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いつかは

作者: who2

短い物語ですが。よんでくれれば嬉しく思います


  いつかは


 明日は晴れるだろうか、またきっと雨だろう。やまない雨はない、と誰かが言っていた。本当だろうか、俺の心の中はずっと雨が降り続いている。そう、もう何年も。

 明日も仕事だ。今夜も眠るために、もがかなくてはならない。熟睡したいが、浅い眠りが多く、深く、眠れず、体調はずっと悪い。

 敷きっぱなしの布団に、横になる。目覚まし時計の秒針の音が響く、サッシからは外の街灯の光が部屋にぼやっと届いている。

 だいぶと、時間がたった。ようやく、少しばかり眠れそうな気になった。意識がゆるくぼやけていく。

 たぶんわずかな時間だったのだろう。俺は目を覚ました。サッシからは朝の光が射し込んでいた。目覚まし時計を見ると二時間ほど眠っていたようだった。短い時間だったが、もう眠れそうにはなかった。

 布団から起き上がり、キッチンに向かう、水垢で汚れたマグカップに水道水を入れ、喉に流し込む。疲れは全く取れない。自己判断だが、これはもしかしたら鬱病かなとも思う。病院に行こうかとも思うが、精神科というのはやはり、抵抗がある。

 二時間ほど、ぼんやりしていた。会社に行く用意をしなければと、黒のジャージの上下を脱いだ。ジーンズを穿き、黒のシャツを着た。服を着替えるのがとてもつらく感じた。駄目だ、やはり、病院へ行こう。そう思って、スマホを手に取った。

 着信履歴があった。時間は夜中の三時だった。妹のあかねからだった。嫌な予感がよぎった。恐る恐る発信ボタンを押した。三回目のコールであかねのくぐもった声が聞こえた。

「母さんが、倒れたの」

「本当か」

「今、中央病院、いきなり夜に大きな鼾をかいて、何度呼びかけても、体をゆすっても起きなかったの、で、救急車、意識は戻ってないわ」

 俺は重い体を引きずるように家を出た。会社に電話をかけ、休みをもらった。母が倒れたことにについて、正直、かなり動揺していた。もう、いい年齢なのである程度は想像していたが、実際に事が起こると、心の動きは予想以上だ。

 朝の通勤、通学の時間帯だけあって、行きかう人々とせわしなくすれ違う。春の太陽は朝から眩しかった。実家まではそう遠くはない、電車で一時間ほどの距離だ。俺は足早に駅へと向かった。

 駅のホームで電車を待っていた。陽の光を受けた線路を見ていると、だるい体をそこに投げ出してしまいたいような衝動にかられた。何を俺は考えているんだ。ホームの端から離れ、中央の自動販売機で、缶コーヒーを買い勢いよく飲んだ。自分の鼓動が波打っているのが分かった。母の顔がよぎり、妹の辛そうな顔が浮かび、俺は一瞬の衝動から、何とか抜け出した。

 電車がホームにやってきた。俺は大きく息を吐き、乗車した。

 いつもは都心へ向かっていくのだが、実家へ向かうた為に日常とは逆の方向へ電車は進みだす。まるで、どこか過去へといざなわれていくような気がした。ドアの横に立ち、外を眺める。車窓から見える景色がゆっくり後退していく。

 母は、死ぬのだろうか、たぶんそうだろう。人間はいつか死ぬ。この当たり前のことに怯え、日常ではそのことを出来るだけ考えずに忘れようとする。俺もそうだった。しかし誰かの死が近づくとそれを意識しないではいられない。俺は過去を思い返す。


 あれは四年前の春のことだった。俺は三十歳になり、そろそろ、結婚をしたいと思っていた。もてるタイプではないと自分でもわかってきていたし、問題は相手探しだと思っていた。

 彼女と出会った時、ただひたすらに美しいと思った。激しく心が揺さぶられた。居酒屋でバイトをしていた彼女は、機敏に動き、いつも笑顔だった。何気に一人で立ち寄った店、そこで、俺の鼓動は速くなり、ジョッキを持つ手が少し震えた。俺は気持ちを何かでえぐられたような気がした。内気な俺は、話しかけることもできなかったが、翌日から彼女のことが頭から離れなかった。

 仕事中も工場のラインをみながらぼんやりと彼女のことを思い出していた。体の奥底から、何かが叫ぶように彼女に会いたいと思った。

 週に何回も、その店に通うようになった。中々話しかけることは出来なかったが、酒の勢いもあり、ある日俺は勇気を振り絞った。

「ここのお店のポテサラ、おいしいね」体が熱くなるのを感じた。彼女は少し驚いたようだったが、すぐに微笑みをくれた。

「ありがとうございます。兄が喜びます」そう言って厨房の方を見た。背の高い店長らしき男はどうやら、兄のようだった。男も笑顔で、コクリと頭を下げた。小さな兄妹でやっている居酒屋、俺は何か温かい気持ちになった。

「いつもありがとうございます」彼女は言った。

「また、来ます」そう言って俺は店を後にした。外に出た時、強く吹いた風がとても心地よかった。

 俺は人生の不思議さを知ったような気がした。不器用な俺がその店にいくと、程よく饒舌になるようになり、流れというものなのか、とても自然に彼女と打ち解けていった。

 彼女の名前は木下未希といった。未来の希望、未希はそう言って笑った。でも、まだ、会話は店の中だけでのことだった。

 ある晩、俺はいつものように店に行った。兄の名前は智久だった。年は俺と変わらなかった。未希さんはまだ、店には来ていなかった時、智久と話をしていた。

「未希のことどう思います」智久は料理をする手を止めて、顎に手をやりながら言った。俺は言葉につまったが、暫く黙った後、小さな声を発した。

「いや、すごくかわいいと思います」

「そうですか、それはよかった」智久は満足気な顔をした。

「どうして、そんなこと聞くの」

「いや、別に、ただ、なんとなく」そう言って、これサービスです。とポテトサラダをだしてくれた。

 ポテサラを食い、時折ビールを飲む。工場の肉体労働の帰りに、俺は何か小さな幸せを感じかけていた。もうすぐ未希さんも来る。そう思うと胸に熱いものが込み上げる。

 店の木の引き戸が開いた。そちらに目をやると、美しい花が一瞬で咲いたように思えた。未希さんだ。

「もう、来てくれてたんですね」未希さんは小さく微笑む。俺は自然に笑顔がこぼれる。未希さんが横を通り過ぎる。店の中の雰囲気が明るくなる。

 追加の瓶ビールを頼む。グラスにビールを注ぎ込む、黄色い液体が高貴な黄金色に見える。

「なんかにやついてるね」智久が言った。

「そうかな」俺は少し照れ、強めの口調になった。

「これ、商店街の組合でもらったんだけど」そう言って智久は映画のチケットを二枚見せた。

「映画か」俺はどこかうわの空だった。

「ほら、駅前の小さな映画館あるよね、あそこ今、昭和の映画の特集やってんだよ、大変というか、昔を懐かしむというか、まあ、聞いたことあるだろ、この題名」チケットには角川スペシャル、セーラー服と機関銃、出演、薬師丸ひろ子とあった。確かに、聞いたことがある。俺はチケットをジッと見た。

「でも、俺、映画とかあまり興味ないし、二人で行ってくれば」智久は未希とこちらを交互に見た。一瞬、戸惑ったが、智久が包丁を握った天使のように見えた。

「その映画見たい」未希さんがいつもより高めの声を出した。

「俺も」反射的に俺は声を出した。


 映画館は比較的空いていた。座席はちょうど真ん中の辺りに座った。大きめサイズのコーラ飲みながら、いつもと違う雰囲気に戸惑っていた。

「ポップコーン買ってくる」未希さんは座席を立ちあがった。飲み物は買ったけど、そういえば、お菓子を買っていないことに気がついた。ポップコーン、確かに映画を見るには定番だと思った。

「はい。どうぞ」未希さんがポップコーンを手渡してくれた。俺の中で何か得体のしれぬ感覚が沸き上がる。とてもかわいい。未希さん。俺は心の中でそうつぶやいた。

 映画が始まった。女子高生がひょんなことから、やくざの親分になり、抗争に巻き込まれていく話だった。主演の薬師丸ひろ子を助ける中年やくざの渡瀬恒彦がとにかくカッコよく見えた。ラストのほうで敵の事務所に乗り込み、薬師丸ひろ子がマシンガンをぶっ放し「快感」と言った時は鳥肌が立った。昭和も悪くない、そう思った。映画が終わり、未希さんを横目で見た。どこか何かを考えこんでいるような、それでいて哀し気な表情に思えた。

 映画館を出て、俺と未希さんは少し冷たい風が吹く、並木道を暫く黙って歩いた。俺の中では面白かったが、未希さんからすれば、楽しくなかったのかもしれない。

「なんか、私、暗いね、ごめんなさい」未希さんは俯いていた。俺は戸惑った。意外な言葉だった。

「そんなこと、ないよ、もしかして映画面白くなかった」

「そうじゃないの、ただ、いえ、なんでもない」未希さんはくぐもった空をチラッと見た。「もうすぐ雨降るかも」俺は当り障りのないことを言った。

「桜散るかもね」そう言って未希さんはいつもの笑顔を見せた。この時が未希さんとの永遠の別れになるとは思ってもいなかった。

 その夜、彼女は首を吊って自ら命を絶った。俺には意味がさっぱりわからず、ただ、ただ、愕然とした。後で聞いた話だが未希さんは最近まで鬱病を患っていたということだった。


 人は、必ずこの世からいなくなる。自分で命を絶つ人は,勇ましいのかもしれない。

 電車が目的の駅についた。ホームに出ると、生ぬるい風が体を包んだ。不意に何故だか引き返したくなる。どうせ、俺が行っても病状は変化するわけでもなし、ましてや回復することもない。無駄なこと。そう、人生は無駄だらけだ。

 俺は誰もいないホームでぼんやり佇む。生きるってなんなんだ。

 スマホが振動した。妹からだった。俺は着信ボタンを押した。

「兄ちゃん、お母さん、息引き取った」カサついた声だった。

「そうか、間に合わなかったな、今、駅に着いたところだけど、出来るだけ早く行く」本音はどうでもよかった。心の中に空いてある風穴が、また少し大きくなっただけだった。でも、きっと、妹は普通の悲しみを抱えたことになる。出来れば傍にいてやりたいと思った。

 ホームから改札に向かって、階段を上る。何気に後ろを振り返ると、誰の姿もない、前を向く、そこにも誰の姿はない。階段を上り終わり改札に向かうと数人の人達がいた。目的をもってどこかに進んでいるのか、それとも何も考えていないのか、俺には少なくとも生きる目的というやつが分からない。誰かに教えてもらいたい。でも、誰も教えてくれない。

 病院に着く。リノリウムの床を俯きながら歩く。子供の嬌声が聞こえる。老人達の溜息が体にまとわりつく気がした。顔を上げると、忙しそうにしている看護師が目に入った。命に携わる仕事、それは大切なことだと思うが、俺の命は夕暮れの陽を浴びた枯葉のようだ。誰かに踏まれて粉々になってしまえばどれだけ楽だろうか。

 ナースステーションで、母の名前を言い、病室に足を向けた。

 スライド式のドアを開けると、目を真っ赤にした妹、あかねが振り向いた。

「死に目に会えなかった。大丈夫か」俺は言葉をかける。妹はかぶりを振った。

「昨日、ちょうど兄ちゃんの話をしていたとこなの」

「そうか、それにしても突然だったな」ベッドにはとても小さな老女が眠っている。それは母親には見えず見知らぬ人のように思えた。

「兄ちゃんは誤解されやすいけど本当は気の優しい子だってお母さん言ってた」俺はその言葉を聞いて窓の外に目をやった。季節は春。病院の庭には桜の木が何本も植えられていた。それは突然だった。花を咲かせた桜が心の中に染み込んでいくように映りこんだ。灰色の胸の中にいくつもの色が絵の具で塗られていくようだった。

「母さん」俺は嗚咽した。妹が丸まった俺の背中を撫でてくれた。

 何故だが、人は肉体が滅びても何かがきっと残る。俺は腹の底からそう思った

                                   了


読んでいただきありがとうございました。

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