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二〇〇〇年代になって、新たに発見された恐竜の化石から、軟組織が発見されたという報告が複数あった。
それはつまり、恐竜について骨格以外の生物学的情報が得られる可能性がある、ということでもある。
もちろんそれは映画に取り上げられるような、DNAの抽出や複製ではない。どんなによい保存状態であっても、DNAは五百年ほどで内部崩壊を起こし、百万年を越えると、配列さえわからなくなるものだからだ。
それでも古代への情熱を抱いて研究に取り組む者は後を絶たないし、その研究に資金を提供する個人や団体にも事欠かない。とかく人類は、恐竜に対してロマンを感じるものらしい。
そんな研究所の一つで。
「あれ? おかしいな」
若い研究者が実験動物用のケージをのぞきこんで、首をかしげた。
確か、昨日生まれた雛は三羽だったはずだが。
中へ手を突っ込んで確かめてみようかとも考えが、酔狂にもほどがあると思い直した。実験によく使われるモルモットやミニブタと違って、鳥にはカギ爪とくちばしがある。オスとメスが互いにつつきあって大変だからこそ別々のケージに分けたものを、無骨な手にヒナを触られたりしたら、それこそ大騒動を起こしてしまうだろう。
「おい、こんな遅くまで動物と遊んでるのか?」
さらに、通りがかった同僚の言葉が、彼にとってのとどめの一撃となった。
「やめてくれよ、せっかくのクリスマスに騒動を起こすのは。俺はもう、休暇の申請をしてるんだからな」
研究員は何も言えなくなった。
雛は二羽だった。そういうことにしよう。
自分に言い聞かせながら、彼は実験室の電気を消した。
2
もう幾つ寝るとお正月。
という言い回しを、フォウは珊瑚から教わった。
「そういう言い回し、香港にはないの? 香港の子供だって、お正月は楽しみにしてるんでしょ?」
「あー。香港は旧正月のほうが正式の正月っていう考え方だからなー」
フォウはがりがりと頭をかいた。
「新暦で盛り上がるのは、三十一日の晩にカウントダウンするときくらいかなあ。一月一日は祝日だけど、いたってフツーのラッキー休日って感じ」
「じゃあ、日本の餅つきも初めてよね?」
「そりゃもう!」
今日は村をあげての正月準備。
ということで、作業のメインは伝統的な臼と杵を使っての餅つきだった。
各家庭がせいろで蒸しあげたもち米が運ばれてくると、いよいよ作業の開始。
それっとばかり杵を振り上げたフォウは、しかし、そうそうにお役御免となった。隣で餅をひっくり返す係をしていた和彦を、たちまち殴り殺しそうになったからである。
「すげえよなあ、和彦さん。餅をつくのも返すのも、どっちだってそつなくこなしちゃうんだから」
今は和彦が杵を担当して、田村のおばあさんがせっせと手を濡らしては餅を返している。その絶妙なタイミングの合わせ方に、つい感嘆の声を漏らしてしまうフォウだ。
珊瑚はくすくす笑った。
「和彦さんだって初めてきた年には散々だったのよ。相手のことも考えずにすごい勢いで餅を何度も殴りつけて、そのうち杵にくっついたのが取れなくなって。そこでやっと、ああそのために相方が必要なんだって気づいたみたい」
それもまた、いかにも和彦らしい話である。
和彦はとかく何でも一人でやってしまおうとする癖があって、それがよくフォウとの口論の種ともなる。命のやり取りをする闘いに関してさえそうなのだから、餅つきくらい一人でやれると思い込むのもアリアリだ。
そうじゃねえんだよ、和彦さん。餅つきでさえ、誰かの助けがないとうまくはいかないんだよ。
そういって、過去の和彦のそばへ行って肩を叩いてやりたかった。
けれども今はこうやって誰かと協力できているのだから、とフォウは微笑ましくその光景を見物することにした。
「フォウくんがのんびりしてられるのも、もち米がつきあがるまでですからね。そっからは私たちも大忙しよ。餅はなにがなんでも熱いうちに丸めてしまわなきゃいけないんだから」
「熱いうちって、触るとめっちゃ熱いんじゃね?」
「そりゃそうよ! フォウくん、おにぎり握ったことないの?」
あきれたふうに言われたが、フォウはかつておにぎりを作ろうとして、氷浦教授に大笑いされた経験しかない。いきなり手の中にあつあつの炊き立てのご飯を手渡され、あっちっちと取り落したところから始まって、結果的には、あとは湯をかけたら完成になるお茶漬けみたいなぐじゃぐじゃのものばかり量産し、和彦にさえ笑わてしまった。
「うう……俺、自分で言うのもなんだけど、たいていのことはけっこう器用にこなすんだよ。なのに、どういうわけか料理だけはどうも苦手で……」
「料理って、大げさよフォウくん。ちぎって渡されたお餅を、手の中でぐるぐる丸めるだけなんだから」
珊瑚があきれたように言った。
できる人には、しょせんできない人の気持ちはわからないんだ、といってフォウはむくれた。
よく晴れた冬の昼下がりである。
さいはての限界集落とはいえ、村人が総出で行う餅つきはなかなか盛況なものだった。
正月までまだ二十日はあるのに餅をつくのは、ついた餅を干してしみ餅なるものにする東北の風習のためだとか。本来は余った餅の消費方法だったものが、今では地域の産物になっているのだという。
「村の中では、正月は都会に住んでる息子さんやお孫さんのところへ泊りに行くという人もけっこういるでしょう? そのとき、しみ餅がいい土産代わりになるんだって」
「ふうん」
蓼食う虫も好き好き。
「どっちにしろ日本の餅にはなんの味もついてないからなあ」
「えっ。香港のお餅には味がついてるの?」
「もっちろん。年糕っていって、甘くてナツメとかのドライフルーツがたっぷり入ってるんだ。旧正月前によく年寄りがでっかいのを作って、どの家でも持て余して、こっそりよそへ配ったりするんだぜ」
「それって、イギリスのクリスマス・プディングみたいなお話ね」
珊瑚はくすくす笑った。
肉体労働をお役御免になったフォウは、珊瑚とともにブルーシートを広げた横へ座り込んで、餅の仕上がりを待っていた。いずれここにつきあがった餅がやってきて、上手な誰かが次々にちぎっていくのをひたすら丸めて置いていく係なのだという。
苦手な料理の分野ではあるが、なんであれ初めてのことは、フォウは大好きだ。大勢でわいわいするのも大好き。村の人たちがみんな、楽しそうなのもいい。
いつでもアンニュイが基本形の和彦でさえ、いつもより目が輝いているように見える。
「和彦さんでも正月は楽しみなんだなあ。日本の正月って、よっぽど楽しいんだなあ。香港のクリスマスより、もっと盛り上がるのかなあ」
フォウがしみじみしたふうに言うと、珊瑚がまた笑った。
「盛り上がる、というのとは違うと思うけど。香港のクリスマスって、やっぱりすごいの?」
「まあねえ。元はイギリスの植民地だったというのもあるとは思うけど、キリスト教徒じゃないのに大騒ぎするとことか、年よりよりも若者のお祭りみたいになってるのは、今の日本と状況が似てるんじゃねえかな……うわ、なんだい珊瑚ちゃん、いきなり」
「そのことなのよ! お願いフォウくん!」