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(あれが『ヤツハシ』……かな?)


 至高のお菓子「ヤツハシ」。


「ターシャさんも一度食べたら絶対病みつきになりますよっ。……嗚呼!! たっぷりのシナモンがまぶされたあの柔らかな生地とその中に包まれた小豆(あずき)ペーストのほどよい上品な甘さ! あれは、天国ですっ!! あれこそ、至高ですっ!!! わたし、ソコロフさんの次に『ヤツハシ』と結婚したいですっ!!」


 と、ソーニャが何気ない雑談中に大絶賛していたお菓子の店がちょうど右手に見えて来た。

 店先に群がった人垣と通りを埋め尽くす人の波。

 事前にいつもよりかなり人手が多いようだとソーニャから聞いていたが、ここまで多いと、


(まるで、お祭りみたい……)


 店の中から聞こえる景気のいい呼び声と道行く人たちの楽しそうな騒めき、そして、点々と通りに灯されたオレンジ色の街灯が、子供の頃に少年団(ピオネール)で見たアニメ映画の森の妖精たちのお祭りみたいだった。

 そんなことを薄っすらと考えながら、ターシャは道行く人々の足取りに合わせて狭い通りを道なりに歩いて行く。

 こまごまと住居や小さな工場が建て込んだ複雑な街並みとうねうねと曲がりくねった細い通り。この町の地理が事前に頭に入っていないと、人の波に呑まれて簡単に迷子になってしまうだろう。


 シャフト 第六十二階層 オールド・タウン

 

 あまり裕福な階層ではないせいか、全体的に電飾や照明の数が少なく、真っ暗な階層の中をやんわりと照らす街灯の灯が何ともロマンティックでこれが任務であることを忘れてしまいそうだった。

 とは言え、


(この先を百メートル――)


 ターシャは、ぐっと奥歯を噛み締めると、昨日の夜、皆で確認した事を脳裏に反芻する。



 この通りの突き当りに――



 そう言ってブラウザの中のソーニャが、パチンと指を鳴らすと目の前に空中投影された五十分の一サイズのオールド・タウンの街並みの一点が拡大されて「ポンっ」と赤く光った。


『この場所に大きな仮設の舞台を作ってセレモニーをするみたいで、舞台自体は、もう組み立て終わっています』


 その場所は、ちょうどこの階層のメインストリートである「シルバー・レーン」の先。職工組合事務所と電材市場の面する大きな広場だった。

 縦横ほぼ同じ長さの正方形の形をした広場。

 実際のサイズは、


「……百かけ百二十……メートルくらいかねぇ」


『はい、ちょうどそれくらいですね。近くにあまり高い建物も無いですし、警備もしやすいんだと思います』


「娯楽施設や病院、駅……周囲に人が集まるような場所や施設は一切なしか……。さすがに、よく考えられているな。タケオ――」


「はい。ここ数日見た範囲では、今もあの辺りの町工場は、住居兼用がほとんどで昼も夜も人口の変動はほとんどありません。我々が『支店(アジト)』を置いていた頃と変わっていませんね」


「ふーん……だから、六十二階層なんかね。まあ、そもそも、六十三階層に『聖少女』連れてく訳にはいかないか……」


 高貴なお人にあれ見せちゃ、シャレにならないもんなぁ。

 チナツが、顎を撫でながら最後にぼそりと呟くと、それまで難しい顔で目の前のホログラムの街並みを見つめていたアリムラ少尉とホー中尉が堪らず噴き出し、ソコロフもそっと肩を竦めて見せる。


「……?」


 ただ一人キョトンとしていたターシャにブラウザの中でほのかに頬を赤らめたソーニャが、彼女の耳横にそっともう一つ表示したブラウザから教えてくれた。


(第六十三階層は……)


 …………。

 ソーニャのナイショ話のような解説を聞いてターシャの両の頬が真っ赤になると同時に目の前のオールド・タウンの街並みが消えて第六十三階層の街並みが現れた。

 ひしめくように建てられた高層建築群。

 溢れんばかりのピンクや紫のネオンサインに彩られた街並み。

 そして、ぎっしりと隙間なく建てられた建物の間から投射される立体広告は、筋骨隆々の褐色の男性が上半身裸でニカッと微笑み掛けてくるものや、体のラインも露な深紅のチャイナドレスの黒髪の美女がスリットから大胆に足を覗かせる――といったものばかり。

 皆の後ろでタバコをふかしていたおばあさん(バーブシカ)が、ふんっ、と鼻を鳴らして言った。


「誰だい、あたしのソーニャに妙な事を教えたのは?」


 シャフト 第六十三階層 クリスタル・パレス


 そう、そこは金さえ出せばあらゆる欲望が叶う地下世界(アンダーグラウンド)きっての、否、東アジアきっての歓楽街。

 ヤクザやマフィアに取っての命綱とも言うべき風俗産業のメッカであり、まさに金を産む鶏。

 チナツが、うんざりと言った感じで首を振った。


「まぁったく、日本人どものせいで商売あがったりさ。まあ、あたいも日本人なんだけど……」


「ソーニャ、『クリスタル・パレス』は、もう、ほぼほぼ、地下政府の管理下なのかい?」


『はい。ここ数日で締め付けがさらに厳しくなって、ヤクザさんもマフィアさんも、全員追い出されてしまって困ってるみたいです。でも――』


 と、ソーニャは、とっておきのヒミツを教えてくれる時の悪戯っ子のように瞳を輝かせた。


『働いてる人たちやお店のオーナーさん達は大喜びみたいですよ。地下政府は、ショバ代(税金)が安いし、ヤクザさんやマフィアさんほどコワくなくて無茶も言わない、って』


「はは……。そぃつぁ、どーもワル―ござんした」


 下唇を突き出してむくれるチナツを横目にソコロフは腕を組む。

 この階層は、元々が国家人民軍のロケット組み立て工場の跡地であり、他の階層に比べて高さに余裕があるためコマーシャル・プレイス以上に高層の建物が多く、しかも、つい最近までヤクザやマフィアが自分たちの勢力圏としていた階層である。

 が……まあ、それ以前にそもそもチナツが言う通りだろう。


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