最終話:ワースレスの夜明け
打ち捨てられたような古ぼけたビルの一画に、いくつもの絵が飾られている。
その全容を眺めながら、俺は彼女が来るのを待った。
壁一面に貼られたその絵は、ぼやけ始めた視界の中で、絵の具を散らしたかのように滲む。
隙間の開いたスイングドアから流れ込む、雨が降り始める前のような湿った匂い。ガラス窓から差し込む光は、リノリウムの床に映った影を少しずつ伸ばしていく。
やがて夜が訪れる。
* * *
あれから、かなりの年月が経った。
無価値者を辞めた俺は、カメさんの助手として働き出し、そこで得た伝手で某出版社の専属ライターになった。
ライターなんていう職業も、キカイが台頭する社会の中では、斜陽な分野ではあった。しかしキカイの爆発的な発展から十数年が過ぎ、その繁栄もまた一定の水準で止まった。
揺り戻しのように、人の手による作品の価値が取り上げられ始め、人とキカイ、二つの勢力は絶妙なバランスで拮抗する事となる。
俺はまだ絵を描き続けている。
そして、何人かの人に認められ、幾ばくかのお金を貯めて、俺は初めて自分の個展を開く事となった。
過去を振り返ると感慨深い。
自然と涙が湧き上がってくる。
書き溜めた絵を眺めながら、明日の個展に備えて最終確認をする。絵の位置を変えたり、角度を調整したり。時刻はすでに深夜0時を回っていた。
もうすぐ、彼女が来るはずだ。
俺はぼーっと絵を眺めながら、この貴重な時間を楽しむ。
やがてスイングドアの開く音。
スニーカーの靴底が床を叩く音。
「ソラトごめん、仕事長引いちゃって」
息を切らしたアオイは、申し訳なさそうに頬を掻いた。
「夜勤なんだから、仕方ないよ」
「一人休んじゃって、大変だったんだ。でも明日は休みだから、これからゆっくり観れそう」
「あ、そう」
アオイが絵を眺める。
俺は何だか恥ずかしくて、顔を背ける。
「なんで恥ずかしがるのさ。絵だって、家で描けばいいのに、いつも昔のアパートに行って描いてるし。見せたがらないくせに、見せたがりなんだよねぇ」
「描いてるところ見られるのやなんだよ。そういうアオイこそ、こんな前日の夜じゃなくて、普通に明日見に来ればいいじゃん」
「やだよ。絵のモデルになった人が、いけしゃあしゃあとその絵を観に来るなんて、どーかと思うよ」
懐かしい『光の都』の絵を筆頭に、いくつかの絵の隅には、一人の女性が描きこまれている。
俺がこの十数年間、ずっと見続けてきた女性だ。
そんな事を言ったら、照れ隠しで蹴り倒されるかもしれないけど。
「そのおかげで、俺は徹夜なんだけど」
俺はため息を吐く。
「どうせ家に帰ったって緊張して寝れないでしょ。今朝だってうなされてたし」
「まあ、そうだな」
ウロウロと絵を眺めるアオイが、一枚の絵の前で足を止める。
「何これ、真っ黒な、太陽?」
俺は頷く。
「これ、全部鉛筆で描いたの?」
「鉛筆っていうか、シャープペンでね。俺が子供の頃、初めて展示会用に描いた絵を、描き直したんだ。苦い思い出のある絵だけど、大事な思い出でもある」
いくつもの黒い線が、重なり、混ざり合い、燃え盛る太陽の形を成している。
迷って、悩んで、無茶苦茶に走り回った、俺の人生の軌跡が、この絵を作り上げているかのように。
「めちゃくちゃ、いい絵だね」
その『黒い太陽』を見つめながらアオイが言う。
「ソラトの全てを現してると言うか。私、この絵、好きだな」
そう言ってアオイは振り返る。
彼女の言葉に、亡き母の言葉が重なった。
『俺の絵を好きだと言ってくれる人が、目の前にいる』
俺は、何も言えなくなって、窓の外を見た。
地方都市の静かな夜。
その小さくありきたりな世界の中で、星は廻り、月は沈み、夜は過ぎていく。
そして俺たちにも、夜明けが来る。
ワースレスの夜明けに -完-
書き終えました。
書き終えてしまいました。
約1年かけた長編。初めて書いたSF風味。ガチのSF好きの方にはバカにされちゃうような世界設定ですが、この設定でしか書けない、一人の人間の成長と、創作の矜持を描くことが出来たんじゃないかな、と思います。
ソラトの弱さやかっこよさや、アオイの弱さやかっこよさ。終盤では自分の創作論を突き詰めなければならないような場面もあり、かなりエネルギーを消費しました。
でも、書き上げられて良かった。
そう心から思うのです。
評価を押していただけた方、感想を書いていただけた方、いいねで応援してくださった方、誤字を訂正してくださった方。
皆さんのおかげで、書き上げることが出来ました。
本当にありがとうございます。
それでは、また次の作品で――
しいなここみさんから『アオイ』のファンアートを頂きました(*´Д`*)




