屋敷の借り入れ
新年が明けて、翡翠の館に夏風の貴婦人が挨拶がてらに来た。
そこで、今後の月星兄弟の屋敷を、
どうするか話し合い・・・・。
新しい年を迎えたゼルシェン大陸は、まだ春の息吹は遠く、地面は白銀の雪に覆われていた。
雪が吹雪く様な日は段々と減ってきていたが、夜になると綿雪が舞っては溶ける雪の上に積もる。
其の真っ白な絨毯の上に、ぽつりぽつりと足跡をつけ乍ら一頭の馬が歩いていた。
太陽は昼を過ぎて、大分傾き始めている。
穏やかな陽気に照らされた馬の背には、外套を頭から被った者が跨っていた。
後ろには大きな布袋を乗せている。
どうやら向かう先は街外れの様だ。
白い丘を登ると、真っ白な屋根の館が見えてきた。
本来ならば翡翠の屋根の館だ。
そう、此処は翡翠の館。
其の門の前まで来ると、馬上の人物はガラガラと鐘を鳴らした。
間も無くして屋敷から、執事見習いの黒髪の少年ミッシェルが出て来る。
ミッシェルは直ぐに門を開けると、
「いらっしゃいませ、夏風の貴婦人様。御待ちしておりました」
礼儀正しく一礼した。
馬上の者、夏風の貴婦人は馬を下りると、馬はミッシェルに任せて、
荷物だけ持って正面扉へと向かう。
そして自分の屋敷宜しく扉を開け放つと、ずかずかと中へ入った。
すると直ぐに執事が迎えてくれた。
「夏風の貴婦人様。此の度は雪の中を御足労戴き、誠に有り難うございます」
「んー、今年も宜しくね、ポフェイソン」
「恐縮でございます」
執事はにこやかに笑うと、夏風の貴婦人から外套を受け取る。
此処で漸く、夏風の貴婦人の姿が露わになった。
茶色のベルベットのワンピースに二つの三つ編みヘアと、普段着姿だ。
「皆様は只今、サロンにいらっしゃいます」
直ぐにメイドが案内してくれ、サロンの扉を開く。
「ハピーニューイヤー!!」
夏風の貴婦人がサロンに入るなり開口一番に言うと、皆の視線が集まり口々に言う。
「よっ!! ハピーニューイヤー!!」
金の貴公子が手を上げる。
「ハッピーニューイヤーです。夏風の貴婦人」
にこりと笑うのは青銀の髪の少年、星光の貴公子だ。
其の隣には、月光を紡いだ様な髪の皓月の貴公子が居る。
「ハピーニューイヤー」
抑揚の無い声で言うのは、此の館の主、翡翠の貴公子だ。
其の隣をちゃっかり陣取っている巨体の男は、赤の貴公子である。
そして、
「なっつ風の姉!! ハピーニューイヤー!!」
赤の貴婦人が駆け寄って来ると、夏風の貴婦人の首に跳び付く。
「皆、集まったわね」
夏風の貴婦人は、むふふ、と笑い乍ら、肩に掛けている大きな布袋を下ろした。
「土産持って来たのよ、み・や・げ」
「おおー!! 土産?!」
何だ?? 何だ?? と覗き込んでくる赤の貴婦人。
夏風の貴婦人は、どん!! と袋をテーブルに置くと、中からごそごそと取り出した。
其れは茶色の塊で、何処かグロテスクにも見える物だった。
「か、に!! 蟹、貰ったのよ!!」
夏風の貴婦人の手が持つ茶色の物体・・・・其れは毛の生えた蟹だった。
「ええ?! 此れ、蟹なのか?!」
初めて見るのか、金の貴公子は金の瞳を真ん丸にする。
翡翠の貴公子も黙ってじっと見ているところ、どうやら初めて見る様だ。
「蟹は食べた事は在りますが、こんなに毛の生えた蟹は初めて見ました」
星光の貴公子と晧月の貴公子も興味深く見詰める。
だが赤の兄妹の反応は違った。
「おお!! 蟹じゃん!! ひっさし振り~~!!」
「毛蟹だな。蟹は好きだ」
流石、各国を旅して来ただけの事は在る、赤の兄妹である。
夏風の貴婦人は蟹を両手に持ち乍ら、にかりと笑った。
「私も蟹は食べたこと在るけど、こんな蟹は初めてよ!!
茹でるだけで美味しく食べられるんだって!!」
「へ~~、此れを茹でるんですか」
やはり、ちょっとグロテスクだなぁと呟く星光の貴公子に、皆も同感の様である。
「他にも在るのよ!!」
夏風の貴婦人は又ごそごそと袋の中を漁ると、今度は巨大な蟹を取り出した。
少し赤みがかった足の長い蟹である。
すると金の貴公子が声を上げた。
「あー!! 此れは知ってるぞ!! 確か・・・・」
「タラバ蟹だな」
晧月の貴公子が、ぼそりと答える。
「そうそう!! タラバ!! 此れ旨いんだよな~~!!」
思わずテンションが高くなる金の貴公子である。
「うっわー!! タラバだ!! 此れも超旨いんだよね~~!!」
「タラバも好きだ」
赤の兄妹も目を輝かせる。
どうやら蟹を生で見るのが初めてなのは、夏風の貴婦人と翡翠の貴公子だけの様である。
とは云え、毛蟹もタラバ蟹もゼルシェン大陸では珍しく、
高価な食べ物で在る事には変わりはない。
「夕食に皆で此れ食べよう!! ミッシェル!!」
丁度サロンに入って来たミッシェルに夏風の貴婦人は袋を渡すと、
「シェフに食べ頃に茹でて貰って!!」
にかりと笑う。
「は、はい!!」
ミッシェルは袋の中身を見て思わずぎょっとしたが、袋を抱えて、そそくさと出て行く。
其処へメイドが夏風の貴婦人の分の紅茶を運んで来、夏風の貴婦人は椅子にどかりと座る。
そして談話が始まった。
「夏風の姉~~!! 新年会!! 新年会しようよ~~!!」
赤の貴婦人がわくわくと声を弾ませると、夏風の貴婦人はクッキーを食べ乍ら考える。
「新年会ね~~。そうねぇ・・・・今年は新年会するか~~」
「しよう!! しよう!! 新年会!!」
「じゃあ、何処か会場抑えておくわ」
「やった~~!! また皆でゲームしようよ~~!!」
其の赤の貴婦人の発言に、金の貴公子の顔がぎょっとなる。
「ちょ・・・・!! 王様ゲームは断固として反対だからな!!」
「えー!! 王様ゲーム、超楽しいじゃん~~!!」
「嫌だ!! 絶対、嫌だ!! 俺は絶対遣らないからな!!」
以前の同族の慰安旅行での王様ゲームで、
さんざんな目に遭った金の貴公子は断固として反対する。
「まー、今回は今回で、何か違う事しよっか」
夏風の貴婦人は金の貴公子を宥め乍ら紅茶をぐびりと飲むと、
大事な事を思い出したと云う様に口を開いた。
「そうそう。そろそろね、皓月の貴公子と星光の貴公子には、
自分たちの屋敷を持って貰おうと思ってるのよ」
夏風の貴婦人の言葉に、金の貴公子は顔を輝かせると賛同する。
「いや~。俺も、そう思ってたんだよ。屋敷持てよ、皓月の貴公子。自分の屋敷は、いいぞ~~」
邪魔者を早く翡翠の館から追い出したいと云う金の貴公子の心中は見え見えだったが、
夏風の貴婦人は頷く。
「此の屋敷、部屋数も少ないし、はっきり言って四人は多いわ。それに皓月の貴公子には、
色々遣って貰いたい事が在るし、こんな辺鄙な場所に固まっていられると、遣り難いのよね」
翡翠の館は、翡翠の貴公子の部屋、金の貴公子の部屋、水の貴婦人の部屋に、もう一つと、
計四つの部屋しかない。
故に滞在中の皓月の貴公子と星光の貴公子の部屋は同室で、
赤の兄妹と夏風の貴婦人が今夜泊まるには部屋数が足りなかった。
至極当然の夏風の貴婦人の言葉に、晧月の貴公子は頷いた。
「ふむ、確かにな・・・・して、屋敷は??」
皓月の貴公子が問うと、夏風の貴婦人は説明する。
「東部の南境界地の何処かの空き屋敷を買おうと思ってるんだけど。
私一人で南部と東部を遣り繰りするの結構大変なのよ。
だから御二人さんには、境界地でビシバシ働いて貰うわ」
現在、東部と南部の境界地には夏風の貴婦人の太陽の館が在り、
其処での仕事量は凄まじかった。
故に頭は決して悪くはない月星兄弟には、
境界地の仕事をさせたい夏風の貴婦人なのである。
其処へ、すかさず金の貴公子が押してきた。
「じゃあ、雪が溶けたら、屋敷見に行けよ、皓月の貴公子!! いや~!!
いい屋敷、在るといいな~!! いや、きっと在るって!!」
そう言う金の貴公子も、翡翠の館の居候の身なので在るが。
だが急に夏風の貴婦人が難しい顔をすると、言った。
「だけど、問題が一つ在るのよ」
夏風の貴婦人は腕を組むと、鋭い橙の猫目で皆を見る。
「誰が金、出す??」
一瞬、皆、瞬きを忘れた。
「か、金?!」
思わず、あたふたとする金の貴公子。
よくよく考えてみれば、家を買うには金が掛かって当たり前なのだ。
異種だから只で・・・・なんて事は絶対にないのだ。
だが身一つで海を渡ってゼルシェン大陸へ来た皓月の貴公子と星光の貴公子に、
そんな大金を払える筈もなく、となると誰かが買ってやらねばならないのだ。
夏風の貴婦人は、ぼりぼりとチョコレート食べ乍ら言う。
「私はさー、前、赤の兄妹に屋敷買ってやったし~~」
出したくない、と云う顔をする。
「ええ!! 赤の兄妹って、夏風の貴婦人に家買って貰ったのか?!」
吃驚仰天の金の貴公子に、赤の貴婦人がばつの悪い顔をする。
「そうだよ~~。うちら、夏風の姉に借金してんの。だから倹しい生活してんのさ~~。
うちらって、いつまで経っても貧乏人だよね~~、御兄ちゃん」
「そうだな」
溜め息交じりで話す赤の兄妹の明かされた真実に、金の貴公子は豆鉄砲を食らった鳩の顔になる。
赤の兄妹が夏風の貴婦人に借金??
道理で、いつまで経っても貧乏臭い訳だ・・・・と、悪いが、つい思ってしまう。
すると。
「俺が出してもいいが」
ぼそりと聞こえた声の主は翡翠の貴公子だった。
だが其の途端、夏風の貴婦人が首を大きく横に振った。
「あんたは、駄目!! そう云う事したら、キリの無い奴だから!!
大体、寄付ばっかりしてて、あんたの処、そんな余裕無いでしょ!!」
ビシィッ!! と指を差す夏風の貴婦人に翡翠の貴公子は、
「執事に聞いてみないと判らないが・・・・」
ぼそぼそと答える。
だが夏風の貴婦人は絶対に許さないと云う強い声音で言う。
「とにかく、あんたは駄目!! あんたは論外!!」
ピシャリと言われ、翡翠の貴公子は押し黙る。
それでは一体、誰が金を出すのか??
すると金の貴公子が手を上げた。
「あのさ。白銀の貴公子に御願い出来ないのか??」
金の貴公子の提案に、赤の貴婦人が「おお!!」と手を打った。
「そうだよ!! 白銀の貴公子、御金持ちじゃん!!」
白銀の貴公子と云えば、ゼルシェン大陸有数の上流貴族シェパード家の総帥で在る。
其の抱える富と資産は莫大であろう。
金銭に於いて、彼ほど頼れる存在が他に居るだろうか??
しかし夏風の貴婦人は再び首を横に振る。
「白銀の貴公子に金を借りると、利子がべらぼうに高い」
其の発言に、金の貴公子は不思議そうに瞬きする。
「り、利子ってさ・・・・同族の誼で安くしてくれるとか、何とかして貰えるだろ??」
だが夏風の貴婦人は依然きっぱりと首を振る。
「無理ね。びた一文まけないわよ、あの家は。
ってか、本当払うの馬鹿らしくなる程、利子高いのよ、あの家は」
白銀の貴公子に借金をした経験が在るのか、夏風の貴婦人は至極真面目に答える。
「白銀の貴公子は総帥だけど、実際、シェパード家を動かしているのは、
叔母様のシャルロット様なのよ。あの叔母様に借金をするのは、そりゃ、もう恐ろしいのよ。
白銀の貴公子に御金を借りるって事は、シャルロット様に御金を借りるって事なの。
勿論、白銀の貴公子のマイマネーも在るけれど、それでも大きな金を出す時は、
必ずシャルロット様の許可が必要なのよ。確っ実に金巻き上げられるって!!」
「・・・・・」
何やら説得力の有る夏風の貴婦人の言葉に、一同が静まり返る。
白銀の貴公子も駄目になると、あとは誰に借りれば良いのか・・・・。
「んー・・・・じゃあ、漆黒の貴公子あたりとか」
取り敢えず赤の貴婦人が言ってみると、金の貴公子も苦笑する。
「ああ、あいつ、金貯めてそうだよな。いや・・・・コレクションに金遣ってるかも・・・・」
確かに其れも有り得る話だ。
では一体、全体、どうすれば良いのか・・・・。
今、此の部屋に居るのは、赤の兄妹に家を買ってやったばかりの夏風の貴婦人。
日々の生活を送る分しか持たない翡翠の貴公子。
其の彼に厄介になっている金の貴公子。
借金生活の赤の兄妹。
無一文の皓月の貴公子と其の弟。
実に頼りない連中ばかりである。
部屋は暫し沈黙に落ちた。
しかし・・・・金の貴公子が尚もとんちを利かせると、口を開いた。
「あのさ・・・・何て云うか・・・・異種皆の金、みたいなのないの??」
言われて、夏風の貴婦人は思い出した様に手を打った。
「在るわよ。そうか。其の手が在ったか!!」
「おおー!!」
赤の貴婦人も思わず声を上げる。
「やっぱ、いざって云う時の御金が在るんだ!! やった~~!!」
喜ぶ貧乏人赤の貴婦人に、夏風の貴婦人がけろりと言う。
「いざって云うか、毎月、私たちに給料が支払われる前に、天引きされてるのよ。
つまり毎月、皆で貯蓄してるわけ」
其の言葉に、途端に赤の貴婦人の顔が青ざめる。
「ええー!!
じゃ、いつも、あたしと御兄ちゃんが貰える御金、実は、もうちょっと貰えてたって事ー?!」
「まぁ、そう云う事になるわねぇ」
「えーー!!」
そんな制度反対だー!! と叫ぶ赤の貴婦人を余所に、金の貴公子が訊ねる。
「えっとさ・・・・!! 給料って、俺とか、どうなってるの??」
翡翠の館へ来て今年で四年目になるが、実は金の貴公子は給料なるものを貰った事がなかった。
「あんたの分は、去年から一部の接待に出席した分だけ払われる事になってるわよ」
「ええ!! そうなのか?!」
其れは勿論、微々たるものなのであろうが、金の貴公子は翡翠の貴公子を振り返る。
「御前の分は、俺のとは別に管理されている」
安心させる様に翡翠の貴公子が言うと、金の貴公子は感涙の表情になる。
「そっか・・・・俺、小金持ちになってたんだなぁ」
思えば、ずっと貧乏だった。
と云うよりも八百年の人生に置いて、金など殆ど遣う事がなかった。
欲しい物はパトロンが買ってくれたし、翡翠の館へ来てからも金が掛かる事は一切なかった。
だが今、こんな居候の自分が少しばかりでも金を稼いでいたのである。
金の貴公子は感動の余り、一人呆ける。
そんな金の貴公子は放っておき、夏風の貴婦人は皓月の貴公子に向き直った。
「そんな訳で、其処から借金って事でいいかしら?? 利子は付けないわ」
皓月の貴公子は頷いた。
「是非、御願いしよう。
新たなる屋敷に移させて戴いた暁には、私の持ち得る全てで以て、献身的に働かせて戴こう」
こうして話は成立した。
春には皓月の貴公子と星光の貴公子は、翡翠の館から旅立つ事だろう。
夜の帳も落ちる頃、皓月の貴公子は暖炉の傍で、一人ウィスキーを飲み乍ら寛いでいた。
ぼんやりと炎を見詰める彼の顔は、うっすらと笑んでいる。
其処へ扉が鳴ると、弟が入って来た。
「兄さん」
星光の貴公子は後ろ手で扉を閉めると、小さく言う。
「御金は、ウォルヴァフォードに在りますよね。あれは、どうするんですか??」
弟の言葉に、皓月の貴公子は依然うっすらと笑んで答える。
「あれは新居に移ってから、こっちに持って来る」
「では其れで、家の御金が払えますね」
良かったと安心する弟に、だが皓月の貴公子は咽喉を鳴らして笑う。
「セイ。ゆっくり返せば良いものは、ゆっくり返せば良い。利子も掛からんしな。
自ら進んで急ぐ必要はない。セイ。懐の内は例え同族であろうと、見せるは得策ではないぞ」
「・・・・じゃあ」
本当は十分な金が有るにも関わらず、同族の財布から拝借すると云う事なのか??
星光の貴公子は暫しきょとんとした顔になったが・・・・
「判りました」
にこりと笑って頷いた。
「僕は余計な事は言いませんから」
兄さんの考えるが儘に。
「もう夕食だそうです。食堂へ行きましょう」
誘う弟に、皓月の貴公子は椅子から立つ。
「今夜は蟹だったな。此処へ来てからと云うもの、実に珍味が味わえる。楽しいと思わないか??」
「はい。楽しいです。蟹なんて、本当に久し振りですよね」
月と星の兄弟はクスクスと笑うと、部屋を出る。
其の後、皓月の貴公子はウォルヴァフォードから多額の財産を取り寄せ、
同族の目を欺いて借金生活を微々とも感じずに暮らしたのだが、異種としての業務には献身的で、
同族に大きく貢献したと称えられたのだった。
この御話は、これで終わりです。
取り敢えず、月星兄弟がどうなるかが決まりました☆
このノーマルの「ゼルシェン大陸編」を初めて読まれた方は、
一番古い作品の「夏の闘技会」から読んで貰えたら、
異種たちの事が判るかと思います☆
少しでも楽しんで戴けましたら、コメント下さると励みになります☆