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気が付くと最初に感じたのは痛みだった。
(な……なんだ……?)
茫漠と霞む目の前の事象。
元々、暗かった周囲の景色が、霞が掛かったかのようにぼんやりと滲んで見える。
(ここは……天国……じゃないな……)
と、右の太ももに感じる尋常ではない痛みでようやく頭がハッキリした。
ラトニクが再稼働し、量子転送兵器を使用しようとしたその瞬間、聖少女が量子転送兵器をソコロフへ向けて発射したのだ。
網膜が焼けるほどの強烈な閃光と鼓膜をつんざくような猛烈な爆音。
頭部にも傷を負ったのか、たらたらと顔の上を血が大量に滴り落ちて来る。
だが、なによりも……
『同志中尉! ソコロフ中尉っ!』
『オペレーター……』
ソコロフは、背後のブロック塀に背中でにじり寄りつつ、喉の奥で小さく呻く。
いまのは――
『一体、なんだったんだ……あんなの……見たことない……ぞ』
『同志中尉、あれは――』
おそらく――
レベル6 ガガーリン
『委員長閣下より上位の、党最高幹部クラスの方のみが使用できる最上位クラスの量子転送兵器です。まさか……まさか、あんなものまで……』
『…………』
なるほど、道理で。
と思ったその時、ソコロフは気が付いた。
視界の隅に転がった機械化女中とクシャリと二つに折り曲げられた防弾盾。
ソコロフの前では、壊れかけたブリキの人形のように全身を苦し気に軋ませながら二体の機械化女中が、なんとか防弾盾を構えて立っていた。
まったく感覚の無い左腕。
それに、
(なんてこった……)
五十センチほどの長さの細いパイプが貫通した右の太もも。
真っ赤に染まった右足全体が丸太のように重い。
こめかみの辺りの血管が、胸の鼓動の度にズキズキと疼き、おそらく折れているのであろう左腕は、だらりと垂れて掌が力なく天を仰いでいた。
遠くの方で聞こえる銃声。
その包囲の輪は、少しずつではあるが確実にソコロフに近づいて来ていた。
すでに、敵は量子転送兵器を使用していない。
つまり、すでに負傷したソコロフ以外に脅威が存在していない。
そして、敵の目的は、ソコロフを生きたまま捕らえる事。
そう。
その背後関係や戦力を吐かせるために。
(……………………)
決断するしかない。
ソコロフは、オペレーターに喘ぎ喘ぎ、一言断ると量子無線のチャンネルを切り替えて呼び掛ける。
『…………ソーニャ……』
『ソコロフさんっ!』
ソコロフは、呻きつつ、なんとか背広の内ポケットから引っ張り出した医療キットから止血パッドを取り出す。
別に助かる必要はない。
あと、数分持てばいい。
『ソーニャ……親父さんや……おばあさんと一緒に……』
『あんさんっ! ウチとの戦いは、まだ終わってまへ――』
『あなたは、少し黙っていて下さいっ!』
『はは…………ぐぅっ! 行くんだ……アメリカに…………』
『ソコロフさん……』
『ありがとう、ソーニャ』
それと――
(すまない、ソーニャ)
『さよなら……ソーニャ……みんなを……頼む……』
『ソコロフさんっ! ソコロフさ――』
ソコロフは、返事をすることなく、量子無線のチャンネルを切り替えて再び元のチャンネルへ戻す。
『待たせたね……オペレーター……』
『同志中尉、負傷されてますね? いま、アリムラ少尉かホー中尉に――』
『もう、いいんだ、オペレーター……』
『同志中尉、まさか――』
――ああ。
『本作戦は、失敗した』
そして――
『その……全ての責任は……指揮官である俺にある』
ソコロフは、ワイシャツのポケットから苦労してタバコを引っ張り出して咥えると――
(クソっ……)
左手が使えないせいで、ひどくやりづらい。
なんとか黄燐ライターをカチンと鳴らして火を付けた。
『オペレーター……君に、最後の命令だ』
『同志中尉、諦めないで下さいっ! 私が、なんとか――』
『君は……よくやってくれた。いや…………君以外の……ホー中尉もアリムラ少尉も、ペトロヴァ兵長も……みんな、だ』
『同志中尉……』
『オペレーター……』
ソコロフは、立ち上る紫煙を見上げて目を細めながら他人事のように言った。
『量子転送兵器の……全て……の制限を……解除してくれ』




