてい、あったかいところが好きなんだよ」

 

「うーん」

 

 カオリは口をへの字に曲げた。

 

「たしかに、あの子がここをえらんだのも、ここがあったかいからだとはおもうけど……」

 

「あの子?」

 

 なにげなく問い返しただけなのだが、カオリがハッとして自分の口を押さえたので、和彦は自分が秘密の核心をついたことに気づいた。

 

 やはりこの子は何かを隠している。誰かに話したくてたまらないのに、話せない何かを。

 和彦はとっておきの笑顔を作った。

 

「よかったら、話してくれないかな?」

 

 カオリはしばらく和彦の顔色をうかがっていたが、やがて、思い切ったように背伸びをして和彦の耳へ口を寄せた。

 

「だれにもナイショよ?」

 

 和彦は一瞬フォウを脳裏に浮かべ、けれどもそれを押し殺して微笑み返した。

 

「もちろん」


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