表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/40

第38話:バディ①

 あれからしばらく、ぶっ倒れてたらしい。


 颯爽と研究所をあとにし、帰りのバスに乗ったはいいものの、最寄りのバス停に着く前に意識を失ってしまった。

 あとで聞いた話によると、バスの運転手さんが血だらけの俺を見つけて度肝を抜かし、緊急搬送されたらしい。本当に申し訳ない。

 自分でも、バカな事をしたと思う。

 気持ちが昂っていたから、ってのはあるけれど、冷静になって考えてみると、脳に障害を負ってもおかしくないほどの無謀な行為だ。


 意識を取り戻した俺は、医者からけっこうガチ目に叱られた。大人になってから、大人に理詰めで叱られるのは、なんだか心にくるものがある……。


 言わずもがなだけど、無価値者(ワースレス)はクビになった。


 調査に赴いたところで、記憶の抽出が不可能なのだから当然といえば当然だ。目を覚ましたら、会社支給のデバイスや社員証などの諸々は取り上げられていて、ベッドの上でよくわからない書類を書かされるハメになった。


 あれから、サクラコ先生からの接触はない。

 作品を取り出せなくなった俺に、もう興味はないのかもしれない。もしかしたら、俺のような人材を他にも複数人確保していたのかもしれないし、新たな人材を探し始めたのかもしれない。

 今となってはどうでもいい。

 ただ願わくば……今度は自分の言葉で、自分の感情を、自分の作品として創造してくれれば、と思う。


 会社支給のデバイスを失った事で、アオイとの連絡手段は完全に断たれてしまった。


 心残りがないかといえば嘘になる。

 でも、このモヤモヤと漂う迷いの糸を断ち切るには、むしろ好都合だったかもしれない。

 もし手元にアオイと繋がれる手段があれば、俺はきっと、彼女に連絡をとってしまうだろう。そして、大切な人を失い傷ついた彼女に、的外れな慰めの言葉をかけているかもしれない。


 喪失を癒せるのは時間だけだ。

 俺はそれを母さんの死で実感した。

 

 あの頃の俺に、会社の同僚――それ以上でもそれ以下でもない存在が、必死に慰めの言葉をかけたとて、きっと心には響かなかっただろう。

 むしろ苛立ちすら覚えたに違いない。

 俺から発せられる言葉など、きっとその程度のものだ。

 

 それに、アオイは強い。

 それは秘めた――今となっては崩れてしまった――夢があっての事だったのかもしれないが、苦境に立たされながらも前を向いて生きてきた彼女の日々は、彼女の両足の下に太く強い根を育んだに違いない。

 虚構の支えがなくとも、伸び続けられる程に。

 この数年間、彼女を近くで見てきた俺にはわかる。


 そしていつか、誰かと出会い、その人の肩にもたれる日がくる。

 でもそれは俺じゃない。

 その事実は、これから長い時間をかけて、キチンと納得していかなきゃならないんだろうな。


 退院の準備を済ませる。

 

 そもそも、着の身着のまま運ばれてきたのだから、持ち帰るものなど何もない。

 頭部のソケットと携帯デバイスを失い、頭に巻かれた包帯を手に入れた、それくらいの差し引きだ。


 担当の医師と、世話になった看護師に挨拶をして「もう二度とバカな真似はしないでくださいね」と釘を刺されながら、トボトボと病院を後にする。

 

 二週間ぶりの外の空気が美味い。



   *   *   *



 久しぶりに帰ったアパートは、濁って淀んだ空気が漂っていて、自分の部屋じゃないような奇妙な匂いがした。

 しかし、部屋の隅に置かれた描きかけの絵を見る限り、ここは俺の部屋で間違いない。

 アオイからの電話を受けて家を飛び出してから、この部屋の時間は止まったままだ。


 あの瞬間から色んな事が変わってしまった。

 俺は無価値者(ワースレス)ではなくなったし、全身は傷だらけになったし、この絵の片隅に描いた女性とは、もう二度と会えなくなった。


 でも、落ち込んでたって何も始まらない。


 部屋の窓を全開にすると、冷たい冬の空気が流れ込む。部屋の隅で固まっていた時間達が、風によって舞い上がり、動き出す。


 絵の前に立ち、その全体像を眺めた。


『これでいい』

 

 そう思って妥協していた部分にも、より良い表現が朧げながら浮かんでくる。ここ数日の出来事が、俺の感性を少しだけ塗り替えたのだろうか。

 

 結局のところ、俺はこの絵に対する未練のおかげで、再びこの部屋に戻ってくる事ができた。

 光の都の景色の片隅、こちらを向いて微笑むアオイの表情を見つめ、俺はその頬に指先で触れた。


 それは、カサカサで、冷たい。

 

 その時、玄関で音がした。

 薄っぺらなドアを叩く音。


 アオイ――


 俺の脳内がその一色に染まる。


 来るはずないとわかっている。

 でも、それを期待してしまう自分は、やっぱりどこまでいっても弱い人間だ。


 動線上に放り投げていた荷物を蹴飛ばし、俺は玄関へ走った。


 ドアを開け――


 そこにはカメさんと、カメさんの彼女が立っていた。


「なんだ……」


 ついつい、俺は呟いてしまう。


「なんだとはなんだよ。長い間留守にしてたっぽいから、心配して来てやったのに」


 カメさんの彼女が唇を尖らせる。


「いや、ちょっと色々あって。すみません」


「ていうか、包帯!」


 今更、俺の頭に巻いた包帯を見て、彼女さんは片手を口に当てる。


「頭をちょっと怪我しまして。包帯の内側は丸坊主ですよ」


 自重気味に笑って見せる。


「うわぁ、見たい」


「今度見せますよ」


 そう言って俺は包帯の端を指先で摘む。


「ソラトくん、アオイちゃんと喧嘩でもしたのかい?」


 それまで神妙な顔で黙っていたカメさんが、口を開く。

 喧嘩をしたわけじゃないが、無価値者(ワースレス)を辞めた事で、アオイとの繋がりは消えてしまった。その顛末を説明するには、玄関先の立ち話じゃ間に合わない気がする。


「そういうわけじゃないんですけど……。詳しい説明は、今夜飲みながらでもどうですか?」


「それは、かまわないけど……」


 カメさんは頷き、逡巡すると、口を開く。


「ソラトくんが帰ってくる少し前に、アオイちゃんが家に来たんだよ」


「へ?」


 俺は変な声を出してしまう。


「今日だけじゃない。昨日も、その前も。ひどく焦った様子で『ソラト知らない?』ってさ。怪我をしてるみたいで、足を引きずってたよ」


「アオイが――」


 驚きで言葉が出ない。

 なぜ、俺を……?

 

「2人の間に何があったかわからないから、ソラトくんに言うべきか迷ったけれど……アオイちゃんの名前を出した時の表情で、言うべきだと確信した。ゆっくり歩いてたから、まだ遠くまでは行ってないと思うけど――」


 俺は、走り出そうとする心に戸惑う。このまま足を踏み出すべきか、止まるべきか。

 アオイが何のために俺を探しているのかわからない。でも、もしかしたら――


「カメさん」


「ん?」


「俺から誘って申し訳ないんですけど、今日の飲み、明日でいいっすか?」


「ん、僕達はかまわないよ。残念ながら、暇なんだ」


 満足そうにカメさんは頷く。

 

「行ってこいよ、ソラト」


 カメさんの彼女が、拳を突き出して俺の胸を小突く。しこたま殴られて出来たアザに当たって、めちゃくちゃ痛い。

 

 でも、そんなのどうでもいい。

 

 2人を押し除けて、俺は走り出した。



   *   *   *



 二週間近い入院生活で、俺の体力は極限まで衰えていた。

 少し走っただけで息切れがする。

 ガイコツのダンスみたいにへにゃへにゃしながら、俺はアオイを探して走った。


 まだ近くにいると言っていたけど、何処にいるかなんてわかるわけがない。

 ただ、もし俺がアオイだったら、きっと行き慣れたあそこに向かうだろう。今日は月曜日。ハンバーグ定食のハンバーグが2割増量される日だ。


 これで当たっていたら、笑える。


 俺はどんだけ、アオイの行動原理を理解してるんだよ。


 いつも調査の打ち合わせをしているファミレス。ガラス窓から、店の中の様子を伺う。

 若いカップル、家族連れ、仕事休憩らしき男。まだ夕食前なので人はまばらだが、アオイらしき小柄な女性の姿はない。


「だよなぁ」


 つい独り言をこぼしてしまう。


 これでアオイを見つけられたら、それこそ奇跡――


「ソラト?」


 細く、高い声。

 聞き慣れた、でもすごく懐かしい声。


 ガラス窓に、ダボダボのパーカーを着た小柄な女性のシルエットが映り込む。


 アオイ――


 俺は喜びでニヤける顔を隠せぬまま、振り向く。


 そして、後悔した。


 松葉杖をついて疲れた顔のアオイの目は、冷たく輝いていた。小さな唇は硬く窄められ、鼻がぴくぴく動いている。


 これはアレだ。


 アオイがガチでキレている時の表情だ。


 ニヤけてしまった顔を補正する暇もなく、アオイの悪態が飛ぶ。


「なに、笑ってんだよ」


「あ、あの……」 

 

「店、いくぞ。奢れよ、バカソラト」


「はい……」


 お互いがお互いを探している状況とはいえ、その感情がシンクロしているとは限らない。

 俺は小さく縮こまりながら、店内へと連行された。  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ