第39話:バディ②
アオイの前にはハンバーグ定食、しかもハンバーグは2枚に増量されている。
俺の前にはいつものブラックコーヒー。俺まで食べ物を頼んでしまうと、なんだか火に油を注ぎそうな気がしたので自重する。
ここまでの時間、無言だ。
俺はなんでアオイがキレているのか理解できず、コーヒーカップで顔を隠しながら、上目遣いでアオイを観察する。
2枚のハンバーグの半分をフォークで刺して、一気に口へと放り込む。そして顔の形が変わるくらい豪快にモグモグ咀嚼してから、飲み込む。
そして、口の端についたソースを紙ナプキンで拭う。
「なんで、連絡を絶った?」
ハンバーグの美味しさにとろけていた表情が、怒りによって再び引きしまる。
「いや、いろいろあって無価値者を辞めることにしたから……」
俺は無意識にソケットのあった後頭部に触れ、鈍い痛みを感じて咄嗟に手を離す。
「そのへんの事情は、おいおい教えてもらう。私が聞いてるのは、なんで連絡を絶ったか、だろ?」
「だから、俺が無価値者をやめたし、支給のデバイスも取り上げられたから……」
「そうじゃない。支給のデバイスがなくたって、会社づてで連絡の取りようはいくらでもあんだろ」
アオイはお冷を一口飲んで、タブレットでクリームソーダを注文する。「あ、これも奢りだからね」そう言うアオイに俺は何も言えない。
アオイがなぜ怒っているのか、よくわからない。
きっと無価値者を勝手にやめた事を怒ってるのだろう。
「何の相談もなく、無価値者を辞めて、ごめん」
アオイは溜め息を吐く。
これは、正解ではないのか?
「この際、私に何も言わず無価値者を辞めた事は、別にどうでもいいの。そりゃムカつくけど、この仕事なんて長く続けるようなもんじゃないんだから、やめる辞めないは個人の判断」
「だよね」
「いや、別に納得してないから。許してないから」
「ええ……」
「私が言いたいのは、無価値者を辞めた事と、連絡を絶った事は、別の問題ってこと」
運ばれてきたクリームソーダの上のアイスにフォークを突き刺し、口に放り込む。これじゃあ、ただのメロンソーダとバニラアイスじゃないか。二つの味が混じり合うハーモニーがクリームソーダの醍醐味なのに、これじゃあソーダとアイスを単品で頼むのとかわらない。
「おい、なにボケっとしてんだよ。私が何を言いたいのか、ちゃんと考えてんの?」
「あ、すみません」
「ほんと鈍いよなぁ。私を助けにきてくれたあのソラトとは、別人なんじゃないの……?」
「本人だよ。ほらこれ、あの時殴られたアザ」
俺は服の首元を伸ばして、胸に出来たデカいあざを見せる。
「知ってるよ。嫌味だよバカ」
アオイはハンバーグの半分を口に入れ、長い時間をかけて咀嚼した。
俺は伸縮するアオイの頬から、店の内観へと視線を移す。夕食の時間が近づき、店内は様々な人の話し声で色付き始める。
俺たちはこのファミレスで、一体どれだけの時間を過ごしただろう。
初めてアオイに会った時、その『首狩り』のレッテルから、筋骨隆々の化物を想像していた俺は、目の前に現れた華奢で小柄で陰気なアオイの姿に驚いた。
恐ろしい人物だと思っていた彼女の中に、不器用な優しさを見つけたのは、初めて2人で調査に行って、俺が足に大怪我をした時だったか……。
あれから何度も、この場所で、次の調査の事をあーでもないこーでもないと話し合った。でも実際のところ、その会話の中身には、何の生産性もなかったように思う。
アオイと同じ時間を過ごす事、それ自体に俺は、いつしか喜びを見出していたんだ。
そんな事を考えていたら、また失いたくないと思ってしまった。
この、バカバカしくもかけがえのない時間を。
俺にとってアオイは、そういう存在になっていた。
でも、アオイにとって俺は――
「無価値者とか、そんなの関係ないでしょ……」
アオイはそう言って俯いた。
喧騒の中に消え入りそうな声。
俺の心臓が何かを予感し、鼓動を早める。
「そんなの関係なしに、私はソラトの事、『バディ』だと思ってるんだよ」
俺はアオイを見た。
熱を持った彼女の目が、俺を見返していた。
また一つ、アオイの知らない顔を見た気がした。
それは、ムカつく相手を拳でぶん殴り、気に食わない奴に銃口を突きつけるいつもの彼女とは違う、本当に繊細で儚い顔だった。
胸が、痛い。
「あ、うん……」
言葉の意味を捉え損ね、ぬか喜びしてしまう自分を律しようと、俺は努めてそっけないふりをする。
あ、でも、無理だ。
もう無理だ。
「なに、ソラト、泣いてんの?」
「泣いてねーよ」
「泣けば許してもらえると思ってるでしょ。私、本気で怒ってるんだからね。私の前から、勝手にいなくなろうとした事、しばらくネチネチ言うからね」
「ごめん」
「ソラトは……」
苦笑いのアオイがぼやける。
視界が全て、夢の中のようにぼやける。
「ソラトだけは、私の前から、いなくならないで」
* * *
それから俺たちは、互いの過去を話し合った。
俺はコーヒーを4杯お代わりし、アオイは大盛りのポテトを平らげた。
隣の席に座る親子が、デート中のカップルに変わり、夜通し遊び疲れた若者達に変わった。
目まぐるしく入れ替わっていく喧騒の中では、俺たちの人生なんて本当にどうしようもなく、さもありきたりで、いたって普通のもののように感じた。
誰かに愛されて、誰かを愛する。
そんな普通の人生のように思えた。
無価値者達が命をかけて希少な景色に触れ、その感動をキカイに喰わせ、そこから生み出される芸術で心を癒す。
でも、そんな回りくどい事をしなくたって、こんな普通の景色の中に、美しい感情は潜んでいる。
何でそのことを、俺たちは忘れてしまうんだろう。




