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「ソコロフ参謀少佐(・・)殿ではありませんか!」


 ソコロフより少し高い百八十センチの長身に纏った人民内務委員の鮮やかなブルーの肩章の制服。

 制帽の下の精悍な顔立ちに反して屈折した影を宿すそのグレーの両の瞳が、ソコロフの顔をじっと見下ろしたまま瞬き一つすることなく鋭い光を放っていた。

 男は、ソコロフの隣に「どすん!」と音を立てて腰を下ろすと体を捩じるようにしてソコロフの顔を覗き込んで、大げさに肩を竦めてみせる。


 ――ああっ! これは失礼!!


「今は同志中尉でしたね、同志参謀少佐(・・)殿!」


 人民内務委員の制服も通常の人民軍の制服であるソコロフの身に着けている物とデザインはさほど変わらない。

 異なるのは肩章の色と任務の内容。

 一般の人民であろうが軍人であろうが、国家と党に反抗するものを取り締まり、駆逐するのが連中の任務であり、その疑いを連中に抱かれたが最後、逃れる術はない。

 連中自身も含めて。


(さて……)


 ソコロフのブルーの瞳が、自身を見つめるグレーの瞳の中で無感情に瞬いた。

 制服の胸のポケットからタバコを一本引っ張り出すと、『資本主義ファシズムの先兵たる悪しき喫煙習慣からの果敢なる決別を!!』と大きな文字が躍る壁の電子ポスターをチラリと一瞥してから、黄燐ライターをカチンッと鳴らして火を着け、


「やあ。元気そうでなによりだよ、ヴィーチャ」


 タバコの煙を胸いっぱいに吸い込むと、ソコロフは努めて表情を消して応じてみせた。細く吐き出された紫煙が、ゆらゆらと天井に向けて立ちのぼり、微かな恍惚と快感がソコロフの肺を満たしてくれる。

 ロクでもない場所で、ロクでもないヤツの顔を眺めながら吸うタバコは最高だ。


「あんたに、ヴィーチャなどと呼ばれる筋合いは無い」


 吐き捨てるように短く言うとヴィーチャは、否、ヴィーチャことヴィクトル・アナトリエヴィッチ・バザロフは、タバコの煙の掠めた肩の階級章の辺りを神経質そうな指先で、さも汚らわしそうに叩いた。

 階級は、大尉。

 通常の人民軍なら中隊長クラスの階級であり、受けた教育の程度と党内の序列にもよるが、他の部隊や委員会相手にそこまでの権力は無い。

 が、

 厄介この上無い事に、この男は人民内務委員なのだ。

 人民内務委員会の大尉が、ここに来る用事はソコロフの知る限り一つしかない。

 そう――

 敵意を隠そうともしないグレーの瞳が、ソコロフの横顔を貫かんばかりに瞬いた。


「わが軍の量子転送兵器が反国家分子の手に渡った。これは、由々しき事態だ」


 なぁ――同志中尉?


「一体、あの劣等民族どもは、どこから量子転送兵器を手に入れたんだ? その上、転送コードを、わが軍でも最高軍事機密である転送コードを連中は、どうやって手に入れたんだ? そもそも、どうして、転送コードが無ければ量子転送出来ないことを奴等は知ってる?」


第一七七民生委員会(おれたち)を疑っているのかい?」 


「疑う?」


 眉間と眉間が触れるほどの近さまで顔を寄せると、この人民内務委員会内部(みうち)からですら死神のように恐れられている男は唸る様に囁いた。


第一七七民生委員会(おまえら)以外に誰がいる? 疑う? いいや――」


 ――俺は疑ってなんかいない。


「確信しているだけさ。第一七七民生委員会(おまえら)が『クロ』だとな」


 口に咥えたままのタバコの灰が、ぽとりと制服の膝の上に落ちた。

 確かに確信に満ちた声だった。

 ソコロフは、タバコの灰をゆっくりと指先で弾くと再び咥え直して、大きく吸い込む。

 タバコは瞬く間に灰になり、フィルターだけになったそれをブーツの踵で踏み消すとソコロフは煙を細く長く吐きながら鷹揚に肩を竦めてみせた。


「なあ、ヴィーチャ。真実を知るのに最も確実な方法は何だと思う? それは、真実を知っているヤツに尋ねる事さ」


 いま、それが出来るのは――


第一七七民生委員会(おれたち)だけさ。いや、もう、俺たちしか残っていない」


 違うかい?


「同志人民内務委員殿?」


「………………」


 ソコロフのブルーの瞳とバザロフのグレーの瞳。

 互いを見つめる二つの視線が静かに白熱していた。

 微かに目の端に映る青ざめた衛兵たちの顔。

 が、


「――ふんっ」


 バザロフは、制帽を被り直すと長椅子を軋ませて立ち上がった。


第一七七民生委員会(おまえら)への党の対応がどうなるにせよ、これからは地下世界に関して俺たち人民内務委員会も相応の関心を持って見て行くことになるだろう」


「ほぉ……。君たちまで、第一七七民生委員会(おれたち)のように地下に潜るとでも?」


 ソコロフをその父親同様、強制収容所(ラーゲリ)へ送りたくてしょうがないらしいこの男は微かに振り向くと背中で頷いた。


「まあ、そう言う事だ」


「…………」


 再び沈黙に支配された館内をコツ、コツ……とブーツの重い足音を響かせて大きな背中が遠ざかって行くのを見つめながら、ソコロフは会話の内容を脳裏に反芻してみる。

 話の内容は、案の定、ロクでもないものだ。

 ただ、問題なのは、コトが第一七七民生委員会の存亡に関わる事であり、その端緒となった敵を屠ったのがソコロフ自身であるという事だ。しかも、困ったことに人民内務委員会は、今回どうやら本気で第一七七民生委員会を潰しに掛かって来ているらしい。

 あの疫病神(バザロフ)を委員長の所に直接よこしたという事は、まさにそう言う事なのだ。


(二本目のタバコに手を付けるべきかどうか悩ましいところだな……)


 ソコロフが、制服の胸のポケットに伸ばしかねた手を宙で玩んでいると、いつの間にそこに居たのか背後から声がした。


「話は済んだかね?」


 同志中尉?


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