案外満喫していた
籠を持って山に入ったところで、俺は一度そっと目を閉じる。
そして全身に流れているであろう魔力を、己の目に集中させる。
集中力が高まったところで閉じていた目をそっと開くと、少しだけ違う世界が見えてきた。
誰かが踏み固めた獣道、さわさわと風に揺れる木々。その隙間にちらほらと見えるステータス画面のようなもの。
「テオ、これ」
「なに? この茶色くて丸い、実?」
「集めよう」
「え? うん」
テオは怪訝そうな顔をしつつも、俺の真似をするように茶色くて丸い物体を籠に入れる。
テオには見えていないようだが、俺には見えるのだ。これが食えるものだと教えてくれるステータス画面が。
ステータス画面っつってもただ食えるか食えないかが分かるだけなのだけれども。
俺がこの地に来た最初の日、テオは俺の瞳を見て興奮していた。伝説の聖女とやらと同じ色をしている、と。
この世界では、その聖女とやらと同じような色をした瞳を魔眼と呼ぶんだそうだ。
魔眼は強い魔力の象徴であり、それだけでなく人の魔力が見えたりだとか、ものすごく遠くのものが見えたりだとか、様々な特殊能力が使えることがあるとのことだった。
テオは「いつかロベルトも魔眼が使えるようになるかもね!」と興奮気味に言っていたが、まさかそこらへんのものが食えるか食えないかを判断するステータス画面が見えるだけだとは。
ちなみにテオの夢を壊すわけにはいかないので、今のところ何も見えないことにしている。
「ねえロベルト、これ何?」
「食べ物」
「えぇ……」
テオはこれのどこが食べ物なんだ、みたいな顔をしているが、これはむかごだ。
むかごはいわゆる自然薯の子どものようなもので適当に炒めて塩を振るだけでも美味しくいただける。
少なくとも米を粉々にして煮たというあの無味無臭のどろっとした物体よりは遥かにうまい。……というかあの時は粉々にされていたが、米は普通にあるのだからむかごの炊き込みご飯も出来るな。フライパンさえあれば米は炊ける。
そういえばむかごがあるってことはその辺を掘ったら自然薯もあるかもしれない。次来るときは何か地面を掘れそうな道具を持ってくることにしよう。
「あ、ロベルト。あんまり奥に入っていったら危ないよ。虫とか蛇とか、野生動物もいるかもしれないから」
「そんなもん俺が燃やしたらええんとちゃうかな。あ、キノコや」
日本じゃその辺に生えているキノコなんて毒があるかもしれないし触るのも危険だって話だったが、今の俺にはこの魔眼がある。
あれは食えるキノコだと魔眼が教えてくれている。便利やな。地味やけど。
「ロベルト、それも食べ物?」
「うん」
しめじみたいなキノコだからバター醤油とかで炒めるだけでも美味しそうだ。
しかし悲しいことに醤油がない。今のところテオの家にないだけじゃなくこの島に元から存在していないようだった。
日本人から醤油を奪い取るとは、なんとも残酷な話だ。あ、こっちの草も食べられるって書いてあるな。
ステータスを見て食えると知ったところで、その草をぶちっと引きちぎって匂いを嗅いでみる。
色味的には薄緑でそこらへんの雑草のようだが、臭いはほうれん草に近い。これはきっとサラダにも出来るし、スープにも出来るな。
ちなみに今のところ完全に見かけていない調味料は醤油と味噌くらいだった。海に囲まれているから塩は豊富だし、近所の洞窟内には岩塩だってある。
砂糖は日本で見かけた真っ白な砂糖ではないし原材料も違っているけど似たものがあった。
あぁ、確か酢のようなものもあったがこちらもおそらく原材料が違った。テオの母親が花の蜜だと言っていたから。
島の南側には沢山のオリーブの木があり、オリーブオイルもある。それから菜種油もゴマ油もあった。食肉加工をやってるとこもあるから肉も骨も買えるしブイヨンも作れる。海のほうでは昆布も見かけたし昆布出汁も取れる。
調味料関係はそこそこ揃っているのになぜ醤油と味噌がないのか……!
と、まぁ憤ってみたものの、この家は貧乏なのでそこらへんで見かけたものが全て手に入るとは限らない。手元にないのは醤油と味噌に限ったことではない。
ここにあるものだけで頑張らなければ。
まだ見ぬ醤油と味噌に思いを馳せながら、うろうろしていると、少し遠くに大きな木が見えてきた。
その木には赤くて丸い実がなっている。遠目に見たらリンゴなのだが。
「あ、待ってよロベルト」
「ああ、すまん。あれ」
「あの実? あれは食べられないよ」
遠目に見たらものすごくリンゴなのに食べられないらしい。
納得がいかない俺は急いでその木に近付いて、その実のステータス画面を見る。
『食べられない。割ると猛烈に臭い』
食べられないうえに臭いのかよ。そんな美味しそうな見た目しておいて。
「食べられそうやのにな」
「食べられないし触っちゃだめだよ。家に入れてもらえなくなっちゃう」
「家に?」
「臭いから」
そんなに臭いのかよ。
怖いもの見たさ……嗅ぎたさ? とにかく好奇心のままに嗅いでみたかったけれど、家に入れてもらえないのは辛いので諦めて帰ることにした。
むかごとキノコと野菜も入手したことだし。
しかしメイン食材っぽいものが一つもない。出来ることなら魚が欲しいのだが。いや狩りが出来るようなら肉も狙いたいけども。釣りはやったことあるけどさすがに狩りはやったことないからな。
「なぁテオ。テオはなんで魚嫌いなん?」
「魚? 苦いから嫌い」
苦い? 魚が?
「魚ってどうやって食べてる?」
「丸ごと焼いて」
それ、内臓ごと食ってるんちゃうかな? と、俺が小さく呟くと、テオは首を傾げながら俺の顔を覗き込んでくる。
「エイマーズさんが魚は丸ごと焼いて食べるものだって言ってたよ」
「またその人か」
テオと話していると、エイマーズという名をよく耳にする。
あんまりにもよく耳にするのでテオの父親やバートランド兄さんに詳しい話を聞いたところ、そのエイマーズという人物は、この島にいるもう一人の貴族だという。
この島の半分はテオ達、キーツ家の領地で、もう半分はそのエイマーズ家の領地になっている。
こちら側はお世辞にも潤っているとは言えないけれど、エイマーズ家側は景観のいい観光地のようになっていて潤っている。
実は、俺はそれが少し変だなと思っている。
今の魚の話もそうだ。魚は丸ごと焼いて食べるもの、という決めつけ情報はどうなのだろう。
あの観光地にただ魚を丸焼きにしたものがあるのだろうか? そんなところに来る観光客なんかいるのだろうか?
気になるが、あちら側にはそう簡単に行けないらしいので確認することは出来ない。
そもそもこっちからあっちに簡単に行けないのも変な気もする。
簡単に一言で言うならば、キーツ家、なんか騙されてね? ってことだ。どうにか確認出来たらいいのだが。
あ、ちなみにテオのフルネームはテオ・キーツ。ここで世話になっている俺のフルネームはロベルト・キーツである。それはそれでちょっと変だなと思っている。違和感的な意味で。赤松和朋やいうてんねん的な意味で。
「ほな苦くない魚があったら食う?」
「苦くない魚があるなら食べてみたいな」
そんなテオの言葉に、俺は小さく頷いた。
「あれ、ロベルト?」
「罠置いて帰ろか」
「罠?」
庭先に放置されていた魚用の罠をこっそり持ってきていたので、置いて帰ることにした。
この罠に魚がかかっていれば明日は魚が食べられる。かかっていなくても、明日は絶対に魚を釣ってやる。
「ここにいる魚はきっと全部苦いと思うけどなぁ」
テオは渋々といった様子で罠の準備を手伝ってくれていた。
・・・・・
「おいしい! ロベルトこれおいしい!」
その日の夕飯時、テオは興奮した様子でむかごの炊き込みご飯を頬張っている。
魚用の罠を仕掛けた後、家に帰った俺はテオの母親に頼んでキッチンに入らせてもらった。
案の定米だけは大量にあったので、米とむかごと塩と、あとほんの少しの酒を入れてシンプルな炊き込みご飯に仕上げた。
俺としてはもうちょっと手の込んだものを作りたかったのだが、どの食材が貴重なのかが分からないしあんまり勝手に使ってしまうのも申し訳ないのでシンプルに。
しかし味のないあのどろどろとした謎の料理と化していた米がここまでふっくら炊けたのは、我ながら上出来だと思う。
皆喜んで食べてくれているし。
ちなみにほうれん草みたいな草……野菜はサラダにして、キノコのほうはニンニクと鷹の爪があったのでペペロンチーノ味炒めにした。そっちも皆喜んでくれていた。
「明日はロベルトが苦くない魚を食べさせてくれるんだって!」
と、にっこにこでテオが言う。
「楽しみだな」
にっこにこのテオに向けて、テオの父親が笑った。
「ロベルト、ちょっとおいで」
夕食後、テオの父親に声をかけられた。
外はもう薄暗いというのに、どこかに連れて行かれるらしい。
不可思議な飯に対して何か言われるのだろうか、それとも魚はやめておけと言われるのだろうか。
「きちんと手続きが済んだから、お前は今日から名実ともに俺の息子になった」
「ああ、はい」
「だから、あまり気を遣わなくていい」
「えと、はい」
ほんの少し緊張しながら返事をしていたのがバレたのだろう、テオの……いや、父親はくすりと苦笑を零していた。
「それはいいとして、お前に見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの?」
父親が連れてきてくれたのは、庭の片隅にある大きな蔵のような建物だった。
扉の前にある宝石に魔力を込めてくれというので、手をかざしてみる。するとその場が明るくなった。
あの宝石は飾りじゃなく照明だったようだ。家の周辺には火を灯すタイプのランプしかないので知らなかったが。
「これなんだが、何か分かるかい?」
父親の言葉を聞いた俺は、蔵の中に足を一歩踏み入れる。
そして、そこにあった物を見てしばらく思いっ切り口を開けたまま目を見開いていた。
きっとものすごくアホ面だったに違いない。