オクトパス
この物語は、フィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは、一切、関係ありません。
prologue
2001年。マリアナ海溝近海の海底で、海底火山の噴火があった。
「Вокруг темно. Летит песок.」(周辺は暗く、砂が舞っている。)
その3ヶ月後、ロシアの深海調査船は、噴火の影響を調べるべく、北太平洋周辺の調査を行っていた。
「Что-то не так.Отсюда до вулкана далеко.」(おかしい。ここから火山までは遠い。)
その通信を最後に、調査船は消息を絶った。
chapter1
それから20年後。ハワイのカウアイ島の沖合いに50万平方メートルにも及ぶ、海上リゾート施設がオープンした。
「それにしても広いですね。」
「あまりキョロキョロするなよ。」
日本の国家公安委員会の公安警察に所属する田原真紀と加藤真は、その中の海洋レストランにいた。
「先輩。このロコモコ、マジパネェっすよ!」
「うるせー。静かにしろ。っていうか、海洋関係ねえじゃねえか。あと、その訳分からんテンション止めろ。」
「先輩は、何、頼んだんですか?」
「カツ丼だよ。文句あるか?ないよな。」
「カツ丼。おいしいですものね。」
加藤は、にっと白い歯を出して笑った。
「はあ…。ったく…。」
真紀は、何で、こんなやつと、3週間も一緒に過ごさないといけないのかと思った。ことの発端は、一本の電話だった。
「田原。加藤、連れてすぐ来い。」
警察部長からだった。
「お前ら、すぐハワイへ行け。3週間、帰って来るな。」
「はぁ?」
加藤を連れて、部長室を訪れた真紀は、マウンテンゴリラのような部長の顔に向かって、息を吐き出した。
「おまっ、田原、てめえ。べらぼうめ。こんちくしょう!」
代々、江戸っ子だと言う部長の本田は、時々、変な言葉を使う。部員の間では、本田部長は、本当は、公安警察が雇っているエキストラの俳優が演じている偽物の部長で、本物の部長は、どこか別にいるのではないかという都市伝説が、真しやかに語られていた。
「部長。突然、言われても、ちんぷんかんぷんですよ。」
「そうか…。」
部長は、何故か、いつも、加藤に口答えされると、大人しくなる。
「ICPO(国際刑事警察機構)から、問い合わせがあった。SFC創業者の瀬尾政伸の件だ。」
「瀬尾!?…ですか。」
真紀が机を叩いた。瀬尾政伸は、SFCの創業者で元社長である。3年前に、SFCが、栃木県と長野県にまたがる山中に工場を建設し、不穏な活動をしているということが報告された。現地調査に向かった真紀と加藤は、瀬尾に捕まり、そこで、瀬尾の作った合成生物とキメラランドを目撃することになった。しかし、瀬尾には、逃げられて、キメラランドの証拠も隠滅させられたことにより、真紀と加藤の証言が信用されることはなかった。
「その瀬尾を米国のCIAが追っているそうだ。」
「容疑は何でしょうか?」
真紀に比べて、加藤は冷静だった。
「米国企業から情報を盗んだらしい。」
「それだけですか?」
「ああ。それだけだ。」
部長も冷静だった。米国側が何か隠していることは、予想がついた。
「それで、何で、私らがハワイに行かなきゃならないんだ?」
「田原。てめえ。このやろう。」
加藤は、初めて、部長と真紀のやり取りを見たとき、これは漫才だと思った。しかし、すぐに、お互いに真面目にやっているということに気が付き、フォローすることにした。
「瀬尾がハワイと何か関係あるのですか?」
「ん…?ああ、この前、ハワイにリゾート施設ができたのは、知ってるな?」
「はい。確か、日米の企業が出資した海上リゾート施設『Marine city』でしたか?」
「ああ、そのマリーン何とかを作った企業が、瀬尾が情報を盗んだ企業だ。」
「すると、もしかして、情報を盗まれたのは、アメリカ企業だけではなくて…。」
「そういうことよ。」
部長より更に上の者からの命令なのだろうと、加藤は思った。もしかしたら、それは、日本国政府からの命令かもしれない。
「瀬尾が、そのマリーン何とかで、何かを企んでいるのは、明らかだ。お前たちを選んだのは、瀬尾のことを良く知るのと…。」
「この前のリベンジっていうことだな。ゴリラ部長。じゃない。本田部長。」
「てめえ!田原。お前っ、本当に!?てめえ。早く、言って来い。べらぼうめ!!」
chapter2
「私、あの部長、苦手なんだわ…。」
真紀がカツ丼を食べていた。
「いや。だけど、先輩も悪いと思いますよ…。」
加藤は、既にロコモコを食べ終わり、施設内の地図を開いていた。
「何で?」
そう言って、真紀が箸を止めた。
「さあ。何でですかね…。」
加藤は、さらに地図を深く見つめ直した。
「Haven't you finished eating yet?」(まだ、食べ終わってないのか?)
「Roberto, that would make them offended.(そういう言い方は、彼らに失礼よ。)ごめんなさい。彼、悪気がある訳じゃないから。」
CIAの捜査官、Robert McdersonとNaoko Stephanieの二人であった。この海上リゾート施設『Marine city』で、4人は、お互い、協力して捜査に当たることになっていた。
「sorry. Please go to the room first.We will go later.」(すみません。先に行っていて下さい。僕たちは、後で行きます。)
加藤は、得意の英語を披露した。
「いいの。気にしないで。せっかくのリゾートなんだもの。See you later.」
そう言って、RobertとNaokoの二人は行ってしまった。
「あいつ、何て言ったんだ?」
「僕と先輩は、仲良しですねって。」
「絶対、違うだろ。」
「でも、そんな感じでしたよ。」
「ふうん。」
真紀は、再び、止まっていた箸を動かしていた。
『Marine city』は、5つの区画に分かれている。敷地全体が海上に浮かぶメガフロート都市であり、楕円形をしている。中央に管理棟があり、他を四等分して、ホテル等宿泊区画、レストラン等飲食区画、ショッピングモール等購買区画、リゾート施設等遊興区画になっている。
「Sorry I made you wait.」(失礼。お待たせしました。)
「OK.それじゃあ始めましょう。」
真紀と加藤、RobertとNaokoの4人は、Naokoの部屋で、捜査会議を開いた。
「まず、Mr.Seoについて、こちらの情報を教えるわね。」
「その前に、まず、今回の捜査に至るまでの経緯を知りたい。」
ラグジュアリーチェアに腰掛けた真紀は、やや前のめりになっていた。
「それは、ここに到着するまでの間の資料に書いてあったと思うけど…。」
Naokoは、ビューロに、パソコンを開いている。
「あんなの嘘ばかりだろ。私は、あんたたちが、知っていることを知りたいんだよ。」
「先輩、ちょっと…。」
丸椅子に腰掛けた加藤は、やや、寸足らずになっていた。
「No need to talk.」(話す必要はない。)
「Robert.」(ロバート。)
ベッドに座っているRobertは、腕と脚を組んでいた。
「This case belongs to the CIA.We have the right to own and use the information.Understand?」(この事件はCIAに属している。情報の所有使用権は、我々にある。分かるか?)
「Sorry.Mr.Robert.」
加藤が咄嗟に、間に入った。
「ちょっと、待て、加藤。勝手に話を進めるな!っていうか、あと、お前、日本語、分かってんだろ!?」
真紀の質問に、Robertは、両掌を天井に向けて、ため息で答えた。
「Please calm down everyone.とりあえず、お互いの情報を交換し合いましょう。」
「そちらが情報を提供しないって言うんなら、こっちも同じだね。な、加藤。」
「先輩…。」
「Not a conversation.」(話にならない。)
Robertが立ち上がり行こうとしていた。
「Robert.sit down. And shut up.」(ロバート、座りなさい。そして、黙りなさい。)
Naokoの一言にRobertは、不服そうにしながらも、ベッドに座り直した。
「Miss.Tawara.」
「真紀でいいよ。」
「そう。じゃあ、マキ。こちらにも事情があることは理解してくれるかしら。」
「もちろん。」
「その上で、質問をするというのは、一体、どんな理由かしら。」
「いいよ。まず、お互い、腹の内を隠したままじゃ、信頼関係は結べない。それがひとつ。あと、ひとつは、私は、何としても、瀬尾を拘束したい。そのふたつが理由かな。」
「どちらも個人的な事情なのね。でも、ひとつめは、分かるけど、ふたつめの、あなたが、Seoを拘束したい理由って何?」
「仕返しだよ。リベンジ。合ってる?」
「Revenge?」
「そう、ribenji。瀬尾のやろう、あいつ、3年前に、私を拉致して監禁したうえに、化け物に喰わせようしたんだよ。あ~。思い出しても、むかつくわ!」
「Are you angry?」
「は…?腹は減ってはないよ。食べたばっかだし。」
「先輩。ハングリーじゃなくて、アングリー。怒ってるのかってことですよ。」
「瀬尾にか?当たり前じゃん。お前は、違うの?」
「いや。僕は、別に…。」
「変わってんな。お前。」
「先輩こそ…。」
そのような2人を前に、Naokoは、クスクスと笑っていた。
「何で、笑ってんだ?」
真紀は、キョトンとしていた。
「ごめんなさい。分かったわ。マキ。あなたは、害はなさそうだから。できる限りのことは教えるわね。」
「そうか…。やったな。加藤。」
そんな2人を前に、Robertと加藤は、ため息を吐いていた。
chapter3
「実を言うと、私たちは、あなたが、政治的意図を持って質問をしているのではないかと警戒していたの。」
「政治的意図?」
「そう。大きな声では言えないのだけど、CIAに捜査を依頼して来たのは、民主党の上院議員なの。」
「それなら、うちも同じだ。誰かは知らないけど、たぶん、政府の御偉方がうちに頼んだんだと思う。」
「アメリカで、Seoが情報を盗んだのは、Geto Construction Company。通称、GCCと呼ばれるアメリカでも第1位の建設会社。」
「日本は、何だったけ?加藤。」
「米倉建設ですよ。」
「GCCもヨネクラも、世界企業のひとつ。そして、この『Marine city』の建設所有者でもある。これを見て。」
Naokoは、パソコンのファイルを開いて、カメラの映像を、真紀と加藤に見せた。映像には、日本人らしき男とアメリカ人らしき男の二人が、ファストフード店のフードコートで、話している姿が映っていた。
「瀬尾じゃねえか。」
「もう一人の人物は?」
「Richard.Molson。彼がGCCから情報を盗んだ実行犯。彼は清掃員に変装して、GCCに潜り込んだの。」
「何者なんだ?」
「至って、善良なニューヨーク市民よ。前科もなかったわ。」
映像の最後の方では、リチャードが瀬尾に小包を渡して、その後、二人は去って行った。
「瀬尾がRichardに、情報を盗ませたということでしょうか?」
加藤は、映像を見終わると、元いた丸椅子のところに戻った。
「おそらく、そういうことになると思うわ。それと、GCCは、このことをすぐには明らかにせず、独自に犯人を探してもみ消そうとしたみたい。」
「知られちゃまずい情報ってことだな。」
相変わらず、真紀は、やや前のめりでラグランジュチェアに腰掛けていた。
「GCCは、今も公にはしていない。そして、密かに、上院議員を通じて、CIAに捜査を依頼した。」
「でも、こんなこと、僕たちに話してよかったのですか?それこそ、あなたたちの身の為に良くないのでは…。」
加藤は、Robertの顔を見たが、彼は、Naokoの言いつけ通り、ムスッとしたまま黙っていた。
「あなたたちを信頼したからよ。それに、私に何かあっても、Robertがいるから大丈夫よ。」
「ふん。二人そろって、CIAを辞めさせられたらどうする?」
「そのときは、Michiganに帰って、二人で暮らしましょう。」
「ふん。それも良いかも知れないな。」
「やっぱり、あんた日本語、喋れたんだな。って、もしかして、二人は、そういう関係なの?」
「お察しの通りよ。マキ。さあ、次は、あなたたちの番よ。」
chapter4
午後3時を過ぎた。小休止に、加藤が4人分のコーヒーを入れて来た。
「瀬尾は、山奥で、ヘンテコな生き物を作ってたんだよ。」
「先輩。僕が話しましょうか?」
「頼む。」
「3年前、僕たちは、瀬尾が創業し、社長を務めていた会社SFCが、栃木県と長野県の境界にある山の中で、工場を建設して、密かに、何かを製造しているという情報を得て、捜査に向かいました。そこで、僕たちは、SFCの社員に捕まり、瀬尾と会いました。彼は、金を払うから見逃してくれと言って来ました。そして、僕たちがそれに応じないと、工場の敷地内に作った合成生物キメラランドに、僕たちを放して、SFCが作った合成生物に襲わせようとしました。」
「ちょっと待って。Three years ago…。」
Naokoは、加藤の話をRobertに要約して伝えた。
「あと、ごめんなさい。合成生物キメラランドって言うのは何かしら?」
「瀬尾は、その数年前に、子どもたちが考えた夢の生き物たちというアイデアを募集しました。そして、それを、山の中の、キメラランドと名付けたパーク内で、様々な生物の遺伝子をバイオテクノロジーで、合成することによって生み出し、育てていたのです。」
「そんなことが可能なの?」
「加藤と私は、そいつらに食べられそうになったからな。どんなだったか…。何かライオンにヤギがくっ付いたみたいなのとか…。」
「伝説上のキマイラのような頭がライオンで、体からは、ヤギの頭が生えて、尻尾は蛇。後は、ユニコーンやペガサス。ケルベロス。」
「あれが、一番、気持ち悪かったな。あの、人間の体した蛇。」
「いましたね。」
Naokoは、その話をRobertに伝えていた。
「それらの証拠はあるのか?」
Robertが尋ねた。
「いや。結局、麻酔薬で眠らされて、全部、瀬尾のやつに、処分された。何とか遺伝子で。」
「取り逃がしたのか。」
「しょうがないだろ。そんなの。だから、今度は、意地でも捕まえたいんだよ。」
「麻酔薬で幻覚でも見たんじゃないのか?」
Robertは、脚を組み直しながら言った。
「上司にも、そう言われました。しかし、あれは、現実です。それに、瀬尾は、20年前に、アメリカで起きたテロ事件で亡くなった恋人の橘星奈博士のクローンを作り出していました。」
「20年前のテロ事件?」
「政府研究所が反政府組織に襲撃された事件です。瀬尾は、その事件で命を落とした星奈博士のことで、政府や彼らの秘密主義を憎んでいました。」
「あったわ。」
パソコンを操作していたNaokoが言った。
「2001年。PittsburghのNational Institute of Geneticsで起きた事件ね。反政府ゲリラが、研究所を占拠し、当時、客員研究員だったDr.Seina Tachibanaが亡くなっているわ。ゲリラは、研究所内で、生物兵器の研究が行われていると言っていたらしいけど、州兵と警察の突入で、鎮圧されたようね。そのときに、Dr.Seinaは、銃撃戦の巻き添えになったみたい。」
「瀬尾は、政府が秘密を守るために、人質の人命を軽視した結果だと言っていました。」
「実のところ、この事件は、アメリカ国内では、ほとんど報道されなかったわ。」
「そうかもしれません。日本では、日本人が巻き添えになったとして、連日、報道されていましたが、ある日を境に、突然、報道されなくなったみたいです。どうやら、アメリカ政府から日本政府に圧力がかかったそうですが…。」
「加藤。お前、やけに詳しいな。」
「僕も、あれから、調べたんですよ。」
加藤はコーヒーを飲んだ。しかし、そのコーヒーは、いつのまにか冷めてしまっていた。
「瀬尾は、かつて、星奈博士と在学していた大学院から博士のDNAを入手して、生き返らせたと言っていました。」
「graduate school…。ここかな。Princeton University Genetics Laboratory。確かに、Seina.TachibanaとMasanobu.Seoの名前がある。でも、Ph.D取得後も、Seoは、研究室で研究を続けてたみたいだけど、その後、途中で研究室を去っているみたい。それが、二十年前。事件から、数日後ね。」
「そんなことも分かるのか。」
真紀はNaokoのパソコンを覗いていた。
「これでもCIAだからね。でも、研究室を去ってから数年間のSeoの行方は分からないわ。」
「瀬尾が日本でSFCを立ち上げたのが、事件から4年後の2005年。瀬尾が、29歳の時です。それから、3年の内に、SFCは、株式市場に上場しています。上場の翌年には、早くも、アメリカ企業の傘下になりました。」
「それって、もしかして、GCCのことじゃない。」
「いえ。確か、General passardっていう製薬会社だった気がしますが。」
「General passardは、GCCのGhost companyだ。GCCに都合の悪いことは、全て、General passardが被っている。」
「Robertの言う通りよ。」
「っていうと、瀬尾は、GCCの下で、何か悪いことをしていて、今は、そこの会社を利用しようとしている訳か?」
「あるいは、Seoが、誰かに命令されているのかも知れないな。」
「米倉建設も、何かありそうですね。」
「どうする、加藤?」
「内密で、部長に頼んでみます。」
「頼むわ。」
chapter5
「おう。俺だ。加藤か。例の件だが。電話だとまずいから。ファイルを送る。じゃあな。」
部長からの電話は切れた。
「何だって?」
「電話だとまずいから、ファイルを送るって言ってました。」
「じゃあ、何で、わざわざ電話して来たんだ?」
「さあ…?あっ、来ました。」
捜査会議の翌日、真紀と加藤は、パソコンの画面を眺めていた。
「米倉建設は昭和33年創業で、創業者の米倉大八は、今は、亡くなって、息子の喜八が会長をしています。GCCとは、1990年に業務提携を結び、以後、大手ゼネコンとして、海外インフラの建設工事などを受注しているようです。いわゆる、ODA(政府開発援助)の、ひも付き支援で、日本政府との結び付きも強くあります。」
「ひも付き支援って何だ?」
「援助する代わりに、米倉建設の資本を使うということですよ。あと、議員や党への多額の政治献金もしているみたいですね。」
「まあ、そりゃあそうだろうな。」
「極め付けは、これですかね。」
本田部長が送って来た画像には、数人の男性が写っていた。
「誰だこれ?」
「真ん中が米倉大八、左にいるのが、旧建設省の角川大臣、右が、指定暴力団大橋組の前組長、東郷重里です。」
「ヤクマルさんか。」
「おそらく、米倉大八の息子の喜八も、大橋組とつながりがあるでしょうね。」
「黒い噂が付き物な会社って訳ね。」
「部長が、あとで、マル暴から、大橋組の情報を集めて送ってくれるみたいです。」
「瀬尾とのつながりは確認できなかったのか?」
「…ですかね。」
二人が、ひと休みしようとしたとき、部屋をノックする音が聞こえた。
「はい。」
加藤がドアを開けると、Naokoが立っていた。
「ちょっといいかしら。」
「どうぞ。」
加藤は、Naokoを中へ入れると、周囲を確認してから、扉を閉めた。
「何か分かったかしら。」
「米倉建設は、ジャパニーズヤクザと友達らしい。」
真紀は、缶コーヒーを飲んでいた。
「そう。ところで、私も、20年前のテロ事件について調べてみたの。それで、あなたたちの意見が聞きたくて。」
「Mr.Robertは?」
加藤がNaokoの分の椅子を用意した。
「Thanks.Mr.kato。今、Robertは、施設内を調べているわ。」
Naokoは、加藤の用意した椅子に座ると、持って来たパソコンを、膝に乗せて開いた。
「America国内では、Pittsburgh事件と呼ばれているのだけど…。」
Naokoがパソコンのファイルを開いた。
「National Institute of Geneticsを襲撃したのは、反政府組織『Peace of America』のメンバー8人。彼らは、Conspiracy theoryを唱えて、政府の秘密主義を否定し、時には、過激な活動をすることで知られていたみたい。」
「こんす、何とかって?」
「先輩。コンスピラシーセオリー。陰謀論のことですよ。」
「うん。それで、彼らは、事件の3ヶ前に起こった海底火山の噴火を、政府による陰謀だと主張したの。」
「海底火山の噴火?」
「2001年。Pacific Oceanのマリアナ海底付近で火山噴火が起きたと発表された。でも、Peace of Americaのメンバーは、それは、政府が、ハワイまで、密かに、生物兵器を運ばせていた原子力潜水艦による水中爆発だと主張したの。」
「何でまた、そんなことを思ったんだ?」
「彼らの主張では、San Diego所属の原子力潜水艦のひとつが噴火の何日か前から、行方不明のままだったというわ。」
「発想が突飛過ぎやしないか。」
「彼らは、空想主義だから。でも、そのことを、White Houseの前で、抗議していたleaderのYagob Sergei Bitchが、警察に不当に拘束されてしまったの。その後、警察署で拘束中に、Yagobは心臓発作で亡くなってしまったのだけど、Peace of Americaのmemberは、それも、陰謀だと主張した。そして、怒ったmemberは、証拠を押さえようとして、Pittsburgh事件を起こした。」
「生物兵器なんて、本当にあるのか?」
「ないとは言い切れないけれど、彼らが思うような物はないと思うわ。Peace of Americaは、クラーケンのような怪物を想像していたみたいだけど。」
「クラーケン?」
「巨大なタコの怪物。タコは、Christiansの間では、恐れられることもあるから。」
そのとき、扉をノックする音が聞こえた。
「Naokoはいるか?」
Robertだった。
「I saw Richard.Molson in the eating area.」(飲食区域で、リチャード・モルソンを見た。)
「Richard.Molson?」(リチャード・モルソン?)
「I chased. But I lost sight of him.」(追い掛けたが、見失った。)
「どうした?」
「彼が、飲食区域で、Richard.Molsonを見たそうよ。」
「確かにRichard.Molsonだ。」
「リチャードって?」
「瀬尾と一緒にいた男ですよ。先輩。」
「あいつか。なら、瀬尾もいそうだな。」
「だけど、僕たちは、瀬尾に顔が割れてますよ。」
「マキ。探索は、私たちに任せて。あと、あなたたちは、観光客にでも、変身しましょうか。」
chapter6
「いませんね。」
「…。」
「どうかしました?」
「何でもない!」
真紀と加藤は、遊興区域のビーチプールにいた。メガフロートの一部分に穴を開けて、海中の周りを、ドーム型に強化ガラスで覆っている。ガラス越しに、海中の様子が見られて、中では、水着姿の観光客が泳いでいた。『Marine City』内では、水着姿の観光客が多い。真紀と加藤も、水着に着替えて、サングラスを掛けることで、変装し、Richard.Molsonと瀬尾の捜索に当たっていた。真紀は、パレオにラッシュガードを着ているが、それでも恥ずかしいらしい。
「本当にいるのかよ。」
「先輩、急にやる気なくしましたね?」
「だって、ナオコのやつ。こんな水着、買って来るから…。」
「でも、似合ってますよ。先輩らしくて良いと思いますけど。」
「はあ!?んなわけねえだろ!加藤、お前、次、そんなこと言ったら殺すぞ!」
「すみません。本当のことを言っただけなんですけど…。」
「おまっ…。いいから、さっさと探せ!!」
来客数が調整されているとはいえ、遊興区域だけで、数千人がいる。
「瀬尾は、何を企んでるんだろうな…。」
サングラスをずらしながら、辺りに目をやるが、それらしい姿は見られなかった。
「そういえば、昨日の夜、部長からメールがありました。」
「えっ…?誰。」
「部長。本田部長ですよ。大橋組の件で。」
「あ~。ヤクマルさんのことか…。」
「先輩、今の状況、ちょっと楽しんでません?」
「少しずつ慣れた。で、部長は何て?」
「やはり、米倉建設と大橋組は、今も交流があるようです。会長の米倉喜八と、大橋組の現組長の佐瀬一世が、銀座の料亭で一緒にいる所を目撃されています。」
「銀座か~。もう、何年も行ってないなあ…。」
「あと、ハワイにも、大橋組の事務所があるみたいなんですよ。」
「は?何で。」
「事務所というか。佐瀬の弟が、大のハワイ好きらしくて、こっちに移住したらしいんですよね。それで、子分も何人か付いて来たみたいで、結局、大橋組のハワイ支部みたいになってるらしいと。」
「ヤクザもハワイが好きなんだな。まあ、人間だしな。」
「先輩。しっかりして下さい。ハワイに大橋組の連中がいるってことは、当然、この『Marine City』の開発にも関与していると考えるのが妥当でしょう?」
「関与って、具体的にどういうこと?」
「それは、分かりませんが…。もしかしたら、この島で、何か事件が起こったかも知れないですよ。」
「そうか…。おい、ケータイ。」
「はい。」
加藤の携帯電話から、真紀は、Naokoにつないだ。
「うん。そう。で、ハワイで過去に何か、それらしい事件がなかったか、調べてほしいんだけど…。うん。分かった。サンキュ。バイ。ほい。」
「おっと…。」
真紀が投げた携帯電話を加藤は、何とか落とさずキャッチした。
その頃、NaokoとRobertは、飲食区域のカフェにいた。
「What?」
「Maki.She asked me to investigate what happened in Hawaii.Because Japanese yakuza may be involved.」(マキからよ。過去にハワイで起こった事件を調べてほしいって。日本人ヤクザが絡んでいるかも知れないから。)
「Leave it to me.」(それなら、俺に任せろ。)
「OK.I'm counting on you.」(そうね。頼りにしてるわ。)
そう言って、Robertは、席を立って行った。Naokoは、ホットコーヒーに、ピザを食べながら、パソコンを開き、辺りを警戒していた。周囲には、フリージャーナリストが、ブランチを食べながら、雑誌記事の編集をしているように見えるだろうか。
「(That is …。Seo?)」(あれは…セオ?)
視界の中に、蕎麦を食べている日本人らしき男がいた。それは瀬尾政伸であった。瀬尾は、変装も整形もすることなく、ただ、このリゾート施設を楽しんでいるようだった。
「(Moving…。)」(動き出した…。)
蕎麦を食べ終わったのか、瀬尾は器をコンコースの返却口に入れると、飲食区域を去って行った。Naokoも、また、食器を返却して、瀬尾の後を追った。
chapter7
「I'm。shin。」(こちら、真です。)
「ターゲットを見つけたわ。今、飲食区域と購買区域の境界にいる。」
「了解しました。」
加藤は、電話を切った。
「何?」
「ナオコさんが、ターゲットを見つけたそうです。今、飲食区域と購買区域の境界にいると。」
「よし。行くぞ。」
遊興区域を、遊び歩いていたマキと加藤は、急いで現場に向かった。二人がいる遊興区域は、購買区域の隣にある。このまま、現場へ向かえば、ターゲットを挟み撃ちにできるはずである。
「いないぞ。」
キョロキョロと辺りを見回しながら、来たが、それらしい姿は見えない。
「電話です。ナオコさんから。Hello.」
加藤は応答したが、無言だった。
「どうした?」
「音声が聞こえなくて…。」
「じゃあ、地下だな。えっと…。」
真紀は、ラッシュガードからパンフレットを出して開いた。
「ここだな。中央管理棟の地下。向こうに、非常口がある。行くぞ。」
「あっ、先輩。」
駆ける真紀を加藤は追った。
「立ち入り禁止区域ですよ。」
非常口の扉には、Exclusion zoneの文字が書かれている。
「でも、鍵は開いてるぞ。」
「本当だ。」
「行くぞ。」
真紀は、迷うことなく、中へ入って行く。扉の奥は、すぐに階段になっていて、地下へと続いていた。
「…。」
「…。」
海水を循環させているのだろうか。辺りには、ゴウゴウとポンプの音がしている。しばらく、歩くと、階段は途切れ、広間に出た。
「しっ…。」
二人の視界に人影が入って来た。Naokoだった。
「あそこ…。」
「瀬尾…。もう一人は…。」
Richard.Molsonだった。
「瀬尾!!てめえ、動くな!!」
「マキ!?」
「先輩!?」
マキは、拳銃を構えて、銃口を瀬尾に向けて、飛び出して行った。仕方なく、Naokoと加藤も、拳銃を構えて、飛び出した。
「あなたは…?」
「忘れたとは、言わせねえぞ。」
瀬尾は驚くこともなかった。Richardは、突然のことに、状況が理解できないでいた。
「覚えてますよ。公安警察の方でしたよね。」
「人を拉致しておいて、よくも、このやろう。」
「あのときの取引は、もう済んだことでは?」
「はあ?お前、今、日本とアメリカの警察に追われてんだぞ。何したか分かりませんっていうんじゃねえだろうな。とりあえず、逮捕するから、そこ動くな。」
「申し訳ない。今、プロジェクトの進行中なんだ。」
そういうと瀬尾は、懐から、ルガーLPC小型拳銃を取り出して、9mmの弾丸を2発、発射した。
「先輩!?」
加藤が真紀を庇って、横へ飛んだ。Naokoは、機材の陰に隠れた。
「瀬尾!?待て!!」
真紀は、瀬尾を追った。
「Shin!怪我はない?」
「大丈夫です。追いましょう。」
加藤とNaokoも、真紀たちの後を追った。その後も、発砲音が、2発した。
「WOW!!」
瀬尾はRichardと伴に、反対側の出口から地上へ出ると、天井に向けて、1発、弾丸を発射した。
「What!?」
「Oh!!」
「きゃあ!!」
辺りは、パニックになり、瀬尾とRichardは、人混みに紛れた。
「くそ!!」
「マキ!!こっちへ来て。」
「え…。ああ。」
群衆の叫び声の中、真紀は、Naokoに連れられるがまま、ホテルの部屋へ入った。
chapter8
「あなた、いつもああなの!?」
「だから、悪かったって…。」
「No kidding!!」(冗談じゃないわ!!)
「瀬尾がピストルを持ってるなんて思わなかったから…。」
「日本なら、そうかも知れないけれど、United stateでは、そういうわけにはいかないわ。」
「それは、本当に、すまなかった。私の油断が招いたことだ。ごめん。」
真紀は、頭を下げた。
「もう…。私も、言い過ぎたわ。ごめんなさい。」
Naokoは、手を差し出して、真紀が、それを握った。そのとき、扉がノックされて、Richardが入って来た。
「どうかしたのか?」
「SeoとMolsonに逃げられたわ。」
「すまない。私の責任で…。」
そう言いかけた真紀を、Naokoは首を振って制止した。
「まあ、いいが。これが頼まれた物だ。」
Robertは、冊子を真紀に渡した。
「マキとシンは、それを見ててもらっていいかしら。」
そう言って、Naokoは、外に行こうとした。おそらく、瀬尾が発砲した件の後始末だろう。
「Shall I go with you too?」(俺も行こうか?)
「All right.Please explain the material to them.(大丈夫よ。二人に資料の説明をしてあげて。)シン。Robertの通訳、頼むわね。」
「了解しました。」
Naokoは、去って行った。
「What's wrong?」(どうしたんだ?)
「I made a mistake…。」(失敗してしまってね。)
「Well, don't worry.」(そうか。まあ、気にするな。)
こう思うと、加藤の語学力は、たいしたものである。
「Look at the third photo.」(3枚目の写真を見てくれ。)
「This is Richard Molson. Who is the woman next door?」(これは、リチャード・モルソン。隣の女性は?)
「sister. The name is Mei Caroline. She is an environmental activist.」(彼の妹だ。名前は、メイ・キャロライン。環境保護活動家だ。)
「Caroline?」(キャロライン?)
「Richard and Mei were adopted by another family when they were young.」(リチャードとメイは、幼い頃、別々の家庭の養子になったらしい。)
そこまで、言ってRobertは、真紀の方をちらっと見た。
「あ、お構いなく。どうぞ続けて下さい。」
「OK.Three years ago, Mei died in Hawaii.」(3年前、メイは、ハワイで亡くなっている。)
「died?」(死んだ?)
「She was protesting the construction of Marine City.」(彼女は、マリーンシティの建設に抗議をしていた。)
「Was she killed?」(殺されたのか?)
「No.It is an accidental death. However, there was something unclear.It's written here.」(いや。事故死だ。しかし、不明な点がある。それがここに書いてある。)
加藤は、Robertに示された所を読み始めた。その間、Robertは、真紀の隣に座った。
「Naokoのことなら、問題ない。」
「ああ。サンキュー。ロバート。あんた、良い人だね。」
「一体、何をしたんだ?話せば、気が楽になる。」
「うん…?ああ、瀬尾のやつを見て、私が、すぐに飛び出したんだよ。そしたら、やつが、ピストルを撃ってきて。お客さんたちは、パニックになったんだよ。」
「ハハハ。君は、まるで、スーパーウーマンだな。」
「笑うとこ?」
「Sorry.しかし、昔は、そんなミス、Naokoも、たくさんしていたよ。」
「そうなの?」
「ああ。俺は、彼女の先輩だったんだ。いつも、俺は、彼女のsupportばかりしていた。だから、いつのまにか、彼女の方が上司になってしまったんだ。」
「ははは。何それ。ウケる。」
「だろう。」
真紀とRobertは、楽しそうに笑っていた。しかし、二人は、部屋の入り口に、Naokoが立っていることに気が付かなかった。
「What's wrong?」(どうかしたのか?)
加藤は、必死に目で合図を送っていたが、二人が、それに気付くことはなかった。そんな加藤に、Naokoは、口に指を当てて、黙っているようにサインを送っていた。
「あと、おもしろいのは、彼女に連れられて、初めて、Japanese restaurantに行ったんだ。そこで、Naokoは、sushiのsashimiとsyariを、別々に、syoyuに漬けて食べ出してね。彼女、何て言ったと思う。『あら、Robert知らないの?これが、つうの食べ方なのよ。』って。」
「ははは。」
加藤は、ヒヤヒヤしながら、話を聞いていた。
「それに、彼女は、『これ、おいしいわ。』って、sakeを、何杯も、飲んでね。結局、俺が彼女の家まで、送ったんだよ。そのとき、彼女のおばあさんに、俺は、何て言ったと思う。『おばあさん。もう、つうは、こりごりですよ。』って…。ハハハ。」
いつのまにか、Robertの前には、Naokoが立っていた。
「ハハハ…。ああ、Naoko。今、君のことを話していたんだよ。」
「ええ。全部、そこで聞いていたわよ。」
「ハハハ…。それは、おもしろいjokeだね。」
「…。」
加藤は、首を横に振っていた。
chapter9
「そしたら、Robertは、私の妹を母親だと思ってね。私が来るまで、ずっと、妹のことを、お母さん、お母さんって呼んでて。」
「それは、かなり、失礼だなあ。ロバート。」
真紀たち4人は、シーフードレストランで夕食を摂っていた。
「あとは…。」
「Hei.Naoko.Do you still continue?」(ナオコ。まだ、続けるのかい?)
「当然。あと、あれは、付き合って、最初の、私の誕生日の時、この人、私を驚かそうとして、夜の間に、私の車の所に、花束の置いておいたの。でも、それが、本当は、隣の家の車でね。朝、私が出発しようとしたら、隣のおじいさんが、『Happy birthday.』って、持って来てくれたの。」
「It was pitch black at night, so I couldn't find a house.」(夜、暗くて分からなかったんだよ。)
雨降って、地固まるなのだろうか。4人は、前よりも、ずっと仲良くなったようだった。
「どうかしたのかしら?」
「騒がしいな?」
他のテーブルで何か揉めているような声がした。
「見て来ましょうか。」
加藤が、ナイフとフォークを置き、様子を見に行った。
「fight?」(ケンカかしら?)
「I can't see it well」(よく見えないな。)
加藤は、間もなく、帰って来た。
「クラーケンを見たと言っていました。」
「Kraken?」
「クラーケンって、確か?」
「巨大なタコの怪物ですよ。」
観光客が、ダイビング中に、灯りに浮かぶ巨大な頭足類の影を見たらしい。
「同じグループの客たちは、見間違いだろうと言っていましたが。目撃者の男性は、危険だからと帰ってしまったらしいですよ。」
「Kraken is a legendary monster.Kraken can't be in a place like this.」(クラーケンは、伝説の怪物だ。こんな場所にいるはずない。)
「どうしました。先輩?」
「いや。瀬尾のことを思い出してさあ。」
「瀬尾ですか?」
「もしかしたら、あいつが作り出したんじゃないかと…。」
「合成生物。」
「Chimera.」(キメラ。)
「Hey.まだ、そうとは決まってない。見間違いかもしれないだろう。」
「証拠はありませんしね…。」
「excuse me.」
ウェイターが、4人のテーブルにやって来た。
「Another customer wanted you to give this as a gift to you.」(他のお客様から、こちらを渡してほしいとのことです。)
ウェイターが持って来たのは、ワインボトルだった。
「Please enjoy.」(お楽しみ下さい。)
ウェイターは去って行った。
「Wow.Bordeaux 2001-year chateau!」(ボルドーの2001年物のシャトーじゃないか!)
Robertがそれを受け取ると、歓喜の声を上げた。
「But who is the gift from?」(でも、誰からかしら?)
「瀬尾だ。」
ワインボトルが入った籠に、SFCのマークが入っていた。
「Seo?」
Naokoが辺りを見たが、瀬尾はいなかった。
「何が目的でしょうか?」
「飲んでみようぜ。」
「大丈夫なの?」
「毒は入っていないだろう?たぶん。」
「爆発物の可能性もあるわ。」
「そんな物は仕組まれてないよ。」
いつの間にいたのだろうか。先ほどにはいなかったはずの、瀬尾が、傍らに立っていた。
「瀬尾!?」
「田原さん。君は、また、同じ過ちを繰り返すのか?」
辺りは、群衆に満ちている。
「それに、ここにリモコンが入ってるのが分かるかな。」
瀬尾は、胸ポケットから、小型機器を出してみせた。
「CIAのお二人なら、分かるでしょうか?」
「Bomb.」(爆弾。)
「That's right.」(正解。)
そう言って、瀬尾は、リモコンのボタンを押した。すると、窓の外で、爆発音がした。
「Wow.Beautiful.」
観光客たちが、騒ぎ立てた。それは、花火だった。
「Next, bigger fireworks will come up.」(次は、もっと大きな花火が上がります。)
瀬尾は、そう言って、空いている椅子に腰を掛けると、テーブルに置いてあったワインを開けて、グラスに注ぎ、飲み始めた。
「まずまずのできかな。皆さんもどうぞ。」
「瀬尾、何しに来た?」
「田原真紀さんと加藤真さん。あなたたちなら、分かると思いますが?」
「取引…。」
「その通り。」
瀬尾は、加藤のグラスにワインを注いだ。
「どうぞ。」
加藤はそれを飲んだ。豊かな風味にほどよい酸味がした。
「この前、言った通り、私は、プロジェクトの進行中なのです。」
「何だ、プロジェクトって?」
「弔い。」
「弔い?」
「なので、もう少し、そっとしておいてもらいたいんですよ。」
「そうしないと…。」
「Ban.」(ばん。)
瀬尾は、リモコンを叩いた。
「私は、それを言いに来たのです。それでは、用件は済んだので。」
皆のグラスにワインを注ぎ終えると、瀬尾は、去って行った。去り際に、瀬尾は、リモコンのボタンを、4人に分かるように押した。すると、窓の外では、先ほどより、大きな花火が打ち上げられた。
「あのやろう…。」
Naokoが真紀を制していた。
chapter10
「CIAに連絡するわ。」
「そんなことしたら、瀬尾は、爆弾のボタンを押しませんか?」
「放って置くことはできない。」
Naokoがベランダに出た。Robertも、どこかに出ていた。真紀は、先ほどから、ずっと、椅子に座って、黙っている。加藤だけが、為す術もなく、皆を見守っていた。
「軍と警察が、極秘で、爆弾の探索に当たることになるそうよ。」
「これでは、瀬尾もテロリストの一味ですね。」
「彼は、もうテロリストよ。Robertが戻って来たら、もう一度、捜査会議を開きましょう。情報の整理もしたいから。」
「そうですね。」
重い空気の中、3人が無言でいると、Robertが戻って来た。
「Seo is not staying at the hotel.I decided to ask the state police to investigate a nearby accommodation.」(セオは、ホテルには、泊まっていない。州警察に、近くの宿泊施設を捜索してもらうことにした。)
「Explosives are secretly searched by the military and police.」(爆発物は、軍と警察が、内密で捜索に当たるわ。)
「I see.」(分かった。)
加藤がコーヒーを用意して、捜査会議が始まった。
「The coffee made by Shin is the best.」(シンが入れたコーヒーは、最高だな。)
「The reason is that I make coffee for my seniors every day.」(毎日、僕が、先輩のコーヒーを作ってるからね。)
「あ、今、私のこと、ネタにしただろう。」
「よく、分かりましたね。」
「否定しろよ。」
「フフフ。さあ、Negativeになってても、仕方ないわ。Let's do what we can do now.今、私たちにできることをしましょう。」
「そうだな。」
「それで、Seoが言っていた弔いって?」
「あれは、おそらく、橘星奈博士のことだと思います。」
加藤が答えた。
「私も、そうだと思う。あのワイン。2001年のやつだったからな。」
「Pittsburgh caseね。」
「Seoは、Dr.Tachibanaの仇討ちをしようとしているわけか?」
Robertが言った。
「仇討ち…。とは、ちょっと違いますかね。」
「Comforting the sadness of the deceased.(故人の悲しみを慰める。)そんな感じかしら。」
「そうですね。それが良いと思います。」
「それが具体的に何かかな。」
「では、それに、GCCやYonekuraの情報が関係してるのか?」
「Probably.(多分ね。)あと、気になるのは、Molsonね。私は、彼が、ただの協力者という立場だけではない気がするの。」
「Molson may also be planning something.Mei.Caroline may also be involved.」(モルソンも、何か企んでいるかもしれないか。メイ・キャロラインも、関係しているかもな。)
「Mei?Who is.」(メイ?誰のこと。)
「Molson's sister.She died in an accident in Hawaii three years ago.」(モルソンの妹だ。彼女は、3年前に、ハワイで、事故死した。)
「これが、資料です。」
加藤が、Robertからもらった資料を、Naokoに渡した。
「Environmental protection activist…。Drowning on the beach at midnight.」(環境保護活動家…。深夜にビーチで、溺死。)
「彼女は、alcoholは飲めないはずだが、体内から、alcoholが検出されたらしい。」
Naokoは、真紀に資料を渡した。
「こいつどこかで見たことあるぞ。」
「どれですか?」
「これ。」
「ええっと…。これは、The man who was harassing.」
真紀が指で示したのは、メイ・キャロラインに対する嫌がらせの容疑で拘束された男だった。
「彼女の環境保護活動に対する嫌がらせの容疑ですね。でも、すぐに、保釈されたみたいです。」
「加藤、ケータイ。」
「はい。」
「どこだったかな…。」
真紀は、加藤の携帯電話内に保存されてあるファイルを閲覧していた。
「あった。」
「本当だ。これ、大橋組の構成員ですよ。」
それは、本田部長から送られてきた捜査資料だった。銀座の料亭から出て来る大橋組、組長の佐瀬の傍らにいる男が、そうだった。
「同じ人間ね。」
「No doubt.」(間違いないな。)
「メイ・キャロラインは、『Marine City』の建設に反対していた。彼女へ嫌がらせをしていたのは、大橋組の構成員。そして、不明な点が多い彼女の事故死。米倉建設やGCCが背後で、糸を引いていた可能性は高いですね。もしかしたら、瀬尾が盗んだ情報というのも、彼女の死に関係した物なのかもしれません。」
「その人は、何で、反対してたんだ?」
「えっと…。」
「Meiは、『Marine City』のEnvironmental assessmentが杜撰だと、言っていた。dateも改竄されていると。日本語合ってるか?」
「Very good.Robert.」
加藤が賞賛を浴びせた。
「建設会社にとって、邪魔だったわけか。ひどい話だぜ。」
「彼女の死後、『Marine City』の建設は、予定通りに進められることになったらしい。」
「『Marine City』の建設によって、多くのcoral reefと海洋生物に被害が及ぶ。彼女は、そう言っていたみたいね。当時のニュースに載ってるわ。」
Naokoがパソコンで調べた記事を、皆に見せた。それには、地元紙によるMeiのインタビューが載っていた。
「Maybe,Molsonは、仇討ちを考えてるのではないか?」
Robertが、何か閃いたように答えた。
「俺は、何故、Molsonが、『Marine City』にいるのかということを、ずっと考えていたんだ。」
「妹の仇討ち…。Seoは、その協力者…。そうかもしれない。もしかしたら、爆弾も、始めからそのために。」
「加藤。確か、大橋組の事務所がハワイにあるって言ってたよな?」
「ちょっと待って下さい…。」
加藤は、本田部長からのメールを確認した。
「それなら、Honolulu Policeに聞けば分かるだろう。」
そう言って、Robertは、携帯電話を出した。
「…OK.thank you.」
「どうでした?」
「Princevilleに、彼らのTeam leaderの家がある。memberも、近くにいるらしい。」
「よし。ここからどのくらいかかる?」
真紀が、コートに手を伸ばしたが、Robertが制した。
「Wait!!マキ。彼らは、mafiaだ。たくさん銃も持っている。もし、Molsonが来たら、拘束するように伝えた。今、警察官たちが向かっている。彼らに任そう。」
「そうだな。すまない。」
「No,problem.大丈夫。」
chapter11
深夜に近くなっても、捜査会議は続いていた。
「どうしました?先輩。」
加藤が、入れ直した濃いめのコーヒーを、皆で飲んでいた。
「瀬尾とモルソンのつながりが、分からない。」
「瀬尾とモルソンですか?」
「瀬尾は、何で、そいつに協力してるんだ?爆弾なんか仕掛けたら、自分の身の危険になるはずだろ。それに、日本とアメリカの警察を敵に回してまで、そんなことする必要が、あいつにあるのか?」
「それも、そうですかね。」
「CIAが調べた限り、SeoとMolsonにつながりはなかったわ。」
「あったのは、SFCとGCCとのつながりくらいだな。」
「そうだよ。瀬尾にとっては、かつての親会社を裏切ることになるんだよね。」
「瀬尾の目的は、橘星奈博士の弔いですよね?」
「ああ。橘星奈は、何を研究してたんだ?」
「待ってて。National Institute of Genetics.Dr.Seina Tachibana.は、Biotechnologyで、主に、医療、貧困、飢餓、energy、環境。様々な分野での問題を解決しようとしていたみたい。専門は、Genetic engineering。遺伝子工学ね。細胞融合とか、ゲノム操作なのかな?」
「素人じゃ、分かんないなあ…。」
眠気と疲労により、一度、皆、休むことにした。真紀は、仮眠に入り、2~3時間した後、部屋をノックされる音で目を覚ました。
「(4時か…。)」
午前4時だった。真紀は、H&K社製の拳銃を持ちながら扉に近づいた。
「(加藤か…。)」
覗き穴からは、加藤の姿が見えた。
「何…?」
眠気に包まれながら、真紀は、扉を開けた。
「あっ…。先輩、って、ちょっと、服着て下さいよ!」
「は?あっ!!」
一瞬で扉が閉まった。真紀は、下着姿で寝る癖があった。真紀は、すぐに上着を着直した。
「何も見てないよな?」
「見てません。」
「で、何?」
「動きがあったそうです。ロバートさんの部屋に来て下さい。」
「分かった。」
支度をして、真紀は、Robertの部屋へ向かった。
「マキ。すまない。動きがあった。PrincevilleにMolsonが現れたららしい。」
部屋には、加藤とNaokoもいた。
「すまない。」
Robertの電話が鳴った。
「What!?」
真紀にRobertの話していることは、分からなかった。しかし、加藤とNaokoは、何となく状況が掴めたようである。
「Molsonが撃たれて、運ばれたらしい。俺は、現場へ向かう。また、連絡する。」
そう言うと、Robertは、コートを着て、部屋を出て行った。
「Princevilleまで、1時間くらいかかるわね。その間、少し休みましょう。」
「そうですね。」
皆、まだ、十分な休息が取れた訳ではなかった。外が微かに明かるくなり始めた頃、Naokoの携帯電話が鳴った。Robertであった。
「OK.」
「何だって?」
「Molsonは、意識不明で、手術中らしいわ。しばらく、Robertは、病院にいると言っていたわ。」
「誰に撃たれたのですか?」
「詳しいことは、まだ、分からないらしいけれど、Molsonが、ヤクザのleaderの家に入った後、中で、発砲が始まったらしいわ。」
「やはり、仇討ちだったのでしょうか?」
「そうかもね。」
「爆弾は、どうなったんだ?」
「そちらは、何の音沙汰もなし。」
chapter12
3人は、交代で仮眠を摂った。昼過ぎにRobertが戻って来た。
「Let me rest first. I'm tired.」(先に休ませてくれ。くたくただ…。)
そのまま、Robertは、ベッドへ直行した。
「私たちは、食事にしましょうか。」
Naokoに連れられて、真紀と加藤は、飲食区域のレストランに入った。
「騒がしいですね。それに、人も少ない。」
「そう言えば、そうだな。」
「何かあったのかしら。聞いて来るわ。」
Naokoが、ウェイターの所へ行った。
「皆、クラーケンが出たと、騒いでるらしいわ。」
「クラーケン?」
朝早く、海に出ていた観光客の乗ったボートが、転覆した。ボートは、海中に引き込まれて行ったという。
「A big tentacle dragged the boat!」(ばかでかい触手が、ボートを引きずっていったんだよ!)
現場を見ていた観光客がそう言ったらしい。
「やっぱり、何かあるな。」
「みたいですね。」
「とりあえず、飯、食うぞ。」
真紀は、octopus riceを掻き込んだ。食事の後、Naokoは、Robertの所へ戻り、真紀と加藤とは別れた。
「それにしても、広いな。」
『Marine City』は、メガフロートという浮体構造物であるが、東京ドーム10個分の広さがある。内部には、人工プールや砂浜も存在していた。真紀たちは、それら沿岸を見て回った。
「けっこう、人が出てますね。」
クラーケン騒ぎで、無人になっているかと思われたが、人々は、変わらず、遊んでいた。ひと通り沿岸部を回ってみたが、それらしき異常も見られなかった。
「私たちも、ロバートのところへ戻るか。」
「そうしましょうか。」
海洋レストランで捜査を終えて、ホテルに戻ろうとしたとき、ガラス越しに、瀬尾の姿を見た。
「瀬尾!?」
外は、人工海岸で、海につながっている。その砂浜に瀬尾は立っていた。
「先輩!?あれ!!」
加藤が指し示したところには、人だかりができていた。そして、その先にある海に突き出た埠頭に、突然、破壊されたボートが、飛んで来た。
「何だ!?」
大きな音と伴に、海岸にいる人々は、パニックとなった。
「クラーケンだ…。」
「は…?」
埠頭の先端の監視塔に、巨大な触手が伸びて来て、塔を破壊すると、腕の主は、それをへし折って、砂浜に投げ込んで来た。海面からは、海坊主のような頭足類、タコの頭が浮かんでいた。
「くそ!?」
「先輩!?」
真紀は走った。瀬尾は、まだ、海岸にいた。
『Marine City』に、恐慌が始まった。
「Run away!!」(逃げろ!!)
クラーケンは、埠頭から海に面した海洋レストランに近づいて来ていた。
「クラーケン…。まさか、本当にいるとはな。」
「瀬尾。」
海岸からクラーケンを見ていた瀬尾のところに、真紀が到着した。すぐ後に、加藤もやって来た。
「あなたたちか。」
「あいつをどうにかしろ!!」
真紀はクラーケンを指差した。
「私にできるはずないだろう。」
「お前のペットだろうが。」
「ペット?申し訳ないが、意味が分からないな。もしかしたら、あなたは、あの怪物を私が作ったと思っているのかもしれないが、それは見当違いだよ。」
「そんなこと信用できるか。」
「全く、証拠もないのに人を疑うのか…。」
「前科があるからな。」
「やれやれ。世間が、うとましいよ。」
瀬尾はピストルを抜いた。同時に、真紀と加藤も拳銃を構えた。
「ここでの用事は済んだ。失礼させてもらう。」
瀬尾はさっと、向きを変えると、逃げ惑う人々とは、反対方向に駆けた。それは、クラーケンのいる方向だった。
「瀬尾!!待ちやがれ!!」
真紀が瀬尾を追い駆けた。
chapter13
「What is that!?」(何だあれは!?)
騒ぎを聞き付けて、RobertとNaokoも、海洋レストランにやって来た。
「Robert.Let's evacuate people!」(ロバート、人々を避難させましょう!)
「OK.CIA!!Please calm down and evacuate to the other side!」(よし。CIAだ!!落ち着いて、反対側へ、避難するんだ!)
海洋レストラン周辺の観光客たちを、NaokoとRobertが手分けして、避難誘導に当たった。その頃、真紀と加藤は、瀬尾を追って、クラーケンに近づいて行った。
「どうする気だ。あいつ。」
瀬尾は、埠頭の護岸に到達した。海からは、クラーケンが迫っている。
「ふむ。クラーケンか…。怪物かあるいは、神の怒りか。」
「瀬尾!!」
瀬尾は、護岸の防波堤を降りて行った。そこは、船着場になっていた。瀬尾は、その中のひとつの小型船舶に乗り込むと、波をかすめて、クラーケンの横を通り抜けて、外洋へと逃走した。
「先輩!諦めましょう!これ以上は、危険です!!」
「くそっ…。」
すぐ傍にクラーケンがやって来ていた。近くで見る怪物は、さらに巨大であった。体長30mはあるだろうか。腕も含めるとその倍くらいは、あるかもしれない。腕の先端は、丸太のようだった。
「こんなの一体、どうすりゃあ、いいんだよ。」
「先輩。行きましょう!」
加藤の携帯電話が鳴った。
「こちら、Naoko。レストランにいた観光客の避難は、終わったわ。あなたたちも、早く逃げなさい。」
海洋レストランのガラス越しにNaokoが見えた。
「急ぎましょう。」
「ああ。」
真紀と加藤は、砂浜を駆けて、建物の中に入った。クラーケンは、防波堤の上をのそのそと進んでいた。
「マキ。シン。こっち。」
Naokoだった。
「観光客は反対側に避難したわ。」
「分かった。」
『Marine City』は、カウアイ島の沖合い20kmの地点に浮かんでいる。本島との行き来は、3本の幹線道路と船、あるいは、ヘリコプターしかない。対岸では、州警察が、車両の整理に当たっていた。空には、報道機関や警察のヘリコプターが飛んでいた。
「軍隊に出動を要請したわ。」
Robertは、ホテル関係者と伴に、避難者の誘導をしているという。数万人の観光客が一度に避難するには、かなりの時間がかかる。相変わらず、クラーケンは、のそのそと歩いていたが、ヘリコプターの一機が近づいて来ると、それを腕ではたいた。ヘリコプターは、空中で爆発した。それがきっかけで、クラーケンは、向きを変えた。
「向こうは、連絡通路よ。」
本島との連絡通路は、避難者の乗る自動車で渋滞をしている。
「まずいですよ。」
「くそっ!」
真紀は走った。
「先輩!」
再び、海岸に出た真紀は、クラーケンに近づいて、拳銃を構えた。
「このやろう。タコライスにしてやるぞ!!」
9mmの弾丸が2発、発砲されたが、クラーケンには、蚊が刺したほどの衝撃もない。
「拳銃じゃ、無理ですって。」
加藤がやって来た。
「考えろ。」
「え?」
「タコの気を引くことだよ。」
「タコですか…?確か、タコは、足で光を感じるらしいですが…。」
「光…?ライトだな。」
真紀は、砂浜に放置されていた移動用のバギーカーに乗り込むと、ヘッドライトを、クラーケンの方に向けて、点灯させた。
「気付けよ。タコやろう。」
しばらく、ライトを発光させていると、クラーケンは、真紀の方を向いた。そして、今度は、今までの2倍の速度で、体をくねらせながら、近づいて来た。
「ちょっと待てよ!!」
「先輩逃げましょう。」
再び、二人は、レストランの中に戻った。
「マキ。」
「誘導は成功したけど…。」
速度が上がったクラーケンは、もう既に、レストランの天井ガラスに、腕を伸ばしていた。
「隠れて!」
3人が、キッチンに身を隠した瞬間、天井ガラスが割れて崩れ落ちた。
「このガラス、強化ガラスじゃなかったのかよ。」
凄まじい破壊音の中で、真紀たちは、息を潜めたが、生きた心地はしない。
「タコは、心臓が3つ。脳が9つあると言われ、体長1mのミズダコの吸盤の力は、20kgの重さに耐えると言います。あの大きさだと、1tくらいは、軽々と持ち上げられると思います。」
加藤は言った。
「お前、何でそんな詳しいんだよ!?」
「大学時代、寿司屋でアルバイトをしていましたから。」
「お前、何者なんだよ。ちなみに、タコの急所はどこだ?」
「急所ですか?板前は、タコを締めるとき、目と目の間、眉間の少し下に包丁を入れてましたけど…。」
「眉間か…。」
真紀は、辺りを見回した。レストランの2階には、ハワイ諸島の発見者であるジェームズ・クックが乗っていたレゾリューション号の実物大レプリカのオブジェが飾られていた。
「よし。加藤。付いてこい。」
真紀は、2階を目指した。
「え、先輩!?」
加藤は追い掛けた。
「Hey…!!Just a moment!」(ちょっと、待ってよ!)
Naokoも後を追った。2階に着くと、レゾリューション号は大きく、全長30m、幅10mほどあった。
「先輩、もしかして…。」
「これを、あいつの眉間にぶつけるんだよ。」
オブジェの側は、傾斜になっており、その先には、ドーム型のガラスを破壊して、クラーケンが目を覗かせている。
「無理ですよ!こんなの動きませんって。」
レゾリューション号は、前中後の3ヶ所に、弓形の台座に乗って、鎮座している。
「この前のやつ、ひとつだけ外せば、大丈夫だ。」
「大丈夫って、何が…?」
「まずは、鎖だ。」
真紀は、拳銃で、ディスカバリー号から天井に伸びている鎖を狙い撃った。3発の弾丸は、狙い通り、鎖を断ち切った。
「お前も手伝え。」
船体と台座は、溶接されている。台座もまた、1階の建物を通って、柱で固定されていると思われた。
「手伝えと言われても…。」
「ねえ。これならどう?」
姿を消していたNaokoが、ハンディチェーンソーを持って来た。
「舟は、木でできているから。」
「やってみよう。」
3人は、手分けして作業に取り掛かった。真紀とNaokoは、チェーンソーで、船底に切り込みを入れた。その間も、クラーケンは、腕を伸ばして、レストランを物色していた。加藤は、キッチンから、ガスバーナーを持って来て、船底を焼き始めた。
「先輩、入って来ました。」
「何?」
見ると、クラーケンが、ガラスの無くなった天井を抜けて、体を中へ入れて来た。
「マジかよ…。」
「ねえ。もういいんじゃない。」
ディスカバリー号の船首は、クラーケンの方を向いている。3人は、工具を置いて、船尾の方から、船体を押した。
「せーの。」
大きな音と伴に、船首が傾いた。しかし、真ん中の台座に止められて、ディスカバリー号は、その場に留まろうとしていた。
「2人は、そのまま押して。」
Naokoが、チェーンソーで、真ん中の台座に切り込みを入れ始めた。
「せーの。」
ギシギシと、軋む音がする。その音に、反応したのか、クラーケンの腕が、2階に伸びて来た。
「Naoko.Stay away!!」(ナオコ。離れていろ!!)
「Robert!」(ロバート!)
2階の入り口から、Robertが、小型トラックに乗ってやって来た。
「Eat this!!」(これでも食ってろ!!)
真紀、加藤、Naokoがディスカバリー号から離れると、Robertが、ギアを入れて、トラックごと、船尾に突っ込んだ。破壊音とエアバッグの破裂音と伴に、ディスカバリー号は、みるみると傾いた。そして、そのまま、傾斜を下り、クラーケンの眉間に衝突して、破壊された。
「Robert!?」(ロバート!?)
「Alright.」(大丈夫だ。)
クラーケンは、腕をのたうち回らせていた。体の色は、赤、青、黄、様々な色に変化していた。
「How beautiful…。」(なんてきれいなの…。)
RobertとNaokoは抱きしめあっていた。やがて、クラーケンは、レストランを抜け出して、海の中へと逃げて行った。
epilogue
「That's exactly what I said. Stock prices plummeted and the world was confused.As promised, please transfer the consideration for the advance information to your NESIA account.」(私が言った通り、株価は暴落し、世界は混乱しました。約束通り、事前情報提供の対価は、NESIA宛の口座に移送して下さい。)
そう言うと、瀬尾は、電話を終えた。クラーケンの映像は、世界に拡散した。それと同時に、米倉建設とGCCの、数々の不正や汚職の証拠がネット上に流れた。
「『Marine City』建設に関することも、たくさん、彼らの不正が暴かれたわ。連邦地裁は、GCCとYonekuraに対する告訴を検討しているそうよ。」
「そうか。日本でも、大変だよ。国会議員が何人も、逮捕されてるよ。」
あれから、ひと月程が経った頃、真紀とNaokoが電話をしていた。
「ところで、あの怪物はどうなったかな?日本では、詳しいことは分からないんだよ。」
「それは、こちらも同じね。UMAだとか深海生物だとか言われているわ。けれど…。」
「けれど…?」
「機密事項なのだけど、クラーケンに破壊された船や建物から、微量の放射線が検知されたの。人体に影響はない程度なのだけど。」
「放射線?」
「ええ。それと、『Peace America』の話は、覚えてる?」
「えっと、反政府組織だったかな?」
「20年前のPittsburgh事件を起こしたgroupよ。leaderのYagob Sergei Bitchが亡くなってから、groupは、『Peace of the earth』と、名前を変えて活動してるんだけど、彼らは、クラーケンは、20年前に、ハワイへ、原子力潜水艦で運ばれていた生物兵器と放射能汚染により、生まれた神の怒りだと言っているわ。」
「ふ~ん。だけど、それは、真実じゃないんだろう?」
「ええ。でも、不審な点もあるのよね。彼らは、生物兵器を積んだ潜水艦が、海底火山の爆発に巻き込まれて、バイオハザードと放射能汚染が起きたと言っているのだけれど、確かに、その年、ハワイへ向かっていた原子力潜水艦がひとつ、海底火山の爆発に巻き込まれて、行方不明になっているのよね。」
「連中は、その話を利用したんじゃないの?」
「そうだと思うけれど、あんな怪物を見ると、信じたくもなってしまうわね。そうだ。結局、『Marine City』で、爆弾は見つからなかったわ。」
「瀬尾の嘘だったのか。」
「そうなると、Seoの目的は、Molsonへの協力だったみたいね。あと、GCCとYonekuraの情報を流したのも、彼でしょうね。」
「結局、モルソンは…。」
「病院で死んだわ。それに、ハワイの日本人mafiaのleaderのKazuki Saseとmemberの多くが、Molsonに撃たれて死んだわ。」
「やっぱり、妹の仇討ちだったんだな。」
「今回の事件で、ハワイの日本人mafia groupは、壊滅したわ。」
「こっちでも、大橋組の捜査がされてるよ。」
「お互い、忙がしそうね。休暇が取れたら、Robertと、一緒に、日本を旅行するつもりだから、そのときは案内してね。マキ。」
「分かった。楽しみにしてるよ。ロバートにもよろしくな。」
通話は終わった。
「どうでした?」
デスクに戻ると加藤が書類作業をしていた。
「休みが取れたら日本に来るってさ。」
「楽しみですね。」
「そのときは、銀座でも、連れて行こうかな。」
「そんなお金あるんですか?」
「経費で下ろせないかな。日米親善とかで。」
「無理でしょう。はい。もしもし…。」
加藤が電話に出て、真紀は買ってきた缶コーヒー開けた。
「先輩。部長が、今すぐ、来いって…。」
「げっ…。マジか…。私、いないって言っておいてよ。」
「隣にいますって、もう、伝えてしまいましたよ。行きましょう。」
「はあ…。ハワイが恋しいよ。」
真紀は立ち上がった。相変わらず、瀬尾の行方は分からない。クラーケンも海中に姿を消したまま、見つかることはなかった。タコの寿命は、3~5年と言われる。20年前にクラーケンが生まれたとしたら、もうそろそろ、彼は海底に沈み寿命を迎えたかもしれない。その後、『Marine City』は、閉鎖された。クラーケンの襲撃により、破壊された建物の残骸は、引き上げられることはなく、海底に沈んでいた。そして、今では、そこは、海に住む生き物たちの、住み家として、人工漁礁の役割を果たしていた。
fin