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 急に珊瑚が腕にすがりついてきたから、フォウは慌てた。

 娘大事の九条先生が近くにいないかと、慌てて周囲へぐるりと視線を巡らせる。

 

 珊瑚の養父である九条先生は、この界隈で唯一の獣医であり、牛や馬の世話ばかりでなく、少々のことなら人間まで相手にしてくれる剛腕な存在である。

 その勢いはもちろん可愛い一人娘に対して最も強烈に発揮され、こういうお祭りごとでは、娘に悪いムシがつかないかといらぬ警戒をして、娘のそばでギラギラ見張っているのが常であった。

 

「ああ、うちのお父さん?」

 

 肩をすくめて珊瑚が言った。

 

「朝から餅つきだ餅つきだって大張り切りだったんだけど、出がけにどっかから電話が入ってきて、それからは電話とパソコン交互に張り付きっぱなし。ほら、お父さんって、誰かから頼られると弱いから」

 

 まあ、だからこそ無医村地区で八面六臂の大活躍をしてもいるのだろうが。

 いつか誰かから医師免状について問いただされ、相手を殴り倒したりしないだろうかというのが珊瑚の密かな心配でもある。

 

「ふうん、急患?」

 

「それならとっくの昔に車で飛び出してると思うのね」

 

 まあ、それはそうだ。

 

 納屋の向こうでは、相変わらず地道に真面目に、和彦が餅つきに精を出していた。

 ときおり髪の毛を払ったり、額の汗をふいたりするしぐさが悔しいくらいに決まっている。こんな片田舎で年寄りばかりを観客に見せるにはもったいないし、現に珊瑚もうっとりと和彦を見つめている。ここに九条先生がいたらたちまち、横入りしてきてガラガラ怒り出すシチュエーションである。

 

「それで、クリスマスのお願いがどうしたって?」

 

「えーと」

 

 珊瑚がぽっと頬を赤くした。

 

「この村ではお正月は祝うけど、クリスマス会みたいなのはやらないのよ。小さな子供も若い男女もいないから、そもそもクリスマスを祝うモチベーションが低いのよね」

 

「クリスマスに年齢や性別は関係ないだろ」

 

「それが日本ではあるの。クリスマスといっても日本人にとってはキリストの降誕を祝う日じゃなくて、それを口実にして子供がプレゼントをもらう日だったり、カップルが街で散財したりする日だから。さっきフォウくん、香港では若い人たちのお祭りだって言ってたでしょ? 日本では都会だとそんな感じなんだけど」

 

「香港ではキリスト教もけっこうマジメにやってる人が多いから、イブにはあっちこっちの街角で、天使の扮装をして讃美歌を歌ったりする人たちもいいるけど、確かに街で騒いでるのは若い連中だな」

 

「いいなあ!」

 

 などと両手を組んでうっとりする珊瑚とて、元を正せばニューヨークの出身だ。たぶんクリスマスに対する街の熱意は香港より大がかりなのではないか。

 

 だが、珊瑚のうっとりは、街の景観に対してではなく。

 

「えー……その、今年もクリスマスは平日でしょ?」

 

「えっ。日本ってクリスマスが祝日じゃねえの?」

 

「そうなのよ。だから高校もフツーにあるの」

 

「珊瑚ちゃんの高校、もう冬休みだって言ってなかったけ。ここらへんは雪国だから、夏休みが短いぶん、冬はよそより早く休みになるんだよね?」

 

「理系国立希望は休みの日も毎日補習なの!」

 

「うへえ」

 

 フォウは首をすくめた。

 

 珊瑚の養父である九条先生は、自分が獣医だからという理由で、娘も医学の道へ進ませるのが天の理と考えている。代々の霊幻道士の家系に生まれて、義務教育さえろくに受けていないフォウにとっては、縁が遠すぎる話だ。

 

 とはいえ香港も世界のトップクラスを走るほどの学歴社会であるから、その大変さをイメージすることは可能だ。

 

「それでね。せっかくクリスマスの日にみんなで町へ出てきて顔を合わせるんだから、補習のあとにクリスマス会でもしようかという話になって」

 

「へえ、いいじゃない」

 

「そこへ……フォウくんが和彦さんを連れてきてくれるといいなあ、って……」

 

「ちょ、ちょっと待って」

 

 フォウはむせそうになった。

 

「なんでそういう話になるの?」

 

「だって! どうせ和彦さん、私が誘ったって、あれこれ屁理屈言って、結局は断ってくるに決まってるもの!」

 

 頬を染めながらも、珊瑚は憤然として断言した。

 

「いつもそうだもん。町で楽しいことがあるからって誘うと、にこにこ笑っていいねとか言うから、こっちはてっきり乗ってくれると思ってワクワクするのに、いざとなったらすうっとはぐらかされちゃうんだもん」

 

「ええ、そうかな。俺が誘ったときには、和彦さんけっこう楽しそうに、いろいろやってくれるような……」

 

「だからフォウくんに頼んでるんじゃない!」

 

 さらに声を大にされてしまった。

 

「和彦さん、フォウくんのいうことには逆らわないでしょ。いや、私たちのいうことにだって逆らいはしないんだけど……そうじゃなくて、フォウくんがやろうぜとか行こうぜとかいうと、結果的に最後には和彦さん、フォウくんの言うとおりにするじゃないの。

 フォウくんが来るまでは、和彦さんって全然あんなふうじゃなかったのよ。うちのお父さんにゴリゴリ押されても、氷浦教授に叱られても、村のにぎやかなことや楽しいことには参加しようとしなかったんだから」

 

「でも、餅つきは毎年やってたふうに聞いたけど」

 

「あれは人助けであって、楽しいことじゃないのよ。和彦さんにとっては」

 

 ううむ、とフォウは唸った。

 

 例にもれずフォウだって、和彦のかたくなさ偏屈さにはずいぶん悩まされてきたつもりである。

 今だって何かあるたびにけんけんごうごうの言い争いになることは多い。

 何も珊瑚にうらやましがられるようなこともない、とフォウ自身には思えるのだが。

 

 しょうがないよなあ。

 

 無心で餅をついている和彦を仰ぎ見て、珊瑚にいささか同情してしまうフォウである。

 作業用の首がくたくたになったトレーナーを着て、汗まみれで作業していてさえ、和彦はカッコいいのだ。これがちゃんとしたかっこうでクリスマス・イルミネーションの下に立っていたら、ハエとり紙みたいに女が引っかかってくるに違いない。

 

 そんな和彦とクリスマスを過ごしたい、という乙女の気持ちも理解できる。

 けれども、そのための触媒みたいに言われてしまうのは、ちょっと複雑な気分になってしまうフォウだ。

 

 俺だって男のうちなんだけどなあ。

 

 などと複雑な表情をしていることに気づいたのか、珊瑚がフォウの腕を取って、さらに言い募ってきた。

 

「うちの部活の女の子たちも、炎使いのちょっとカッコいいお兄さんが来るかもって言ったら、大喜びしてたわよ。きっとフォウくん、ひっぱりだこになっちゃうから」

 

「あはは」

 

 フォウは笑ってしまった。

 

「大丈夫だよ、すねてるんじゃねえって。和彦さんを高校のクリスマス会に誘えばいいんだろ? 任せとけ!」

 

「わあ! ありがとう!」

 

 珊瑚が両手を組んで飛び跳ねたときだ。

 

「ありゃ?」

 

 九条先生が診療所から飛び出してきた。

 

 ねじりはちまきに袖をからげ、なるほど珊瑚の言うとおり、餅つきに参戦する気満々の姿をしている。

 しかし今の九条は、杵にも臼にもなんの関心もない様子だった。

 思い込んだら一直線、のやっかいな目つきをして、ぎょろぎょろとあたりを見回している。

 

「おお、ここにいたか!」

 

 突進してきたからフォウは驚いた。

 

「お、俺、ですか?」

 

 珊瑚と仲良く並んで座っていたから、またぞろ俺の娘に手を出すなとかなんとか言われるのかと思ったら、全然違っていた。

 

「いいとこにいてくれたな、フォウ。お前、今から和彦と一緒に沖縄へ行ってきてくれ」

「お、沖縄!?」

フォウもたまげたが珊瑚もたまげた。

 

「何言ってるのよお父さん、いきなり何なの?」

 

「話せば長い」

 

「長くてもここは、話さないとダメでしょ。この年末にいきなり沖縄って、いったいどういうこと? ここからだと直行便ないから、町の空港まで行って、羽田で乗り換えなくちゃ。往復だけでも四日はかかっちゃうわよ」

 

「いや、実際には沖縄から島にわたってもらうんで、とんぼ返りでも六日かかる」

 

「そうじゃなくて!」

 

 珊瑚は焦れた。

 

「どんな用事があるのか知らないけど、なんでそんな大旅行を自分で行かずに、フォウくんと和彦さんに行かせるのよ?」

 

「だってお前、田村さんとこの牛がもうすぐお産だろう」

 

 剛腕獣医は、きょとんとして言うのだ。

 

「お産には絶対に俺が必要だが、今回のは比較的順調にいきそうだから、和彦の助けは必要ねえ。だからといって和彦に頼むと、妙なところマジメなあいつじゃボロが出そうだ。てなわけで、臨機応変が人間の形をしているフォウのやつがついていけば、十分に俺の代わりはつとまる」

 

「だから! なんの用事なのよ!」

 

「そりゃあもう、薬物の密輸だ」

 

 平然として九条先生は言った。

 

「おっと待てよ。覚せい剤とかヘロインとか、そういうんじゃねえからな。

 実は沖縄に住んでる知人の獣医からSОSがきたんだ。鶏の間に奇妙な病気みたいなのが流行ってるんだが、県に報告したらたちまち殺処分になっちまう。ダメ元で俺の作った薬を巻いてみたらどうやら効果があったそうで、もっと大量によこしてくれというのさ。とはいっても、こちとら無認可で勝手に調合した薬だしよ」

 

「お父さん!」

 

「まあ、そう言うなって。うちのほうでも役に立ってる薬なんだぜ? せっかく効く薬があるのに、論文書いたり申請したりするにはその暇が惜しいじゃねえか」

 

「暇じゃないでしょ。それ絶対必要でしょ」

 

 これが、娘を医学部に送ろうとしている父親の言である。

 下手をしたら、自分の代わりに論文を書かせたり申請手続きを行ったりさせられるから便利になる、とか思っているのかもしれない。

 

「というわけで、特殊な超冷凍ボックスに入れて持ち運びしなくちゃいかんから、郵便や宅配便では無理だしな。かといって和彦が一人で運ぶとなったら、空港でごまかしきれなくて正直に白状しちまいかねん。だからフォウを横につけておけば………」

 

「お父さんったら、もう」

 

 ついに珊瑚は呆れて、両手を高く差し上げた。

 

 逆にフォウは、笑いをこらえるのに必死である。

 どう見ても九条先生は大真面目に言っている。それがまたおかしい。


 これまでにも家畜の治療に九条先生が持参の塗り薬や飲み薬を使っているところはよく見たが、なんとあれが彼の発明による自家製薬品だったとは。よくもまあ今まで大事故を引き起こさなかったものである。

 

「何事も経験のなせる技だ」

 

 九条先生はそう言って胸を張るが、そもそも彼は元ニューヨーク市警の刑事だったので、獣医としての経験がどれくらいあるのかは藪の彼方である。

 まったく、このガサツでいい加減で勢いだけの男が、なぜにあの繊細なナイスミドル氷浦教授の親友であるのか。それもまたはるかな謎だ。

 

 まあいい、とフォウは思い直した。

 

 和彦さんと二人で沖縄旅行だ。沖縄は日本で一番暖かい場所だと聞く。寒さの苦手なフォウにとっては、年末に訪れたボーナスといっていい。

 

 少しだけ申し訳ないのは、珊瑚に対してだった。

 

「ごめんね、珊瑚ちゃん。クリスマス会までにはお使いを終わらせて帰ってくるから。それまで、旅の間に和彦さんへいろいろ恩を売っといて、いうことをきかせるように持ってくよ」

 

 珊瑚の返事は溜息だったけれど。

 

「おおい、和彦!」

 

 突進してくる九条先生に、和彦が杵を振り上げたまま目を丸くした。

 それを見て笑いながら、フォウは和彦に大きく手を振ってみせた。


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